今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【59/175】
訪れた旧市町村の数【551/2,093】 総計【610/2,268】スーパーカブの総走行距離
16480km
秋晴れの胎内市と新発田市の旅。(2023年10月14日(土)―191日目)
今朝は10時過ぎまで、村上市でお世話になったおうちでゆっくり過ごさせてもらいました。ご家族みなさんとても温かく居心地が良くて、ほんとうにずっと居たくなるような場所。でも、進むことも必要なので急ぎすぎず、休みすぎず、怠らずに進みましょう。村上市を出発して、胎内市と新発田市の旧市町村を進みました。快晴で、夕方の西陽も澄んだ光です。
たくさんお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。
旧中条町(胎内市)
村上市を出発して最初にやってきたのは、胎内市の旧中条町です。日本海を見渡せるはまなすの丘を訪れたあと、乙宝寺(おっぽうじ)を参拝しました。乙宝寺の開山は奈良時代の天平8年(736年)に遡り、聖武天皇の勅願によって、北陸地域一帯の平穏を祈り建てられたそうです。本堂の佇まいは堂々たるもので、多くの人々の心のよすがになった歴史の長さを感じます。
旧黒川村(胎内市)
次にやってきたのは、旧黒川村です。黒川庁舎へ訪れると、またここもひとつの集落である雰囲気が漂っています。そのあとは元々、黒川石油公園と呼ばれる場所に行こうかなと考えていました。珍しい名前ですし。ただ、庁舎へ向かっている道中に「胎内観音」の看板を見つけて、もしかすると観光地かもしれないと調べてみて、道の駅が併設しているとわかり、目的地を胎内観音へ変更したのでした。
胎内観音と道の駅は、胎内川の渓谷沿いにあって、川のそばの広場では音楽ライブが聞こえてきます。あれ、そうか、今日は土曜日か。すっかり曜日感覚を失っていましたが、休日でイベントが行われていたようです。立派な門の先に佇む胎内観音は、後光を浴びてふんわりと鎮座していました。
旧紫雲寺町(新発田市)
ここからは、新発田市に入ります。最初に旧紫雲寺町の紫雲寺記念公園に行ってみると、海岸線沿いは整備された綺麗な海水浴場になっていました。犬の散歩をしている人もいますし、カフェも併設されているようです。ちょうどサーファーが二人、海から戻ってきたのですが、二人とも若い女性ですごくカッコよかった。なんだか眩しくて直視できなかったです。
旧加治川村(新発田市)
次にやってきたのは、旧加治川村。市街地へ向かっていると、「加治川米コシヒカリ」と書かれたJA北越後の施設とすれ違いました。新潟県のお米もすごく美味しいだろうなあと想像が膨らみます。城跡でもある大天城公園に行くと、家族連れがテントを張って日陰で休んでいたり、子どもたちが森を走り回っていたり、休日のやさしい時間で溢れていました。
旧豊浦町(新発田市)
新発田市の市街地を越えて、羽越本線沿いに走る国道を進んでいくと、旧豊浦町に入ります。中浦駅の先1kmほどで一本道を折れると、今度は雰囲気ある住宅街に変わり、その先に北越屈指の大地主であった市島家の屋敷、市島邸が現れました。受付で入館料の620円を支払うつもりが、「今日は企画展の初日で無料なんです」と聞いてビックリ。そんなことがあるんだ、心の片隅の片隅で、ラッキーと言います。
さすがは豪農の邸宅、とにかく敷地も広く、ぐるっと巡るのにかなり時間がかかりました。今の時代の豪華な家とはまるで違うけれど、昔の立派な建物は、心の豊かさを感じますよね。
新発田市
最後にやってきたのは、新発田市です。国指定名勝である清水園を訪れました。新発田藩は、初代藩主の溝口秀勝が入封(にゅうほう)して以来、江戸時代を通じて溝口家が治めています。清水園は三代・宣直と四代・重雄のときにつくられたもので、この地が清水谷と呼ばれていて、建物も清水谷御殿と呼ばれたことから、現在の清水園の名の由来になっているそうです。
市島邸も広い敷地でしたが、清水園もやはりとても立派で、隠れんぼなら1日中遊べそうです。周辺のまちなみや商店街も味があって、ここでどんな時間が流れていたのだろうと想像が膨らみました。
そして、最後に新発田城跡も訪れました。日はだいぶ傾いていて、強い逆光が差し込んだ櫓(やぐら)はシルエットになっています。お堀沿いは地元の方々の散歩コースになっているようで、ベンチに座って歓談する様子は、日常の一コマとして美しく目に映りました。
というわけで、今日の散策はここまで。5年前に訪れた旅では、胎内市では乙宝寺、新発田市では新発田城跡を訪れていました。どちらも今日あらためて訪れましたが、これらの場所に加えて、さらに以前よりも見える世界が広がって、とてもありがたく嬉しいです。どの土地にも、暮らしの姿がありました。
胎内市も新発田市も、最初は漢字変換でなかなか出てこないですよね。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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新潟県北蒲原郡中条町。これが私の生まれた街。ただし6歳の時に倉敷に引っ越してからは一度も訪れたことのない、自分のルーツでありながら、ちょっと出身地というにはこそばゆいような土地。市町村合併が進み、もう街の名前が変わっているだろうと思っていたけれど胎内市になっていたことをこの記事で初めて知りました。
仁科さんが撮られた風景を眺めながらこんな場所に住んでいたんだと不思議な気持で見ました。海の写真を見た時に、なぜ自分が海が好きなのかわかったような気がしました。
ありがとうございました。
Siroさま
コメントありがとうございます。読んでいただきとても嬉しいです。中条町のご出身なのですね。そして、地名が変わっていくこともなかなか気づかないですよね。海の景色、とても綺麗でした。