今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【59/175】
訪れた旧市町村の数【487/2,093】 総計【546/2,268】スーパーカブの総走行距離
15030km
目次
国道101号線、秋田と青森の県境をすこし越えて。(2023年9月17日(日)―164日目))
朝6時過ぎ。気持ちのいい朝日が地上に届いている。田園風景の広がる道を走っていると、白サギと並走した。アニメの世界みたい。走っているから、写真も撮れないけれど、会話できそうなほどの距離で。
旧峰浜村(八峰町)
最初にやって来たのは、旧峰浜村。沢目駅とその近くのまちなみを歩く。とても静かな朝だが、初めてのまちに来たときの、一本糸が張られているような緊張感もあった。
旧八森町(八峰町)
次にやって来たのは、旧八森町。大小さまざまな山が増えてきて、白神山地も近づいていることを感じる。
白瀑神社の境内の裏には立派な滝が流れていた。滝の前に立ち、最後の最後まで息を吐いて、すーっと息を吸い込む。滝の轟音と木々のざわめきを聞きながら、ただこれだけのことが、とても気持ち良くて。
そして、秋田と青森を結ぶ国道101号線の県境を訪れた。8月に青森県の旧岩崎村(深浦町)を訪れたときに、青森から秋田には、数百メートルほどオーバーランしていて、今度はそれの逆をやった。だから、この道がぼくにとって開通した。
この道に、特別な何かがあるわけではない。むしろ、何もない。だから何の自慢にもならない。誰かから聞いた、「秋田と青森を結ぶ日本海沿いの道が、とてもよかった」の言葉がずっと耳に残っていて、走ってみたかった。「この道を走りたい」とチェックしている道が、ほかにあるわけではない。国道101号線ぐらいだ。だから、ぼくにとってみれば、歴史的なことだった。確かに何もなくて、でもそばには日本海があって、自由で美しい道だった。
能代市
次にやって来たのは、能代市。朝に通過したけれど、戻ってきた形だ。以前の旅で訪れたときは、「旧料亭金勇」へ。とても立派な料亭だったと記憶している。
今回は違うところに行ってみようと思って、風の松原へ向かったけれど、行き方がよくわからずに断念。その道中、雉が5羽ぐらいいた。
今度は能代バスケミュージアムを訪れる。すると直前で通行規制がかかって、やがて能代八幡神社から、「エッサ、ホッサ」と御神輿が現れた。そうか、まちのお祭りなんだなあ。神輿が通過するのを待って、能代バスケミュージアムに入った。能代工業出身の日本人初のNBAプレーヤー「田臥勇太」選手を中心に、バスケット愛に溢れたたくさんの展示があった。スラムダンクだってもちろん。そう、山王工業高校は、能代工業高校がモチーフだ。ほかにも高校の練習試合が配信されていたり、男女、プロアマ問わず、いろんな紹介がなされていた。
すでに有名でありながら、先日のW杯でもさらに名を上げた河村勇輝選手の、3年前のインタビュー記事があって、ぜんぶ読んでしまった。元々はバスケの指導者になるつもりだったって、ぜんぜん知らなかった。かっこいい心の持ち主だ。
旧二ツ井町(能代市)
能代大橋で渡った米代川を上流に進んでいくと、旧二ツ井町がある。「きみまち阪県立自然公園」に訪れると、「恋文コンテスト発祥の地」だと書かれてあった。
恋文コンテストは、平成6年から平成15年の10年間に渡って開催されたそうだ。その恋文コンテストの舞台となったのが、旧二ツ井町。その由来は、明治天皇のロマンチックなエピソード。
明治14年、東北巡幸の折り、二ツ井町を訪れた明治天皇を、皇后のお手紙が待っていました。
「大宮のうちにありてもあつき日をいかなる山か君はこゆらむ」
夏の長旅を気遣う皇后からの「恋文」を受け取った明治天皇は、その地の美しさに深い印象を抱かれ、「徯后阪(きみまちざか)」と命名されました。それが現在の県立自然公園「きみまち阪」です。
この優雅な命名の由来を愛する二ツ井町が、恋文復権を全国に発信しようと始めたのが恋文コンテストでした。
10年間に寄せられた恋文は、34,227通にも及びました。
(HPより引用)
今も能代市のHPでは、1日1通、『今日の恋文』が紹介されている。かつてのコンテストで入賞したものだけれど、恋の心は色褪せない。かつて平安時代を生きた人々が、和歌で恋心を詠んだように。みなさんはラブレター、書いたことがありますか?
旧田代町(大館市)
能代市から東へ進んで、旧田代町へやってきた。まちの中心部である早口駅周辺を歩いたあと、「小畑勇二郎記念館」を訪れる。
旧田代町出身の故小畑勇二郎さんは、かつて6期24年間のあいだ、秋田県知事を務めた方。秋田市の市街地計画を立案し、当時抱えていた膨大な県の赤字を解消し、さらには八郎潟の干拓事業をおこなった。つまり、今の秋田の基礎を築いた偉人だ。
恥ずかしいことだけれど、小畑さんのことを今まで知らなかった。でも、八郎潟のあの大干拓を行った人なんだ、と、それだけでも凄みを感じた。干拓の必要性も利権ではなく、食料自給率を上げ、財政を立て直すためにどうしても必要だったと。もちろん反対するのは八郎潟の漁協組合だ。漁家は約3000世帯、20000人の生活が八郎潟の干拓で影響を受ける。補償の妥結、工事の着工、完成、ここに至るひとつひとつの時間の流れの重さを思うと、首を横に振りたくなる。
そして、たぶん20年以上前、すごく昔のポスターの文章に、「物から心へと移る時代 求めることから 与えることへと変る時代ではないか」と、小畑さんが書き残していた。その通りだなあと、つくづく。
旧比内町(大館市)
今まで、比内地鶏の存在は知っていても、おぼろげに秋田の特産だと思っていた。それが、ようやく「そうか、今は大館市だけれど、比内町だ!」と気づく。
比内総合支所の前は「コケコッコ通り」と、そのままの名前が名付けられ、大小のニワトリの銅像やモニュメントたちがいた。
そして、まちからは離れているけれど、大葛(おおくぞ)温泉に行ってみることにした。温泉に行く道中も素朴で良い。辿り着くと軽トラがいっぱいで、地元の方々を中心に賑わっていた。体を洗うとき、シャワーではなく共有のお湯を使うことが、初めての経験だった。説明しづらいけれど、そうめん流しを巨大化した感じ。お湯が一方向から流れ出ていて、それを桶ですくうのだ。もちろん桶が余裕で入るぐらいの幅と深さがある。特に違和感もなかったし、なるほどなあと思わされた。
お湯は格別。体を内側から癒してくれるような。行ってよかった。
大館市
最後にやって来たのは秋田犬の発祥の地、大館市。5年前に来たときと、駅前の雰囲気がぜんぜん違って驚いた。秋田犬と触れ合える(かもしれない)施設は、時間的に閉まっていたので訪れていないけれど、秋田犬の銅像がいくつかの場所で建っていて、聖地だと伝わってくる。
秋田犬は、大きくてとても賢い犬種だ。主人以外にはあまりなつかない。この前、稚内市でアイヌ犬と出会って飼い主の方に話を聞いたけれど、アイヌ犬もあまりなつかないと言っていた。かわいい犬ほど、賢くて、おとなだ。
というわけで、今日の散策はここまで。昨日の千秋花火で聞いた秋田県民歌を、今晩はネットで聞く夜でした。
大館市でファミレス「トマト&オニオン」に初めて入ってみた。全国チェーンみたいだけれど、知らなかったなあ。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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