今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】
訪れた旧市町村の数【111/2,091】 総計【121/2,266】2023年4月28日(金)
今日は、朝6時15分に出発した。訪れる市は鹿沼市と日光市のふたつだけれど、合併前の市町村は分散している。おそらく、今までの行程の中では最も長距離になるだろうから、がんばりましょう、と心の中で意気込んで。
旧粟野町(鹿沼市)
2006.01.01鹿沼市へ編入。
最初にやって来たのは旧粟野町。まちなかを走っていると、昭和だけではなく、明治や大正を思わせる建造物も残っていて、心が揺すぶられる。城山公園を目指した。
中世の山城だった粟野城。小鳥たちの朗らかな鳴き声は、明らかに会話しているようだった。そして、実際に立つと山そのものが大変険しい。
色々巡ってみたかったけれど、今日は長いので、景色を眺めて戻ることにした。
鹿沼市
前回の鹿沼市の旅では、古峯神社を訪れた。ただ、市街地とは車で1時間ぐらい離れていて、今回は同じ場所へ行くよりも、まちの中心部を巡ってみることに。
まちの駅では、地元のおばちゃんグループがいくつか盛り上がっていた。「わーはっは!」って声が、明るく空に響いて。
旧今市市(日光市)
2006.03.20足尾町、藤原町、栗山村、日光市と合併。
ここからは、日光市の中を巡っていく。ぼくは今日に至るまで、日光市で行ったことある場所は「日光東照宮」しかなかった。だから、日光のイメージもそれがほとんどだ。けれど、かつては5つの市町村があって、東西南北とても広いのだ。その日光の玄関口が、旧今市市にあたる。日光市役所もあり、日光街道と鬼怒川温泉や会津方面へと道がわかれる、交通の要所。
日光杉並木街道は、全長37kmもの道の両側に、1万2126本もの杉並木が植えられている。世界一長い並木道であり、道中の景色は一瞬で深い森を走っているような景色に変わる。日光が待っていることを教えてくれる道だ。
報徳とは当時の今市の役所の名前。翌日になって、真岡市の旧二宮町にある二宮尊徳資料館を訪れた。そこでは二宮尊徳についての生涯を知ることができて、尊徳は今市の地で最期を迎えたことを知った。
日光市
いざ、日光市へ。今回は日光東照宮ではなく、奥日光を目指すことにした。やはり、まだ、一度も行ったことがないので、華厳の滝と中禅寺湖が目標。カブでゆっくりと、標高1000m地帯へのぼって行った。
華厳の滝や中禅寺湖の周辺は、赤茶色の建物が並び、ここが1000m地帯であることをすっかり忘れてしまう。観光地の本気を感じた。
一観測台を見渡すと、一本の滝のみならず、圧倒的な自然の中にいることに気づく。ここに大自然があり、滝があり、その中にぽつんと自分がいる、という事象に、心を掴まれる。
ぼくたちは100選なんてものが好きで、滝にも「日本の滝100選」があるけれど、すべてを巡ることは、果てしなく感じられて、ちょっとぼくには無理かな。
日本で最も標高の高い、中禅寺湖。湖面の標高は1269mで、男体山の噴火で原型が出来たとされる。水深は最大163mというのも、高地にありながら、スケールの大きさに圧倒させられる。
すごいところに滝や湖があるのだなあと、わかっていても、圧倒されるのであった。奥日光はほかにも、戦場ヶ原をはじめとする観光スポットがまだまだ盛りだくさんにあるけれど、今回はここまで。
旧足尾町(日光市)
2006.03.20藤原町、栗山村、日光市、今市市と合併。
奥日光を下って、西へ進んで30km。群馬県との県境近くまで進んだところに、旧足尾町はある。足尾銅山として栄えた歴史は学校の教科書でも習うことだ。その、実際のフィールドワークという感じがする。
森高千里さんの名曲「渡良瀬橋」。最近はハンバートハンバートさんのカバーで何度も聴いていたので、とても感動した。
「12時にトロッコが出発します」とのことで、10分ほど待って乗車した。坑道までは、トロッコに乗って移動するそうだ。びっくりした。
トロッコで坑道へ。あとは歩いて探索できる。
看板の文字も読みつつ、近代化と、公害と、それぞれの立場からも考えさせられる。
日本の有名な鉱山は、石見銀山や、筑豊炭田。もたらしたもの、もたらされたものがあって、やがてそれは歴史と呼ばれ、不可逆的に、今の世の中が存在している。
旧藤原町(日光市)
2006.03.20足尾町、栗山村、日光市、今市市と合併。
あと二つ。足尾からまた40km走って、今度は旧藤原町へ。まちの中心は鬼怒川温泉である。
テレビで見た有名なホテルも、「ここにあるのかあ」などと思いながら。
ほんとうは、泊まって、ホテルや民宿から、味わうものがたくさんある。いつか、お金が、あれば…。
旧栗山村(日光市)
2006.03.20足尾町、藤原町、日光市、今市市と合併。
最後は、旧栗山村。栗山はとにかく、とっても広いのだ。だから、同じ村とはいえ、別の地域として、いくつか分散されている。主に、奥鬼怒川エリアと、湯西川エリア。お互いも遠いのだが、一方しか訪れないのは、後悔しそうなので、どちらも訪れることにした。
まずは、奥鬼怒川エリアへ。日光市の栗山庁舎があり、さらに西進すれば、川俣温泉などもある。
ここから、もう一度踏ん張って、30km。湯西川エリアへ。湯西川温泉の入り口には道の駅があって、そこで日帰り入浴も出来るけれど、それでいいのかと自問自答して、温泉街までがんばって進んだ。
ちょうど、宿泊客のおじさんが服を着ていて、
「お兄ちゃん、貸切だよ」
「(やった…!!)」
今日は、ここまで来ることを、ひそかな楽しみにしていたので、日帰り入浴が間に合って本当によかった。しかも、貸切。湯船に浸かったとき、「あー!」ではなく、「あ”ー!」の声が出たのは、言うまでもない。報われるために旅をしているわけではないが、報われたと感じられる瞬間は、束の間の幸せ。
というわけで、今日の散策はここまで。鹿沼市や日光市は、こんなにも広くて、ほんとうは、もっともっと広い。
<旅を応援してくださる方々へ>
今回の旧市町村一周の旅をはじめる前に、自費出版で写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは今回の旅の活動費として、活用させていただきます。よければ是非、読んでくださるとうれしいです。
LEAVE A REPLY