今日までの旅メーター
訪れた23区内の駅の数 【139/490】
歩いた距離(目標2,000km)【393.2/2000】中央区を歩いて行こう。
こんにちは。また、記事の更新に時間がかかってしまいましたが、前回の記事は日比谷図書文化館さんに伺いました。今日は日比谷駅スタート、中央区をメインに巡っていきます。
日比谷駅
日比谷は江戸時代までは日比谷入江と呼ばれる海があって、埋め立てられた場所だ。日本最初の近代的洋風公園の日比谷公園をはじめ、鹿鳴館、帝国ホテル、日本の中心的な場所として存在するようになった。
仮に、もしここに日比谷公園が建てられなくて、全てビルのまま現代を迎えたとしても、誰も違和感は感じないはずだ。だからこそ、日比谷公園があってよかったなあと思う。
有楽町駅
日比谷から帝国ホテルの横を通り、東へ向かっていくと、有楽町駅に近づいていく。ガード下までたどり着けば、洗練された現代の雰囲気から懐かしい飲屋街に変わり、気を張らなくても良いような安心感だ。しかし当然、有楽町は大きい街、大人の街だと節々では伝わってくるのだった。
手前には日生劇場もあって、はぁー! と首を横に振りたくなる。アミューズメントの物語は、ここでたくさん生まれたんだなあ。
いろいろな時代や文化混ざっていて、「有楽町はこういう街です」とかひとことでは怖くて言えないや、と思った。
銀座一丁目駅
有楽町の先はいよいよ銀座だ。ぼくなんかは銀座にふさわしくない人間だから、すみませんという気持ちにしかならないけれど、立ち止まり、野球部のグラウンドに入る前だと思って一礼。「よろしくお願いします」
銀座は碁盤目状だから、道はかなり分かりやすい。
銀座駅
次はそのまま、おとなりの銀座駅へ。
市町村一周のときもそうだったけれど、東京を巡っていると、「〇〇銀座」という商店街がとても多いことに驚く。いまよりもっと、銀座は憧れの街だったのだなあと。いや、ほんとうに、ひと昔前のエッセイを読んでいると、ぼくみたいな軽い身なりの人間は、入っちゃダメだなあと真面目に思ったものだ。
東銀座駅
東銀座駅は唯一、銀座シリーズで使ったことのある駅。撮影のお手伝いをしていた時期があったのだ。だから、東銀座はほかの銀座よりも慣れている。一緒だろう、と思うかもしれないけれど、ぼくにとって東銀座は、ほかの銀座の何倍も落ち着けるのだ。
一度だけ、ここで歌舞伎を観たことがある。もっとお金があれば、いい席で、いつか観られるかな。
汐留駅
さて、銀座の次は、汐留駅を目指した。きっと働いている方々は、銀座ー汐留間はタクシーか地下鉄移動がメインだと思うけれど、歩いてみて、銀座と汐留、それに新橋はこんなに近く繋がっているのかと実感した。
中銀カプセルタワービルは、建築好きの間ではとても有名なビル。かつてはカプセル型の集合住宅だった。取り壊しが予定されているけれど、個室を回収する再生プロジェクトも進んでいるとのことで、今後も目が離せない。
電通だ。わあ! と思った。田中泰延さんが何度も脳裏に浮かんだ。
ヨーロッパ、行ったことない。悔しい。
新橋駅
次はサラリーマンのまち、新橋駅へ。汐留駅とはすぐお隣さんだ。
ニュースで見るSL広場の映像って、新橋駅より東側だと思っていたら、実際は西側だった。
新橋駅から遠くない場所に烏森神社があった。いまもパワースポットとして参拝客がたえない。
内幸町駅
散策はあともう少し。次は内幸町駅へ。江戸時代、この辺りは大名屋敷が置かれていた。
霞ヶ関駅
霞ヶ関だ。遠い存在だけれど、ぼくも一度、某省に入ったことがある。あ、不法侵入とかではない。入館記録みたいなものを書いて入った。スーツを着たのだけれど、「君、就活生みたいだね」と某省の方にすんごーく、軽くあしらわれる感じだった。その方は金ピカの時計をしていた。
と、それだけなら某省のイメージを下げてしまう。ほかにも同級生や知り合いの方々がいないことはなくて、その方々は、ものすごーく素敵な人たちだ。というか、超かっこいい。だから、霞ヶ関で働いているかどうか、ではない。人間としてかっこいいかどうか、だ。それは何事においてもあてはまると思う。
桜田門駅
最後は桜田門駅だ。桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたのは1860年。そう考えると、まだ160年しか経っていないんだよなあ。
名前を聞く機会が多い場所を歩いた。だれど、一概に「新しい」や「歴史がある」や「中心」という言葉を使うことは、本来危険でもある。使いやすい言葉でもあるし、別に間違いというわけではないだろう。ただ、実際に歩いてみると、「混在」が正しいように思う。これは、何事においてもそうだ。きらびやかな観光地や、世界や、会社や、いろいろな対象を目の前にして、知らないことに対して、わたしたちは最初に答えを求めようとする。しかし、知れば知るほど、知らないことが増えていくと、答えを出すことは難しいことに気づく。この辺りの街も、まだまだ知らない。ほんのちょっと、歩いた記録である。という、保険みたいなあとがきになってしまった。
(最後まで読んでいただき、ありがとうございました。)
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