ふるさとの手帖

日本市町村一周の旅をしたり。

ぼくの知らない倉敷。

「ああ、この景色を知るのに、25年かかったんだなぁ」


生まれて15年間は倉敷の郊外にある、昔の一軒家に家族で住んでいた。中3のときに引っ越したけれど、成人してから母に「あの家は、家賃2万円だったのよ」と言われて、衝撃だった。大家さんは仏のような女性だった。その家はもう更地になっていて、おそらく大きな会社が家を建てるのだろうと思う。だから、更地になる前に、もっと写真を残すべきだった。ふるさとはここにあっても、不変ではない。両親に大切に育ててもらった幸せに、ぼくは更地になって見えなくなった家の輪郭を想像して、ようやく気づかされた。

いまの実家はやや倉敷の中心部寄りで、ぼくは実家に戻るたびに、美観地区を歩く。何度歩いても、新しい写真は撮れる。あと30年ぐらい通ったら、ようやく美観地区が理解できるかもしれない。ネットにはほとんど出てこないけれど、かつて天野正雄さんという地元の写真家がいて、ぼくはその人の撮る昭和の美観地区が群を抜いて一番だと思っている。2羽の白鳥となまこ壁の建物が絵画のような構図で収められた1枚は、その1枚のために3年かかったと、天野さんの写真が見られる「倉敷クラシカ」で奥さんに聞いた。それぐらいの1枚だと思う。だから、ぼくはまだまだ美観地区を何度でも歩く。

そして倉敷は広い。ジーンズの産地として知られている児島には、下津井という瀬戸内海に面する港町があり、高梁川を越えた先には江戸風情残る玉島があって、真備には今日も穏やかな日常が流れている。それらについては、頭の中では知っていながらも、頭の中だけで理解していた。

要するに、ぼくは自分のふるさとのことを、ほんとうは知らない。かつての実家も美観地区もそれ以外の倉敷も、知らない間に、時々刻々変化しているというのに。それらを写真に収めることは、誰からも頼まれていない。しかし、ぼくにとっては大切なことではないだろうか。ずっと小骨が刺さったような気持ちで、引っかかっていた。その自分が嫌だなぁと感じていた矢先、仕事で倉敷に戻る機会があった。空いた時間に母の車を借りて、倉敷を巡ることにした。

そのときに、「ああ、この景色を知るのに、25年かかったんだなぁ」ということを、何度も思ったのである。

美観地区

さほど人のいない朝は、江戸時代がはっきり見えるようで好きだ。

朝やってくる人たちは、朝を知っている。

阿智神社。
知らない間に、あたらしい雑貨屋さんが出来ていて、店主さんと仲良くなった。bobbinさん。
下津井

児島にやって来る観光客の多くは、まずは児島駅前のジーンズストリート。そして鷲羽山や王子が岳という瀬戸内海を一望できるエリアに向かう。ぼくも大好きだ。一方地元の釣り人たちは、どちらかといえば下津井にやって来る。お互い、自然な動機である。

瀬戸大橋。
港町の雰囲気。目を閉じれば、磯の香り。

なんてことのない、唯一無二の、宝物みたいな景色。

別の下津井のエリア。夕日が間も無く沈む。光も影も、透明である。

水島コンビナート。夜になれば輝く。

玉島

玉島の歴史は美観地区と同じように古く、そして栄えていた。といっても江戸初期は海だった。下津井から眺めた瀬戸内海に浮かぶ、ちいさな島々のように。しかし干拓されて港となったわけだけど、その名残がまだしっかり残っていることに驚いた。もっと知るべき歴史に触れてこなかった自分が、情けないぐらいだ。

新倉敷駅近く。岐阜県南部の景色と似ていると思った。
ご夫婦に声をかけて、撮らせていただいた。なんて素敵だろうと思った。
この風景が残っていることに、まず驚く。日本のどこを巡っても、なかなか出会えなかった。
細い道にも、時代が映っている。

通町商店街。
玉島(南浦)

玉島の中でも、最も西端部に位置する南浦(なんぽ)地区に来た。沙美海岸を進み、ぐねぐねと細い海岸線を越え、ここも倉敷だということを噛みしめる。雰囲気は同じ港町でも下津井とは異なる。隣の浅口市や笠岡市が脳裏に浮かぶ。

倉敷市の西端部、南浦地区。
おじさんと仲良くなって、話を聞いた。

「ここは道が狭えけえのう。人はどんどん出て行った。むかし玉島の商店街は、よう栄えとった。」

やっぱり。

そこの寺は、釣りバカ日誌のロケがあったんじゃ。
その、海蔵寺。

暮らしはまだ、続いている。そのことを忘れないように。

寄島町ー浅口市ー

さらに南浦の奥にある、浅口市の寄島町にも行った。行っておいた方がいい気がして。

海水が入りはじめる。
「向こうまで、港じゃった。」

海水の潮位を制御する機械の前におじいさんがいた。おじいさんが門を開くと、干上がっていた海面にどんどんと海水が流れてくる。

「子どもの頃は、ものすごい大きな船がきとった。石炭が積まれとって、みんなで何人も並んで運び出してなぁ。そもそも、向こうまで港だった。こっち(同じく陸地側)は、みな塩田。放課後に遊びよるときに塩田に入っては、きつう怒られようた。」

塩田かぁ。まるで違うだろうな。なにもかも。ありがとうおじいさん。話を聞いて、また玉島に戻った。

いままで玉島について「どこ中(学校)出身?」「たまきた(玉島北)」「たまにし(玉島西)」「たまひがし(玉島東)」という会話を、何度したか分からないけれど、その声が、ようやく体に染み込んでいった気がした。

真備

真備も広い。小田川を中心にした開けた場所もあれば、低い山に囲まれたような場所もある。どちらも真備であり、倉敷であり、それ以上もそれ以下もない。

川辺橋の先が、真備。橋の対岸は総社市の清音。

大きなため池。

小田川沿いを、井原線が走る。
放課後。

小田川。

一度災害が起こると、いろんなことが、途端に難しくなる。それは、被災しなかったぼくが何かを言えば、綺麗事になるように。

真備は今日も、真備である。

真備からの帰り。高梁川があって、手前は船穂地区。

町の全てなんて知りようない。だけどぼくにとって、知ろうとすることは必要だから。少しずつ、知れたらいいと思う。見据える先が未来なら、学ぶべきことは足元にだってあるはずだ。ただ、提示するなんておこがましい。まずは知りなさい。傍観者として。そうしてたった半歩、前に進みなさい。ふるさとがあることを、大切にしなさい。自分にそう、言い聞かせながら。

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