前回の続き。三宅島を無事に出航して、東京へ向かう橘丸。
東京へ20時ごろ着いて、22時発の大島へ向かうさるびあ丸に乗り換えるという行程。仮に1時間遅れてもまだ1時間ありますから時間的には余裕があります。今日の橘丸はパソコン作業もままならない大揺れですから、東京へ着くまで部屋で寝るしかなくてですね、ハンカチを目に被せて寝ていました。
16時半ごろでしょうか。館内アナウンスが鳴ります。夕食レストランの案内かな。
「緊急案内を致します。東京へ向かっていた橘丸でしたが、大島発東京行き”ジェット船”の機関トラブルにより大島で取り残されたお客様がいるため、大島を経由して欲しいとの要請が入りました。急遽これより大島岡田港へ接岸し、その後東京へ向かう形となります。そのため本船は大幅な到着の遅れが見込まれ、23時前後に東京へ到着することとなりそうです。」
ん!?何事!?
目が覚めて急いで案内所の方へ向かうとすでに多くの乗客が集まってきています。乗船員の方も慌ただしくやりとりが絶えません。
どうやらジェット船が大波でやられてしまったのかは分かりませんがトラブルで東京へ戻れなかったようで、そのお客さんを拾うために大島近くを通っていた橘丸が経由すると。通常はありえないルート、東京への到着が23時前後になるかもしれないということで、船内は大混乱。
僕の場合、23時に着くのであれば22時発の大島行きへ間に合いません。弱ったな…レンタカーも予約してたのに…、ここへ来てこんなこともあるんだな…、と焦ったのですが、「大島に経由するならそのまま下船できないのかな?」とふと思い乗船員の方に聞いてみました。
すると「降りられます」と。
こんな上陸の仕方、思ってもみませんでした。土曜日ということで宿が取れるのかも問題でしたがなんとか見つけることができ、22時から乗る予定だった”東京ー大島”便の予約もキャンセルして突然の下船。
船内では電話で予定をキャンセルする人、話し合う人、泣いている人もいました。三宅島から船が出た時点で時間的な予定は「確定した」といってもおかしくありませんから、急展開で予定が変わってしまうことは乗客の方々にとってはとてつもないダメージだったりするのです。今日帰れなくなった人もいるはずです。そして大島へ降りるとバスが3台、車内でお客さんが船を待っていました。こちらの立場も大変だなと。帰れると思ってたのに帰れなくなって、ずっとバスの中で待ってたんだなと。
外はすでに真っ暗。三宅島より風が強くて「なんじゃこりゃ」って感じでですね。東海汽船の方も含めて、いろんな人にとって今日は大変な1日だなと、そう感じざるを得ませんでした。そして待合所に行って「三宅島ー東京間」から「三宅島ー大島間」へ変わったことへの差額分の返金がありました。受付の方ともお話をしましたが、「このケースは滅多にない」と。2人の受付の方のうち1人は初めて遭遇したケースだと仰っていました。
外があまりに暴風なものですから、受付の方がお帰りに合わせて宿まで車で送ってくださることに。トラブルで大変な中、本当にありがとうございました。
でも、外は暴風がゴーゴー唸っています。
今日のトラブルに巻き込まれた方々の予定が少しでも好転しますように。
僕の場合は本当に偶然、偶然にも船の経由地が目的地の大島だったのでそのまま下船できました。ビックリしましたが、その大島が東京都では最後の市町村です。
最後の大島編。今日は一人旅ではありません。船から降りてきたのは…
大学の同級生りょーま。最後の島旅にはるばる東京本土から来てくれました。というのも前夜に僕も東京へ戻って一緒に行く予定だったのですが、急遽大島へ僕だけ先に着いてしまい、追っかけてくれたという流れです。
早速雨降る中連れて来たのは「裏砂漠」という場所。なんとなく「鳥取砂丘」などを連想する方もいるかと思いますが砂丘は砂、砂漠は岩石や砂礫の荒地。日本で「砂漠」といいうものは大島にしか存在しません。ここは日本唯一の砂漠なんですね。
早速お互い雨で濡れてしまいました。りょーまには来て早々にこんな感じで申し訳ないですよね、ホント…
大島といえば三原山。今日は濃霧で全然見えませんでした。
大島や三宅島の噴火の歴史を辿ると、自然の脅威というものをひしひしと感じます。
1986年に火山が噴火した時、溶岩は神殿をさけ、三原神社が無事だったことから奇跡の神社とも呼ばれています。一緒に参拝しました。
濃霧だったので僕らはお鉢巡りまでしませんでしたが、帰り道は多くの団体客がお鉢に向かって進んでいきます。雨の中お疲れ様です。
大島の中心部、元町へやって来ました。
大島も今年の台風では大きな被害が出てしまった場所です。
美味しいですし、ご主人ともたくさんお話ができて僕もりょーまもここで大満足してしまいました。
べっこうは伊豆諸島の郷土料理。唐辛子醤油につけた魚の切り身が、 つややかなべっ甲色になるためそう呼ばれます。離島の保存食として先人から受け継がれてきたものですね。
中々の雰囲気。でもこれは台風被害の影響もあってとのことでした。
昔ながらのお店、おばあちゃんが噴火の時の話もしてくれました。昭和にタイムスリップしたような時間でした。
天候も朝は雨でしたし、1日あればもっと巡れる場所がたくさんありますが、今日は実質日帰りということでここで大島とはお別れ。短い時間の中でしたがりょーまがきてくれたので、本当に楽しかったです。いつもの一人旅とはまるで違います。
東京都の島旅もこれで終わり、またひとつゴールへ近づきました。伊豆諸島はそれぞれの島に特徴があって、正直知らないことだらけでした。まだまだ自分も無知だなと…。海が荒れるこの時期、船の欠航がある中で僕の航路とは一つも重ならなかったことも、ホントに運がよかったです。1日でもずれていたらダメでした。最後の大島も、本来の航路から逸れながらも到着できたのは不思議ですよね。万事塞翁が馬、本当にありがたい話です。
あと残すは福島県、鹿児島県、沖縄県の3県、市町村の数は37です。今後も天候とにらめっこする日々が続きますが、全て巡ることができますように。
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