新島から日帰りで東京に到着し、そこから急遽実家の方へ戻っていたのですが、再び東京から旅の再開です。さるびあ丸航路で残るは「大島」だけとなりましたが、今回は大島ではなく橘丸航路の「御蔵島」を目指します。
御蔵島といえばなんといっても「ドルフィンスイム」。御蔵島周辺には野生のミナミバンドウイルカが生息しており遭遇率はほぼ100%とも言われます。イルカシーズンは4月から11月上旬。今回はドルフィンの時期とは外れますが、それはまた次にお伺いするときまで。
御蔵島への航路の主要となる船は「橘丸」。東京方面から三宅島、御蔵島、八丈島を結びます。その中でも御蔵島は特にこの時期、断トツで行くのが難しい島。さるびあ丸航路での「利島」も大変行きづらい場所ですが、御蔵島への船の就航率はさらに低くなります。そして宿の件数も少なくキャンプも出来ません。夏の時期の宿も基本的には「抽選」なので行けないこともしばしば。「エコツーリズム」として入島制限をかけることで厳しくも豊かな自然との共存を続けています。
正直宿の予約をするとき、どこのお宿に連絡しても全く予約が取れませんでした。そんなに行くのが難しいのかというぐらい。そして諦めかけていたところ本当に運良くに1日分宿の予約が取れたのでした。もちろん日付は変更できないためその日の船が欠航すれば終わり。確実に行けるヘリコプターの航路もありますが、余裕でいっぱいでした。ただ行けるチャンスがあるのであれば挑戦したいですし、市町村一周の道のりにおいて避けては通れない、運に任せた大きな山場でした。このタイミングを逃すと、大学生の間では市町村一周出来ない可能性も十分あり得ます。
当日の御蔵島への運航は「条件付き」。出航はするものの着岸できる保証はないというものです。
翌朝6:00前、「これから着岸作業に入ります」と放送が入りました。
「着くんかいな」と言う人もいました。
着きました、御蔵島。波としてはギリギリ、紙一重で着岸してくれました。
宿の人に送迎してもらい、移動します。
無事に到着。あとはドルフィンスイムができるわけでもないため、島を散策するのみです。
この日は北東風。右側は荒れているため左側に接岸しました。
御蔵島の人口は300人ほど。青ヶ島についで、全国で二番目に人口が少ない村です。
集落は島の北側にあり、851mの御山という山もあることから午前中はなかなか日が当たりません。
集落最大の特徴は、海岸から拾い上げてきた「ごろた石」という波で洗われた丸石で、石垣や石畳どに使われています。
島で最も神聖な場所は稲根神社の本殿。本殿までは徒歩で簡単に行ける距離ではなく、拝殿が集落の中にあります。
かつて米国の商船が御蔵島の近くで漂流した際、島民が漂流者を懸命に救出した話があります。当時は幕末の動乱期で、バイキング号が近くに来た際は島に緊張が走ったそう。しかし、総力を尽くして救出活動を行い、困窮する生活の中でも漂流者を支えました。その功績に漂流者の子孫が畏敬の念を抱き、アメリカから記念碑が送られ飾られているとのことです。
どこから来たの!ってお話してくれました。温かいです。
巨樹が顔を覗かせます。
明日の天気は雨。徐々に風も強まってくる予報。東京からは条件付き運航。
何より大切なのは、とにかく船が出ること。すんごい大切です。
「島を出るまでが島旅」
翌朝、港へ。
どうかな、と思っていましたが、
着岸しました!!
雨は本降り、風も強かったのですが東南東の風向きで島の北寄りにある港は「風裏」となり、比較的凪ていました。
乗ったのは朝6時の八丈島行き便。船は八丈島で東京へUターンします。八丈島→御蔵島→三宅島→東京という流れ。僕の目的地は「三宅島」でしたがお昼の御蔵島発着便が出港するか不安だったので、船に乗船する時間は大幅に増えますが朝便(八丈島←御蔵島←三宅島←東京)にまず乗ったというわけです。
これを通称「八丈流し」と言います。
御蔵島から八丈島を経由し、御蔵島へ再び戻って次の目的地、三宅島へ。
野宿・日帰り禁止の御蔵島なのに宿がほとんど取れないこと、これからますます海が荒れて就航率が下がること。諸々を鑑みて御蔵島は特に市町村一周達成のターニングポイント、僕が受けたセンター試験「数ⅡB」の難しさでしたが、
「行って帰って来れて本当に良かった…。」
御蔵島から八丈流し。本来なら1時間のところ、時化た海を8時間の船旅。
吐きそうになりながら、次は三宅島へ。
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