ふるさとの手帖

市町村一周の旅

愛知県の一番東側ってどんなところ。【日本一周255日目12.05】

愛知県の一番東側ってどんなところ。

こんにちは、かつおです。またしばらく日付が空いての投稿でごめんなさい。ありがたいことに食事をご一緒してくれる人がその日ごとにいてなかなか更新できずにいました。

さて、この日は静岡県から愛知県に入って行きます。夏の暑い時期に一度愛知県には行っており、半分以上のまちを回っていたのですが、これからその残りを回っていくのが目標になります。

今日は特に、愛知県の東側のまちになります。

豊橋市→田原市→豊川市→新城市→蒲郡市→幸田町→岡崎市→安城市
合わせて8つ。それではいってみましょう。
 

通称”豊鉄”こと豊橋鉄道に乗ってみる。ー豊橋市ー

実は雨の天気予報ということで豊橋市には1泊2日で滞在していました。主にこれまでの記事の更新に時間を使ったという形です。駅の近くで作業をしたので、豊橋鉄道に乗って移動しました。

豊橋鉄道。

 

豊橋駅の駅前から、赤岩口、運動公園までを結ぶ路面電車です。

一回の運賃は150円。
駅前に着く頃には結構人で混雑しました。
豊橋駅

名古屋からは少し遠い場所にありますが、大きな街だなぁと感じました。

田原市

そして翌日、改めて旅を再開します。豊橋市からまず最初に向かったのは田原市。

朝焼け。
日が差してきた

道の駅。めっくんはうす
通学の時間。

 

田原市は愛知県の付け根の部分で、先端まで行くことも考えましたが風が強く断念。田原市には風力発電も多く設置されていました。

日本三大稲荷、豊川稲荷ー豊川市ー

次にやってきたのは豊川市の豊川稲荷。日本三大稲荷の一つで、商売繁盛の神様として全国から参拝客が絶えません。

商店街。
正式名称は妙厳寺(みょうごんじ)

 

稲荷というと神社を想像するかと思いますが、豊川稲荷の正式名称は妙厳寺(みょうごんじ)。つまり、稲荷という通称でありながら境内はお寺という変わった場所。

広く、立派な建物が並んでいました。
本堂。大きかった。

長篠城址ー新城市ー

お次は新城市。ここには長篠城というかつて「長篠の戦い」の舞台となったお城があります。日本100名城の一つです。

長篠城

 

もう少し具体的に解説すると、長篠城は徳川氏と武田氏の国境に存在する城、愛知県から長野県や静岡県北部へ通じる交通の要衝にあったため、しばしば合戦の舞台になり奪いあった城です。なかでも1575年(天正3年)5月の「長篠の戦い」に先立ち、激しい攻防戦が行われたことで知られています。

お城は残っていないけど、雰囲気は十分味わえる。

内堀。

僕はとりわけ歴史の知識があるわけではないので、直接現場を見て、そこから調べてみるとよく頭に入ります。

竹島ー蒲郡市ー

次にやってきたのは蒲郡市(がまごおり)。ここには徒歩で渡ることのできる竹島という島があり、観光スポットとして知られています。

カモメがたくさん。
奥にあるのが竹島。
橋の上は絶望的に風が強かった。
島について、少し散策。

 

島の中には八百富神社と呼ばれる神社があり、パワースポットとして知られています。およそ15分ほどでぐるっと一周できる島でした。

幸田町

次にやってきたのは幸田町(こうたちょう)

町役場

 

役場近くを散策します。

いい天気。
役場に並んでとっても綺麗で大きな公園があっていい町だなと思った。

八丁味噌誕生の地、岡崎で工場見学。ー岡崎市ー

そして次は岡崎市へ。八丁味噌とは大豆と塩、水だけで仕込む豆味噌(赤味噌)の一種ですが、八丁味噌を名乗ることができるのは岡崎市八帖町の旧東海道を挟んで向かい合う1560年創業の「カクキュー八丁味噌」と1337年創業の「まるや八丁味噌」の2社のみです。

カクキューさん。

 

現在の岡崎市八帖町はかつて「八丁村」と言い、これは岡崎城より西へ八町(約800m )離れていたことに由来します。すなわち八丁味噌という名前も、お城から八町離れた場所で作られていたことからついた名前です。

そして今回はカクキューさんの工場見学に参加してきました。

味噌蔵。石を積み重ねて味噌を二年寝かせる。
建物も貴重なものばかりだそう。
最後、八丁味噌のお味噌汁を試飲しました。

 

八丁味噌の製法や歴史、蔵の見学など大変丁寧に説明をしていただいた30分でした。試飲もしたんですが、評判通りやや苦め、昔ながらの味という感じでした。

安城市

そして最後は安城市。三河安城駅付近を散策しました。

三河安城駅。

夕方の光。

 

愛知県の東側、尾張の地域とはまた違う文化を感じます。

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