今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【91/171】
訪れた旧市町村の数【1652/2,099】 総計【1743/2,270】スーパーカブの総走行距離
41165km
今日の旅先のこと
ビルの隙間から、深い青空が広がる朝。今日は静岡県の旅の中でも、かなり遠いと予想された、北遠地区を中心に巡りました。巡っていたのはぜんぶ浜松市だけだけれど、一日の走行距離は200kmに。いやあ、広かったですし、浜松市の奥深さを、肌身で感じた時間でした。それでは振り返っていきましょう。
旧天竜市(浜松市)(1/6)
宿については、浜松駅からさほど遠くないところに滞在していたのですが、そこから天竜市街地まで、朝の通勤時間も重なって、1時間弱かかりました。まず、これだけでも浜松市はすごく広いなあと感じられて。
でも、とにかく天竜という地名は、これまでも意識していたので、やっと訪れることができて嬉しくて。浜松市には来たことがあっても、天竜市街地はまた全然違う場所にあることを、やっと直接感じることができました。
そして、まずは二俣城跡へ。駐車場へ向かうまでに、小高い道から町並みを見渡すことができ、ごくシンプルに、二俣(天竜市街地)はこういう町なんだなあ、と。長野県にも「天龍村」がありますが、浜松市の「天竜」を感じられて。
二俣城跡は天竜川と二俣川が合流する天然の要塞に築かれた城跡で、かつては武田軍と徳川軍による争奪戦が繰り広げられたと。やはり、ここ数日の旅では武田軍と徳川軍のライバル関係によく出逢います。石垣は野面積みで、昨日の浜松城で見た石垣よりも、ちょっとだけ綺麗に加工されているようだけれど、荒々しさもありました。石垣の残る広場では、地元の方たちがゲートボールで盛り上がっていて。まさか、戦国武将たちも数百年後にここでゲートボールが繰り広げられているとは、想像もつかなかったことでしょう。
その後、楽しみにしていた「秋野不矩美術館」へ訪れましたが、休館日でした。またいつか、作品をじっくり観られるといいな。そして、天竜区役所周辺を散策してみたのでした。
旧春野町(浜松市)(2/6)
北へ進んでいく道が二手に分かれていて、右側の旧春野町方面を選んでからは、ひたすらに北上していきます。天竜市街地から20kmほど北上し、秋葉山本宮秋葉神社の下社へ訪れました。上社は秋葉山に鎮座しているようで、達成感もありそうだけれど、今回は下社への訪問も、嬉しいです。境内の背の高い木々に包まれた感じが気持ちよく、風に揺られた葉がサラサラと鳴っていました。御祭神は火の神様とのことで、お祭りのポスターも「秋葉の火まつり」の言葉と共に、火花が天に舞っている写真で。知らない世界がたくさんあるなあと思います。
北へ進んでいく道が二手に分かれていて、右側の旧春野町方面を選んでからは、ひたすらに北上していきます。天竜市街地から20kmほど北上し、秋葉山本宮秋葉神社の下社へ訪れました。上社は秋葉山に鎮座しているようで、達成感もありそうだけれど、今回は下社への訪問も、嬉しいです。境内の背の高い木々に包まれた感じが気持ちよく、風に揺られた葉がサラサラと鳴っていました。御祭神は火の神様とのことで、お祭りのポスターも「秋葉の火まつり」の言葉と共に、火花が天に舞っている写真で。知らない世界がたくさんあるなあと思います。
その後、春野支所の少し先には「日本一の大天狗面」がありました。駐車場に着くと、赤と白の鮮やかな天狗の顔が、どどん! と。手前に停まっていた車が小さく感じられるほどのサイズ感です。大きさは縦8m、横6m、鼻の長さ4mとのこと。横まで行って、鼻の長さを見てみると、人間なら鼻の上を歩けそうだなあと思ったのでした。
旧水窪町(浜松市)(3/6)
さあ、とにかくここからの移動が、大変でした。旧春野町から、旧龍山村や旧佐久間町、旧水窪町方面へ移動していきます。旧春野町だけがやや違うエリアで、移動する際に、Googleマップでは道をショートカットできるかもしれないと思っていたものの、その道が全面通行止めで。ふぅ、深呼吸し、焦らないと自分に言い聞かせます。
ならば、天竜市街地まで南下して、分岐点から再び北上しなおすしかありません。同じ浜松市で、しかも天竜区という限られた区の中で、旧水窪町まで60km以上の移動でした。山が高くて日陰も多く、日陰が多いと体が冷えてきます。普段通りの服装だったけれど、手先も脚もかなり冷えて、太ももが痙攣してしまう手前ぐらいの感覚になりました。
そして、いよいよ旧水窪町に入ると、谷沿いの景色がひらけて、斜面に住宅がギュッと並んでいて、驚くばかりでした。
これまでの経験上、国内の遠い土地へ訪れた先に広がる集落は、村だったことが多いように感じます。ですが、水窪という土地は、村ではなくて町だ、と感じられるまちの規模で。これだけの数の暮らしは、簡単に出来上がるものではないだろうし、すごいなあと。市街地には商店街もあり、ここにも暮らしがあることを肌で感じるばかりでした。
ちなみに、旧水窪町から北へ進むと、兵越峠で長野県飯田市との県境になり、信州軍と遠州軍の誇りをかけたイベント、「峠の国盗り綱引き合戦」が行われています。テレビで観たことあったけれど、ここだったのか! と。
さあ、とにかくここからの移動が、大変でした。旧春野町から、旧龍山村や旧佐久間町、旧水窪町方面へ移動していきます。旧春野町だけがやや違うエリアで、移動する際に、Googleマップでは道をショートカットできるかもしれないと思っていたものの、その道が全面通行止めで。ふぅ、深呼吸し、焦らないと自分に言い聞かせます。
ならば、天竜市街地まで南下して、分岐点から再び北上しなおすしかありません。同じ浜松市で、しかも天竜区という限られた区の中で、旧水窪町まで60km以上の移動でした。山が高くて日陰も多く、日陰が多いと体が冷えてきます。普段通りの服装だったけれど、手先も脚もかなり冷えて、太ももが痙攣してしまう手前ぐらいの感覚になりました。
そして、いよいよ旧水窪町に入ると、谷沿いの景色がひらけて、斜面に住宅がギュッと並んでいて、驚くばかりでした。
これまでの経験上、国内の遠い土地へ訪れた先に広がる集落は、村だったことが多いように感じます。ですが、水窪という土地は、村ではなくて町だ、と感じられるまちの規模で。これだけの数の暮らしは、簡単に出来上がるものではないだろうし、すごいなあと。市街地には商店街もあり、ここにも暮らしがあることを肌で感じるばかりでした。
ちなみに、旧水窪町から北へ進むと、兵越峠で長野県飯田市との県境になり、信州軍と遠州軍の誇りをかけたイベント、「峠の国盗り綱引き合戦」が行われています。テレビで観たことあったけれど、ここだったのか! と。
旧佐久間町(浜松市)(4/6)
今度は、徐々に浜松市街地へ向かって南下するイメージで進んでいきます。旧水窪町に移動するまでに、旧佐久間町の地域も通過していましたが、今度は途中で道を折れて佐久間市街地まで移動すると、天竜川沿いに景色がひらけました。佐久間ダムや水力発電所があるようで、大きな機械があったり、遠くに車がたくさん停まっていたり。そういえば、天竜市街地から少し北上したところには船明ダムがありました。この船明ダムを境に、天竜川の水量が全然違っていて、感じる雰囲気もまったく違って感じられたことを思い出します。
ちなみに佐久間市街地の道路標識で、「水窪20km、天竜40km」という表記がありました。天竜まで40kmということは、浜松市街地までは60kmあります。ひぇえ、ここからも、浜松市街地までこんなに離れているのかと、広さに驚かされるばかりです。
今度は、徐々に浜松市街地へ向かって南下するイメージで進んでいきます。旧水窪町に移動するまでに、旧佐久間町の地域も通過していましたが、今度は途中で道を折れて佐久間市街地まで移動すると、天竜川沿いに景色がひらけました。佐久間ダムや水力発電所があるようで、大きな機械があったり、遠くに車がたくさん停まっていたり。そういえば、天竜市街地から少し北上したところには船明ダムがありました。この船明ダムを境に、天竜川の水量が全然違っていて、感じる雰囲気もまったく違って感じられたことを思い出します。
ちなみに佐久間市街地の道路標識で、「水窪20km、天竜40km」という表記がありました。天竜まで40kmということは、浜松市街地までは60kmあります。ひぇえ、ここからも、浜松市街地までこんなに離れているのかと、広さに驚かされるばかりです。
旧龍山村(浜松市)(5/6)
往路でも通過していた旧龍山村に、復路で立ち寄りました。瀬尻という地区では小さな道の駅のような建物があって、声はするけれど中を覗いても人がいなくて、そのまま離れることに。あとで情報を見ると、カレー屋さんと表記されていて、ええ! カレー屋さんでしたか。
また、龍山支所の近くにも、「秋葉ダム」というダムがありました。旧水窪町へ向かっていたときは、ダムから轟々と水が放出されていたのですが、今回来てみると、水が少しだけ流れていて、あのとき写真撮っておけばよかったなあと。それに、往路は日差しが当たっていたまちも、14時半にはすでに太陽が山に隠れて日陰になっていて、あらためてこの辺りが山深い地域だと感じられたのでした。
往路でも通過していた旧龍山村に、復路で立ち寄りました。瀬尻という地区では小さな道の駅のような建物があって、声はするけれど中を覗いても人がいなくて、そのまま離れることに。あとで情報を見ると、カレー屋さんと表記されていて、ええ! カレー屋さんでしたか。
また、龍山支所の近くにも、「秋葉ダム」というダムがありました。旧水窪町へ向かっていたときは、ダムから轟々と水が放出されていたのですが、今回来てみると、水が少しだけ流れていて、あのとき写真撮っておけばよかったなあと。それに、往路は日差しが当たっていたまちも、14時半にはすでに太陽が山に隠れて日陰になっていて、あらためてこの辺りが山深い地域だと感じられたのでした。
旧引佐町(浜松市)(6/6)
ここまでの旅は、天竜区の旅でした。ただ、最後に旧引佐町という、現在の浜名区にあたる地域にも、訪れてみることに。とはいえ旧龍山村から40km越えの移動で、北遠地区の広さを最後まで感じつつ。
旧引佐町に入るとき、看板には「井伊直虎ゆかりの地」と紹介されていました。むむ、井伊直弼じゃないんだ、という引っかかり方でしたが、歴史に詳しい方からすれば、「そんなことも知らないのか!」とお叱りをいただくことでしょう。のちに訪れた龍潭寺で、井伊直虎についても知ることができました。
龍潭寺は井伊家の菩提寺です。大型の観光バスも来ていて、観光客と一緒に見学へ。本堂は1676年建立と記されており、煌びやかで、座布団が大きかったです。そして、本堂の裏手には見どころの庭園が、のびのびと広がっていました。座布団もあって、座って鑑賞すればどこまでも清々しい。四季によっても晴れていても雨の日でも、そのままの景色が体に染み込むような庭園だなあと。
井伊家は戦国時代の渦中、おんな城主だったとされる井伊直虎の奮闘もあり、お家断絶の危機を乗り越えて、井伊直政や井伊直弼が名を残したと。歴史はつくづく、不思議な線でつながっています。
ここまでの旅は、天竜区の旅でした。ただ、最後に旧引佐町という、現在の浜名区にあたる地域にも、訪れてみることに。とはいえ旧龍山村から40km越えの移動で、北遠地区の広さを最後まで感じつつ。
旧引佐町に入るとき、看板には「井伊直虎ゆかりの地」と紹介されていました。むむ、井伊直弼じゃないんだ、という引っかかり方でしたが、歴史に詳しい方からすれば、「そんなことも知らないのか!」とお叱りをいただくことでしょう。のちに訪れた龍潭寺で、井伊直虎についても知ることができました。
龍潭寺は井伊家の菩提寺です。大型の観光バスも来ていて、観光客と一緒に見学へ。本堂は1676年建立と記されており、煌びやかで、座布団が大きかったです。そして、本堂の裏手には見どころの庭園が、のびのびと広がっていました。座布団もあって、座って鑑賞すればどこまでも清々しい。四季によっても晴れていても雨の日でも、そのままの景色が体に染み込むような庭園だなあと。
井伊家は戦国時代の渦中、おんな城主だったとされる井伊直虎の奮闘もあり、お家断絶の危機を乗り越えて、井伊直政や井伊直弼が名を残したと。歴史はつくづく、不思議な線でつながっています。
というわけで、今日の散策はここまで。北遠地区はとにかく、ほんとうに広かったです。いつも旅を終えられるとありがたいですが、今日はほんとうに、切にありがたかった。行きたかった土地に、やっと行くことができました。
本日のひとこと
今日で、前回の市町村一周の旅で巡った、1741という訪問数を超えました。ひきつづき、コツコツがんばります。
今日で、前回の市町村一周の旅で巡った、1741という訪問数を超えました。ひきつづき、コツコツがんばります。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)
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(終わり。次回へ続きます)
かつおさん
わたしの知ってるところに来てる!!なんかそれだけのことなんだけどうれしい。そして、わたしよりその土地のことを知ってるし、そこの今がある。さすが!!
お体大切に、旅してください
ころりんさん
ありがとうございます!!ご縁のある土地なのですね!
とんでもないです、お伺いできて、とても嬉しくありがたかったです☺️