ふるさとの手帖

市町村一周の旅

中央構造線の山峡、遠山郷へ。スケールの大きな長野県の旅。【旧市町村一周の旅(長野県)|9月5日―517日目)】

中央構造線の山峡、遠山郷へ。スケールの大きな長野県の旅。【旧市町村一周の旅(長野県)|9月5日―517日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1385/2,097】
1385/2097
66.05%
総計【1472/2,268】
1472/2268
64.90%

スーパーカブの総走行距離
35541km

旧南信濃村→旧上村→阿智村→旧清内路村→飯田市、の5つ。
今日の旅先のこと
数日前まで岐阜県を巡っていましたが、昨日は愛知県へ入り、さらに今日は長野県を目指します。それぞれ山奥の地域がメインのため、強い気持ちでがんばっていきます。

ちなみに、今朝まで愛知県豊根村で泊まっていたのですが、朝食を用意してくださった女将さんが、とても朗らかな方で、旅のお話もさせてもらいました。出発前には「これ良かったら持っていってね」と、手作りのレモンピールをくれて、「ふるさとの手帖」の本も買ってくれて。女将さんの心がとてもうれしかったです。

また、女将さんがポロッと言ったのですが、「今いるこの辺(豊根村)は標高800mぐらいなの」と。えええ、そんなに高い場所にいるんですか。山陽自動車道の最高標高地点は、375mなのに(最高地点だ!って盛り上がるんですけどね)。
宿にも薪がいっぱいありました。
南信濃村みなみしなのむら(飯田市)(1/5)
さて、豊根村から国道151号線路を北上し、いよいよ長野県を目指します。目的地は旧南信濃村で、40kmほどの移動でした。愛知県から長野県へ県境を越えると、長野県阿南町の看板とともに、「標高1060m」とかかれていました。ひょえー! 高すぎて、標高の感覚がわからなくなってる。

早速、長野県のスケールの大きさに度肝を抜かれつつ、ナビに従って進むと、阿南町から天龍村へ入りました。まさかの天龍村経由とは。

天龍村は、名前の通り天竜川沿いに広がる村です。前回の旅で訪れたとき、ほんとうにドキドキしながらアップダウンの激しい道を進んで、ついにブワッと村が現れて、「うわあ、すごい!」と思った村でした。

その村を、今回は訪れつつ、通過していくわけです。ちょっとだけ、大人になったような気持ちで、いざ天龍村の集落が現れたときも、「わぁー!やっぱりすごいなあー!」と感動しながら、少しだけ心に余裕もあったように感じます。

天龍村からは、遠山川沿いに進んでいきます。西には伊那山脈、東には南アルプスが連なる、中央構造線の深い山峡を進むわけです。ただ走っているだけでも、スケールの大きさに圧倒されるばかりでした。そして、流れている遠山川の色が、透明な青色に少しだけグレーを足した独特の色なのです。グレーだけれど、淀むわけではなく、むしろ深みが増すような美しい色。そして、この色は長野県の色だよなあと、ぼくは思うわけです。

と、到着までもいろんな気持ちが入り混じりつつ、ようやく旧南信濃村の市街地へやってきました。遠山郷と呼ばれる里山の風景。市街地になると少し空もひらけて、とにかくすごいなあと、景色を見て思い浮かぶ言葉が単調になってしまう。

また、かつて旧南信濃村には秋葉街道の宿場町がありました。そのまちなみ付近へ訪れると、懐かしい街道の風情が残っていて、日本の広さを身に染みて感じたのでした。
旧南信濃村へ。遠山川がほんとうに綺麗でした。
工事中の道の駅にて。
かつては宿場町だったと。
神々の棲む…
龍淵寺へ。
昔ながらの建物でした。
日本も広いなあと。
宿場町の通り。
上村かみむら(飯田市)(2/5)
深い遠山郷の山峡を、さらに北上し、次に旧上村を目指しました。地図で見ると、ほんとうにすごい場所だなあと思うし、もっと北へ行くと、大鹿村に着くので、なるほどなあとも思いました。ここで、こうつながるのかと。

旧上村には、有名な観光地があります。「下栗の里」と呼ばれている地域で、愛称は「日本のチロル」。チロルはオーストリア西部、イタリア北東部周辺を指していて、ヨーロッパの風景は想像もつきませんが、その日本のチロルが、この地域にあると。

ただ、そこまでのアクセスは簡単ではなく、時間も要します。時間も要すと言いましたが、そこで暮らす方々がいらっしゃるということを、何より忘れてはいけません。そして、今回は時間が厳しかったので、「下栗の里」へは訪れず、旧上村の市街地を散策したのでした。下栗の里にはぜひ、いつか訪れる機会があれば。

市街地は旧南信濃村よりもさらに峡谷という雰囲気で、周囲は山に囲まれています。家には屋号? のような文字がかかれていて、玄関には神社にある紙垂が飾られていました。この光景も、長野県らしいなあと感じながら。
旧上村へ。この地域も遠山なんだなあ。
橋のマークも紙垂だ。
ひっそりと佇む。
玄関に。
つくしみたい。
阿智村あちむら(3/5)
さて、次は旧上村から、50kmの移動です。旧上村から飯田市街地には、「矢筈トンネル」という4kmほどの長いトンネルが通っていて、それを利用すると遠山郷と飯田市街地も、かなりアクセスが良いのですが、110ccのカブは通過できません。よって、行きと同じく天龍村を通過するルートへ戻っていきました。

下條村も通過しつつ、移動に1時間20分かかりましたが、ようやく阿智村のダイナミックな地形が見えると、スカッと気持ちいい景色が広がっていました。

前回の旅と同様、星空ではなく昼間に訪れてしまっている阿智村ですが、今回は昼神温泉も散策してみました。

そして、ふと歩いていると、「熊谷元一くまがいもといち写真童画館」を発見。写真と童画、どういうことだろう…。とにかく、“写真”という言葉にひたすら反応してしまうぼくは、館内へ入ってみることに。

どうやら、熊谷元一さんという方の写真と童画が展示されているようです。見てみよう、といざ入館したのですが、これがまた、ほんとうに素晴らしい写真と童画ばかりで、完全にノックアウトされました。

熊谷元一さんは、阿智村出身のドキュメンタリー写真家のひとりですが、熊谷さんの代表的な写真は子どもたちを写した写真であり、それは熊谷さんが教師として勤めている間に撮影されたものでした。

すなわち、現役の教師が写した子どもの写真で、のびやかで嘘がなく、天真爛漫な子どもたちの写真は、とにかく本物でした。

今、どれだけカメラの機能が発達しても、この写真を残すことはできない。これは熊谷さんという方だからこそ、残せた写真だなあと。

さらに、童画の絵本も出版されていて、その絵のあたたかさ。とても多彩な方だったのだなあと。

コッペパンをかじる生徒の写真のポストカードを、思わず買ったのでした。ほんとうに素晴らしい写真家だと思います。こんなに素晴らしい方を知らなかったのかという気持ちと、知ることができてなんてありがたいんだという気持ちです。
阿智村へ。空が広い!
阿智村役場。
星空のまちですね。
中馬街道という昔の街道も。
昼神温泉へ。大きな温泉街でした。
熊谷元一写真童画館。館内は撮影禁止ですが、素晴らしい施設でした。
清内路村せいないじむら(阿智村)(4/5)
昼神温泉から、国道256号線を北上していきます。道中はかなり上り坂で、昼神温泉よりも標高は高い地域かなあと。

旧清内路村の市街地までやってくると、小さな集落が広がっていました。険しい山に囲まれており、住宅地は急な坂も多くて。阿智村の市街地とは、雰囲気が全然違います。家の周囲には花が育てられ、薪もたくさん備蓄されていて、ここにも暮らしがあるのだなあとあらためて。

近くの小学校からは、生徒の声も聞こえてきました。そして、「黒船桜」という桜ものぞいてみると、お墓もある中央に大きな桜の木が育っていて、桜の季節はパッと明るさをもたらすのだろうなあと。
旧清内路村へ。
きまってる。
坂と集落。
蔵もあった。
お地蔵さんかな。
大きな黒船桜でした。
飯田市いいだし(5/5)
さて、最後に向かったのは飯田市街地です。

まずは、元善光寺を目指していきました。善光寺ではなく、元善光寺。これは伊勢神宮と元伊勢に似た関係性かなと思いつつ、元善光寺のホームページを見ると、今から約千四百年前の推古天皇十年に、本多善光公によって開かれたお寺とのことでした。そして、長野市の善光寺とも関わりがあるようです。

すごい時間の長さだなあと感じますが、長野市の善光寺とともに、どちらも現在まで続いているというのも、またすごいことですよね。

道中は阿智村から飯田市に入り、カブで走りながら、東西の山々の斜面に広がる家を眺めました。山々のスケールがとにかく大きいので、家が小さな点々のように見えて、果てしない気持ちになります。

元善光寺は、爽やかなお寺だなあと感じました。本堂にも上がることができ、静かで薄暗い空間に座ると、心を鎮めることも、体が自然に欲するというか。

そして、事前に連絡していたバイク屋さんに伺う時間になり、カブの前輪のタイヤ交換も無事にしてもらいました。よかった! その後、『Yamairo guesthouse』さんへ。

Yamairo guestohouseさんには、6年前の市町村一周の旅でも、宿泊させてもらいました。当時はお宿がオープしたての頃で、泊まっていた方々や、スタッフさんも交えて過ごした夜がとても楽しくて。ぼく自身、ゲストハウスに泊まる経験もまだ少なかったと思うけれど、こうしたいいご縁があって、旅を進められていたのだなあと、今振り返ってもありがたいです。

久しぶりの訪問でドキドキしましたが、ヘルパーのたけやんさんが館内を丁寧に説明してくれて、じんわりと思い出す建物の空間の温かさも体に沁みて。もちろん館内は以前と変わっている部分もたくさんあると思うけれど、立派な古民家の持つパワーそのものは、変わっていなくて。その後、ありがたいことにオーナーのみずきさんと、ご主人のなおやさんにご挨拶させていただくことができました。

6年経ち、みずきさんはお母さんに。さらになおやさんは長年の夢だったラーメン店もひらかれていて、当然のことかもしれないけれど、月日が流れているのだなあと、確かに感じられて。

そして、ヘルパーのたけやんさんや、同じく宿泊されていたゲストさんともお話ができて、とてもあたたかな時間でした。夏休み期間でフィールドワークをしている学生さんたちも泊まっていたし、ビジネスっぽい方も泊まっていたし、いろんな立場の人たちが同じ空間にいて、つながりが生まれたり、生まれなかったり、その不思議な糸でむすばれる魔法が、ゲストハウスにはあるなあと。

Yamairoさんの「Yamairoができるまで」と「Yamairo5周年」のフォトブックも読んだのですが、今日に至るまでに詰まっている時間が、とても尊く感じられて、いい宿だなあとあらためて。ところどころ綴られたみずきさんの言葉も好きでした。たとえば改装を振り返って。

「手に触れる物全てに出来上がるまでのストーリーがあり、私はそれを語ることができます。この記憶は宝です。」
飯田市へ。
下伊那の地形。とても好きだなあ。
元善光寺。
Yamairo guesthouseさんへ。
6年ぶりです!
変わらず、いい空間だなあ。
ゲストブック。
ふるさとの手帖も置いてくださっていて。うれしいです!
みずきさん、ご無沙汰しております!
かくかく、しかじか。
なおやさんも、ご無沙汰しております!
お会いできてほんとうにうれしかったです。お忙しいなか、ありがとうございました!
左手はヘルパーのたけやんさん。
いろんなお話ができました。
フォトブック。とってもよかったです。
というわけで、今日の散策はここまで。長野県に久しぶりに訪れることができて、土地や人の出会いもあり、ありがたいなあと思う時間でした。夜はぐっすり。
本日のひとこと
長野県はこれから少し大回りをして、あらためて訪れる予定です。
旅を応援してくださる方へ
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)

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