今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1323/2,094】 総計【1410/2,264】スーパーカブの総走行距離
33994km
今日の旅先のこと
旅の休養に合わせて、ブログの更新も休ませてもらっていましたが、どちらも再開していきます。この日は8月6日。京丹後市を出発し、与謝野町や福知山市へ入っていきました。それでは振り返っていきましょう。
朝、京丹後市の宿舎で朝食を取ったあと、8時25分に出発しました。その10分前の8時15分には、部屋で黙祷をし。YouTubeでは平和記念式典のライブ配信もありました。
広島のことについて、ぼくがつべこべ言える立場にはまったくなく、社会的にも何かを主張しようとすれば、すぐ正と悪でわけられてしまう世の中です。そういうことに、興味がありません。
ただ、ひたすらに思うことは、命というものは、数字で簡単にまとめることができないということです。何万人が亡くなった、という数字の中にある命はひとりひとりで、自分が具体的に想像できないだけで、たったいま心臓が動いている自分の命となんら変わりません。
旅をしていると、命に関わる場所と、たくさん出会います。そこで感じるものを、思想とか、右とか左とか、正とか悪とか、振り分けていくことが、知るということではないと感じます。
命の尊さを、ひとりひとりという自分にとっては見えない他者を、少しでも大切にできる人間に、なりたいなと思うばかりです。
朝、京丹後市の宿舎で朝食を取ったあと、8時25分に出発しました。その10分前の8時15分には、部屋で黙祷をし。YouTubeでは平和記念式典のライブ配信もありました。
広島のことについて、ぼくがつべこべ言える立場にはまったくなく、社会的にも何かを主張しようとすれば、すぐ正と悪でわけられてしまう世の中です。そういうことに、興味がありません。
ただ、ひたすらに思うことは、命というものは、数字で簡単にまとめることができないということです。何万人が亡くなった、という数字の中にある命はひとりひとりで、自分が具体的に想像できないだけで、たったいま心臓が動いている自分の命となんら変わりません。
旅をしていると、命に関わる場所と、たくさん出会います。そこで感じるものを、思想とか、右とか左とか、正とか悪とか、振り分けていくことが、知るということではないと感じます。
命の尊さを、ひとりひとりという自分にとっては見えない他者を、少しでも大切にできる人間に、なりたいなと思うばかりです。
旧岩滝町(与謝野町)(1/5)
さて。京丹後市を出発して向かった先は、与謝野町の岩滝町です。与謝野町は3つのまちが合併していて、岩滝町は唯一海にも面しています。
山道を下り、離合ギリギリの道も進んで、ようやく海が見えてきました。「阿蘇シーサイドパーク」は広い公園で、遊具だけではなく広々とした芝が気持ちいい。そして、周辺には海と昔ながらの町並みが広がっていました。
さて。京丹後市を出発して向かった先は、与謝野町の岩滝町です。与謝野町は3つのまちが合併していて、岩滝町は唯一海にも面しています。
山道を下り、離合ギリギリの道も進んで、ようやく海が見えてきました。「阿蘇シーサイドパーク」は広い公園で、遊具だけではなく広々とした芝が気持ちいい。そして、周辺には海と昔ながらの町並みが広がっていました。
旧野田川町(与謝野町)(2/5)
次に向かったのは、野田川町です。移動中の道は岩滝町ともつながっていると感じられて、やはり後から地図を見ると、野田川沿いの道でした。
7kmほど内陸へ移動し、周辺はやや山が近づいた感じ。そして、市街地を歩くとやはり野田川というまちそのものを感じられました。ギュッと住宅地が広がり、まちを外れた先に広がる田んぼも綺麗で。
次に向かったのは、野田川町です。移動中の道は岩滝町ともつながっていると感じられて、やはり後から地図を見ると、野田川沿いの道でした。
7kmほど内陸へ移動し、周辺はやや山が近づいた感じ。そして、市街地を歩くとやはり野田川というまちそのものを感じられました。ギュッと住宅地が広がり、まちを外れた先に広がる田んぼも綺麗で。
その後、丹後ちりめん歴史館へ向かいました。かつての織物工場が建物になっており、機織り機の展示や丹後ちりめんの商品が販売されています。
ちりめん、と聞くとぼくのように魚を思い浮かべる人もいるかと思いますが、主には絹を用いて平織りされた織物を指します。実物を見ても、表面にちょっとした凸凹があって、素人のぼくは不思議だなあと感じるのですが、そこに素晴らしい技術が込められているわけです。友人に小物のお土産も買いました。
ちりめん、と聞くとぼくのように魚を思い浮かべる人もいるかと思いますが、主には絹を用いて平織りされた織物を指します。実物を見ても、表面にちょっとした凸凹があって、素人のぼくは不思議だなあと感じるのですが、そこに素晴らしい技術が込められているわけです。友人に小物のお土産も買いました。
旧加悦町(与謝野町)(3/5)
次に向かったのは加悦町です。野田川町からも非常に近く、すっと移動できました。
次に向かったのは加悦町です。野田川町からも非常に近く、すっと移動できました。
旧加悦町役場庁舎にやってきて、看板を見ると、この地域周辺が「ちりめん街道」と呼ばれていることを知ります。なるほど、加悦町もちりめんなのだと。そして、街道沿いを散策していきました。
昔ながらの家並みが広がっていて、カフェも見つけたのですが、一般公開されている「旧尾藤家住宅」があり、そこに入ってみることに。かつてこの地域は城下町で、城主は3年で失われたものの、城下町の姿は残り、現在のちりめん街道に至ると。旧大江町(福知山市)(4/5)
加悦町から、今度は福知山市へと移っていきます。国道176号線に入り、しばらく南下していきましたが、道はかなりアップダウンもあり、何度も車に追い抜いてもらいました。
そして、福知山市で最初にやってきたのは大江町。支所の周辺は駅と庁舎が一体になっていて、尚且つ「鬼」が全面的に推されていました。大江町の大江山では、鬼伝説が残っているそうです。
加悦町から、今度は福知山市へと移っていきます。国道176号線に入り、しばらく南下していきましたが、道はかなりアップダウンもあり、何度も車に追い抜いてもらいました。
そして、福知山市で最初にやってきたのは大江町。支所の周辺は駅と庁舎が一体になっていて、尚且つ「鬼」が全面的に推されていました。大江町の大江山では、鬼伝説が残っているそうです。
市街地を散策したのち、元伊勢三社を巡っていきます。「元伊勢外宮」「元伊勢内宮」「天岩戸神社」の三社です。
最初に訪れた外宮は急な石段を登った先に社殿がありました。社殿も古く、さすがという雰囲気。
最初に訪れた外宮は急な石段を登った先に社殿がありました。社殿も古く、さすがという雰囲気。
次に、元伊勢内宮を訪れました。ここでも、駐車場からの距離が少なからずあって、やはり登り坂で、暑いのでゆっくりゆっくりと登っていき。
そして、元伊勢内宮からは天岩戸神社へ向かうルートもあり、そのまま移動していきました。この、天岩戸神社が最も印象的な場所にありました。自然に囲まれ、目の前を小川が流れ、急な岩肌の上に社殿が建っています。その社殿までは、チェーンが伸びていて、それをつたって登るのでした。まさかチェーンをのぼるとは。
そして、元伊勢内宮からは天岩戸神社へ向かうルートもあり、そのまま移動していきました。この、天岩戸神社が最も印象的な場所にありました。自然に囲まれ、目の前を小川が流れ、急な岩肌の上に社殿が建っています。その社殿までは、チェーンが伸びていて、それをつたって登るのでした。まさかチェーンをのぼるとは。
もし旅を無事に進めることができたら、伊勢神宮にも伺いたいと思っていますし、その前に元伊勢三社へ伺えてよかったなあと、シンプルにそう思ったのでした。
旧夜久野町(福知山市)(5/5)
最後にやってきたのは、夜久野町です。兵庫県との県境で、国道9号線の峠を越えていくと夜久野町から朝来市に入ります。今どれぐらいの緯度にいるのか、走っているとわからなくなるのですが、なるほど、朝来市ぐらいまで南へ下ってきたのだなあと。
地図を見る中で、「下夜久野」と「上夜久野」があり、今回は下夜久野周辺を散策しました。下夜久野駅は車屋さんと一体化していて、見たことない駅だなと思ったり、住宅街の広報板に書かれた言葉を見て良いなと思ったり、ここにも日常が流れていました。
旧夜久野町(福知山市)(5/5)
最後にやってきたのは、夜久野町です。兵庫県との県境で、国道9号線の峠を越えていくと夜久野町から朝来市に入ります。今どれぐらいの緯度にいるのか、走っているとわからなくなるのですが、なるほど、朝来市ぐらいまで南へ下ってきたのだなあと。
地図を見る中で、「下夜久野」と「上夜久野」があり、今回は下夜久野周辺を散策しました。下夜久野駅は車屋さんと一体化していて、見たことない駅だなと思ったり、住宅街の広報板に書かれた言葉を見て良いなと思ったり、ここにも日常が流れていました。
というわけで、今日の散策はここまで。福知山市街地も巡る予定でいましたが、元伊勢三社のお参りで思ったよりも時間がかかり、持ち越すことにしました。振り返ると暑くてかなりバテていたなあと思います。
本日のひとこと
旧加悦町の地元の方に、「京都の良い町並みですね」と話したら、「この辺はなかなか京都と呼んでもらえないんですよ〜」と。なるほど、なるほど。
旧加悦町の地元の方に、「京都の良い町並みですね」と話したら、「この辺はなかなか京都と呼んでもらえないんですよ〜」と。なるほど、なるほど。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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