今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1318/2,094】 総計【1405/2,264】スーパーカブの総走行距離
33879km
豊岡市を出発し、トンネルを抜けていよいよ京都府へ入りました。それからまもなく到着したのは、久美浜町の市街地。
旧網野町(京丹後市)(2/6)
次にやってきたのは、網野町です。最初に夕日ヶ浦海岸へ向かっていくと、海水浴場になっており、駐車代も有料とのことで、すぐに再出発しました。
また、ノムさんこと野村克也さんのベースボールギャラリーの看板も見つけました。出身地なのか!と調べてみると、網野町出身でした。知らなかったなあ。
ただ、どうやら琴引浜の見学はできるし、サーファーはいるけれど、一般の遊泳は高波で禁止になっていて。それぐらい、サーファーにとっては良い波かもしれませんが、確かにすごい波で、ごおごおと白波を立てているのでした。
さて、この琴引浜はでどうやったら砂が鳴るか、駐車場のおじさんが教えてくれました。
方法は3つ。「すり足」「撫でる」「山をつくってはたく」と。
で、砂浜でぜんぶやってみたんですが、ほんとうにぜんぶ鳴るんですねえ。ギュイン、ギュイン、と摩擦で音が鳴っている。
あとでその報告をしたら、おじさんがまた教えてくれました。
「水晶の元の鉱物のセキエイが振動して鳴るんだよ。この砂浜はセキエイの含有量が多いから。冬にものすごく海が荒れるでしょう。それで砂浜が洗われて、春がいちばん綺麗に鳴るんだよ」
冬の大荒れの海にも、意味があるのだと思うと、感動してしまいました。
旧丹後町(京丹後市)(3/6)
網野町から海沿いの道を東へ進み、丹後町へやってきました。内陸には田んぼが広がり、日本海も近く、内陸と海の暮らしをどちらも感じます。
立岩という大きな一枚岩を見たのち、うねうねとアップダウンが激しく、カーブもある道を進み、丹後松島の展望所へ。丹後半島の北側を走っていくのは初めてだったのですが、展望所へ着くと、重なる山並みの陰影と、ずっと奥まで広がる日本海、少し霞んだ夏の青空と、まさに半島らしい景色が広がっていました。
旧弥栄町(京丹後市)(4/6)
ここまで、日本海沿いの地域を巡っていきましたが、弥栄町から本格的に内陸に入っていきます。
道中は竹野川沿いを中心に開けた景色が広がっていて、大部分を占める田んぼの風景が気持ちいい。ただ、竹野川では川幅を拡張させる工事も進んでいました。
そして、市街地を散策していくと、昔ながらの建物も多く、歩道もあるけれど狭くて、きっと昔の道幅なのだなろうなあと。
以前、島根県浜田市でも弥栄(村)に出会いましたが、弥栄ってどんな意味なのでしょうか。と調べると、「弥栄(いやさか)=ますます栄える」が出てきて、なるほどなあと。良い地名はとても好きです。
旧大宮町(京丹後市)(5/6)
弥栄町から峰山町を抜けて、大宮町へ向かいました。大宮賣神社を訪れたのち、市街地を散策していきます。
神社は松の木の参道が美しく、やはり京都に入って、松を見る機会が増えた気がするなあと。近くの宮津市には天橋立もありますし、この地域らしい風景なのかもしれません。
市街地は思うがままに「こっちに行ってみたいなあ」と歩くわけですが、ふと見つけた車も通れない細い道に、少年時代を思い出すような懐かしさがあり、とても好きでした。横を水路が流れ、トンボが飛び、小魚が泳ぎ。
昔の役場も見つけて、その看板に、江戸時代の水路があることも書かれていたので、自分が好きだと思った水路も、昔のものかもしれません。
旧峰山町(京丹後市)(6/6)
最後にやってきたのは、峰山町です。京丹後市の中心地だけれど、訪れるのは初めて。
まず、大宮町から峰山町へ向かう道は、見たことあるスーパーやドラッグストア、ホームセンターが並ぶ光景でした。だから、街中もそんな感じなのかなと思いつつ、目的地にしていた金刀比羅神社に着くと、市街地でありながらも、さっきの郊外の雰囲気とは違って、昔ながらの町並みが広がっていました。なので、神社も町と一緒に時間を経てきたのだろうなあと。
神社は石段をまだか、まだある…とちょっとしんどくなりながら登った先にあり、とても清々しい境内でした。ポスターには「こまねこまつり」とあり、そういえば、いつもと違う姿の像があったけれど、あの動物は猫、すなわち狛猫だったのか! とあとで気づいたのでした。
ちょっと今日は涼しかったような。気のせいでしょうか。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)
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