朝、路面が濡れていて、深夜に雨が通り過ぎたあとでした。昼間はぐんぐん暑くなり、しっかり汗をかきながら、進んでいきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1181/2,094】 総計【1268/2,264】スーパーカブの総走行距離
31013km
今日の旅先のこと
旧伯太町(安来市)(1/5)
朝、安来市を出発する。テレビで西日本豪雨から6年という報道をしていた。6年前の当日を覚えている。今と同じような旅の道中で、北海道の苫小牧にいた。夜、地元近くの工場が爆発し、真備で氾濫が発生し、Twitterを見て体が震えた。この6年の間に、今も声が届くような災害、今は声が消えてしまったような災害が、ほんとうにいくつもあった。
移動中、グラウンドで少年たちが野球の練習をしている。まだ朝8時、子どももパパも偉い。しばらく穏やかな道を進み母里という集落に着くと、赤褐色の大きな風車が水田のそばに鎮座していた。夏の帽子をかぶったおじいさんやおばあさんたちが自転車に乗っていたり、中学生に挨拶をしてもらったり、朝の日常を過ごす。町看板にはチューリップが描かれていた。あの風車の前に、鮮やかな色のチューリップが咲き誇るという。
朝、安来市を出発する。テレビで西日本豪雨から6年という報道をしていた。6年前の当日を覚えている。今と同じような旅の道中で、北海道の苫小牧にいた。夜、地元近くの工場が爆発し、真備で氾濫が発生し、Twitterを見て体が震えた。この6年の間に、今も声が届くような災害、今は声が消えてしまったような災害が、ほんとうにいくつもあった。
移動中、グラウンドで少年たちが野球の練習をしている。まだ朝8時、子どももパパも偉い。しばらく穏やかな道を進み母里という集落に着くと、赤褐色の大きな風車が水田のそばに鎮座していた。夏の帽子をかぶったおじいさんやおばあさんたちが自転車に乗っていたり、中学生に挨拶をしてもらったり、朝の日常を過ごす。町看板にはチューリップが描かれていた。あの風車の前に、鮮やかな色のチューリップが咲き誇るという。
旧西伯町(鳥取県南部町)(2/5)
島根県の旧伯太町からゆるやかな道を進むと、さりげなく鳥取県の旧南部町に入った。島根県の旅が終わり。東西に長く、離島もあり広く感じられた土地だった。島根県への感謝と、鳥取県へのよろしくの気持ち。北方、倭といった地域を抜けて、法勝寺へ。かつての宿場町だったという町並みには、立派な日本庭園が玄関前につくられた家、神様の紙垂が入口につけられた家などもあった。「一式飾り」という古くから続く飾り物も継承されており、展示を見た。風習は続いているが、ゴジラ、ゼニガメ、イノシシ、キテレツ大百科……自由な発想の飾り物も多かった。
島根県の旧伯太町からゆるやかな道を進むと、さりげなく鳥取県の旧南部町に入った。島根県の旅が終わり。東西に長く、離島もあり広く感じられた土地だった。島根県への感謝と、鳥取県へのよろしくの気持ち。北方、倭といった地域を抜けて、法勝寺へ。かつての宿場町だったという町並みには、立派な日本庭園が玄関前につくられた家、神様の紙垂が入口につけられた家などもあった。「一式飾り」という古くから続く飾り物も継承されており、展示を見た。風習は続いているが、ゴジラ、ゼニガメ、イノシシ、キテレツ大百科……自由な発想の飾り物も多かった。
旧会見町(南部町)(3/5)
北東の方角へ進み、旧会見町へ入った。町庁舎の名前は天萬庁舎。ほとんどの町では町の名前がそのまま庁舎になるわけだが、旧会見町はそうではない。会見と天萬…地名が一瞬混同してしまう。市街地を散策していると、隊列を組んだサイクリストたちとすれ違った。住宅からはニュースの声、中学校の体育館からは、ダンダンダン、とバスケットボールの音。その中学校の張り紙には「来てみてごしない!」と書かれていた。否定のように見えるけれど、来てみなよ、と肯定の方言だ。
北東の方角へ進み、旧会見町へ入った。町庁舎の名前は天萬庁舎。ほとんどの町では町の名前がそのまま庁舎になるわけだが、旧会見町はそうではない。会見と天萬…地名が一瞬混同してしまう。市街地を散策していると、隊列を組んだサイクリストたちとすれ違った。住宅からはニュースの声、中学校の体育館からは、ダンダンダン、とバスケットボールの音。その中学校の張り紙には「来てみてごしない!」と書かれていた。否定のように見えるけれど、来てみなよ、と肯定の方言だ。
旧岸本町(伯耆町)(4/5)
旧会見町から東へ進み、伯耆町へ入っていく。大山の姿も見えてきた。まだ、山頂は大きな雲で隠れている。やがて市街地が広がり、戸建て住宅が一面に並んでいた。一級河川の日野川には釣り人が集まっていた。腰まで川に浸かり、右、中央、左と隣人のテリトリーを侵犯しないように均等に広がって、奥まで人影が見えた。おそらく鮎釣りではなかろうか。しかも、ちょうど真下のおじさんが釣れていた。
岸本駅のフリースペースにはおじいさん二人と、中高生三人組。同じ空間で、おじいさんたちは缶コーヒーを持って話に夢中、中高生たちはじっとスマホに夢中。
旧岸本町へ来て、植田正治写真美術館へ訪れない理由はない。無機質な建物の外観に眩しい日差しが突き刺さる。展示を見て感じる。ずっといい写真だ。若い頃から、と。自分という写真の軸があり、山陰という風土もそれを導いていた。アマチュア精神を大切にする強い意志は、生き方でもある。写真館を出ると、さっきまで隠れていた大山の山頂が、見えるようになっていた。
旧会見町から東へ進み、伯耆町へ入っていく。大山の姿も見えてきた。まだ、山頂は大きな雲で隠れている。やがて市街地が広がり、戸建て住宅が一面に並んでいた。一級河川の日野川には釣り人が集まっていた。腰まで川に浸かり、右、中央、左と隣人のテリトリーを侵犯しないように均等に広がって、奥まで人影が見えた。おそらく鮎釣りではなかろうか。しかも、ちょうど真下のおじさんが釣れていた。
岸本駅のフリースペースにはおじいさん二人と、中高生三人組。同じ空間で、おじいさんたちは缶コーヒーを持って話に夢中、中高生たちはじっとスマホに夢中。
旧岸本町へ来て、植田正治写真美術館へ訪れない理由はない。無機質な建物の外観に眩しい日差しが突き刺さる。展示を見て感じる。ずっといい写真だ。若い頃から、と。自分という写真の軸があり、山陰という風土もそれを導いていた。アマチュア精神を大切にする強い意志は、生き方でもある。写真館を出ると、さっきまで隠れていた大山の山頂が、見えるようになっていた。
旧溝口町(伯耆町)(5/5)
最後にやってきたのは、旧溝口町。大山を展望できるという赤い橋に立ち寄ったけれど、山の裾野を走っていると、大山が見える場所はどこでも立ち止まりたくなった。溝口分庁舎から周辺を散策してみる。伯耆溝口駅前に鬼の形をした電話ボックスがあり、「これがほんとうの鬼電だ」と誰かに話したくなった。
そして、前回の旅でもお世話になったご家庭に、この日も宿泊させてもらった。大学の先輩にいただいたご縁で、先輩のお母さんはずっと旅を応援してくれていた。まだ外出中で、おばあさんが迎えてくださる。5年ぶりなのに覚えてくださっていることがありがたい。庭には均等に植木鉢が並び、部屋には午後の西陽が差し込んでいた。
お母さん、お父さんもまもなく帰ってきて、一緒に食事をいただく。郷土料理の「いただき」をつくってくださった。大きな油揚げに、出汁で炊き上げたごはんが詰まっている。いなり寿司とは似て非なる味の奥深さ。たちまち口の中で優しさが広がる。
以前の旅ではじめて伺ったとき、家族のあたたかさを教えてもらった。すべてが思うように進んでいくことが、家族の道ではない。おもんばかり、おもいやり、そうしてそうして少しずつ、家族は家族らしくなっていく。家族という形の大切ものを、たくさん見せていただいたような時間だったから、またこうして伺うことができて、とてもうれしかった。
最後にやってきたのは、旧溝口町。大山を展望できるという赤い橋に立ち寄ったけれど、山の裾野を走っていると、大山が見える場所はどこでも立ち止まりたくなった。溝口分庁舎から周辺を散策してみる。伯耆溝口駅前に鬼の形をした電話ボックスがあり、「これがほんとうの鬼電だ」と誰かに話したくなった。
そして、前回の旅でもお世話になったご家庭に、この日も宿泊させてもらった。大学の先輩にいただいたご縁で、先輩のお母さんはずっと旅を応援してくれていた。まだ外出中で、おばあさんが迎えてくださる。5年ぶりなのに覚えてくださっていることがありがたい。庭には均等に植木鉢が並び、部屋には午後の西陽が差し込んでいた。
お母さん、お父さんもまもなく帰ってきて、一緒に食事をいただく。郷土料理の「いただき」をつくってくださった。大きな油揚げに、出汁で炊き上げたごはんが詰まっている。いなり寿司とは似て非なる味の奥深さ。たちまち口の中で優しさが広がる。
以前の旅ではじめて伺ったとき、家族のあたたかさを教えてもらった。すべてが思うように進んでいくことが、家族の道ではない。おもんばかり、おもいやり、そうしてそうして少しずつ、家族は家族らしくなっていく。家族という形の大切ものを、たくさん見せていただいたような時間だったから、またこうして伺うことができて、とてもうれしかった。
というわけで、今日の散策はここまで。いよいよ鳥取県に入りました。暑さも続いていますが、少しずつ確かに進めていることが、何よりありがたいです。
本日のひとこと
尋常じゃないぐらい汗をかき、びっくりされるぐらい水分をとっています。
尋常じゃないぐらい汗をかき、びっくりされるぐらい水分をとっています。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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