今日は尾道市の旧御調町から府中市、福山市、神石高原町と進んでいきます。山間部を中心に130km走ったので、自分にとってはかなりの移動でした。それでは振り返っていきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1109/2,094】 総計【1196/2,264】スーパーカブの総走行距離
29460km
今日の旅先のこと
府中市(1/6)
朝8時に出発。快晴の空からじんわり暑さが届く。府中市は2004年に、旧上下町が編入合併した。上下町と府中市の市街地は30km近く離れているので、同じまちとはいえ、土地の歴史は互いに少し違っているだろう。
旧御調町から芦田川沿いを東へ進み、一気にまちがひらける。府中市は川沿いのまちだ。府中公園へ向かうと、小高い場所に公園があり、まちなみを一望できた。川沿いのまちでもあり、山に囲まれた盆地でもある。
「道の駅 びんご府中」にカブを停めて、市街地も散策してみる。昔ながらのまちなみが多く残り、名物である「府中焼き」の看板を掲げたお店にもいくつか出会った。
朝8時に出発。快晴の空からじんわり暑さが届く。府中市は2004年に、旧上下町が編入合併した。上下町と府中市の市街地は30km近く離れているので、同じまちとはいえ、土地の歴史は互いに少し違っているだろう。
旧御調町から芦田川沿いを東へ進み、一気にまちがひらける。府中市は川沿いのまちだ。府中公園へ向かうと、小高い場所に公園があり、まちなみを一望できた。川沿いのまちでもあり、山に囲まれた盆地でもある。
「道の駅 びんご府中」にカブを停めて、市街地も散策してみる。昔ながらのまちなみが多く残り、名物である「府中焼き」の看板を掲げたお店にもいくつか出会った。
旧新市町(福山市)(2/6)
福山市の北に、小さなまちがある。新市町はかねてから気になっていた。吉備津神社があること、しんいち歴史民俗博物館のチラシを何度か見かけていたこと、このまちが地元だという方から連絡をもらったことがあったこと。
まずは吉備津神社へ。檜皮葺の屋根とオレンジ色に塗られた柱や壁が、日差しを浴びて輝いている。境内からは雅楽の越天楽が響き渡っていた。桃太郎たちの銅像もあり、ここは備後国なのだと感じられる。
しんいち歴史民俗博物館で気になっていたのは、ポスターに当時の写真が載っていたから。ただ、主には備後絣という織物の展示で、付随する歴史や当時の備後絣が並んでいた。当時裕福とはいえなかった農業生活が、備後絣の発展で産業となり、生活が向上したという。考案者の富田久三郎が亡くなった葬儀の写真を見ると、溢れんばかりの参列者の背中が見えた。
福山市の北に、小さなまちがある。新市町はかねてから気になっていた。吉備津神社があること、しんいち歴史民俗博物館のチラシを何度か見かけていたこと、このまちが地元だという方から連絡をもらったことがあったこと。
まずは吉備津神社へ。檜皮葺の屋根とオレンジ色に塗られた柱や壁が、日差しを浴びて輝いている。境内からは雅楽の越天楽が響き渡っていた。桃太郎たちの銅像もあり、ここは備後国なのだと感じられる。
しんいち歴史民俗博物館で気になっていたのは、ポスターに当時の写真が載っていたから。ただ、主には備後絣という織物の展示で、付随する歴史や当時の備後絣が並んでいた。当時裕福とはいえなかった農業生活が、備後絣の発展で産業となり、生活が向上したという。考案者の富田久三郎が亡くなった葬儀の写真を見ると、溢れんばかりの参列者の背中が見えた。
旧神辺町(福山市)(3/6)
福山市の北部に位置する旧神辺町へ。旧新市町から移動するのに、道中は住宅街が整っていて、信号待ちも多く30分以上かかった。おいしさいっぱいハローズ、でお馴染みのスーパーマーケット、ハローズ神辺店を見たときは、地元の岡山県に近づいていることを実感した。ハローズは地元の倉敷でもよく見かけるスーパーだ。それに、総社市まで40kmという看板を見て、地元に帰れるということもよぎる。しかし、今は実家に帰らない。やるべきことははっきりしている。
旧神辺町は東から南にかけて山が広がっており、東南方面の山が最も近く感じられ、その麓に昔ながらの通りや神辺城跡がある。休館日で中に入ることはできなかったものの、神辺本陣の前まで訪れた。本陣の近くには木の電柱も残っており、往年の時代に思いを馳せる。
福山市の北部に位置する旧神辺町へ。旧新市町から移動するのに、道中は住宅街が整っていて、信号待ちも多く30分以上かかった。おいしさいっぱいハローズ、でお馴染みのスーパーマーケット、ハローズ神辺店を見たときは、地元の岡山県に近づいていることを実感した。ハローズは地元の倉敷でもよく見かけるスーパーだ。それに、総社市まで40kmという看板を見て、地元に帰れるということもよぎる。しかし、今は実家に帰らない。やるべきことははっきりしている。
旧神辺町は東から南にかけて山が広がっており、東南方面の山が最も近く感じられ、その麓に昔ながらの通りや神辺城跡がある。休館日で中に入ることはできなかったものの、神辺本陣の前まで訪れた。本陣の近くには木の電柱も残っており、往年の時代に思いを馳せる。
旧豊松村(神石高原町)(4/6)
思っていたよりも遠かった。旧神辺町から、神石高原町の旧豊松村まで、1時間以上かけて移動する。徐々に山と山の隙間が狭くなり、景色も山道へと一変し、ずっと上り坂が続いた。いつの間にか標高も増し、まさに高原地帯へ移ったのだと。
旧豊松村はひっそりとした村だった。支所の周辺に小さく集落が広がり、一人で歩くだけで目立ってしまう。川沿いにあるわけでもなかったから、足を止めれば周囲の音は静かで、たまに車屋から聞こえる金属音が、集落にこだまして聞こえた。とよまつ紙ヒコーキ・タワーなるものもあるが、定休日だったので今回は訪れず。
思っていたよりも遠かった。旧神辺町から、神石高原町の旧豊松村まで、1時間以上かけて移動する。徐々に山と山の隙間が狭くなり、景色も山道へと一変し、ずっと上り坂が続いた。いつの間にか標高も増し、まさに高原地帯へ移ったのだと。
旧豊松村はひっそりとした村だった。支所の周辺に小さく集落が広がり、一人で歩くだけで目立ってしまう。川沿いにあるわけでもなかったから、足を止めれば周囲の音は静かで、たまに車屋から聞こえる金属音が、集落にこだまして聞こえた。とよまつ紙ヒコーキ・タワーなるものもあるが、定休日だったので今回は訪れず。
旧油木町(神石高原町)(5/6)
旧豊松村から再び山の中を走り、旧油木町を目指した。市街地が現れると、山に囲まれていながらも、まちの規模が少し大きくなったと感じられる。傾斜があり、市街地でも坂を上ったり下ったり。ひとつひとつ大きな戸建ての家が多く、古い通りには見応えがあった。それに地元の高校もあった。まちに高校があるといいよなあ。感じられるエネルギーがあると思う。そして、少しだけ古い通りを外れると、すぐに棚田も広がっていた。
旧豊松村から再び山の中を走り、旧油木町を目指した。市街地が現れると、山に囲まれていながらも、まちの規模が少し大きくなったと感じられる。傾斜があり、市街地でも坂を上ったり下ったり。ひとつひとつ大きな戸建ての家が多く、古い通りには見応えがあった。それに地元の高校もあった。まちに高校があるといいよなあ。感じられるエネルギーがあると思う。そして、少しだけ古い通りを外れると、すぐに棚田も広がっていた。
旧神石町(神石高原町)(6/6)
神石という地名が付いているので、旧神石町が一番大きなまちなのかもしれないと思ってもいたが、静かな集落だった。呉ケ垰という小さな商店街の通りを歩き、その後「神宮寺跡のエドヒガン」を見に行く。エドヒガンは細い山あいの道を抜け、見晴らしの良い場所にある、遠目からでもすぐにわかる立派な桜の木だった。一本桜として人々を集めるような気配を確かに秘めている。今は葉が生い茂り、風に揺られて緑が笑っていた。
帰り際、再び商店街の交差点まで戻り信号を待っていると、小学生たちが列になって下校していた。先頭は中学生らしいお兄さんが、小学生たちの方を向き、見守る目を離さない。その列の真ん中にいた小学3年生ぐらいの男の子が、信号待ちのぼくに向かって、「こんにちはー!帰りましたー!」と言うのである。ぼくはカブに乗っているし、乗車中でサングラスもしているわけで、警戒される方が多いわけだが、彼のように純粋に育つ子がこのまちにはいるのだと。「おかえりー!」と返して、信号が青になった。
神石という地名が付いているので、旧神石町が一番大きなまちなのかもしれないと思ってもいたが、静かな集落だった。呉ケ垰という小さな商店街の通りを歩き、その後「神宮寺跡のエドヒガン」を見に行く。エドヒガンは細い山あいの道を抜け、見晴らしの良い場所にある、遠目からでもすぐにわかる立派な桜の木だった。一本桜として人々を集めるような気配を確かに秘めている。今は葉が生い茂り、風に揺られて緑が笑っていた。
帰り際、再び商店街の交差点まで戻り信号を待っていると、小学生たちが列になって下校していた。先頭は中学生らしいお兄さんが、小学生たちの方を向き、見守る目を離さない。その列の真ん中にいた小学3年生ぐらいの男の子が、信号待ちのぼくに向かって、「こんにちはー!帰りましたー!」と言うのである。ぼくはカブに乗っているし、乗車中でサングラスもしているわけで、警戒される方が多いわけだが、彼のように純粋に育つ子がこのまちにはいるのだと。「おかえりー!」と返して、信号が青になった。
というわけで、今日の散策はここまで。府中市も福山市も神石高原町も、初めて出会う景色ばかりで、暮らしの数の多さに、驚かされるばかりです。
本日のひとこと
神石高原町と庄原市の境界付近には、帝釈峡があります。今回は庄原市側から訪れることができたらと思っています。
神石高原町と庄原市の境界付近には、帝釈峡があります。今回は庄原市側から訪れることができたらと思っています。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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