すでに6月中旬に入りそうな時期になってしまい、記事の更新が遅くなりました。岩国市を巡ったのは5月下旬に差し掛かる頃です。この頃は毎日休まず進んでいたので、いろいろ紙一重ではありましたが、振り返れば懐かしいです。記事は当日に残したメモを頼りにまとめています。それでは振り返っていきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【1068/2,094】 総計【1154/2,264】スーパーカブの総走行距離
28519km
今日の旅先のこと
旧由宇町(岩国市)(1/7)
6時半に岩国市街地のネットカフェを出発して向かったのは、旧由宇町です。まだこの頃は朝の冷え込みも十分にあって、手が悴みながら。
最初に由宇総合支所の周辺、つまり市街地を歩いてみました。しっかりと住宅地の整備がされていて、とても住みやすそうな第一印象。岩国市街地も近いしなあと。
その後由宇駅まで向かうと、のぼり、壁紙、階段のラッピングが赤いカープ一色に染まっていて、まち全体がカープ推し一択だと伝わってくるのでした(支所にもカープタウンの文字がありました)。理由は簡単で、由宇の野球場はカープ二軍の本拠地なわけです。潮風公園へ寄った後に野球場にも行ってみると、この日はソフトバンク戦があるとのことで、入り口に門番のおじさんが立っていて、開門までは中に入れないと。その代わり正面の写真は撮らせてくれました。
6時半に岩国市街地のネットカフェを出発して向かったのは、旧由宇町です。まだこの頃は朝の冷え込みも十分にあって、手が悴みながら。
最初に由宇総合支所の周辺、つまり市街地を歩いてみました。しっかりと住宅地の整備がされていて、とても住みやすそうな第一印象。岩国市街地も近いしなあと。
その後由宇駅まで向かうと、のぼり、壁紙、階段のラッピングが赤いカープ一色に染まっていて、まち全体がカープ推し一択だと伝わってくるのでした(支所にもカープタウンの文字がありました)。理由は簡単で、由宇の野球場はカープ二軍の本拠地なわけです。潮風公園へ寄った後に野球場にも行ってみると、この日はソフトバンク戦があるとのことで、入り口に門番のおじさんが立っていて、開門までは中に入れないと。その代わり正面の写真は撮らせてくれました。
旧周東町(岩国市)(2/7)
周東と聞けば、ソフトバンクの周東右京選手。周東選手の出身地といえば、群馬県旧藪塚本町(母校の小学校にのぼりがあった)。って、ストーカーみたいですけど、連想ゲームをすることはありますよね。
この連想ゲームで、よくよく考えてみたら、周東は「周南」の対義語だと気づいたわけです。だからやっぱり、山口県東南部の地名なのだなと。
旧由宇町から長いトンネルを抜けると、旧周東町祖生の美しい山並みと田園風景が現れて、なんて見事な景色だろうと。太い安定した道を走っているときに現れた景色だったので、最初は通過しそうになったわけですが、これは通過してはいけないと、Uターンして写真を撮りました。
その太い道を進むと一度旧玖珂町に入るので、旧玖珂町を少し巡ったあと再び旧周東町へ入り、周東総合支所周辺を巡りました。
旧玖珂町(岩国市)(3/7)
旧玖珂町は、岩国市の旧市町村の中でもかなり小さなまちです。でも、聞いたことのある名前だったのは、玖珂インターや玖珂PAがあったからだと、道中に出会う看板を見ながら再認識しました。でも、そうするとインターやPAがまちの印象になるわけで、今回玖珂総合公園や玖珂支所周辺を訪れてみて、ああ、ここにも暮らしがあるのだなあとしみじみです。総合公園では綺麗な芝でゲートボールが盛り上がっていました。あまり関係ないかもしれないけれど、旅を通してスマブラのステージ並みに、ゲートボールのいろんなコースだけは見てきた気がします。たぶんおじいちゃんおばあちゃんは同じコースでプレーしているけれど、びっくりするぐらいゲートボールにもいろんなコースがあって、ぜんぜん違うと思うんだよなあ。
旧玖珂町は、岩国市の旧市町村の中でもかなり小さなまちです。でも、聞いたことのある名前だったのは、玖珂インターや玖珂PAがあったからだと、道中に出会う看板を見ながら再認識しました。でも、そうするとインターやPAがまちの印象になるわけで、今回玖珂総合公園や玖珂支所周辺を訪れてみて、ああ、ここにも暮らしがあるのだなあとしみじみです。総合公園では綺麗な芝でゲートボールが盛り上がっていました。あまり関係ないかもしれないけれど、旅を通してスマブラのステージ並みに、ゲートボールのいろんなコースだけは見てきた気がします。たぶんおじいちゃんおばあちゃんは同じコースでプレーしているけれど、びっくりするぐらいゲートボールにもいろんなコースがあって、ぜんぜん違うと思うんだよなあ。
旧美川町(岩国市)(4/7)
旧玖珂町から旧美川町までは、そこそこ長い移動です。岩国市街地の手前、錦帯橋の錦川のやや上流部まで向かい、そこからひたすら川沿いをのぼっていく先に、旧美川町は広がっていました。まさに美しい川がそばにあるという意味でしょう。支所は錦川沿いに位置し、その周辺にも山の手前に集落が広がっていましたし、次の旧本郷村へ向かう途中、そこは川沿いではなかったですが、景色がひらけて集落が広がっていました。
旧玖珂町から旧美川町までは、そこそこ長い移動です。岩国市街地の手前、錦帯橋の錦川のやや上流部まで向かい、そこからひたすら川沿いをのぼっていく先に、旧美川町は広がっていました。まさに美しい川がそばにあるという意味でしょう。支所は錦川沿いに位置し、その周辺にも山の手前に集落が広がっていましたし、次の旧本郷村へ向かう途中、そこは川沿いではなかったですが、景色がひらけて集落が広がっていました。
旧本郷村(岩国市)(5/7)
元々旧美和町へ向かう予定だったのですが、看板を見ていると「本郷」の文字があり、地図を確認するとやっぱり本郷を経由すると気づいたので、立ち寄ることにしました。なので、元々6つのまちを巡る予定にしていたのが、7つに変わったのでした。
かつては村だったということですが、市街地のまちなみは整っていて、石州瓦の屋根も多く、とても趣がありました。道中の水田が石積みだったことも印象的でしたし、小さな水路も見ているだけで綺麗で。やっぱり、そうあって欲しいものがそうあると、うれしい気持ちになります。
元々旧美和町へ向かう予定だったのですが、看板を見ていると「本郷」の文字があり、地図を確認するとやっぱり本郷を経由すると気づいたので、立ち寄ることにしました。なので、元々6つのまちを巡る予定にしていたのが、7つに変わったのでした。
かつては村だったということですが、市街地のまちなみは整っていて、石州瓦の屋根も多く、とても趣がありました。道中の水田が石積みだったことも印象的でしたし、小さな水路も見ているだけで綺麗で。やっぱり、そうあって欲しいものがそうあると、うれしい気持ちになります。
旧美和町(岩国市)(6/7)
旧本郷村から南へ下っていき、旧美和町へやってきました。先に訪れた旧美川町では、錦川を中心とした川を感じたけれど、旧美和町は「和」ですし、小盆地で山に囲まれた、里山の雰囲気が広がっていました。美和総合支所の近くにある中学校で野球の練習試合をやっているらしく、ぼくも中学校まで野球部だったので、元気な声が聞こえてくるのがなんだかなつかしい。山も近いですが空も広かったので、のびのびと散策しました。
旧本郷村から南へ下っていき、旧美和町へやってきました。先に訪れた旧美川町では、錦川を中心とした川を感じたけれど、旧美和町は「和」ですし、小盆地で山に囲まれた、里山の雰囲気が広がっていました。美和総合支所の近くにある中学校で野球の練習試合をやっているらしく、ぼくも中学校まで野球部だったので、元気な声が聞こえてくるのがなんだかなつかしい。山も近いですが空も広かったので、のびのびと散策しました。
岩国市(7/7)
さて、最後に岩国市街地まで戻ってきました。前回の市町村一周の旅では、錦帯橋だけ訪れています。なので、昨日から岩国駅の周辺を訪れたのは初めてだったし、その景色も新鮮でした。そして、前回は岩国城にのぼっていなかったので、今回はロープーウェイを利用して、訪問チャレンジしてみます。標高200mほどの山城とのことで、ロープーウェイで山に着くと地上よりも涼しかったです。城は当時とは少し違う形で再建されたものですが、やっぱり直接見れるだけでも嬉しかった。
もう一度地上へ戻ったあとは、錦帯橋を歩きましょうと。さわさわと流れる音がいいなあと思いました。それに遊覧船も運航していて、嵐山みたいだなあと。
さて、最後に岩国市街地まで戻ってきました。前回の市町村一周の旅では、錦帯橋だけ訪れています。なので、昨日から岩国駅の周辺を訪れたのは初めてだったし、その景色も新鮮でした。そして、前回は岩国城にのぼっていなかったので、今回はロープーウェイを利用して、訪問チャレンジしてみます。標高200mほどの山城とのことで、ロープーウェイで山に着くと地上よりも涼しかったです。城は当時とは少し違う形で再建されたものですが、やっぱり直接見れるだけでも嬉しかった。
もう一度地上へ戻ったあとは、錦帯橋を歩きましょうと。さわさわと流れる音がいいなあと思いました。それに遊覧船も運航していて、嵐山みたいだなあと。
というわけで、今日の散策はここまで。岩国市だけの散策ですが、120kmぐらい移動しました。同じ市なのに、すごく広いですし、山間部の暮らしに触れられたことは、すごく嬉しかったなあ。
本日のひとこと
この日のメモの一番下に、「腹が減りすぎてもうだめだ。15時。」とあった。何も食べていなかったんでしょうね。
この日のメモの一番下に、「腹が減りすぎてもうだめだ。15時。」とあった。何も食べていなかったんでしょうね。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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