ふるさとの手帖

市町村一周の旅

広い福岡市内との出会い。【旧市町村一周の旅(福岡県|12月8日〜9日―246~247日目)】

広い福岡市内との出会い。【旧市町村一周の旅(福岡県|12月8日〜9日―246~247日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【81/175】

81/175
46.29%
訪れた旧市町村の数【702/2,094】
702/2094
33.52%
総計【783/2,269】
783/2269
34.51%

スーパーカブの総走行距離
20300km

博多区→東区→南区→中央区→城南区→西区→早良区、の7つ。

広い福岡市内との出会い。(2023年12月8日 (金)〜9日(土)―246〜247日目)

福岡市がどのような街なのか、ほとんど知らなかった。今まで訪れたことのある福岡市内はかなり限定的だったから。天神や中洲も、歩いた記憶がほとんどなくて。

合わせて7つの区がある福岡市を、スーパーカブで少しずつ訪れて行った。150万人以上が暮らす都市だ。公園も住宅地も海も繁華街も、壮大な福岡市の一部にしかすぎない。だから、わかったふりはできない。小さな旅であり、少しだけお邪魔するような気持ちで。

博多区(福岡市)

12月8日。

対馬からフェリーに乗って約4時間、博多港への入港が近づいてきて、博多湾から見える福岡市の景色を眺めていた。海からは山並みが結構見えるのだなあ。高くはないけれど何層にも重なっていた。“摩天楼”はニューヨークのように天に届かんばかりの高い建物を指すけれど、逆光を浴びて中心地の建物が霞んでいる様子は、その摩天楼があるかのようにも思えた。

昼過ぎ、到着した博多港から博多駅まで進む。たった3キロなのに、信号が多くてぜんぜん進まない。ようやく博多駅が正面に現れると、18歳のときにヒッチハイクで九州一周したことを思い出した。9日間で20数台の車に乗せてもらった旅だった。その旅が終わったあと、最後に名前も知らない人に撮ってもらった記念写真の場所が、博多駅だった。あれから10年近くか……。

博多駅の高架橋を越えて、東出口の駐輪場にバイクを停める。櫛田神社を訪れて、中洲方面まで歩いてみることにした。「博多区」という括り方にしてしまっているので、少々いびつな巡り方をしている。中洲はぎりぎり博多区で、天神は中央区だから。

対馬から、博多へ。
福岡が見えてきた。

下船だ。
若い女性がたくさんいた。

とにかく、歩く。

櫛田神社へ。

お昼なので、中洲も屋台は出ていなかった。

東区(福岡市)

博多区からどちらかというと北進するような形で、東区へ入っていく。東区はとても広い。東区役所は博多駅と4キロほどしか離れていないけれど、ぐるっと北西に進んで博多湾を北から見渡せる志賀島もある。
 
まずは筥崎宮に向かうことにした。博多から筥崎宮も近い。ただ、近いとはいえ、少しずつ左右の景色が住宅街メインに変わっていった。大きな神社が福岡にはいくつもあるのだなあと、新しい発見だった。それから東区役所の周辺を巡ったあと、散策を切り上げて久山町に向かい、知り合いの方々のお家で夕食をご馳走に。久山町に向かう途中、蒲田の交差点からは山の裾野に広がる住宅街が見えて、郊外の景色だなあと感じられた。
 
翌日。志賀島の手前にある、海の中道海浜公園を目指した。公園が開園前だったので、開園を待つか迷って、踵を返してしまったものの、途中の景色は千葉のような感じがして新鮮だった。電車も志賀島の近くまで延びていて、地図で見てもここまで電車が通っているのだと驚かされる。
筥崎宮へ。
立派な社殿だ。
東区役所。
久山町にて。知り合いの先輩ご夫婦に、もつ鍋をご馳走になったり。
翌朝、海の中道海浜公園。
電車も通っていた。

南区(福岡市)

東区から南区へやって来た。どこへ訪れるか迷って、南区役所がすぐそばにある、大橋駅周辺を散策することにした。
 
南区役所から大橋駅周辺をぐるっと歩いて感じたのは、雰囲気が東京っぽいことだ。といっても、東京も広いわけで、具体的に言うと江戸川区の都営新宿線あたりが脳裏に浮かんだ。それを、悪い意味で言うつもりは毛頭ない。駅周辺の雰囲気が、ただそのあたりっぽかった。不動産会社の人が駅前で売り込みをしていたり、パチンコ屋さんに行列ができていたり(これもまた、悪く言うつもりはない)。
 
天神に電車で10分足らずで行ける利便性があって、十分な生活環境が整っている。そうした住みやすい街の発展の仕方は、同じ日本であれば何パターンかある中の……、と多少は似るのかもしれない、と思ったのだ。まだ大阪や名古屋の区を巡っていないので、根拠もないけれど。それに、次の中央区へ移動しているときに通り過ぎた隣の高宮駅は、横浜の青葉区に似ていると思った。
南区へ。
南区役所。マンションが同じ敷地に建っていた。
大橋駅。
キッチンカーも並んでいた。

中央区(福岡市)

次にやって来たのは、中央区だ。最初に向かったのは大濠公園。大濠公園に到着する直前、福岡大学附属大濠中学校・高等学校を見つけて、なるほどと。なるほど、の中身はただの野球好きなので、オリックスの山下舜平大投手はここで育ったのか、ということであるが、それはさておき、大濠公園に着くと、赤い旗を持った人たちがいて、池を周回できる遊歩道の半分が駅伝のコースになっていた。高校の新人駅伝のようで、「〇〇高校ファイト!」と沿道の応援もある。大濠公園で駅伝大会もあるのだなあと、新鮮だった。

 

そのまま歩いて六本松へ。「您好!朋友」という中華料理屋に行きたくて、昼の営業時間が始まるまで、蔦屋書店で本を見て回る。ハマってしまった本があり、買ってしまった。荷物を増やしてしまうのは致命傷なのに。

「您好!朋友」は人気の中華料理屋だ。店内の赤い壁には著名人のサインがずらりと飾られている。一度来たことがあって、ここだけは外せない! と今回も思ったのだった。麻婆定食を食べて、汗だくになってしまい、レジに行くと当たり前のようにティッシュを渡してくださった。

大濠公園へ。

六本松駅周辺。
青陵の街、なんだ。

您好!朋友。すぐ満席になった。

城南区(福岡市)

中央区の天神には夜に訪れるとして、昼間のうちに次へ進んでいく。やって来たのは城南区だ。城南区役所は六本松駅からも近く、少しだけ繁華街から離れた住宅団地という感じだった。
 
その後、油山片江展望台まで、油山を登っていった。展望台からは福岡の景色を一望できた。東西に都市高速が通り、そのほかの土地もビルやマンションで隙間なく覆われている。正面に見える山は鴻巣山だろうか。もちろん海も見える。でも、北九州の皿倉山や高塔山から見える景色とは、当然だがぜんぜん違うなあと思った。北九州は景色に強弱があるように感じられたけれど、福岡は比較的シンプルかもしれない。
城南区役所近く。
城南区役所。

油山片江展望台へ。
大都市がぎゅっと詰まっている。

また、街に戻ってきて。

西区(福岡市)

宿が早良区だったので、先に早良区を通り越して西区まで向かう。西区もピンキリの広さだなあと思って、どこへ行ってみようか考えた末、九大学研都市駅の周辺と、生の松原の元寇防塁を目指してみることに。
 
九州大学の伊都キャンパスに一度行ったことがある。でも、10年近く前なので、あまり覚えていないし、どう変化があったのかもわからない。ただ、九大学研都市駅周辺は新しいマンションも多く、人がどんどん住み始めているような感じだった。子供もたくさん見かけたし、大学生の街だけではないんじゃないかな。
 
元寇防塁は、生の松原に限らず博多湾一帯に残されている。二度、もしくは三度襲来したとされる、元軍からの攻撃を守るためにつくられた防御壁だ。
 
松原から見る海が美しく、能古島も見えて、ヨットがたくさん浮かんでいた。瀬戸内海とは違うけれど島々が見える、穏やかな博多湾。福岡を巡って、海がずいぶん身近になったなあと思う。そして、元寇防塁もごく自然に残されていた。元寇の襲来は13世紀の鎌倉時代の話だけれど、7世紀の対馬をはじめとする国防、13世紀の元寇に対する国防、16世紀の朝鮮出兵と、九州北部は海外に対して緊張感を持って過ごした、たいへんな土地だったのだなあと。
西区へ。
九大学研都市駅。
生の松原。
海も見えてきた。
元寇防塁だ。
高さは2.5メートルある。
翌朝、糸島に向かう途中で撮った。

早良区(福岡市)

最後にやって来たのは早良区。南北に縦長い地形をしている。最初に福岡タワーの展望台に行ってみようと向かったわけだが、バイクの駐輪場をうまく見つけられなくて、パスすることに。TNC(テレビ西日本)や、RKB毎日放送といったテレビ局も同じエリアに建っていて、お台場みたいな雰囲気があった。元寇防塁の跡地がこのエリアよりも内陸部にあったので、埋立地なのね、とも。
 
その後、早良総守護の紅葉八幡宮を訪れて、西新駅周辺を散策した。紅葉八幡宮からは地域に開かれた明るい気配を感じる。訪れている人も明るく見えた。西新駅近くの商店街は、歩道の真ん中で露店をしている人たちもいて、西新らしさを感じたというか。地元が早良区の先輩が、「天神まで行かずに、西新でよく飲んでたなあ」と言っていて、その居心地の良さもわかるような気がした。
早良区へ。
早良区役所。
紅葉八幡宮へ。
市街地を見渡す。
左の塔が福岡タワー。
西新周辺。
いい雰囲気だったなあ。

夜に、天神の屋台へ。

早良区でカブを停めてチェックインしたのち、シャワーを浴びて着替えて、天神へ向かった。着替えるといっても、旅の泥臭さが、僅かに回復するだけだけれど。
 
地下鉄に乗って天神へ向かう。改札を出てほぼ土地勘がないので、とりあえずみんなが向かっている方向についていくと、ああ、なるほど、巨大なイルミネーション群が現れた。人がどんどん、天神中央公園に吸い込まれていく。すごい人の数だ。そうか、今日は土曜日だったか。などと、最初は好奇心でたのしかったけれど、徐々にひとりでイルミネーションを歩いていることが切なくなり、まもなく離れる。
 
やがて、天神の屋台が並んでいるエリアに移動した。ああ、ほんとうに屋台がある、なんてことを思った。でも、まだ準備中のところが多かったので、怒られなさそうな場所で読書して、頃合いかなというタイミングで同じ場所に戻った。
 
すると、もうほぼ満席じゃないか。しまった、遅すぎたかな、とりあえず暖簾をくぐってみる? と、くぐってみる。あ、お店の人に気づかれていない、サッと戻す。しまった、これ以上同じ動作はできんぞ、どうする、と狼狽えていたところで、女将さんがちょうど近くに回ってきたので、「今、入れますか?」と尋ねると、「ここでしたらいいですよ〜」と端の席を用意してくれた。やった! 人生で初めての、天神屋台だった。
 
おそらく常連さんもいて、大将たちと明るく会話をしている。明らかに観光客であろうグループもいたけれど、すでに場の中に溶け込んでおり、どう過ごしてもたのしくなりそうな雰囲気だ。
 
ぼくは挙動不審にならないように、メニューをザッと見て、長居しすぎないように、焼き鳥やサイドメニューのおつまみ系ではなく、王道っぽく見えたおでんセットとラーメンを注文した。
 
暖簾をくぐった先にある夜灯りの世界で、美味しいご飯を食べられてすごくたのしかった。お酒も注文せず、初心者の過ごし方しかできていなかっただろうけれど、でも、ちょっとだけ新しい階段を登ったような、ささやかな満足感があった。
 
食べ終えそうなとき、大将が「どこからお越しで?」と聞いてくださった。
 
岡山から来たと返事をすると、ほかのお客さんがどこから来たか、順番に話を回してくださる。優しい大将だ。そして、隣のお父さんと娘さんの二人組が、同郷の岡山県です、となって、おお! となった。同郷はうれしい。あるあるの展開だが、そこからぼくが「岡山のどちらで……?」と聞いてみた。たいていは岡山市のことが多い。でも、そのお二人は「倉敷です」となって、同じだった。もう一段階、同郷が近づいた。深掘りするか迷ったけれど、せっかくなので、「倉敷のどちらですか? ぼくは倉敷の◯△小学校なんですけれど……」というと、娘さんの目がパッと反応して、「私も◯△小学校です…!」と。
 
小中学校が一緒だった。倉敷市も一応、人口40万人を越える中核市なので、小中学校まで一緒だった人が、偶然入った天神の屋台の、まさか隣の席にいるなんて、思わないじゃないですか。
 
初めての屋台で、すごくいい思い出ができたのだった。お腹いっぱいのくせに、もう少しお父さんと娘さんと話したくて、何食わぬ顔でラーメンの替え玉を頼んだけれど、気配りの効く大将のことだから、素知らぬ表情で替え玉を作ってくれながら、きっとその腹づもりもバレバレだったのだろうなあ。

というわけで、今日の散策はここまで。いつも思う法則だけれど、その街を巡ると、その街が好きになっていく。福岡にまた、訪れたい気持ちが増していった。

本日のひとこと
大濠公園で、マラソン好きなら誰でも知っている、現役のランナーが走っていた。市民の方々も、そのことを知っているようだった。とてもかっこよかった。
(終わり。次回へ続きます)

<旅を応援してくださる方々へ&関連ページ>

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旅についての心境を、週に一度日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。

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旧市町村で気になったまちのことについて、月に一度まとめています。本文は『戸籍時報』でも連載中です。

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トレンドニュースサイトのSTRAIGHT PRESS(ストレートプレス )にて、旧市町村をひとつずつまとめた記事を連載中です。

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