今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【74/175】
訪れた旧市町村の数【692/2,094】 総計【766/2,269】スーパーカブの総走行距離
19870km
目次
北原白秋のふるさと、水郷柳川へ。(2023年12月4日(月)―242日目)
8時に出発。肌寒い朝も、雲ひとつない快晴の空を見ていれば、うれしくなるばかりで、疲れなんてへっちゃらだ。久留米市街地へ向かう車線が、かわいそうなぐらい渋滞している中、反対方向のみやま市へ進んでいく。朝、軽トラックや長距離トラックの助手席に高校生が座っていた。この日常が長く続くようであっという間なんだろうな。日常はさりげなくて美しい。
旧瀬高町(みやま市)
矢部川を渡って、旧瀬高町の市街地へやってきた。最初に向かったのは「長田鉱泉場」。住宅街の中にポンと現れたレトロな外観の中に、蛇口が用意されていた。名前の通り、温泉水を取水できる場で、実際に飲んでみると「なんだこれは!」炭酸のようで、でも、味はない……これは塩気なのか……? と、独特の鉱泉水を味わった。
みやま市役所の周辺には、「あいさつ日本一」と書かれたのぼりがあって、市役所の近くで「おはようございます〜」と、東京なら絶対に素通りするであろう、出勤途中の30歳ぐらいの男性が、ごく自然に挨拶をしてくださった。すごくうれしかった。みやま市いいな、挨拶いいな。
旧山川町(みやま市)
JAの山川支店を通り過ぎようとしていたところ、思わずストップ、ストップ。JAの前にみかんの大きなオブジェがあったのだ。さらに、よく見ると奥に人だかりができていて、行ってみるとみかんの詰め放題をやっていた。地元の方々で賑わっている。今はみかんの時期とぴったりだ。JAの建物内では機械がガシガシ動いていて、箱詰めもジャンジャン行われているようだった。
10時を過ぎても月が出ていた。高速道路も近く、緩やかに山に囲まれた地形だった。
旧高田町(みやま市)
旧山川町から西へ7キロ移動し、旧高田町を訪れた。高田濃施山公園に向かうと水がきれいで、小さな滝から流れ出る音が心地いい。展望台まで行って、市街地を見渡すこともできた。その反対側に見える、山並みと茶色い木々の景色も見事で。
旧大和町(柳川市)
元々、矢部川を渡ってすぐにある、西鉄中島駅に行ってみようかなと思っていたところ、矢部川沿いにいくつもの漁船が停泊していて、その光景に心を奪われた。さらに、人の気配を感じ取って、駅ではなく気になる方へ進むことに。
すると、地元のおじいちゃんおばあちゃんたちを中心に、朝市がひらかれていた。茶色のタイルの細い路地に、魚や野菜を売る人たちがいて、「お疲れさまー!」「またねー!」と明るい声が聞こえてくる。色鮮やかなタイムスリップ先にいるみたいだった。
お魚を売っていたおばあさんと挨拶をして、「あんたどこから来たとね?」と話しかけてくれて、いろいろぼくも聞いてみた。さっきの矢部川沿いで見た船は、有明海に出ていく海苔の養殖船だとも教わった。
「これ、エビの刺身だから、そのまま食べて」
と、お代は断られたまま、エビの殻をむいてくださった。ひんやりした食感が口のなかで広がって、噛むと甘みが広がって最高だった。うれしいなあ、おばあさんありがとう! 思い出ができました。
柳川市〜散策編〜
いよいよ、柳川市街地へやって来た。最初に向かったのは、町中に位置する「うなぎ料理 若松屋」だ。ずみママ(@zumichans)に、「柳川に来たら、うなぎよ!」と教えてもらっていたのだ。
若松屋さんで整理番号をゲット。3組待ちだ。ほどなく呼ばれて席に向かうと、ひとり席も用意されていた。
早速メニューを拝見。
「上鰻せいろ蒸し」……3,930円
「蒲焼定食(竹)」……3,600円
洗濯が10回できる……。銭湯に5回は入れる……。と、やましい考えがよぎる。
しかし、その先に鰻があるのだ。
4000円ぐらい、飛んでいけ!
と、上鰻せいろ蒸しを、あたりまえですよというような顔で注文したのだった。
そして、ついにやってきた朱色の木箱。蓋をひらくと、直視できない眩さがあった。まだじぶんには早いと思いながら、父と母と兄にごめんと思いながら、ひと思いにいただいた。
鰻を支えるご飯はまんべんなくタレが絡まっていてたまらない。鰻はせいろで蒸されているので、ふっくらと柔らかで……みたいなことはわからないまま、ひたすらに「うまい……ああ、4切れが無くなってしまう……」と、頭が空っぽのまま、味わったのだった。
食べている間、隣に外国の方がやってきて、メニューを店員さんに尋ねていた。
「セイロ イズ スチーム。カバヤキ イズ バーベキュー!」
と店員さんが説明していて、なるほどなあと。せいろ蒸しは、ひと手間かかっているのだ。
次に向かったのは、柳川藩主立花邸。1000円を支払って、邸内を散策した。柳川を最初に治めたのは田中吉政、それ以降は立花宗茂を藩祖とし、明治維新に至るまで立花家が治めている。立花宗茂から400年、立花家がずっと治めていたことは、すごいことだなあと思う。資料を見る中でも、宗茂が人徳者だったという記載が多くて、実際にそうなのだとしたら、立花家の藩祖の意志が、引き継がれている気がする。
福岡の旅で出会った、筑豊御三家の安川敬一郎も、秋月藩を治めた黒田長興も、そして立花宗茂も、大きなポジションに就く最初の人物が人徳者だ。権力のある立場で、それをどのようにして生きるのか。そこに民衆の幸せも大きく関わっていると、ぼくは感じてならない。
そして、北原白秋の生家と記念館にも訪れた。記念館で19分間の映像を見て、白秋の生涯に触れる。邪宗門をはじめとした鮮烈な作品を残した一方で、貧しい生活も短くなかったこと。故郷柳川が詩歌の原点だとして、いよいよ故郷に戻った際、熱い歓迎を受けたこと。今でも柳川では白秋の命日を偲び、水上パレードの白秋祭がひらかれている。やっぱり、偉大な人物だ。
旧三橋町(柳川市)
時間も限られていたので、船は迷っていたけれど、旧三橋町の松月乗船場で、ちょうど乗船の時間と重なったので、川下りの船に初めて乗った。北原白秋の映像を見たときに、船に乗りたい気持ちも人一倍強くなっていたから、ものすごくいいタイミングだった。乗り場は旧三橋町で、そこから堀割に入っていくと、柳川市に入るので、写真は分けることにする。
1時間ほどの川下りの後、立花邸で降りてもう一度松月乗船場に戻り、三柱神社へ参拝し、三橋庁舎辺りを散策した。
柳川市〜川下り編〜
初めての川下り。冬だからこたつ船になっていた。韓国や台湾のお客さんが数人、半分が日本人といった具合で、船頭さんは陽気なおじさんだ。歌を歌ってくれたり、ダジャレを挟んでくれたり、もちろん柳川のまちのことを教えてくれた。賑やかで楽しい時間だった。「あれは北原白秋先生の弟子、宮柊二の歌碑です」という紹介があったときは、「魚沼市で、宮柊二記念館に行ったなあ!」と小さな話がつながってうれしくなった。
やっぱり、川から見る景色はまた違っていて、刹那的な時間だ。
というわけで、今日の散策はここまで。このあと柳川市から福岡市街地まで移動して、夜を迎えました。カブなので2時間半ぐらいかかったかな。明日は午前中の船に乗って、壱岐島へ向かう予定です。
園児さんがお出かけしている姿ってよく見かけるけれど、柳川で先生たちと一緒に5人の園児が川釣りをしていた。釣りは初めて見た。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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