今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【74/175】
訪れた旧市町村の数【680/2,094】 総計【754/2,269】目次
我を忘れし耳納連山の風景から。(2023年12月2日(土)―240日目)
朝6時半前に久留米市を出発して、うきは市を目指した。まだ薄暗いオレンジ色の空で、山の稜線も市街地の大仏も歩いている人も、シルエットのまま見える。そして東の空に向かって進んでいくことがまた嬉しい。
徐々に明るさが増し、やがて正面に朝焼けが現れたとき、ああ、美しいなあー! と、声が漏れた。ひとりで、誰かに伝えるわけでもなく。7時を過ぎると今度は雲が焼けて、耳納連山が特別な山に見えた。
旧浮羽町(うきは市)
浮羽稲荷神社にやって来た。昨日、東峰村から久留米市へ移動している途中、「斜面に鳥居がいっぱいあるな」と思いながら通り過ぎた神社が、この浮羽稲荷神社だと訪れてみて分かった。耳納連山の急坂を登って社殿を目指す。道中の斜面には富有柿の畑が一面に広がっていて、その姿も美しい。柿畑って今まで見たことがなかった。朝倉や久留米やうきはに広がっている柿畑は、みかん畑と違って葉もオレンジ色だから、景色全体が同じ色に染まるのだ。
浮羽稲荷神社は小高い場所に位置しているので、うきは市の市街地を一望できた。うっすらと霧が市街地を包んでいて、東峰村の方角は山が近いので濃くなっている。そこに、朝日が届き始めた。今日、朝一番でこんなに美しい景色に出会えるなんて、直塚大成さんのおかげだと思った。久留米市で15時に待ち合わせをしていて、その時間に合わせるためにこのルートを選んだから。ありがとう直塚さん、と思った。
旧吉井町(うきは市)
旧浮羽町から3キロほど移動して、旧吉井町にやって来た。もしうきは市のイメージが白壁の町並みなら、それは旧吉井町にある。ぼくも、「ああ、白壁の町並みは、旧浮羽町の方ではなくて、旧吉井町にあるんだ」と思ったわけだけれど。
バイクを停めて徒歩で散策した。最初は白壁の町並みとは反対の方角へ。落ち着いた住宅街が広がっていて、昔ながらの建物ではなくても心地良い。中学校のグラウンドから朝練の声が響いていた。
白壁の町並みへ進む。電線がおそらく地中化されていて、道幅以上に空が広く感じられた。まだ朝早いので観光客もいない、静かで美しい時間。今は観光地として認知されているかもしれないけれど、雰囲気そのものには飾り気がなく、それが居心地の良さなのかもしれないと思った。等身大の暮らしのままで。
9時を過ぎて、日差しにようやく温もりが。「あったかい!」ありがとうお日様。3日ぶりぐらいの太陽で、この3日間ずっと寒かったから。太陽の熱ってこんなに温かいんだと。
旧田主丸町(久留米市)
旧田主丸町に入る。田主丸大塚古墳に行ってみると、周辺部も綺麗に整備されていて、大きな古墳と、その中央部に立派な木が鎮座していた。まもなく山苞(やまづと)の道へ向かった。耳納連山の麓を通る農免道路で、耳納連山の山並みと筑後平野の景色を一望できる、とても贅沢な道だった。
山苞の駅(東屋)があって、トイレに立ち寄るとおばさんがちょうど掃除をしていた。目が合って、あっと思ったが、おばさんの「よかよ」のひと言に、ズキュンとなった。「よかよ」の言葉に、信じられないぐらいの優しさがあった。田主丸は優しいまちだって、勝手にそう思っちゃった。だってあんなに優しい「よかよ」、ふつうは言えないもの。
旧北野町(久留米市)
次に旧北野町へ向かった。筑後川を挟んだ工事中の赤い橋を渡るとまずは大刀洗町に入り、それから川沿いに西へ進んでいく。旧北野町の市街地は道もカーブが多かったり、戸建ての家も多かったり、昔ながらの町という感じだ。そして、北野天満宮があって訪れてみた。敷地も広くて堂々たる神社。天満宮の通りには、昔ながらの石畳の建物もあった。
あと、福岡の旅で初めて西鉄の電車を近くで見た。アイスグリーンの車両が妙に印象に残る。
旧三潴町(久留米市)
旧北野町から、久留米市の高良大社に向かったのだけれど、紹介がバラバラになるので、その次に向かった旧三潴(みづま)町から先に。
旧三潴町は久留米市よりも西側に位置している。筑後川沿いで平野が広がっており、まちの雰囲気は利根川沿いの千葉や茨城と似ているかもしれないなあと思った。川沿いの平野部という感じで。
「水沼の里2000年記念の森」を訪れてみる。周囲を木々に囲まれた広場がとーっても広くて、家族連れが過ごす穏やかな土曜日がそこにはあった。なんて平和な時間だろうと。
旧城島町(久留米市)
旧三潴町から数キロ西に進んで、旧城島町へやって来た。古い町並みもところどころ残っていた。そこだけ切り取ってしまうと、それが町全体の印象のようになってしまうから違うのだと言いたいけれど、でも、残っていた町並みにはすごく味があって。
町民の森を訪れてみると、子どもたちが楽しげに過ごしている。穏やかな住宅地、何の変哲もないかもしれないけれど、それでいいし、それがいい。のびのびとした時間が広がっていた。
久留米市
久留米市では最初に高良大社へ向かった。事前のリサーチ不足で、昨日も場所だけは確認していたので、すぐに着くと思っていたら、まさか高良山をひたすらに登り、標高の高い場所にある神社だとは。ただ、ようやく神社に着いてさらに急な石段を登ると、久留米市の市街地を一望することができた。景色はとにかく圧巻で、晴れた日にここに来れたことを嬉しく思うばかりだった。
15時に直塚さんと待ち合わせがあって、それに間に合うように水天宮とJR久留米駅、西鉄久留米駅を少しだけ訪れる。お互いの久留米駅は市街地にありながら、2キロぐらい離れている。
筑後川沿いの水天宮に向かう途中、筑後川の青色が、森林の中の湖みたいに一際深く輝いていた。そして、川岸から眺める市街地の栄えた様子は、信濃川のそばに広がる長岡市の市街地とよく似ていると思った。
その後、久留米駅に一瞬立ち寄って、待ち合わせ先の西鉄久留米駅へ。高架線の上を電車が走り、ホテルが立ち並び、広いロータリーがある。東京23区の駅とあまり変わらない印象で、大きな駅だと感じられた。
直塚さんたちと。
その後、西鉄久留米駅から商店街に入り、喫茶店で直塚大成さん(@taisei_box0214)と初めてお会いした。直塚さんは先に席でぼくの写真集を読んで待ってくれていて、写真集だから高くて申し訳ないという気持ちと、心配りへのありがたさが混ざり合う。
直塚さんは、12月22日に田中泰延さんと共著の『「書く力」の教室』(SBクリエイティブ)を出版する。ベストセラーライターの田中泰延さんが、直塚さんに「ライターとして生きていく術」を伝授していくという本だ。共著者を募集する際に、お題として出された北条政子のエッセイを読めば、直塚さんの素直でかっこいい人柄がギュンギュン伝わってくるけれど、さらにこの企画を通して、きっとたくさんの新しい景色と出会ったんじゃないかな。なーんてことを、直接会って聞くのは、ずいぶん野暮なことだとはわかっていながら、年齢が近いこともあって、いろいろ尋ねてしまったのだった。忙しい中、はるばる久留米まで来てくれてありがとう。本の発売、楽しみにしています。ぼくも学ばなきゃ。
というわけで、今日の散策はここまで。直塚さんとお会いしたあと、市区町村一周の旅を終えたみとりっぷさんとお会いした。彼はぼくの市町村一周の旅を知ってくれたのち、同じ旅を志し、つい先日、その長い旅を完遂させた青年だ。
少なからず、大げさに言うつもりはないけれど、同じ旅に取り組んでくれた点で、ぼくは彼の人生に影響を与えてしまっている。ぼくのせいで長い旅をさせてしまったとも言える。だから、「こんな旅をさせやがって!」と言われてしまう可能性だってあるわけだけれど、「旅のおかげでいろんな経験ができた」と話してくれて、すごくホッとした。身の回りにある食べものも当たり前じゃないって、この旅を続けるために住み込みバイトをして感じたのだと話していたことも、印象的だった。そうだね、食べ物があるって、とてもありがたいことだ。ほんとうに長旅お疲れ様でした。
うきは市で通り過ぎた散髪屋さんが、朝8時前からお客さんの髪を切っていて、はやっ! と思って営業時間を見たら、朝7時半開店だった。はやっ!
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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