今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【59/175】
訪れた旧市町村の数【480/2,093】 総計【539/2,268】スーパーカブの総走行距離
14850km
千秋花火で触れる秋田の空気と。(2023年9月16日(土)―163日目))
秋田市から徐々に行動範囲を広げていく。男鹿半島よりも北上して、三種町へ向かった。さらにはUターンして秋田市をめぐることが、今日の目標だ。
夕方は、秋田県立美術館に展示を見に行こうと思っていた。すると、ふつうとは違う人の多さと空気を感じる。やがてたどり着く直前で通行止めに。美術館とほぼ同じ場所にある千秋公園で、花火大会があったのだ。
それからはもう、花火大会を観るでしょう。そうした偶然が、旅の思い出に変わっていく。
旧八竜町(三種町)
最初に訪れたのは、旧八竜町だ。釜谷浜海水浴場へ行くと、家族連れが釣りをたのしんでいたり、裸足で子どもと一緒に浅瀬であそんだり、土曜日のおだやかな時間が流れていた。砂浜には巨大な風力発電のタービンも並んでいる。北海道でもタービンを見かけることは多かったけれど、秋田県でも日本海沿いを中心に、多く見かける。男鹿市に「寒風山」という山があるぐらいだから、冬は風がつよいのだろうなあ。
旧山本町(三種町)
次に訪れたのは、旧山本町。この辺りは「山本郡」と呼ばれていて、山本が地名として存在している。中心街の森岳地域を歩いていると、「森岳歌舞伎」と書かれたのぼりが並んでいた。町指定無形民俗文化財に指定されていて、明日、奉納歌舞伎が行われるそうだ。地域に根付いた歌舞伎、細く長く、残っていくといいな。お祭りと同じだもの。
旧琴丘町(三種町)
ひとつの地域に限らずかもしれないけれど、旧琴丘町のまちなかを歩いているとき、「戸建がおおきいなあ!」と思った。日本家屋の形でおおきな家だったら、地主かなあとか、地域の有力者かなあとか想像もできる。でも、ふつうの今の時代にある一軒家で、自分がミニチュアになったみたいに感じられるおおきさなのだ。このサイズが東京の戸建で建っていたら、相当な迫力があるんじゃないか、という家がいくつか並んでいたのだった。
市街地からも近い野球場に行くと、東北の大学による試合が行われていた。ウグイス嬢もいて、ほかのチームもウォーミングアップをしているから、リーグ戦なのだろう。調べてみたら、北東北大学の2部リーグの試合だった。
旧河辺町(秋田市)
今度は南下して、秋田市内をめぐることにした。一度北上しているのだから、そのまま進んでもいい。でも、安く泊まれるところを優先すると、秋田市の方が条件がいいから、そういうルートになってしまう感じだ。
旧河辺町の岩見三内地域を歩いてみることに。道中、いくつか川を通った。雨量もないし川の水も透き通っていて、ふつうに見ていたら心休まる風景だけれど、橋に大木が引っ掛かっている景色を何度か見た。7月の水害で、この川は氾濫したわけじゃなくても、増水した状況だったのかもしれない……。想像するだけなんて、ずるいなあと、自分に対して思いながら。
旧雄和町(秋田市)
旧河辺町から、国際教養大学、秋田空港の近くを通って、旧雄和町へ向かう。旧雄和町のすぐそばを流れるのは、雄物川だ。秋田の旧町名にはいくつか「雄」が付けられた名前があるから、いかに雄物川の存在が大きいか。
そして、秋田国際ダリア園に行ってみた。ダリア園はまさに、ダリアのための花園だった。広々とした畑に均等にダリアが植えられている。観賞用だけでもなく、販売もあるらしい。丘の上に佇むレストランの景色も非日常的だし、ちょうど西日が差し込み始めた頃で、光に照らされたダリアは輝いていた。
秋田市
秋田市で秋田県立美術館に行きたいと思ったのは、旅をしつづけた画家による展示があったからだった。旅で何を感じ、何を描いたのだろう。すこしでも触れてみたくて。でも、結果的には別の旅が待っていた。美術館に着く直前で人の数がぼわんと増えて、通行止めの看板が。看板には「千秋花火のため」と書かれてある。そして、日付が今日だった。
「花火大会か!」
と、その場で気づく間抜けっぷりだ。
それでも、通行止めを回避しようと左折を繰り返していたら、目の前に駐輪場を見つけた。あれ、停めてもいいのかな。監視員のおじさんに聞いてみたら、「停めていいですよ。無料です!」と。うわあ、ツイてるなあ。おじさんに花火大会についても聞いてみた。
「秋田市では花火大会、今日が最後ですね」
そうか。今日は花火大会を見るために、秋田市に戻って来たのだなあ。と、自由な解釈で。
千秋公園の正面には地元の方々がすでにたくさん集まっていた。閉鎖された道路が観客席に代わっている。有料席もあるみたいだけれど、道路は自由席のようで、みなさんがシートとかで場所取りをしている。でも、騒ぎ立てている人なんていない。むしろ静かだ。県民性なのかな。
いよいよ花火大会がはじまるとき、竿燈を持った人たちがやって来た。竿燈のパフォーマンスだ。軽やかな囃子のリズムに合わせて、竿を手に乗せ肩に乗せ、倒れそうで倒れない竿が大きくしなる。広がる温かな拍手。8月の竿燈祭りは行きたかったけれど行けなかったお祭りだった。直接見るのも初めてで、それだけでもうれしくなる。
市街地での花火大会なので、最初のアナウンスで「大きな花火は打ち上げられないのです」と放送があった。でも、「そのぶん趣向を凝らしています」と。いざ始まると、右手から程よい大きさの花火がゆったりとしたテンポで上がる。期待以上でも期待以下でもない、良い花火。と、多くの人は思ったのではないだろうか。しかし、花火師さんたちからすれば、その反応まで計算済みだったんじゃないかな。
「ドドーン!!!」
突然左手から、しかも堀の低い位置から、ロケットのような花火が轟音と共におでましだ。ビックリするしかないような音と迫力である。そうか、大きな花火だけじゃなくて、低い花火だからこそ魅せられるやり方もあるわけだなあ。
ストーリー仕立ての花火もあったし、最後は自衛隊の楽器隊で、秋田県民歌が生演奏される。「みなさんもよかったら歌ってくださいね」どうやら、地元の方は、ほとんどの人が歌えるらしい。隣にいたのは高校生だったけれど、「誰でも歌えますよ!なんならハモれます」と教えてくれた。地元の誇れる歌があるって、素晴らしいことだなあ。
一連の華やかな夜を通して、「水害」と「復興」のことばも何度も出た。“花火で希望の花を咲かせよう”、“応援のエールを送ろう”、“まだまだ復旧途中です”と。ここにあるハレじゃない日常も、多くの人が経験している。
今日、1日でも日程が違っていたら、別のまちに行っていたら、秋田市の違う場所を巡っていたら、花火大会には出会わなかった。それはちょっとした、ぼくにとっても救いだった。
というわけで、今日の散策はここまで。秋田県の旅を、明日も続けていきましょう。
今日は、星野道夫さんの言葉が思い浮かびました。
「バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた」(旅をする木|より)
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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