旅メーター
全ての駅を訪れた23区の数【0/23】
広尾で出会った住職さん。
日比谷線・広尾駅で乗り降りする人々をぼんやり見ながら、どんな世界が広がっているのだろうと想像したことがある。そうは言っても、降りたことは一度もなかった。いつかは歩いてみたいと思っていたが、早速今日だとは思いもしなかった。しかし、有栖川公園から広尾駅はとても近いから、行ってみることにした。
広尾駅のある広い道路に出て、地図を見ると、どうやら商店街のような通りがある。その先にいくつかお寺があるらしい。ぼくはひとまず目的地をお寺に定めた。商店街の通りは広尾散歩通りと呼ばれていて、まだ朝早いのでいたって静かだ。散歩通りの突き当たりがお寺の門だった。門をくぐる。すぐ右手に別の門が見えて、ここがまずお寺だろうかと入ってみた。お寺のような建物はあるが、参拝するような場所はない。行き止まりかな。もう一度地図を確かめようとしたとき、その建物の扉がガラガラと開いて、中年の男性が出てきた。
扉から出てきた男性は身軽な運動服で、お寺の人かも分からなかったけれど、「ここはお寺でしょうか?」と尋ねてみた。男性は、君は誰だい、と一度舐めるようにじっとぼくを見て、おそらく変な人ではないだろうと認識してくれたようで、「お寺だけど、参拝はできないんだ」と言った。そしてそのままこっちだよと反対の方角へ案内してくれた。一緒に歩く男性の横顔は、ほとばしるような輝かしい表情をしていて、「私はね、さっきの場所で座禅をしていたんです」と教えてくれた。普段、さきほどの東江寺と呼ばれるお寺の門は閉まっているらしいが、座禅をする人向けに開いていたらしい。「座禅、どうでしたか?」と素直に聞いてみると、「それはもうね、スカァーっと!青空みたいでね。スッキリですよ。」と話してくれた表情は迷いが一切なかった。
男性は「香林院」というお寺の前に案内してくれて、ここでお別れをした。香林院にも立派な門が建っていて、門の前ではグレーの作務衣を着た住職らしい方が、掃除をしている。まず門の前に設置された看板を読むと、ここには茶室があるらしかった。ただ、この辺りに複数のお寺があることや、門の先を覗いてもやはり参拝できる場所がなさそうなこと。お寺に入って良いのかも分からず、住職さんにすみませんと挨拶をして、お寺について話を聞いてみることにした。
「この辺りにはお寺が4つあるんです。黒田家とつながりがあるんですよ。黒田長政公の弔いとして建てられたのが、いちばん奥にある祥雲寺。長政の父親は、大河に出る黒田官兵衛ね。黒田家は九州の人だけど、江戸にもお寺を持ったわけで、それがこの場所なわけです。」
という話だったはずだ。そのような場所が、高級住宅街と呼ばれる広尾にあったんだ。そういう反応をして住職さんに返事をすると、やれやれ、という素ぶりだったかは分からないけれど、また詳しく教えてくれた。
「広尾って、元々は門前町でした。お寺が先にあって、商店街もあとからできたわけです。1964年に東京オリンピックで日比谷線が開通して、広尾駅が出来て以降、街らしくなったというかね。それまでは結構田舎だったんだけどねえ。聞いた話だけど、昭和30年代はこの寺に近くに牧場があったそうです。」
調べてみると、確かに明治20年から昭和60年まで、お寺のすぐ近くに牧場があった。ちょうどバブル経済がはじまる頃に牧場がなくなったのは、きっと時代の流れも関係していると思う。何より、住職さんのお話を聞いて、広尾への印象がガラッと変わった。
さて、ぼくは三田共同会議所に行こうと思っていたのに、ずいぶん寄り道をしてしまった。今度は広尾から、また麻布十番の方へ戻って行く。広尾駅がある通りには建物自体が白いレフ板のような、眩しいアパートがあった。巨大で、庶民的で、無機質だ。昭和45年に建てられたそうだが、その頃の風景がそのまま残っているように感じられる。
元麻布の住宅街を戻るっていると、麻布氷川神社を見つけた。最初に出会ったお父さんが言っていた場所だ。お宮の奥に聳える“元麻布ヒルズフォレストタワー”の圧倒的な存在感が、時空を歪めているようだった。
もうひとつ、お父さんが教えてくれた善福寺にも訪れた。立派な門の先には、幼稚園もあるらしい。保護者の方と子どもたちが一緒に、お寺の中へ入って行く。「門が開いてるー!」とママさんの会話が聞こえた。あとで警備員さんに聞いてみると、数日前まで門は工事中だったらしい。ラッキー。ちなみに、そのお寺の警備員さんは、欧米の方だった。海外の方が多いこの辺りでは、それもあたりまえのことなのかもしれない。
朝から歩きはじめて3時間後。ようやく日向坂をのぼって、最初の目的地だった「三田共用会議所」の前を通った。だが、いいのか悪いのか、あまり何も感じなかった。たぶん、麻布十番駅を最初に降りて、まず一目散にここを訪れていたら、「ああ、ここにかつて宮本常一がいたんだなあ」と精一杯、感慨にふけったと思う。しかし、いまこの景色を見ても、特に感じなかった。当時の渋沢邸の面影もあるわけではない。それよりも、ここにたどり着くまでに、いろんな人と挨拶をして、会話をして、はじめて知った暮らしや歴史が、たくさんあった。あなたがやろうとしている旅は、頭で理解しようとするのではなく、いかに足を動かすかですよと、さらっと宮本常一に言われたような気がした。写真を数枚撮って、次の駅へ向かった。今度は赤羽橋、芝公園、御成門の方へ目指そう。
(その②、終わりです。)
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