
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【171/171】
訪れた旧市町村の数【2076/2,105】 総計【2247/2,276】スーパーカブの総走行距離
47851km

今日の旅先のこと
朝ごはんをモリモリいただいた朝でした。そして外を見ると、昨日の暴風雨が嘘のような晴れ模様です。ああ、よかった。今日は奥能登まで進む予定でした。誰もが知っている通り、大きな震災や水害があった地域。「復興」という言葉の中に内在する感情を、ぼくがやすやすと表現するようなことはできません。
元々、去年の9月にスーパーカブで石川県を訪れていましたが、能登半島へ訪れる直前に水害が発生し、旅としての訪問ではなく、ボランティアで輪島や能登町、珠洲に滞在しました。とにかく、じぶんがどれだけ役に立てただろうかと思うと、あまりにちっぽけですし、なかなか言葉になりません。
そして、今回は再び冬を越えた春の奥能登に、このタイミングで伺いました。いまこのタイミングで流れている土地と生活というものに、そのまま出会わせてもらいながら。
それでは振り返っていきましょう。
志賀町(1/7)
最初に訪れたのは、志賀町です。旧富来町と合併していて、お互いに隣り合ってはいるものの、かなり距離があるようにも感じられます。
泊まっていた津幡町から、のと里山海道に乗って移動していきましたが、海道も以前より綺麗になっていると感じられます。具体的に凸凹がどう変わったか、ということを覚えているわけではないけれど、走っていると全体的に、道が「ふつう」になっているなあと。
志賀町の市街地は海に近いものの、風景としては内陸に位置しているような印象でした。市街地近くを流れる川沿いに桜並木が広がっていて、美しく静かな時間が流れています。田畑で作業をされている方もいて、その日常を考えると、そっとお邪魔させていただく気持ちになるばかりで。
元々、去年の9月にスーパーカブで石川県を訪れていましたが、能登半島へ訪れる直前に水害が発生し、旅としての訪問ではなく、ボランティアで輪島や能登町、珠洲に滞在しました。とにかく、じぶんがどれだけ役に立てただろうかと思うと、あまりにちっぽけですし、なかなか言葉になりません。
そして、今回は再び冬を越えた春の奥能登に、このタイミングで伺いました。いまこのタイミングで流れている土地と生活というものに、そのまま出会わせてもらいながら。
それでは振り返っていきましょう。
志賀町(1/7)
最初に訪れたのは、志賀町です。旧富来町と合併していて、お互いに隣り合ってはいるものの、かなり距離があるようにも感じられます。
泊まっていた津幡町から、のと里山海道に乗って移動していきましたが、海道も以前より綺麗になっていると感じられます。具体的に凸凹がどう変わったか、ということを覚えているわけではないけれど、走っていると全体的に、道が「ふつう」になっているなあと。
志賀町の市街地は海に近いものの、風景としては内陸に位置しているような印象でした。市街地近くを流れる川沿いに桜並木が広がっていて、美しく静かな時間が流れています。田畑で作業をされている方もいて、その日常を考えると、そっとお邪魔させていただく気持ちになるばかりで。










旧富来町(志賀町)(2/7)
次に向かったのは、旧富来町です。まずは巌門という海沿いの景勝地へ向かいました。ガイドさんのような方もいたので、いまも観光客が訪れているのだと。道しるべにしたがって下へ下へと降りていくと、岩肌の美しい洞窟が現れました。トンネルのような景色からは、白波の荒々しさに圧倒され、のちに高台からその風景を見下ろすと、今日のような落ち着いた天気でさえ大きな波しぶきなのに、暴風雨だった昨日来ていたら凄まじかっただろうなと。
自然の造形美を自然がつくり上げたことや、厳しい冬の季節なども想像するのでした。
また、「道の駅 とぎ海街道」にも訪れました。海岸線沿いにつくられた世界一長いベンチがあるみたいで立ち寄ってみると、全長は460.9m、ほんっとうにものすごく長いベンチで、基礎の部分には手伝ったであろうたくさんの人たちの手形が残っていて、そのあたたかな雰囲気がものすごくいいなあと。ベンチに座っていた若い人たちは、地元の人というよりも、ボランティアか何かの活動をされていて、その休憩中のような雰囲気で、お互いに気持ちよく挨拶を交わして。
遠くに仮設住宅の建物が見えて、黒い瓦屋根だったことも印象的でした。能登の建物の特徴を表すもののひとつは、このかっこいい黒色の瓦だから。
次に向かったのは、旧富来町です。まずは巌門という海沿いの景勝地へ向かいました。ガイドさんのような方もいたので、いまも観光客が訪れているのだと。道しるべにしたがって下へ下へと降りていくと、岩肌の美しい洞窟が現れました。トンネルのような景色からは、白波の荒々しさに圧倒され、のちに高台からその風景を見下ろすと、今日のような落ち着いた天気でさえ大きな波しぶきなのに、暴風雨だった昨日来ていたら凄まじかっただろうなと。
自然の造形美を自然がつくり上げたことや、厳しい冬の季節なども想像するのでした。
また、「道の駅 とぎ海街道」にも訪れました。海岸線沿いにつくられた世界一長いベンチがあるみたいで立ち寄ってみると、全長は460.9m、ほんっとうにものすごく長いベンチで、基礎の部分には手伝ったであろうたくさんの人たちの手形が残っていて、そのあたたかな雰囲気がものすごくいいなあと。ベンチに座っていた若い人たちは、地元の人というよりも、ボランティアか何かの活動をされていて、その休憩中のような雰囲気で、お互いに気持ちよく挨拶を交わして。
遠くに仮設住宅の建物が見えて、黒い瓦屋根だったことも印象的でした。能登の建物の特徴を表すもののひとつは、このかっこいい黒色の瓦だから。













旧門前町(輪島市)(3/7)
旧富来町から、旧門前町へ向かいました。門前の地名をこれまでの報道で何度も聞いていましたが、伺うのは初めてで。
旧門前町の黒島地区は、日本海沿いに昔ながらの町並みを残す地域です。そして、震災で地域全体が大きな被害を受けています。今回そのまちなみへ訪れると、少しだけ時計の針が止まっているような、でも、新しい工事の音が響いていたり、建物関係に詳しそうな方たちが、大人数で視察に訪れていたり。
瓦が落ちてしまっている風景と、奥に広がる青々とした海が同時に存在し、ここに流れてきた時間のことを思います。黒島地区は北前船の往来も多く、かつて天領だったまちですが、ぼくの故郷で同じく天領だった倉敷の美観地区の風景が、仮に一変してしまうことを想像できるか、とじぶんに投げかけるのでした。そんなことが起きるわけがない、というような感覚も、迷信なのかもしれないと。
旧富来町から、旧門前町へ向かいました。門前の地名をこれまでの報道で何度も聞いていましたが、伺うのは初めてで。
旧門前町の黒島地区は、日本海沿いに昔ながらの町並みを残す地域です。そして、震災で地域全体が大きな被害を受けています。今回そのまちなみへ訪れると、少しだけ時計の針が止まっているような、でも、新しい工事の音が響いていたり、建物関係に詳しそうな方たちが、大人数で視察に訪れていたり。
瓦が落ちてしまっている風景と、奥に広がる青々とした海が同時に存在し、ここに流れてきた時間のことを思います。黒島地区は北前船の往来も多く、かつて天領だったまちですが、ぼくの故郷で同じく天領だった倉敷の美観地区の風景が、仮に一変してしまうことを想像できるか、とじぶんに投げかけるのでした。そんなことが起きるわけがない、というような感覚も、迷信なのかもしれないと。









輪島市(4/7)
次に向かったのは、元から輪島市だったエリアです。震災後、何度か現地へ伺う機会がありました。今回は重蔵神社さんへ参拝に伺おうということと、あとは散策という形で、市街地を歩きました。そして、レンタカーへ戻っていた最中に、知り合いの団体の代表の方がたまたま外で作業されていて、思わずご挨拶させてもらいました。まさかお会いできるとは思っていなかったので、わぁ、すごいタイミングだなあと。
携わっていらっしゃるおむすび屋さんでおむすびと食事をいただいたのですが、これがまたおいしかったなあ。そして、近況についても話を伺って。いろんな方たちが、その日そのとき、それぞれの場所で、それぞれの道を進んでいる。そういうことを、忘れないこと。
次に向かったのは、元から輪島市だったエリアです。震災後、何度か現地へ伺う機会がありました。今回は重蔵神社さんへ参拝に伺おうということと、あとは散策という形で、市街地を歩きました。そして、レンタカーへ戻っていた最中に、知り合いの団体の代表の方がたまたま外で作業されていて、思わずご挨拶させてもらいました。まさかお会いできるとは思っていなかったので、わぁ、すごいタイミングだなあと。
携わっていらっしゃるおむすび屋さんでおむすびと食事をいただいたのですが、これがまたおいしかったなあ。そして、近況についても話を伺って。いろんな方たちが、その日そのとき、それぞれの場所で、それぞれの道を進んでいる。そういうことを、忘れないこと。











旧柳田村(能登町)(5/7)
次に向かったのは、旧柳田村です。白米千枚田の方面から旧柳田村に向かう途中は、地震の被害もそうですが、やはり大雨の被害を感じます。災害のあとの災害、ということのやるせなさを感じるばかりです。
たったいま流れている春の陽気を思えば、ほのぼのとした、のどかな里山だなあと感じられます。地形も広々とひらけていて、周囲を囲む山々も美しい。川の流れも美しいと思えるけれど、しかし、大きな氾濫も起きてしまったと。
じぶんがボランティアで旧柳田村に伺ったときのボランティアセンターも見つけました。当時は金沢から大型バスで連れてきてもらったので、土地勘というものがまるでなかったけれど、ああ、能登半島のここに位置するまちなのだ、とあらためて感じられて。
満開の桜と、ゲートボールをたのしんでいる年配の方々と、進んでいる工事と、仮設住宅と。
次に向かったのは、旧柳田村です。白米千枚田の方面から旧柳田村に向かう途中は、地震の被害もそうですが、やはり大雨の被害を感じます。災害のあとの災害、ということのやるせなさを感じるばかりです。
たったいま流れている春の陽気を思えば、ほのぼのとした、のどかな里山だなあと感じられます。地形も広々とひらけていて、周囲を囲む山々も美しい。川の流れも美しいと思えるけれど、しかし、大きな氾濫も起きてしまったと。
じぶんがボランティアで旧柳田村に伺ったときのボランティアセンターも見つけました。当時は金沢から大型バスで連れてきてもらったので、土地勘というものがまるでなかったけれど、ああ、能登半島のここに位置するまちなのだ、とあらためて感じられて。
満開の桜と、ゲートボールをたのしんでいる年配の方々と、進んでいる工事と、仮設住宅と。













旧能都町(能登町)(6/7)
次に向かったのは、旧能都町です。いまは能登町で、漢字が微妙に違うのだなあ、ということも思います。
市街地には何度か訪れたことがあって、今回あらためて少し歩きました。DOYA COFFEEさんでテイクアウトしたいなとお店に入ると、工事関係者の方たちと、地元のお母さんたちが、一緒に親しい雰囲気で過ごしていて、素敵だなあと。ぼくはガチガチの見知らぬ人なので、ものすごいアウェー感があったのですが、お母さんたちに「まあ座りなさいよ」と言ってもらった瞬間、場が和らいだのでした。
能都町からは海も近く、漁船と青々とした海はとても美しくて、ウミネコは伸びやかに空に弧を描いていました。「あばれ祭り」のお祭りの紹介もされていて、今年も7月には開催されたと。能登とお祭りの関わり合いは、紡いできたものがあるのではないかとしみじみ思うばかりです。
次に向かったのは、旧能都町です。いまは能登町で、漢字が微妙に違うのだなあ、ということも思います。
市街地には何度か訪れたことがあって、今回あらためて少し歩きました。DOYA COFFEEさんでテイクアウトしたいなとお店に入ると、工事関係者の方たちと、地元のお母さんたちが、一緒に親しい雰囲気で過ごしていて、素敵だなあと。ぼくはガチガチの見知らぬ人なので、ものすごいアウェー感があったのですが、お母さんたちに「まあ座りなさいよ」と言ってもらった瞬間、場が和らいだのでした。
能都町からは海も近く、漁船と青々とした海はとても美しくて、ウミネコは伸びやかに空に弧を描いていました。「あばれ祭り」のお祭りの紹介もされていて、今年も7月には開催されたと。能登とお祭りの関わり合いは、紡いできたものがあるのではないかとしみじみ思うばかりです。










旧内浦町(能登町)(7/7)
旧市町村一周として最後にやってきたのは、旧内浦町です。支所は「内浦総合支所」ですが、市街地では、「松波」という地名が色濃く残っているように感じられました。橋にかかっていた横断幕も、「がんばろう松波!!」と。
ひっそりと佇む住宅地や、震災後の住居の判定でバツとかかれてしまった家のシャッター。新しく舗装された土地。そしていまここに流れている時間。誰もが日々を生きていること。あたりまえのことや、あたりまえではないこと。メディアを通して感じることと、その場で感じることはまた違うということ。違うと感じたからといって、知ったつもりにはまるでなれないこと。そいうことを、しみじみと思います。
また、珠洲市とのほぼ境界線に位置する、恋路海岸にも訪れました。浅瀬に小さな鳥居が建っていて、その先には弁天島。それに海の左手には小さく珠洲市街地も。そして、震災の際に崩れ落ちてしまった見附島も肉眼で見えました。報道では伝わっていることだし、だからと言ってそれを見てじぶんが何かを変えられるわけでもなく、ただ事実を見つめることしかできない、ひとりの人間の小ささを感じながら。
旧市町村一周として最後にやってきたのは、旧内浦町です。支所は「内浦総合支所」ですが、市街地では、「松波」という地名が色濃く残っているように感じられました。橋にかかっていた横断幕も、「がんばろう松波!!」と。
ひっそりと佇む住宅地や、震災後の住居の判定でバツとかかれてしまった家のシャッター。新しく舗装された土地。そしていまここに流れている時間。誰もが日々を生きていること。あたりまえのことや、あたりまえではないこと。メディアを通して感じることと、その場で感じることはまた違うということ。違うと感じたからといって、知ったつもりにはまるでなれないこと。そいうことを、しみじみと思います。
また、珠洲市とのほぼ境界線に位置する、恋路海岸にも訪れました。浅瀬に小さな鳥居が建っていて、その先には弁天島。それに海の左手には小さく珠洲市街地も。そして、震災の際に崩れ落ちてしまった見附島も肉眼で見えました。報道では伝わっていることだし、だからと言ってそれを見てじぶんが何かを変えられるわけでもなく、ただ事実を見つめることしかできない、ひとりの人間の小ささを感じながら。











その後、珠洲市にも。
最後に、一週間ほどボランティアで滞在させてもらった珠洲市にも立ち寄りました。市役所で働いている知り合いの方にご挨拶をさせてもらって、周辺を少し案内していただいて。その方は、珠洲市に移住されて一年ほどで震災が発生し、ご家族の拠点は金沢に移り、平日は珠洲で、週末は金沢へ、という暮らしをいまされています。「気づけば、家族が金沢に住みはじめた時間の方が、長くなってしまったなあ」と。
また、以前ボランティアでお世話になった方々が運営されていた学びの場は、ゼロから新しく建てる段階ということで、「この前、地鎮祭があったんだよね」と。だから、久しぶりに知り合いもたくさん集まったと。土地を通した、人を通した、命の関わり合いというものを、あたまではなくお腹でやっている方たちがいるということ。それを知らないじぶんは何も言えないということ。いろんな気持ちから、じゅう…と心の内で音が鳴るようでした。
ボランティアの間に滞在させてもらっていた銭湯「あみだ湯」にも少しだけ立ち寄りました。今日も、たったいまも、ここで流れている時間があるということを、忘れないことだと静かに思います。
最後に、一週間ほどボランティアで滞在させてもらった珠洲市にも立ち寄りました。市役所で働いている知り合いの方にご挨拶をさせてもらって、周辺を少し案内していただいて。その方は、珠洲市に移住されて一年ほどで震災が発生し、ご家族の拠点は金沢に移り、平日は珠洲で、週末は金沢へ、という暮らしをいまされています。「気づけば、家族が金沢に住みはじめた時間の方が、長くなってしまったなあ」と。
また、以前ボランティアでお世話になった方々が運営されていた学びの場は、ゼロから新しく建てる段階ということで、「この前、地鎮祭があったんだよね」と。だから、久しぶりに知り合いもたくさん集まったと。土地を通した、人を通した、命の関わり合いというものを、あたまではなくお腹でやっている方たちがいるということ。それを知らないじぶんは何も言えないということ。いろんな気持ちから、じゅう…と心の内で音が鳴るようでした。
ボランティアの間に滞在させてもらっていた銭湯「あみだ湯」にも少しだけ立ち寄りました。今日も、たったいまも、ここで流れている時間があるということを、忘れないことだと静かに思います。



というわけで、今日の散策はここまで。最後に珠洲市からは、宿を取っていた七尾市まで移動しました。能登半島に流れている時間をくくることはできないし、何かにはめ込めるような定義はないということをしみじみと思います。いまも刻々と、有形無形に何かが変化し、螺旋階段状に何かが進んでいる。その先にあるものは、きっとそれぞれの方たちの思いとして表に、形に、生き方に。
本日のひとこと
この日のじぶんのメモには油断せず、慢心せず、急がず、とありました。
この日のじぶんのメモには油断せず、慢心せず、急がず、とありました。
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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