ふるさとの手帖

市町村一周の旅

木屋平から奥祖谷まで、奥深い暮らしの旅。【旧市町村一周の旅(徳島県)|3月26日―720日目】

木屋平から奥祖谷まで、奥深い暮らしの旅。【旧市町村一周の旅(徳島県)|3月26日―720日目】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【170/171】

170/171
99.42%
訪れた旧市町村の数【1974/2,101】
1974/2101
94.00%
総計【2144/2,272】
2144/2272
94.37%

スーパーカブの総走行距離
47167km

旧穴吹町→旧木屋平村→旧山城町→旧西祖谷山村→旧東祖谷山村→旧池田町、の6つ。
今日の旅先のこと
ウグイスの鳴き声で目覚める朝。「ほーほけきょう」ただその鳴き声に、何だか救われる思いがする。今日はかなりハードな要素を含んでいて、多少不安な気持ちもあったけれど、よしっ、がんばろうと。やや変則的に、美馬市の旧木屋平村まで向かったのち、奥祖谷まで。それでは振り返っていこう。


穴吹町あなぶきちょう(美馬市)(1/6)
昨日の夜は、どんな風景か分からなかったものの、今朝になると丘の上から町並みが綺麗に見えた。吉野川だけではなく、美しい清流の穴吹川も進んでいく。

「磐境神明神社」という神社にも立ち寄ってみた。この神社も、レキさんに教えてもらっていた神社で、急な石段を息を切らして上ると、森の先に石で囲われたお宮がいくつか建っていた。あまり見かけない、まるで古代の遺跡のような。

参拝し終えるぐらいで、ひとりのおじさんが同じく息を切らして上がってきて、まだ手を合わせていたところ躊躇なく「どしてこの神社に来たんやぁ」と。カブをみて、旅人ということがわかったらしく、なぜこの神社を知ったのかと。「し、知り合いの方が教えてくださって…」と言い切るより早く、おじさんは、「ここは、ユダヤのなぁ…」と矢継ぎ早にことばを重ねるのであった。

ああ、なるほど、そういう場所というのを、ぼくは判断できないけれど、わかる人にはわかるのだろうし、わからなくても信じることはできるし、ぼくたちの知らない世界がほんとうはあって、みたいなことが、都市伝説まではいかなくても、あるのかもしれない。ぼくはいずれにせよ、「お邪魔させてもらってありがとうございます」という参拝なので、それ以上もそれ以下もなく、だ。
朝、宿から穴吹のまち。
美しいなあ。
穴吹駅。
穴吹川に沿って進む。
桜も。
磐境神明神社へ。
不思議な石積みだった。
木屋平村こやだいらそん(美馬市)(2/6)
昨日訪れることができなかった、旧木屋平村へと向かっていく。ひたすら穴吹川沿いをぐんぐんと登っていくわけだが、途中、工事のおじさんに「ストーップ!」と止められて、紙を渡された。工事による一時通行止めの案内で、1時間のうち、通過できるのは10分だと。その工事があと数分ではじまるところで、往路は通過できたものの、復路はこのタイミングに合わせなければ、かなりの足止めをくらってしまう。それを計算すると、かなり急がなければいけないとわかり、一気に集中力を高めた。

支所周辺に着くと、道そのもののスケールが大きくて、深い谷のような地形と巨大な道路のアンバランスさに驚かされる。支所の裏にはひっそりとした集落が広がっていて、畑作業をしていたお母さんが、やさしく挨拶してくれて嬉しかったなあ。ここにも静かに、暮らしがあるのだと。
旧木屋平村へ。
支所の裏の集落を歩いた。
この木に存在感があったなあ。
(旧)村営のコインランドリーかな。
山城町やましろちょう(三好市)(3/6)
まずは、先ほどの旧木屋平村から、時間制限の道を通過できるかどうかで、9:50〜10:00の通行可能時間のうち、9:55にかろうじて通過できた。セーフ。このタイミングを逃すと、次は一時間後だったので、よかったよかった。

そして、ここからはつるぎ町や東みよし町を越えて、三好市の旧市町村へ進んでいった。つるぎ町や東みよし町も、旧市町村のまちがあるので、順番に訪れる方が楽だけれど、今日は天気が良く、今日のうちに奥祖谷まで行っておきたかったのだ。奥祖谷へ向かうのが簡単ではないことは分かっていたから。ただ、その反動として移動距離が長く、まだまだ集中力を切らないように。

山城支所の周辺に着いた。道中は当然のように山の斜面に集落が広がっていて、ここにもそうしたあたりまえの暮らしがあるのだと驚かされる。市街地では、お母さんが挨拶をしてくれて、「昔ここは、すごい人で賑わっていたのよ。ここにある通りだけで、何でも買えたの」と。そうかあ、ほんとうにそうだったのだろうなあ。

また、小歩危こぼけ展望台にも向かってみた。足がふわふわとすくむぐらいの怖さだったけれど、きちんとつくられた展望台だったので、眺望はほんとうに見事だった。菜の花も満開で景色に華やかさを添えていて。

ハイヤーの運転のおじさんとも話をして、この先のガソリンスタンドの軒数を聞いたら、やはり少なかったので、聞いておいてよかったなあとも思ったり。
阿波川口駅。
昔の雰囲気を感じる通りだ。
建物の基礎がすごい。
じーっ。
小歩危展望台へ。
西祖谷山村にしいややまそん(三好市)(4/6)
祖谷へ進んでいく道路に入ってから、さらに坂道がキツくなった。車ならさほど影響ないかもしれないけれど、カブなら、「こんな険しい峠を越えていくのか…」と。しかし、市街地に入ると、標高は300m台だったので、ものすごく高いわけではないのだなあと。つまり、標高よりも、険しい峠を越えた先にあるから、秘境なのだなあと。

ハイヤーのおじさんに教えてもらったガソリンスタンドで給油する。お母さんが、「ちょうどええ天気やねぇ。日頃の行いがええからや」と言ってくれた。ありがとうございます、でも、まだまだです、と返事。

ちなみに、かずら橋には訪れなかったものの、谷の反対側からかずら橋の駐車場を見て、無茶苦茶いかつい構造だった。市街地は郵便局やマンション、落ち着いた暮らしの雰囲気で、かずら橋のようなとても古い歴史のみならず、ふつうに続いてきた暮らしもあるのだと感じられた。
旧西祖谷山村へ。
ここにも暮らしがある。
節約意識。
読めないなあ。
斜面に集落だ。
かずら橋の駐車場がすごい。
東祖谷山村ひがしいややまそん(三好市)(5/6)
前回の旅では、かずら橋までの訪問だったので、ここから先は未知である。どこへ向かっていくのだろう、という道を進んでいき、ようやく旧東祖谷山村に到着した。西祖谷よりもひっそりとしていて、でも、確かにつくられた町並みがある。すごいなあ。

さらに、落合集落にも訪れてみた。山の急斜面に広がる集落で、その標高差は390mにもなるという。集落の入口から坂道をぐいぐい登っていくと、集落が現れた。もっとポツポツと集落があるのかと思ったら、ひらけた谷の斜面に、住宅がたくさん。すごいなあ。谷の急斜面にいるので、見渡す景色は圧巻だった。茅葺の長岡住宅は茅を葺き替えているところで、4〜5人の職人さんがザクッ、ザクッ、とかっこいい。

また、落合集落を見渡せる展望台にも向かってみた。こちらからの景色もほんとうに見事だ。さっき自分がいた場所がわかって、立っていた場所から下の景色は見えていたものの、上にも想像以上に集落があって、こんなにも大きな集落だったのだ、とよく分かる。

雲ひとつない青空で、ほんとうにありがたいなあ。茶色の芝もとても綺麗だった。暮らしの奥深さを、ただただ感じるばかりである。
開いてなかったけれど、資料館だ。
ここにも暮らしがあるのだなあ。
東祖谷支所。
雪もたくさん降りそうな。
落合集落へ。急斜面に暮らしが。
長岡住宅。
茅の葺き替えだ。
落合集落を展望台から。この景色も、ほんとうにすごいなあ。
不思議な形。
池田町いけだちょう(三好市)(6/6)
落合集落の展望台から三好市の中心地である旧池田町までは、50kmの道のりだった。とにかく焦らない。安全運転で、集中力を切らさないように…と進んでいく。

無事に到着し、先に池田駅近くの旅館にチェックインをした。地元のアットホームな旅館で、奥さんもとても優しい。その後、歩いてまちを歩いて行った。先にカブで通過したときにも感じていたけれど、大きなまちだよなあと。

今日の行程を経て、かなり空腹だったので、地元の定食屋さんにも入ってみた。白い調理服姿のご主人はまさに地元のお父さんという感じで、猫がいて「はいれ!」とお父さんが指示を出す。

ちょうどテレビで春の選抜の高校野球をやっていて、6回裏、聖光学院が3ランホームランで追いついて、ご主人も食事を出してくれたあとは、テレビにかじりついていた。そういうのも、すごく好きである。
池田市街地へ。
阿波池田駅。
大きなまちだよなあと。
おどらにゃそんそん。
うだつだ。
というわけで、今日の散策はここまで。旧木屋平村から、旧東祖谷山村まで、移動は簡単ではなかったのですが、好天に恵まれて訪れることができ、ほんとうにありがたかった一日でした。徳島県も奥が深いなあとしみじみ思います。
本日のひとこと
祖谷も数日前は雪が降っていたので、無事に訪れることができたことは、何よりありがたかったことでした。
旅を応援してくださる方へ
「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

(終わり。次回へ続きます)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me