ふるさとの手帖

市町村一周の旅

風の強い冬晴れの一日を進む。【旧市町村一周の旅(三重県)|1月25日―660日目)】

風の強い冬晴れの一日を進む。【旧市町村一周の旅(三重県)|1月25日―660日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【133/171】

133/171
77.78%
訪れた旧市町村の数【1715/2,098】
1715/2098
81.71%
総計【1848/2,269】
1848/2269
81.45%

スーパーカブの総走行距離
42255km

四日市市→旧楠町→旧河芸町→旧安濃町→亀山市→旧関町→旧芸濃町、の7つ。
今日の旅先のこと
朝の宿舎で「お客さま、アゴにご飯粒が付いていますよ」と言われました。しっかり目を覚まして、進んで行きましょう。桑名市を出発し、四日市市、津市の郊外を通って、亀山市へ。亀山市では、先輩に車で案内もしていただき、夜はご実家にお世話になった一日でした。それでは振り返っていきましょう。


四日市市よっかいちし(1/7)
8時10分発。グッと冷え込んで寒い。でも、空は青々とよく晴れている。昨日は仄かに霞んだ青空で、今日はまったく霞んでいない。どちらの青空ももちろん好きだ。

桑名市から、四日市市街地へ向かっていく。途中は朝日町や川越町、四日市市の富田を通り抜けた。まずは「四日市港ポートビル」に到着。テトリスの縦棒みたいな細長いビルで高さは100mと、三重県で最も高いビルに相応しい迫力だ。10時からオープンする展望台に上がるには時間が早いので、今回は周辺を少し歩く。四日市の工場群もちょっとだけ見えた。煙もモクモクモク〜! と空へ間断なく飛び出している。全体的には湾岸といった感じである。

また、近鉄四日市駅の周辺も散策した。中央通りの向かい側にはJR四日市駅もある。ただ、どうやら近鉄の方が栄えているようだ。駅前は大規模な工事が進んでおり、再開発の様子は渋谷さながらだと感じた。特徴的な丸い円形デッキの工事などからは、バスターミナルができるらしい。名称はバスタ四日市。バスタ新宿とお揃いだ。

駅のバイクの駐輪場の係のおじさんは元気が良くて、地元のお客さんともツーカーな感じで挨拶をしていて、それもすごく好きだった。
四日市港ポートビル。
モクモクと。
高さ100m。
近鉄四日市駅周辺へ。ビルも高い。
近鉄四日市駅。
円形デッキの工事がすごい。
商店街も。
近鉄の存在感が強い。
楠町くすちょう(四日市市)(2/7)
四日市市から南へ進んだ沿岸部で、鈴鹿市にも接する小さなまちが、旧楠町だ。移動中、車のプレートナンバーには四日市と鈴鹿があることにも気づいた。隣町でも、マイナンバーがあるっていいな。

まずは楠緑地へ向かう。周囲はほとんど平野であり、田んぼと住宅が多く、山や森は見当たらないので、緑地はどのようになっているのだろうと思っていたら、目の前にこんもりした丘と木々に囲われた景色が現れて、そこが楠緑地だった。深い森のように鬱蒼としているわけではないものの、この地域においては緑地と呼べる木々の多さだ。広いグラウンドもあって、サッカーや陸上の練習をしている青少年の姿もあった。

楠地区市民センターにも訪れてみると、古すぎず新しすぎない、落ち着いた暮らしが広がっていた。中学校からは、吹奏楽の音色が聞こえてきて、なんだかとても懐かしい気持ち。
旧楠町へ。
大きな体育館もあった。
展望台へ。
田んぼと住宅と。地形は平野だ。
海も見えた。
市街地を歩く。
近鉄名古屋線が通っている。
河芸町かわげちょう(津市)(3/7)
国道23号線を通り、鈴鹿市を通過していく。鈴鹿といえばホンダであり、頑丈なスーパーカブに乗らせてもらって、感謝の念が心から溢れるばかりだ。そして、まもなく津市の旧河芸町に入った。市街地の国道沿いの景色は国道らしいというか、際立った特徴は感じない。ただ、ひとつ北の道に入ると、細い道路沿いに昔からの住宅街が広がっていた。

今回は、河芸町民の森公園へ訪れてみる。車道から見える歩道沿いの柵には、「ようこそ かわげへ」の文字。やはり、津市でありながらも、河芸“町民”の森だし、河芸という郷土も感じられる。公園には遊び場もテニスコートもあり、テニスはご年配の方々でとても賑わっていた。みんながゲートボールをやっていたらゲートボールが上手くなるし、みんながテニスをやっていたらテニスがうまくなるのだろうなあ。

また、「道の駅 津かわげ」にも立ち寄ってみると、お客さんで賑わっていた。朝7時からモーニングもやっているみたいですごい。館内の農産物コーナーの壁面には、「海、山に囲まれた津の大地」と書かれてあって、たしかに津市は海と山がどちらもあって、それが自然の恵みにつながっているはずだよなあと感じたのであった。
旧河芸町へ。
グラウンドだ。
テニスもたのしそうだった。
伊勢鉄道。
「道の駅 津かわげ」にも。
館内も賑わっていた。
土鍋があった。
安濃町あのうちょう(津市)(4/7)
次に向かったのは、旧安濃町だ。北西の方角には山々が見えて、途中の道路沿いは一面に田んぼが広がり、景色がとても広い。ただ、そのことによって、吹き曝しの風がとにかく強く、横風でカブが揺れてかなり怖かった。スピードもかなり落とさないと怖いぐらいに。

安濃市街地は戸建ての住宅が多く、周囲には畑や田んぼも広がっている。あのう温泉も見つけたけれど、どうやら今は休業中らしい。また、安濃中央総合公園へ向かう途中には住宅団地がぎゅっと集まっていて、公園は近隣の方々にとっては身近な良い公園なのかもしれない。一風変わったモニュメントもあったし、ランニングをしている方もいた。
旧河芸町へ。
とっても広々と。
こっち側からの風がすさまじい。
市街地が見えてきた。
安濃総合支所。
あのう温泉は休業中みたい。
10万ボルトに注意。
安濃中央総合公園へ。
亀山市かめやまし(5/7)
さあ、ここからは、旧芸濃町を一旦通過して、亀山市へ向かった。知り合いの先輩のご実家へ向かうのだ。先輩は
東京にお住まいだが、ちょうど土曜日ということもあって、わざわざご実家まで戻ってきてくださっていた。お母さんにもご挨拶をし、ここからは先輩の車に乗って、まちを案内していただけることに。

亀山市で訪れたい場所を話し合っていると、「今日は(亀山)大市の日だよ」とお母さん。亀山大市は、年に一度開かれるお祭りで、旧東海道のメイン通りが歩行者天国となり、露店がずらっと軒を連ねる。それが今日と明日なのだと。先輩もしばらく亀山を離れていたので、そのことには気づいていなかったそうだ。これはもう、行く場所は決まったようなもの。行きましょう! 亀山大市へ。

会場に着く手前から、早くもお祭りの気配を感じる。小学生たちの中にはキラキラとした羽のようなものを身につけている子がいた。どうやら今年の流行りだろうか。メイン通りは人、人、人だ。山車を曵いたり、別のお祭りがあって露店が並んでいるわけではなく、この露店こそがメイン会場である。だからこそみんなが一堂に会し、どんなお店がいいかとじっくり目移りするのがたのしい。ぼくは焼きそばを買った。この前大阪コリアンタウンで見た、ソウルホットドッグみたいな商品もやっぱり人気みたいで、流行りは重要なようだ。
亀山大市。賑わってる!
羽が流行っていた。
大混雑を離れた。
亀山市役所。
先輩の同級生のお店でシュークリームを買っていただいた。
亀山城跡も。
旧東海道を車で。やはり雰囲気がある。
春は桜並木になると。
まもなく関宿へ。
関町せきちょう(亀山市)(6/7)
前回の亀山市の旅では、関宿のゲストハウスに滞在し、ちょうどその夜に花火大会があって、とても風情溢れる時間だった。そして、今回は先輩の祖父母の自宅が関宿の宿場町にあり、ちょうど留守にしているので、見学しましょうと。宿場町の家がどんな様子か、見てみるのも悪くはないでしょうと言っていただいたものの、足を踏み入れるにはやはりドキドキ。まさに町並みの中にあって、玄関には伝統的建造物の印も貼られている。

では、おじゃまします。長屋の間取りで、かつての薪風呂も残っていた。当然ながら、外から建物を見ていると分からないことがいろいろ分かる。やはり、ホッとしたのは、とても生活感があったこと。伝統的な建造物も、生活感があって当然だということだ。町並み保存区になるための家ではなく、生活のための家なのだから。こういうあたりまえのことを感じられる機会がそうそうないので、とてもありがたかった。

以前、関宿へ訪れたのは2018年8月のことなので、再びやってくるのに、6年半かかったわけだ。それでも町並みは、早い時代の流れを気にせずに、ゆったりとした時間が今も流れている。
関宿へ。
懐かしいなあ。
先輩の祖父母のおうちに入らせてもらう。
再び外へ。
集落にはお寺もある。
百五銀行の建物も景観に合っていた。
前回は、石垣屋さんに宿泊させてもらった。
関支所だ。
芸濃町げいのうちょう(津市)(7/7)
最後に先輩に連れて行っていただいたのは、旧芸濃町。亀山市の隣町で、ほんの少し低い山道を抜けると旧芸濃町に入る。ここでは旧明村あきらむら役場庁舎へ。土日のみの開館で、時刻もギリギリ間に合った。外でひと休みしていたガイド服のお父さんが、館内で迎えてくださる。

ガイドのお父さんはとても愉快に建物のことを説明してくださった。旧明村の成り立ち、役場庁舎が生き残った経緯、曳家のための費用‥‥。たとえば村章のボードを出して、「これは何を意味するでしょう?」と質問がはじまったときは、「ブラタモリみたいですね」とお父さんに言ってしまった。また、ここには開かずの金庫があり、金庫を開けるテレビ番組の取材も訪れていた。実際にその金庫が置かれていて、まずは番組を観てくださいと椅子に座って視聴からはじまったときは、時間がどうなることかと思わなくはなかったけれど、途中でお父さんが、「実はこの金庫を開けるのに2時間かかったんよ」とフライングネタバレ。しかし、金庫を開けるシーンになる前に、「じゃあ、今ここらで、君らで開けてみなさい」という展開になったときは、ドキドキしたなあ。先輩と相談して、最初にぼくが開けさせてもらう。ガッチリした金庫の扉を開けると、再び扉が。さらにそれ開けると、ジャジャーン! 金庫は空でした、と。空かーい! とツッコむよりも、金庫を開けるワクワクの方が強かったので満足である。

話は逸れてしまったが、旧庁舎は天井も4mと高く、窓ガラスはみな手作りで再現できない微妙な歪みが面白く、とても見事な建物だった。お父さんとの会話も、庁舎との思い出そのものである。
旧芸濃町。カブで通過したとき。
そして、車で案内していただく。
旧明村役場庁舎。洋風なデザインだ。
いい光も差し込んでいた。
窓口は職員側の床が高い。
お父さんのブラタモリ。
金庫を開けるテレビも観た。
その金庫を開けた。
扉の扉。空っぽでも、とても丁寧なつくりになっていた。
すてきなお父さんだったなあ。
2階の光。
外は伊勢別街道の名残も残っていた。
もうすぐ日も沈む。
というわけで、今日の散策はここまで。夜はお母さまの美味しい鍋をご馳走になりました。自由気ままにいろんなお話をしつつ、美味しくて箸が進む鍋の時間ほど、幸せなものはありません。とてもありがたい一日でした。
本日のひとこと
この日の睡眠アプリは、就寝から入眠まで、6分でした。ぐっすり!
旅を応援してくださる方へ
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)

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