今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【133/171】
訪れた旧市町村の数【1689/2,099】 総計【1822/2,270】スーパーカブの総走行距離
41982km
今日の旅先のこと
大阪の旅よりも緊張するのは、やはりカブに乗るからだ。1か月以上の間が空いても、サングラスを入れるポケットの位置、ナビの設定、いろんなリズムが体に染み込んでいる。この旅であたりまえのようにカブに乗っていて、そして、怪我をしてカブに乗れなかった。今、あらためて乗れるようになった。このことは、口や言葉にすること以上に、あたりまえではない。病院の先生、家族、バイク屋さん、ほんとうにいろんな人たちにたくさん助けてもらっているのだ。あたりまえになっていたカブの旅を、残すところ2割、感謝の気持ちで全力でがんばろう。
旧七宝町(あま市)(1/7)
出発の朝。名古屋市から、あま市の旧七宝町へ向かう。移動距離は10kmほど。足の具合は悪くない。それに、カブが元気だ。四葉モーターサイクルさんで丁寧にメンテナンスをしていただいたおかげである。カブが元気だと自分も明るくいられる。お互い無理なく進もうね。
いよいよ庄内川を渡ると、名古屋とはお別れという感じがした。そして、「あま市七宝焼アートヴィレッジ」へ向かう。七宝町の地名は、伝統工芸の“七宝焼”と関わりが深い。朝の開館前なので館内には入れないけれど、周辺を散策した。ポスターには煌びやかな七宝焼が紹介されていて、またじっくり七宝焼を見てみたいと思う。
広々とした広場もあって、地元の方々が散歩をたのしんでいる。それに久しぶりに田んぼの刈られた稲穂を見て、すごく綺麗だった。これまで市街地にいることが多くて、気づいていなかったように思う。春にはリセットされるわけだが、冬の田んぼも光を浴びて、今を謳歌しているよ、と。
また、あま市役所と七宝駅周辺を訪れて、七宝駅はカブを止められる場所が分からなくて、あま市役所の周辺を少し歩いた。市役所はガラス張りでとても綺麗な外観だ。住宅地へ進むと細い路地もあって、新しい道と古い道が入り混じっているように感じた。
旧七宝町(あま市)(1/7)
出発の朝。名古屋市から、あま市の旧七宝町へ向かう。移動距離は10kmほど。足の具合は悪くない。それに、カブが元気だ。四葉モーターサイクルさんで丁寧にメンテナンスをしていただいたおかげである。カブが元気だと自分も明るくいられる。お互い無理なく進もうね。
いよいよ庄内川を渡ると、名古屋とはお別れという感じがした。そして、「あま市七宝焼アートヴィレッジ」へ向かう。七宝町の地名は、伝統工芸の“七宝焼”と関わりが深い。朝の開館前なので館内には入れないけれど、周辺を散策した。ポスターには煌びやかな七宝焼が紹介されていて、またじっくり七宝焼を見てみたいと思う。
広々とした広場もあって、地元の方々が散歩をたのしんでいる。それに久しぶりに田んぼの刈られた稲穂を見て、すごく綺麗だった。これまで市街地にいることが多くて、気づいていなかったように思う。春にはリセットされるわけだが、冬の田んぼも光を浴びて、今を謳歌しているよ、と。
また、あま市役所と七宝駅周辺を訪れて、七宝駅はカブを止められる場所が分からなくて、あま市役所の周辺を少し歩いた。市役所はガラス張りでとても綺麗な外観だ。住宅地へ進むと細い路地もあって、新しい道と古い道が入り混じっているように感じた。
旧美和町(あま市)(2/7)
名鉄ではひと駅の距離感で、旧七宝町から旧美和町へ向かった。戸建ての住宅地を進み、旧美和町も同じく住宅地の雰囲気である。木田駅から少し離れた場所を散策していると、蟹江川に出会った。細い川だが水辺の散歩はとても気持ち良い。
それに、畑の一角には緑の苗のようなものが植えられていて、大きな機械で作業をしている人もいる。これは何の野菜なのだろう。知識があれば、すぐに分かるのだと思う。
店名や看板にも「美和」という文字は思った以上に使用されており、まだまだ土地に馴染んでいる。道も細いところは車の離合がしづらくて、今では舗装されて区別がなかなかつかなけれど、昔から変わらない区画もそれなりに多いように感じた。
名鉄ではひと駅の距離感で、旧七宝町から旧美和町へ向かった。戸建ての住宅地を進み、旧美和町も同じく住宅地の雰囲気である。木田駅から少し離れた場所を散策していると、蟹江川に出会った。細い川だが水辺の散歩はとても気持ち良い。
それに、畑の一角には緑の苗のようなものが植えられていて、大きな機械で作業をしている人もいる。これは何の野菜なのだろう。知識があれば、すぐに分かるのだと思う。
店名や看板にも「美和」という文字は思った以上に使用されており、まだまだ土地に馴染んでいる。道も細いところは車の離合がしづらくて、今では舗装されて区別がなかなかつかなけれど、昔から変わらない区画もそれなりに多いように感じた。
旧甚目寺町(あま市)(3/7)
じんもくじ、ではなく、じもくじ、である。最初に漢字を見たとき、誤字でうまく変換されなかったが、正しい読み方を知ってうまく変換されると、とてもスカッとする。そして、旧甚目寺町は町名と同じく甚目寺観音が有名だ。訪れてみると、お寺の参道に出店が並んでいて賑わっていた。平日でも出店が並んでいるとは驚きである。あとで調べてみると、どうやら21日がマルシェの日だと。とんちゃん焼き、オーガニックコーヒー、アクセサリーショップ、整体……いろんなお店があってワクワクした。
本堂の外観は朱色の煌びやかな造りで、参拝しに堂内へ入ると金色の飾りが薄暗い中でもオーラを放っている。歴史的にもかなりの古刹で、お寺の始まりは推古5年(西暦597年)とのことなので、ずいぶん昔だなあと思うし、その頃にも人々の暮らしがあったのだと思うと、すごいなあと思わずにはいられない。
また、名鉄の甚目寺駅まで歩いてみると、線路の向こう側には大きなスーパーマーケットがあって、駅ビルではないもののつながりを感じた。名古屋市緑区の有松駅でも似たパターンがあったし、ほかの名鉄の路線でも似た景色があるのかもしれない。
じんもくじ、ではなく、じもくじ、である。最初に漢字を見たとき、誤字でうまく変換されなかったが、正しい読み方を知ってうまく変換されると、とてもスカッとする。そして、旧甚目寺町は町名と同じく甚目寺観音が有名だ。訪れてみると、お寺の参道に出店が並んでいて賑わっていた。平日でも出店が並んでいるとは驚きである。あとで調べてみると、どうやら21日がマルシェの日だと。とんちゃん焼き、オーガニックコーヒー、アクセサリーショップ、整体……いろんなお店があってワクワクした。
本堂の外観は朱色の煌びやかな造りで、参拝しに堂内へ入ると金色の飾りが薄暗い中でもオーラを放っている。歴史的にもかなりの古刹で、お寺の始まりは推古5年(西暦597年)とのことなので、ずいぶん昔だなあと思うし、その頃にも人々の暮らしがあったのだと思うと、すごいなあと思わずにはいられない。
また、名鉄の甚目寺駅まで歩いてみると、線路の向こう側には大きなスーパーマーケットがあって、駅ビルではないもののつながりを感じた。名古屋市緑区の有松駅でも似たパターンがあったし、ほかの名鉄の路線でも似た景色があるのかもしれない。
旧清洲町(清須市)(4/7)
痛恨の極みで、前回の市町村一周の旅では、清洲城へ訪れていなかった。どうして行かなかったのだろう? 言い訳は無用だが、気づいていなかったと思う。だから、今回清洲城へ伺う機会を得たことは、とても幸運だったと言える。
いよいよ清洲城が見えてきた。天守閣は平成元年に再建されたもので、非常に高く積まれた石垣がカッコいい。また、清洲城からは名古屋もさほど遠くない。清洲城と名古屋城の関係性は? と思いながら、天守閣を見学して行った。
やはり、立派な施設にはビデオがあるもので、今回も見つけて視聴する。清洲は名古屋城ができるまで、尾張国の国都として繁栄したと。戦国時代には織田信長はじめ有名な武将らが清洲城に入城し、波乱に満ちた運命を辿っている。
そして、江戸時代になると家康が名古屋城を築いたことで、「清須越」と呼ばれる都市移転が行われた。ここで、清洲城は役目を終えたと。城の史実における登場は室町時代の中頃からで、江戸時代に至るまで、清洲城は運命のやじろべえに揺れていたわけだ。知らなかった歴史なので、とても面白かった。
痛恨の極みで、前回の市町村一周の旅では、清洲城へ訪れていなかった。どうして行かなかったのだろう? 言い訳は無用だが、気づいていなかったと思う。だから、今回清洲城へ伺う機会を得たことは、とても幸運だったと言える。
いよいよ清洲城が見えてきた。天守閣は平成元年に再建されたもので、非常に高く積まれた石垣がカッコいい。また、清洲城からは名古屋もさほど遠くない。清洲城と名古屋城の関係性は? と思いながら、天守閣を見学して行った。
やはり、立派な施設にはビデオがあるもので、今回も見つけて視聴する。清洲は名古屋城ができるまで、尾張国の国都として繁栄したと。戦国時代には織田信長はじめ有名な武将らが清洲城に入城し、波乱に満ちた運命を辿っている。
そして、江戸時代になると家康が名古屋城を築いたことで、「清須越」と呼ばれる都市移転が行われた。ここで、清洲城は役目を終えたと。城の史実における登場は室町時代の中頃からで、江戸時代に至るまで、清洲城は運命のやじろべえに揺れていたわけだ。知らなかった歴史なので、とても面白かった。
旧春日町(清須市)(5/7)
五条川沿いに北へ進み、旧春日町へ入った。春日も、最初に「かすが」と呼んでしまっていた自分がいて、「はるひ」と読むのかと。ただ、元々は“西春日井郡春日町”であり、西春日井郡は、「にしかすがいぐん」なので、要は春日を「かすが」とも「はるひ」とも読む、海外の方には非常にむずかしい読み方だと思った。
さて、今回は「はるひ夢の森公園」へ訪れてみた。公園には図書館や美術館もあり、ポスターを見ると1999年から開館しており、旧春日町の頃の創立であり、長い歴史があるのだなあと。
また、五条川の近くや見通しの良い道の先には、背の高い雪山が遠くからこちらを見てくる。北や西の方角に見えるあれらの山脈は、いったいどこの山なのだろう。
五条川沿いに北へ進み、旧春日町へ入った。春日も、最初に「かすが」と呼んでしまっていた自分がいて、「はるひ」と読むのかと。ただ、元々は“西春日井郡春日町”であり、西春日井郡は、「にしかすがいぐん」なので、要は春日を「かすが」とも「はるひ」とも読む、海外の方には非常にむずかしい読み方だと思った。
さて、今回は「はるひ夢の森公園」へ訪れてみた。公園には図書館や美術館もあり、ポスターを見ると1999年から開館しており、旧春日町の頃の創立であり、長い歴史があるのだなあと。
また、五条川の近くや見通しの良い道の先には、背の高い雪山が遠くからこちらを見てくる。北や西の方角に見えるあれらの山脈は、いったいどこの山なのだろう。
旧西春町(北名古屋市)(6/7)
そして、ここからは北名古屋市へ入っていく。北名古屋市、と聞くと迫力があるというか、名古屋のままの印象がなくもないけれど、少しだけ郊外になり、車での生活が主という雰囲気である。
市役所の西庁舎や、西春駅の周辺を歩いてみた。太い道路は見慣れたチェーン店の姿もありつつ、駅の周辺には自転車も通れない細い道があって、そこには昔ながらの雰囲気があった。住宅地も大きな特徴があるわけではないかもしれないけれど、真っ直ぐ伸びた通りには、新しさよりも懐かしさを感じたし、住宅の前には丸ポストもあって、おそらく時代を遡れば、道路沿いの雰囲気も違ったように感じられた。
そして、ここからは北名古屋市へ入っていく。北名古屋市、と聞くと迫力があるというか、名古屋のままの印象がなくもないけれど、少しだけ郊外になり、車での生活が主という雰囲気である。
市役所の西庁舎や、西春駅の周辺を歩いてみた。太い道路は見慣れたチェーン店の姿もありつつ、駅の周辺には自転車も通れない細い道があって、そこには昔ながらの雰囲気があった。住宅地も大きな特徴があるわけではないかもしれないけれど、真っ直ぐ伸びた通りには、新しさよりも懐かしさを感じたし、住宅の前には丸ポストもあって、おそらく時代を遡れば、道路沿いの雰囲気も違ったように感じられた。
旧師勝町(北名古屋市)(7/7)
最後にやってきたのは、旧師勝町だ。やはり北名古屋市という地名と、師勝町という地名では受ける印象が大きく違うような気がする。師勝町は、昔ながらの雰囲気がありそうな……。というのは印象論ではあるが、北名古屋市役所の東庁舎の横には、昭和レトロな展示をメインとした「昭和日常博物館」がある。
向かってみると、建物の正面の壁に昭和っぽくレタリングされた「昭和日常博物館」の文字が、どどーんと目立って、まさに昭和を瀟洒にしたデザインそのものだった。正面のレタリングを見るだけで、館内に入りたくなる。そして、館内では昭和に関する展示が商品や生活様式ごとに分類されていて、見ていてとても楽しい。ただ、懐かしいと感じるだけではなくて、何か学べるところがないだろうかと、集中もしてみる。基本的に昭和から現代までとても大きな変化を経ているわけだが、まだ今でも通用するなあと思うデザインや食べものもあって、いろいろ考えさせられた。
最後にやってきたのは、旧師勝町だ。やはり北名古屋市という地名と、師勝町という地名では受ける印象が大きく違うような気がする。師勝町は、昔ながらの雰囲気がありそうな……。というのは印象論ではあるが、北名古屋市役所の東庁舎の横には、昭和レトロな展示をメインとした「昭和日常博物館」がある。
向かってみると、建物の正面の壁に昭和っぽくレタリングされた「昭和日常博物館」の文字が、どどーんと目立って、まさに昭和を瀟洒にしたデザインそのものだった。正面のレタリングを見るだけで、館内に入りたくなる。そして、館内では昭和に関する展示が商品や生活様式ごとに分類されていて、見ていてとても楽しい。ただ、懐かしいと感じるだけではなくて、何か学べるところがないだろうかと、集中もしてみる。基本的に昭和から現代までとても大きな変化を経ているわけだが、まだ今でも通用するなあと思うデザインや食べものもあって、いろいろ考えさせられた。
というわけで、今日の散策はここまで。旅を再開して、無事に終えられたことがとてもありがたいです。移動距離が長すぎなかったことも助かりました。何より、今日の旅でもまだまだ知らない景色ばかりで、旅をすればするほど、日本は広いなあと感じるばかりです。
本日のひとこと
ママと一緒の小さな娘さんと目が合ったのでゆっくり会釈をしたら、ペコっと返してくれた瞬間が、至福でした。
ママと一緒の小さな娘さんと目が合ったのでゆっくり会釈をしたら、ペコっと返してくれた瞬間が、至福でした。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)
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