ふるさとの手帖

市町村一周の旅

岡崎から三河湾を巡って、豊田まで行こう。【旧市町村一周の旅(愛知県)|12月07日―611日目)】

岡崎から三河湾を巡って、豊田まで行こう。【旧市町村一周の旅(愛知県)|12月07日―611日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【93/171】

93/171
54.39%
訪れた旧市町村の数【1675/2,099】
1675/2099
79.80%
総計【1769/2,270】
1769/2270
77.93%

スーパーカブの総走行距離
41592km

岡崎市→旧幡豆町→旧吉良町→旧一色町→西尾市→豊田市、の6つ。
今日の旅先のこと
ブログの更新が遅くなってしまいました。12月中旬に右足を怪我し、ギブス生活になって今はすっかり落ち着いたのですが、旅は1月中旬以降の再開になりそうです。悲観的な気持ちは全然なく、むしろこの時間をできるだけ良い時間にしたいですし、もし無事に治ったら、感謝の気持ちを忘れずに、またがんばりましょう。

さて、今回は旅の振り返りです。この日は12月上旬。岡崎市を出発し、西尾市の旧市町村を巡って、最後は豊田市まで訪れました。特に西尾市は、三河湾周辺の暮らしを知らなかったなあと思います。それでは振り返っていきましょう。


岡崎市おかざきし(1/6)
南の空は明るく、北の空の雲が分厚い朝でした。冬の気圧配置の分かれ目にいる感じ。前日から岡崎市街地に泊まっていたので、チェックアウト前に名鉄の東岡崎駅まで歩いてみました。前日、とある方にご挨拶に伺ったのですが、JR岡崎駅もあるけれど、栄えているのは名鉄の東岡崎駅だと。また、東岡崎駅は「ひがおか」と略すとその方が仰っていたので、面白いなあと。岡山県にも「東岡山」という固有名詞はありますが、「ひがおか」とは省略しないので。

そして、東岡崎駅に向かうまでには乙川が流れていて、朝から河川敷で元気に配信している人もいました。また、駅には大きな徳川家康と三河武士の像があり、さすが愛知だなあと。
岡崎市街地を散策。
乙川の河川敷。
東岡崎駅へ。
立派な徳川家康と三河武士像。
その後、岡崎城にも訪れてみました。徳川家康にゆかりがあるどころか、岡崎城で家康は生まれたわけですから、散策する中でも家康を感じる要素がたくさんありました。また、敷地内に神社があり、朝から七五三で訪れているご家族もあって、そうした日常が流れているのだなあと。
三つ葉葵紋。
岡崎城だ。
龍城神社。
岡崎の「O」かな。
門とビルと。
幡豆町はずちょう(西尾市)(2/6)
さあ、岡崎市から南へ進み、幸田町や蒲郡市も通って、西尾市の旧幡豆町へ向かいました。前回の西尾市の旅では、西尾城の周辺を訪れていて、こちらはまだ海からも距離がありました。ただ、旧幡豆町は三河湾の沿岸近くにまちが広がっていて、市街地周辺も小さな山がそばに幾つかあり、違う雰囲気を感じます。市街地からも遠くに海が見えましたし、いくつか泳げるビーチもあるようです。東幡豆駅、西幡豆駅と名鉄も通っているので、JRよりも名鉄の存在感が大きそうだなあと思ったのでした。
幡豆支所へ。
畑と静かな時間。
少し走れば海に着きそうです。
それにしても、寒い朝だ。
吉良町きらちょう(西尾市)(3/6)
次は旧幡豆町のすぐ西に位置する、旧吉良町へ。まずは「吉良ワイキキビーチ」が気になって向かってみると、砂浜周辺はプライベートビーチっぽくなっていて、駐車代もそれぞれ明記されており、自由にフラフラと散策できるという感じではなかったので、すっと移動してしまいました。

また、吉良吉田駅方面に向かっている途中、吉良饗庭塩あいばじおの里という施設に出会い、塩づくりの様子が再現されていました。確かに海も近いですし、なるほどなあと思います。

そして、駅前は昔ながらの暮らしの気配が感じられて、そばを流れていた矢崎川の雰囲気も好きでした。もちろん今は西尾市だけれど、吉良には吉良の雰囲気があるなあと。
吉良ワイキキビーチ。
塩づくりの再現かな。
船もたくさんあった。
市街地へ。
吉良吉田駅。
穏やかな矢崎川。
一色町いっしきちょう(西尾市)(4/6)
さらに三河湾沿いを進むように、旧一色町へ向かいました。一色支所の周辺を訪れてみて、落ち着いた暮らしは広がっていましたが、まだ何かあるような気がして、「一色さかな広場」に行ってみることに。
一色支所周辺。
暮らしも感じつつ。
すると、びっくりするほど車がたくさん停まっていて、朝市も開かれている観光地だと知りました。これは、朝市に立ち寄りたいともちろん思ったけれど、朝市は12時まで、着いた時間もちょうど12時。というわけで、朝市の通りはすでにお店が閉まっていたものの、大きな建物の中はまだまだ賑わいのピークで、美味しい海産物がたくさん並んでいたり、食事処があったり、ワクワクする場所でした。ぼくはやや急いでいたので、食事処には入らず、すでにパックで売られていた海鮮丼を昼食用に買ったのですが、これがなんとまあ美味しいこと! 今までいろいろと海鮮丼をいただく機会はありましたが、パックの海鮮丼で値段もリーズナブルなのに、お店で食べるときより美味しいぞ、と。少なくとも、味は値段ではないなと思ったのでした。
朝市広場。正午までだ。
おいしそうな海産物でいっぱい。
佐久島に行く港もそばにありました。ここから行けるんだ!
西尾市にしおし(5/6)
ここまで、西尾市の旧市町村が三河湾沿いに広がっているのだなあと、とても新鮮な思いでしたが、今度は西尾市街地へ訪れていきました。目指したのは「西尾城 二之丸天守跡」で、前回の市町村一周の旅でも訪れた場所です。ただ、前回はここしか訪れなかったので、西尾市全体のイメージがお城だったのですが、今度はほかにもいろんな土地がある中で、城跡や、市街地の風景があるのだなあと感じられて、自分の中で納得感がありました。ちょっと距離はあったけれど、城跡から西尾駅まで往復で歩いてみて、暮らしも感じながら。
西尾城 二之丸天守跡へ。
市街地に城跡がある。
歴史公園内にて。
西尾駅に向かって散策。
西尾駅。
豊田市とよたし(5/6)
旅の進み具合によって、豊田市の散策に行くかどうか、かなり迷っていました。いかんせん、西尾市から豊田市街地まで、30km離れています。それでも「豊田市民芸館」には開館時間内に行きたかったので、民芸館だけは今日、立ち寄ってみることに。ただ、ようやく豊田市に入ってたけれど、市街地から民芸館もまあまあ距離があり、向かっていく道が大渋滞で、ものすごく時間がかかりました。

ようやく豊田市民芸館に到着。そばには公園もあり、ちょうど長い石段の左右に植えてある紅葉がピークを迎えていて、その石段を野球のユニフォームを着た人たちが、ダッシュで登っています。

そして、いよいよ民芸館へ。ちなみに民芸館に興味を持ったのは、これまで倉敷や出雲の民藝館、ほかにも静岡の芹沢銈介美術館などを訪れていくと、豊田市民芸館のポスターを見かけていたから。やっぱり、民藝を通してつながりがあるのだろうなあと。訪れた日の展示は特別展「アイヌの美しき手仕事」で、館内は撮影禁止なので、じっくりと展示を眺めていきました。オヒョウやイラクサの衣服、刀掛け帯、杓子、捧酒箸イクパスイの模様、煙草入、首飾り‥‥とそれぞれ見た服や装飾品は、やはり美しかった。権威の象徴から生まれていくような文化も圧巻だけれど、生活の中から粛々と育っていった文化の美しさは、心のしなやかさや強さを感じます。訪れることができて良かったです。
前田公園。
紅葉と。
豊田市民芸館は、いくつかの建物があり、それぞれ見学できた。
帰り道、日が沈む。この日はとても寒かった。
というわけで、今日の散策はここまで。岡崎市から豊田市までなら近いけれど、三河湾沿いに西尾市をぐるっと巡ったことで、大冒険の一日でした。特に三河湾の存在感がすごくあったなあ。
本日のひとこと
豊田市民芸館にて、柳宗悦を紹介した一部には、
「見てから知りなさい、知ってから見てはいけない。つまり、まず直感を働かせて得たものを、後から概念で整理しなさい」
とありました。
旅を応援してくださる方へ
「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

(終わり。次回へ続きます)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me