
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1551/2,097】 総計【1638/2,268】スーパーカブの総走行距離
39227km

今日の旅先のこと
朝はとても気持ちのいい晴れからはじまりました。山の中だったので、なかなか晴れづらいだろうし、うれしいなあ、ありがたいなあと。そして、今日で長野県の旅も最後です。木曽町から伊那市へ。がんばって進んでいきましょう。



旧開田村(木曽町)(1/5)
旧日義村から、旧開田村を目指します。開田高原、という名前をちらほらと見聞きしていて、どういう場所なのだろう、と思いながら。
旧開田村へいよいよ入る最後のトンネルの入口と出口が、縦溝のある道になっていて、苦手なので戦々恐々と進みました。縦溝の道そのものが苦手だけれど、トンネル内だとさらにカブが不安定になるといいますか。
そして、トンネルを抜けたホッとした先は旧開田村で、道路沿いの樹木も非常に瑞々しく、雲と光と風景がすべて美しい。思わずカブを停めました。なるほど、村域全体が、高原になっているんじゃないかなあと。
また、移動中にはっきりと御嶽山が見えるスポットがありました。今までの旅先で名前が登場することはあったけれど、山の姿をはっきり見るのは初めてだった御嶽山。手前が窪んで集落が広がり、台地があり、その上に堂々と御嶽山がそびえていて、裾野はどこまでものびて端が見えない。すげえなあと。








旧三岳村(木曽町)(2/5)
次に向かったのは、旧三岳村。市街地へ訪れると、小さなお札が壁面に何枚も繋がって飾られていて、思わず目に入ります。最初にこの札を見たとき、御嶽山の信仰にまつわるものなのかな? と思いつつ、もしかしたら部分的なものかもしれない、と思って一旦通り過ぎたのですが、市街地を散策すると、お札がいろんな場所にあって、なるほど、地域全体としての(もちろんすべてではないだろうけれど)意志を感じるなあと思ったのでした。
ちなみに、旧三岳村からさらに山奥へ進むと、王滝村に入ります。王滝村は、前回の市町村一周の旅でも指折りの遠い村で。だから、旧三岳村からの地図を見て、なるほど、こうつながっていたのかと。そして、旧三岳村も少し王滝村と雰囲気が似てると感じました。
灯油の匂いもして、冬が近づいているとも思いましたし、10時になると、明るいエーデルワイスが流れたのでした。
次に向かったのは、旧三岳村。市街地へ訪れると、小さなお札が壁面に何枚も繋がって飾られていて、思わず目に入ります。最初にこの札を見たとき、御嶽山の信仰にまつわるものなのかな? と思いつつ、もしかしたら部分的なものかもしれない、と思って一旦通り過ぎたのですが、市街地を散策すると、お札がいろんな場所にあって、なるほど、地域全体としての(もちろんすべてではないだろうけれど)意志を感じるなあと思ったのでした。
ちなみに、旧三岳村からさらに山奥へ進むと、王滝村に入ります。王滝村は、前回の市町村一周の旅でも指折りの遠い村で。だから、旧三岳村からの地図を見て、なるほど、こうつながっていたのかと。そして、旧三岳村も少し王滝村と雰囲気が似てると感じました。
灯油の匂いもして、冬が近づいているとも思いましたし、10時になると、明るいエーデルワイスが流れたのでした。












伊那市(3/5)
旧三岳村から、約40キロの移動で伊那市を目指します。道中は昨日訪れた、木曽福島の町並みもあらためて見ることができました。
そして、伊那市への道は、簡単なようで簡単ではありません。理由はひとつ「なぜならあの長いトンネルがあるから…」と。前回の旅でも印象的だった、木曽路から伊那へ抜けるとても長いトンネル。あそこを無事に越えることで、伊那谷が広がるんだよなあと。見たい景色の前には、試練があるという感覚です。
もちろん、長いトンネルも車なら何の問題もないわけですが、ぼくのカブ号はあまりスピードが出ないので、後続車との関係が難しいわけです。
うまくいくといいなあ、と願いつつ、小さなトンネルを抜け、最後に現れました4,467mの「権兵衛トンネル」。後続車を確認。しまった、遠いけれどトラックがいる。いやあ、大丈夫かなあ、と思いつつ、そのまま突入。
そして、このトラックが、やさしくてよかった。急に車間距離が縮まることもなく、ぼくのペースを保つことができた。前回は何度もトンネル内で追い抜いてもらったんですよね。今回はそういうこともなく、最後まで同じペースで走り切ることができました。
そして、いざトンネルを抜けた先は、どん! と伊那谷が広がります。前回の旅では、ここで出会った風景がぼくの旅のシンボルにもなりました。今回はどんな景色でもいいけれど、同じ場所に立てたらいいなあと。
「この辺じゃないかな?」と曲がった先で見た光景は、まさに6年前に見た光景でした。少しだけ違ったのは、新しい家が建っていたこと。でもそれ以外は変わらない。実は、真横で警察がスピード違反の取り締まりをしてて(待機中)、警察官に見られながらも、カブを停めて何度も写真を撮りました。あとでパトカーが近づいてきて、ドキドキしましたが、「どうぞー(写真撮ってて構わないですよ)」と言われて、警察官公認で堂々と撮ることもできて。6年経って、自分がどのように変わったかはわからないけれど、同じ場所に立ち、少しでも自分が後悔しない生き方を、続けられたらと思ったのでした。
旧三岳村から、約40キロの移動で伊那市を目指します。道中は昨日訪れた、木曽福島の町並みもあらためて見ることができました。
そして、伊那市への道は、簡単なようで簡単ではありません。理由はひとつ「なぜならあの長いトンネルがあるから…」と。前回の旅でも印象的だった、木曽路から伊那へ抜けるとても長いトンネル。あそこを無事に越えることで、伊那谷が広がるんだよなあと。見たい景色の前には、試練があるという感覚です。
もちろん、長いトンネルも車なら何の問題もないわけですが、ぼくのカブ号はあまりスピードが出ないので、後続車との関係が難しいわけです。
うまくいくといいなあ、と願いつつ、小さなトンネルを抜け、最後に現れました4,467mの「権兵衛トンネル」。後続車を確認。しまった、遠いけれどトラックがいる。いやあ、大丈夫かなあ、と思いつつ、そのまま突入。
そして、このトラックが、やさしくてよかった。急に車間距離が縮まることもなく、ぼくのペースを保つことができた。前回は何度もトンネル内で追い抜いてもらったんですよね。今回はそういうこともなく、最後まで同じペースで走り切ることができました。
そして、いざトンネルを抜けた先は、どん! と伊那谷が広がります。前回の旅では、ここで出会った風景がぼくの旅のシンボルにもなりました。今回はどんな景色でもいいけれど、同じ場所に立てたらいいなあと。
「この辺じゃないかな?」と曲がった先で見た光景は、まさに6年前に見た光景でした。少しだけ違ったのは、新しい家が建っていたこと。でもそれ以外は変わらない。実は、真横で警察がスピード違反の取り締まりをしてて(待機中)、警察官に見られながらも、カブを停めて何度も写真を撮りました。あとでパトカーが近づいてきて、ドキドキしましたが、「どうぞー(写真撮ってて構わないですよ)」と言われて、警察官公認で堂々と撮ることもできて。6年経って、自分がどのように変わったかはわからないけれど、同じ場所に立ち、少しでも自分が後悔しない生き方を、続けられたらと思ったのでした。




そのあとは、春日公園や伊那市駅といった市街地を散策しています。







旧高遠町(伊那市)(4/5)
さて、旧高遠町は、伊那市街地から東に進んだ先に広がる地域です。踏切を渡って道なりに進み、市街地に着くと城下町が広がっていました。諏訪盆地と伊那を結ぶ交通の要衝で、武田氏と織田氏の戦いもあった末に、明治まで高遠藩が続いたと。
城跡へ訪れる前には、「高遠そば」のお店にも入ってみました。ほんとうに知識知らずなので、信州そばのイメージで入店したわけですが、高遠そばを注文すると、「お味噌でいいですね?」と聞かれて、一瞬困惑。
高遠そばは、ふつうのおつゆではなく、大根のしぼり汁に焼味噌を入れたものが、つゆになるのです。いやあ、知りませんでした。お店のお母さんには、「最初に焼味噌を8割ぐらい入れて、調整してみてね」と言われたけれど、お父さんには「全部入れなさい」と。各々のこだわりがあるようです。
何より味は、焼味噌がそばをしっかりと支えて美味しい! 今までにない! 江戸時代から続く食べ方かあ! と、刺激いっぱいでした。蕎麦湯もいただいたのですが、大根の辛さがなかなか薄まらなくて、これも特徴的だなあと思ったり。
さて、旧高遠町は、伊那市街地から東に進んだ先に広がる地域です。踏切を渡って道なりに進み、市街地に着くと城下町が広がっていました。諏訪盆地と伊那を結ぶ交通の要衝で、武田氏と織田氏の戦いもあった末に、明治まで高遠藩が続いたと。
城跡へ訪れる前には、「高遠そば」のお店にも入ってみました。ほんとうに知識知らずなので、信州そばのイメージで入店したわけですが、高遠そばを注文すると、「お味噌でいいですね?」と聞かれて、一瞬困惑。
高遠そばは、ふつうのおつゆではなく、大根のしぼり汁に焼味噌を入れたものが、つゆになるのです。いやあ、知りませんでした。お店のお母さんには、「最初に焼味噌を8割ぐらい入れて、調整してみてね」と言われたけれど、お父さんには「全部入れなさい」と。各々のこだわりがあるようです。
何より味は、焼味噌がそばをしっかりと支えて美味しい! 今までにない! 江戸時代から続く食べ方かあ! と、刺激いっぱいでした。蕎麦湯もいただいたのですが、大根の辛さがなかなか薄まらなくて、これも特徴的だなあと思ったり。






その後、高遠城跡へ。今は城の面影がやや見えづらくなっていますが、固有種のタカトオコヒガンザクラが樹林として広がり、春は桜の名所になっています。まだ紅葉でもない姿でありつつも、桜の太い幹がずらっと並ぶ姿は迫力がありました。







旧長谷村(伊那市)(5/5)
最後にやってきたのは、旧長谷村です。旧高遠町から南へ6kmほど進んで到着しました。ただ、地形は中央構造線に入っていき、徐々に景色も険しく。看板を見ると、ずっと南下すれば「大鹿村」に着くようです。なるほど、でも、大鹿村の方が、もっと険しいかもしれないな、と思ったり、いや、とはいえ十分すぎる険しさじゃないか、などと考えつつ、市街地を散策です。近くには美和湖が広がり、道路では中学生たちがたくさん移動していました。ここにも日常があるのだなあと感じつつ、長野県の旧市町村の旅も最後だったので、感慨深い気持ちでまちを離れたのでした。
最後にやってきたのは、旧長谷村です。旧高遠町から南へ6kmほど進んで到着しました。ただ、地形は中央構造線に入っていき、徐々に景色も険しく。看板を見ると、ずっと南下すれば「大鹿村」に着くようです。なるほど、でも、大鹿村の方が、もっと険しいかもしれないな、と思ったり、いや、とはいえ十分すぎる険しさじゃないか、などと考えつつ、市街地を散策です。近くには美和湖が広がり、道路では中学生たちがたくさん移動していました。ここにも日常があるのだなあと感じつつ、長野県の旧市町村の旅も最後だったので、感慨深い気持ちでまちを離れたのでした。









というわけで、今日の散策はここまで。
散策を終えたあとは、駒ヶ根市の「青年海外協力隊訓練所」を見学することができました。JICA海外協力隊に選ばれた方々が、語学訓練などを行う施設です。友だちがここで生活をしていて、来年には赴任地へ飛び立つと。年齢問わずさまざまなバックグラウンドを持つ人たちが集まっていて、いっしょに語学漬けの日々を送っていて。その生活を垣間見させてもらい、何人かと会話もさせてもらいました。友だちはもちろん、集まっている方たちの人間性も生き方もかっこよくて、見学できて良かったなあと。旅とは違うけれど、とても印象深い時間を過ごすことができたのでした。
散策を終えたあとは、駒ヶ根市の「青年海外協力隊訓練所」を見学することができました。JICA海外協力隊に選ばれた方々が、語学訓練などを行う施設です。友だちがここで生活をしていて、来年には赴任地へ飛び立つと。年齢問わずさまざまなバックグラウンドを持つ人たちが集まっていて、いっしょに語学漬けの日々を送っていて。その生活を垣間見させてもらい、何人かと会話もさせてもらいました。友だちはもちろん、集まっている方たちの人間性も生き方もかっこよくて、見学できて良かったなあと。旅とは違うけれど、とても印象深い時間を過ごすことができたのでした。
本日のひとこと
長野県の旧市町村をすべて巡ることができて、ほんとうによかったです。これからも細々と旅を進めます。長野県、ありがとう!

長野県の旧市町村をすべて巡ることができて、ほんとうによかったです。これからも細々と旅を進めます。長野県、ありがとう!

旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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