ふるさとの手帖

市町村一周の旅

南砺市の旅。福光や城端、世界遺産の合掌造り。【旧市町村一周の旅(富山県)|10月10日―553日目)】

南砺市の旅。福光や城端、世界遺産の合掌造り。【旧市町村一周の旅(富山県)|10月10日―553日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1488/2,097】
1488/2097
71.00%
総計【1575/2,268】
1575/2268
69.44%

スーパーカブの総走行距離
37983km

旧井口村→旧福光町→旧城端町→旧平村→旧上平村、の5つ。
今日の旅先のこと
今日は主に、富山県南砺市を巡っていきます。前回の旅はひとつのまちという感覚で南砺市を巡ったわけですが、「南砺」は新しい市名で、元々8つのまちがあったわけですね。それぞれ平野から山奥まで、訪れて行きました。それでは振り返っていきましょう。
井口村いのくちむら(南砺市)(1/5)
朝8時15分、泊まっていた旧井波町の民宿を出発した。その
直前に、女将さんがバナナを2本くださる。今日は食事よりも時間を優先させたかったので、お昼ごはんをバナナにさせていただこう、ともらったときに思った。ありがとうございます。

最初に向かったのは、旧井口村。民宿からは5kmほどで、さほど遠くない。「井口カイニョと椿の森公園」に向かうと、こんもりした緑色の丘と長細い平屋の建物があった。周辺の様子からも、井口は椿が有名なのだなあと感じる。「カイニョ」とは何か、とわからずにいたものの、どうやら“屋敷林”を指すらしい。砺波平野は散居村で風が強いから、屋敷林を植えると。そして、その木には椿も含まれているそうで、景観を引き立てる効果もあるようだ。

海岸線の松原が防風林になっているように、散居村のカイニョも同じ役割を持っているならば、知恵も景観も織り混ざって暮らしの姿があるわけだ。

まちには田んぼも多く、景色が開けると遠くまで見える山並みが綺麗だった。
旧井口村へ。
井口カイニョと椿の森公園。
おはよう。
こんもりした丘があった。
りんごだ。
まちを歩く。
山並みが綺麗。
椿の絵。
福光町ふくみつまち(南砺市)(2/5)
南砺市で最も大きなまちは、旧福光町だろう。でも、これまで福光という地名は知らなかった。もちろん地元の人であれば、ほとんどの人が知っているのだろうと思うし、地名は外にいると変化が見えづらいなあとやはり感じた。

市街地へ向かうと、小矢部川を挟んでまちが広がっていた。昔の面影を残した建物も多い。家と家の隙間がなく、長方形で明るい壁色の建物もあった。ある靴屋ではシャッターが開き、ある店では調理服のお父さんが準備に追われ、続いてきた商売の姿を感じる。
旧福光町へ。
小矢部川。
懐かしい雰囲気。
カーブも好き。
また、棟方志功記念館愛染苑へ向かっていると、隣接して福光公園があり、広場には30人ほどの年配の方々が集まっていた。まもなくゲートボール大会が始まるようだが、なかなかの規模である。

そして、棟方志功記念館愛染苑へ。入館料を支払うと、男性が別棟の「鯉雨画斎」という建物へ案内してくれて、棟方志功と福光について説明してくれた。

そもそも、棟方志功は青森の生まれで、画家を志し上京し、やがて国を代表する版画家として活躍したわけだが、なぜ富山という土地に関わりがあるのか知らなかった。しかし、男性が簡潔に説明してくれたことには、昭和20年から6年8ヶ月、疎開で福光へやってきたのだと。その際に持った新居が、この「鯉雨画斎」だった。
建物には、天真爛漫な棟方志功の絵が板戸から厠にまで及んでいた。

また、棟方志功と親交の深かった人物として、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎、大原總一郎なども教えてもらった。彼らは福光にも足を運んでいたと。なるほど、民藝の分野で登場しやすい偉人の名前だとは思うけれど、やはりこうしたつながりの深さが、活動にも直結しているような気がした。大原總一郎は、倉敷の大原美術館の創設者、大原孫三郎の息子だ。それに、作品展示には「芹沢銈介」の名前もあった。出雲民藝館で知って好きになった人物だけれど、彼らもつながっているのだなあと。
福光公園。
棟方志功記念館愛染苑へ。
厠の天井にも絵が。
板戸の絵。
柳宗悦のかけ軸。
棟方志功がつくったカレンダー。オリジナリティ!
福光の田園風景を、こう表現できるのだなあ。
城端町じょうはなまち(南砺市)(3/5)
次に向かったのは、旧城端町。城端と書いて、何と読むか。わからないまま訪れたものの、じょうはなと読むとは、また珍しいなあ。

砺波平野から、徐々に険しい山が近づいてきたところで、市街地に入る。そして、城端駅前も、城端別院善徳寺の周辺も、どこを見ても懐かしい町並みが広がっていた。「城端曳山会館」もあり、曳山が有名であることもわかった。富山県では、ほんとうに曳山の文化が色濃い。「おわら風の盆」で有名な富山市八尾も、曳山祭が有名なのだから。

町並みは「越中の小京都」と称されているようで、歩いてみてもとても風情があった。主には善徳寺を中心とする門前町であり、昨日の井波の瑞泉寺をはじめ、富山はお寺の文化が深いなあと思う。いざ、善徳寺へ入ると門の木彫りの装飾がどこまでも細かく、静かながら圧倒させられるものがあった。

また、曳山祭のポスターだけではなく、「むぎや祭」というポスターもあった。五箇山の民謡むぎや節を唄い踊るものだそうで、知らない文化も知りきれないほどある。
旧城端町へ。山が近づいてきた。
曳山が有名なまち。
良い雰囲気の建物。
無人販売だ。
奥には城端別院 善徳寺。
装飾もすごい。
静かに参拝。
柳田國男の石碑もあった。
平村たいらむら(南砺市)(4/5)
さあ、ここからは旧平村を目指して、ほとんど一本道で山へ向かって進んでいった。旧平村、と聞いて馴染みはなくとも、「五箇山」や「合掌造り」、「世界遺産」と聞くと、浮かぶ景色がある人もいるだろう。

旧平村には、世界遺産の「相倉合掌造り集落」がある。なるほど、南砺市になるまでは旧平村だったのか、とぼくも思った。

また、昨日の旧利賀村への旅路がとても険しかったので、戦々恐々としていたけれど、利賀へ向かうよりは太い道がつづき、長いトンネルも安定していて、ほっとした。

ただ、相倉合掌造り集落へ向かう前に、旧平村の市街地へ向かってみた。世界遺産ではない地域のことも、見てみたかった。すると、庄川沿いにギュッと建物が集まり、しっかりとしたまちの姿があった。合掌造りの家ではないものの、相倉のイメージの強さから、こういうまちのイメージを持っていなかったので、とても新鮮だった。
旧平村の市街地へ。
平市民センター。
何の野菜だろう。
庄川と。
その後、相倉合掌造り集落にも訪れた。前回の市町村一周の旅以来、6年ぶりの訪問だけれど、立派な家の姿は変わっていない。ささやかに心感じる花々が小さくあちこちで咲き、美しい鈴や水路の音が響き、商店からは民謡が聞こえた。いろいろと見えたり聞こえてくるものが、体へ入ってくることを妨げない。

変わったと感じたのは、海外の観光客が圧倒的に増えていたことだろうか。山間部へ訪れる海外の人たちは、ほんとうに増えたのだろうなあと思う。ただ、海外の人たちからすれば、どうしようもないことだ。たとえば、ぼくが海外へ行くとして、都会以外の場所に行きたいと思って調べて出てきた先が、海外版の「五箇山」だったりするわけだから、当人からすれば、以前より増えたかどうかよりも、見つけたか見つけてないかだものなあ。
相倉合掌造り集落へ。
そば畑。
ススキの季節。
相倉にも、県知事選は迫っています。
上平村かみたいらむら(南砺市)(5/5)
さて、相倉から少しだけ南へ進み、旧上平村へ向かった。トンネルを抜けて「村上家住宅」や「こきりこ節」が有名な集落を通り、庄川沿いの「くろば温泉」のすぐ近くに、上平市民センターがあった。民家もいくつか並び、静かな暮らしが広がっている。
旧上平村へ。
くろば湯の横で、建物に合わせてはさがけがあった。面白い!
そこから再び1kmほど進むと、「菅沼合掌造り集落」がある。菅沼へ訪れるのは初めてだった。ただ、通過をしたことはあって、「菅沼」と書かれた看板を見ていた覚えはあったから、ついに訪れることができたと、伏線が回収されるような気持ちで。

駐車場に車を停めると、別ルートもあるけれど、エレベーターで集落へ降りていくというのがメインルートになっていた。駐車場を地上1階とすると、地下3階まで降りるという設定だったので、そこそこの高低差だ。

そして、地下から細いトンネルを抜けて、菅沼合掌造り集落へ。相倉の集落よりも合掌造りの家の数は少ない。あとで調べると、9戸だった。だが、この少ない合掌造りの家たちが醸し出す雰囲気には、小さいながらも味があり、ぼくはとても好きだった。相倉は庄川からやや離れた集落だが、菅沼は庄川のわずかな河岸段丘につくられた集落であることも面白い。小高い駐車場や道路が南側だけれど、ギリギリ空も広く日差しも当たる。また、集落の中央には小さな田んぼがあり、稲刈りの後だったけれど、この風景も優しくて良いなと思った。

いくつかお土産を買って、その後、駐車場へ戻って遊歩道を少し歩き、集落を一望した。家たちがぐるっと田んぼを囲むように集まっていて、ここにしかない風情だとまた感じたのだった。
菅沼合掌造り集落へ。
ひとつの建物がとても大きい。
展望台から。
囲われてるみたい。
というわけで、今日の散策はここまで。同じ南砺市の中でも、いろんな歴史や文化を持つまちがあると、しみじみ感じます。天候に恵まれたことも、ありがたかった一日でした。
本日のひとこと
朝、泊まっていた民宿の女将さんに、「あなた、誰かに似てると思ったら、野球部のセカンドの松井くんだわ」と言われました。松井くん!
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(終わり。次回へ続きます)

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