ふるさとの手帖

市町村一周の旅

夏と秋の境目を走り抜けながら。【旧市町村一周の旅(岐阜県)|9月11日―523日目)】

夏と秋の境目を走り抜けながら。【旧市町村一周の旅(岐阜県)|9月11日―523日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1419/2,097】
1419/2097
67.69%
総計【1506/2,268】
1506/2268
66.40%

スーパーカブの総走行距離
36269km

旧神岡町→旧上宝村→旧河合村→旧宮川村→旧荘川村、の5つ。
今日の旅先のこと
今日は飛騨市街地から出発です。そして、まだ訪れていない、飛騨市と高山市の旧市町村を巡りました。午後には土砂降りの雨も重なり、夏の風景と秋の気配が混ざり合ったような一日でした。それでは振り返っていきましょう。
神岡町かみおかちょう(飛騨市)(1/5)
8時過ぎに飛騨市街地を出発しました。朝は涼しく、空は曇りと晴れの境界線ぐらいです。途中で神原峠を越えて山田という地域に入り、しばらく走ったのちに、ようやく旧神岡町の市街地が。

物理的な距離も、飛騨市街地から遠いなあと思いましたが、現れた風景もまるで違っていました。狭く山に囲まれていて、まちの中心を高原川が流れ、川の両岸に懐かしい町並みが広がっています。散策をしても町並みがどこまでも広がっていて、神岡は大きなまちだったのではないか、と思うばかりでした。

その後、神岡城である高原郷土館を訪れてみて、謎が解けました。神岡はかつて東洋一の規模を誇った日本有数の亜鉛の山、「神岡鉱山」があったと。そういえば、神岡鉱山という名前は、聞いたことがあるような、とも思いました。それがここだったのか。そして、これまで訪れてきた日本各地の鉱山を想像すると、これだけの広い町並みがあることも、納得なのでした。
旧神岡町へ。ようきてくれなった。
懐かしい雰囲気です。
神岡ニュース。
高原川と。
左手には神岡城(高原郷土館)。
船岡座。立川志らくさんが10月に独演会をひらくみたいで、まちのあちこちにポスターがありました。
神岡城へ。
神岡のまちを見渡すことができました。
すごいなあ。
旧松葉家住宅にも。
上宝村かみたからむら(高山市)(2/5)
旧神岡町から南東の方角へ、国道471号線を進んでいきます。そして、山を登り切った先に景色が開け、高原地帯がひろがっていました。いくつかの田んぼではすでに稲刈りが終わり、稲が干されていて、その田んぼの奥には大きな山が聳え立っており、自然のスケールが大きかったです。

市街地にもやってきて、緩やかな斜面にのどかな高原の暮らしがあると感じられました。地下の水路からはごおお、と水量も多く流れも早い音が聞こえてきて、自然もそばに感じながら。

郵便局のおじさんも、「こんちはっ!」と明るい挨拶をしてくれて、これも土地の雰囲気なんじゃないか、とも感じられました。

今回、旧神岡町からは9kmほどでやってくることができましたが、高山市街地からは、37km離れています。そのことを思うと、実に遠い土地に高山市のまちもあるのだなあと、高山市の広さを思わずにはいられません。
旧上宝村へ。
広い高原だ。
見事だなあ。
郵便局の人とは挨拶もした。
河合村かわいむら(飛騨市)(3/5)
さて、旧上宝村からこれまで走ってきたルートを逆戻りし、旧河合村を目指しました。約40kmの移動です。

途中ですごう峠という看板を越えたとき、標高は896mと表記されていました。さりげないけれど、凄まじいなと。長野県南部の道でこういうことはあったけれど、なかなか、さりげなくこれぐらいの標高を走ることは、日本においてあまりないように思います。

そして、宮川沿いの国道を北上していき、角川という地域では山の向こうにもくもくと入道雲が湧き上がっていて、思わずカブを停めて。ここに至るまでも、稲刈りを終えた初秋の気配を感じていましたが、入道雲を見ると夏の風景だし、一日のなかに、どちらも存在しているように思う。

旧河合村の市街地へ訪れると、豊かな里山の風景が広がっていました。丘の上下に家が並び、山にも囲まれていながら、狭さはなく、ゆったりとした気配。赤い屋根が多いのも特徴的だと思いました。自然と生活が調和し、お互いに引き立てあっているようで。

ここでもはさがけされた稲穂が多く、実りの風景を感じた散策でした。
今度は夏の風景だ。
市街地へ。
河合振興事務所。
穏やかな雰囲気。
気持ち良さそう。
宮川村みやがわむら(飛騨市)(4/5)
再び宮川を下流に向かって進んでいき、旧宮川村に入りました。ちなみにこの宮川は、富山県との県境で、先ほど旧神岡町で流れていた高原川と合流し、富山県から「神通川」と名称が変わります。意識していないと違う川のように感じてしまうけれど、この神通川は富山市の中心部から富山湾へ流れ出る川なので、こうして繋がっているのだなあとあらためて。

宮川市街地は山に囲まれた集落でした。水も豊かなようで、流れ出る水を使ってペットボトル飲料も冷やされていました。おうちの玄関先などで植えられている花々も綺麗で、地元の方々の心を感じるというか。

ちょうど12時を迎えて、何かの曲であろう放送が流れたのですが、今までで聞いたことのない曲でした。地元の曲なのかな。
旧宮川村へ。
宮川振興事務所。
坂上駅。
お寺にスノーシェルターだ。
美しいなあ。
さらに、宮川市街地から6kmほど東へ進み、種蔵という地域にも訪れました。種蔵は石垣の棚田や板倉が有名な集落です。駐車場から歩いて散策していくと、小さなこげ茶色の板倉が、斜面にぽっ、ぽっ、ぽっ、と浮かぶように建っていました。見たことのない景観だったけれど、土地に馴染んでいて、落ち着く風景でした。

ここにも小さな暮らしは続いていて、家からテレビの音や、食器にカトラリーがカチカチと当たる音も聞こえてきて、日本も広いなあと静かに感じた次第です。
種蔵へ。
右手には板倉。
独特だなあ。
荘川村しょうかわむら(高山市)(5/5)
種蔵から、旧荘川村まで約60kmの移動でした。途中、ふと通り抜けたトンネルが非常に長く、それに今までのトンネルの中でいちばん寒かったです。あとで調べると「猪臥山トンネル」といい、総延長は4,475 mとのこと。そりゃあ長い!

そして、このトンネルをようやく抜け、標高1085mという松ノ木峠を越えて旧荘川村へ入り、驚きと安堵に包まれたのも束の間、眼前の雲行きがかなり怪しく、程なくして完全に灰色に包まれたのでした。

やがて、ずうぅわー!! と雨が降り出し、合羽が必要な雨だったのですぐに合羽を着て、土砂降りのなかの移動に。これ、どこかで雨宿りできないものか、と思っていたところ、右手に体育館を発見し、急遽屋根の下で雨宿りさせてもらうことに。

もう、15時が迫っていたけれど、ちょうどお昼ご飯を食べていなかったので、この雨の間に軽食を取ることもできました。それに、体育館の屋根の下で雨宿りって、なんだかいいなあとも思いました。
ずああ!
しばらく天気雨。
しばらく経って雨が止んでからは、日差しが再び戻り、路面や田畑が輝きます。その光景がとても綺麗で、雨で濡れてしまったけれど、いい風景にも出会えたなあと嬉しい気持ちで、散策したのでした。
雨上がり。
濡れた路面と。
荘川総合センター。
いい風景だなあ。
大きな水車も。
夕食に道の駅で鶏ちゃん定食を食べた。メニューにあると、頼んでしまいます。
向こうは雨だなあ。
というわけで、今日の散策はここまで。久しぶりに土砂降りの雨に遭いましたが、飛騨国で降る雨やまちの風景というものも、また勉強になったのでした。
本日のひとこと
あちこちで刈られた稲穂が干されていますが、岐阜では田んぼによって干し方が違うなあと感じます。
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(終わり。次回へ続きます)

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