ふるさとの手帖

市町村一周の旅

自然も建物も温泉も生きている。【旧市町村一周の旅(岐阜県)|9月8日―520日目)】

自然も建物も温泉も生きている。【旧市町村一周の旅(岐阜県)|9月8日―520日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1402/2,097】
1402/2097
66.86%
総計【1489/2,268】
1489/2268
65.65%

スーパーカブの総走行距離
35892km

旧川上村→旧付知町→旧加子母村→旧金山町→旧下呂町、の5つ。
今日の旅先のこと
今日は中津川市街地を出発し、北上していきました。大自然に囲まれた滝や渓谷を訪れたり、歴史ある芝居小屋を見学させてもらったり、温泉街を歩いたり、出会うものたちはそれぞれ生きていると感じられて。それでは振り返っていきましょう。
川上村かわうえむら(中津川市)(1/5)
朝8時20分に出発。日差しから察するに、暑くなりそうです。午後からはもしかしたら雨が降る予報もあります。気をつけてがんばろう。

中津川市街地から、途中で国道19号線に乗り、北上していきました。国道に入るまでの沿道では、地元の方々が草を抜いたり葉っぱを掃除しています。それも結構な人数で。しかも、ひとつの地区だけではなく、別の地区でも見かけました。朝からみなさんで力を合わせて掃除することで、景観も守られているのだなあと。とてもすごいと思いました。

そして、旧川上村に入り、まずは市街地周辺へ。山に囲まれた集落で、場所によってはもっと険しい山も遠く姿を見せていました。

ふと、トラックに積まれたコンバインがやってきて、おそらく稲刈りが行われるのかなあと。お米のニュースが多い最近ですが、稲刈りの風景は、日々見かけます。

その後、「竜神の滝」へ。地域一帯は夕森公園や、夕森渓谷と呼ばれているようで、駐車場では誘導員の方がいて、料金を支払って駐車し、滝へ往復1km歩きました。

やはり渓谷は涼しく感じられましたし、すでに人もたくさん訪れていて、人気の場所なのだなあと。滝の周辺は細い遊歩道を登ったり降ったり、アトラクションのようでした。その遊歩道の先に、まんまるとした竜神の滝が流れています。そばの岩肌に日差しがあたり、その岩が濡れているのでとても輝いて見えました。時間帯によっては、滝にも日差しが当たりそう。
旧川上村へ。
山に囲まれた暮らし。
竜神の滝を目指します。
竜神の滝。
付知町つけちちょう(中津川市)(2/5)
竜神の滝から移動し、国道256号線に合流すると、一気に交通量が増えました。道なりに北上していくと下呂や高山に通じているので、納得です。

そして、旧付知町へ入り、道の駅やお店が並ぶ通りを抜けていきます。行列のできているお店もありました(たぶん和菓子店)。

付知総合事務所から、付知川の橋を徒歩で渡った先には、住宅街が広がっていました。国道沿いの風景と違って、住宅街という雰囲気なので、国道だけでは見えていない景色も、これまでにたくさんあったのだろうなあとも思います。
付知総合事務所。
奥に町並みが見える。
穏やかな暮らしが広がっていました。
付知川です。
その後、「付知峡」へ向かいました。入口に近い駐車場は満車で、見渡しても軽く200台ぐらいは停まっているんじゃないのかなと思えて、すごい観光地だなあと。

付知峡にも滝があるとのことで探しながら進むと、不動滝は流れの美しさだけではなく、滝壺が透明なブルーで、それが人々を惹きつける根源に感じられました。滝壺は、滝の勢いそのままに水飛沫で隠れてしまっていることも多いですが、付知峡の滝壺は違いました。

ぐるっと峡谷を一周したのですが、三人以上では歩けない吊り橋があり、それを待っている時間はテーマパークでアトラクション待ちをしているみたいだなと思いましたし、実際かなり揺れの大きな橋でした。遊歩道のそばには整備された水路も一緒に流れていて、付知峡は気持ちの良い場所だなあと感じられたのでした。
美味しそう!
不動滝の滝壺が青かったです。
遊歩道の横には水路も。
吊り橋の待ち時間がアトラクション待ちみたい。
だいぶ揺れました。
加子母村かしもむら(中津川市)(3/5)
次にやってきたのは、中津川市で最後のまち、旧加子母村です。まずは、「かしも明治座」という芝居小屋を見に行ってみました。こうした歴史的建造物は、これまでの経験上見学できないことが多く、今回も外観だけでも見れたらいいなあという感覚でしたが、なんと「開館」とかかれていました。わあ、入っていいのかな、ちょっとドキドキしながら靴を脱ぎます。


中に入ると、見事な青色の引き幕がブワッと目に入り、畳や歩み板、提灯の灯りが生み出す雰囲気に圧倒されます。

案内板を見ると、誰もいない場合は、畳の上でお待ちいただくか、大声で叫んでくださいとあります。

そして、遠くから声が聞こえてくるのです。どうやら人はいる。ぼくは地元の方たちが、引き幕の裏で打ち合わせか話し合いをしているのだろうと思いました。

なので、「すみませーん!」と何回か大声を出してみるものの、通じない。うーむ、と正座をして、話し合いだから終わらないかなあ、どうしようかなあ、と思っていたところ、徐々に声が近くなり、

「ガバッ!!!」

と、なんと花道の床から手がニョキっと出てきて、顔が出てきて、案内人の男性と観光のご夫婦二人が、もぐらみたいに現れたのでした。

で、案内人の方が、「見学ですか?」とサラッと言うわけです。ぼくは面食らってしまいました。人が出てくるなら、引き幕の横だと想像していたのですが、まさか地下から出てくるとは。

そして、おかげさまで案内人の男性に、1時間ほど解説をしてもらいながら、明治座を巡らせてもらいました。

古くは尾張藩の直轄地だった加子母は、良質な檜材の産地で、現在も加子母にある国有林からは、伊勢神宮の式年遷宮の御用材にも使われていると。

明治座のこけら落としは1894年。つくりは江戸時代の標準的な大きさで、一階と二階合わせて、最大600人のお客さんが入るそうです。

また、何より青色の引き幕はこの明治座の宝物であること。さらに楽屋にも案内してもらうと、役者さんや著名人のサイン(落書き)が、壁一面にかかれていました。この建物が生きてきた時間は、お客さんのみならず、数え切れないほどの演者さんが支えてきたということが、ひしひしと伝わってきて、ほんとうに驚きました。

ここまで芝居小屋の舞台裏を見せてもらったのは初めてで、あっという間の1時間でした。最後に奈落と呼ばれている地下から、花道に出られたのも、すごく嬉しかったです。

とても貴重な体験でした。
旧加子母村へ。
かしも明治座。
青色の引き幕に圧倒されました。
現役の芝居小屋です。上り坂は花道。
建物を案内してもらいつつ。
畳に人がいっぱいでも移動できるように、歩み板。
舞台裏では次の準備が。
地下は奈落と。
ここは花道の下。板を外すと、地上に出ます。
ガバッ!と出る感じでした。
二階にも上がらせてもらいました。
すごいなあ。ほんとうにありがとうございました。
加子母市街地。
金山町かなやまちょう(下呂市)(4/5)
旧加子母村を訪れたのち、下呂市に入りました。そして、下呂市街地まであと数キロというところで、南西の方角へ進む国道41号線に移り、道なりに進んで旧金山町へ入りました。

市街地は飛騨川と馬瀬川が流れ、金山は古くから交通の要衝で、飛騨街道の宿場町として栄えたそうです。町並みも懐かしさがあり、風鈴が多く飾られていて、気持ちの良い音が鳴っていました。

伊能忠敬が飛騨の起点を定めた測量水準点もあり、飛騨山脈もこの地点から始まるそうです。水準点を表すマンホールも発見しました。すなわち、金山は飛騨と美濃の領国の境で、飛騨の玄関口だったと。そう考えると、いろんな文化が交わる土地だったのだろうなあと。
旧金山町へ。
飛騨金山駅。
懐かしい雰囲気です。
飛騨の入口の水準点。
下呂町げろちょう(下呂市)(5/5)
最後にやってきたのは、下呂市街地です。かつては下呂町でした。前回の市町村一周の旅では、訪れた当日に花火大会があり、それも偶然のことだったので、とても思い出深いまちです。

先ほど通った道を戻って行ったのですが、途中はかなり路面が濡れていて、旧金山町を巡っている間に、雨が降ったようです。とはいえ自分は濡れなかったので、ありがたいなあと。

下呂市街地が見えてくると、温泉宿や住宅地が飛騨川沿いに広がって、下呂にやってきたことを景色から感じられます。

そして、素泊まりで予約していた宿にチェックインし、徒歩で温泉街を散策しました。

前回の旅以来なので、6年ぶりなのだなあと思うと、信じられない気持ちにもなりました。6年も経っているなんて。

また、前回は花火の待ち時間が長くて温泉街をあまり歩いていなかったので、ゆっくり歩いてみて、賑わいを感じることができました。

泊まっているお宿にもありがたいことに温泉があり、少しでも体を楽にさせてもらって、ぐっすり眠りましょう。
下呂市街地へ。
見事な景色だなあ。
水明館さん。
6年前、この辺りで花火を見たのでした。
というわけで、今日の散策はここまで。中津川市は旧山口村(元長野県)を合わせて8つのまちを巡り、前回の旅では知らなかった土地に多く出会いました。振り返ってみても、この旅をさせてもらっているありがたさを、ひしひしと感じるばかりです。
本日のひとこと
サングラスを落としてしまって、サングラスに申し訳ない気持ちです。もっと物を大切にすること。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)

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