ふるさとの手帖

市町村一周の旅

霧雨は上がり、米原市と長浜市の旅へ。【旧市町村一周の旅(滋賀県)|8月20日―501日目)】

霧雨は上がり、米原市と長浜市の旅へ。【旧市町村一周の旅(滋賀県)|8月20日―501日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1350/2,097】
1350/2097
64.38%
総計【1437/2,268】
1437/2268
63.36%

スーパーカブの総走行距離
34650km

旧米原町→旧近江町→旧山東町→旧伊吹町→長浜市→旧高月町→旧西浅井町、の7つ。
今日の旅先のこと
今朝は雨が降っていました。レーダーを見ると、朝8時ごろに雨雲が抜けるかどうか。でも、空を見ていると霧雨なので、これはしばらく続くなあと思いました。霧雨は雨雲が抜けても降り続けるからです。なので、合羽を着て出発しました。それでは振り返っていきましょう。
米原町まいはらちょう米原市まいばらし(1/7)
昨日から、醒井宿のゲストハウスさんに一泊させてもらっていて、夕方には散策もしました。静かな宿場町で焼けた夕空に、風情を感じながら。
醒井宿。日の沈む頃。
夕空と。
ライトアップされた地蔵川。
夜の梅花藻だ。
ゲストハウス居醒庵さん。
そして、今朝再び醒井宿を散策し、それから米原駅の周辺を訪れました。朝の地蔵川も風情があり、散ってしまった百日紅の赤い花が流れていたり。また、ほかの地域でも梅花藻を見ることはできるけれど、醒井宿の梅花藻は見つけやすいし、数も多いように感じます。やはり、地元の方々の管理があってこそなのだろうなあと。
霧雨の醒井宿。
梅花藻たち。
小さく凛と。
スイカも泳ぐ。
米原駅。
市役所もそばにあった。
近江町おうみちょう(米原市)(2/7)
次にやってきたのは、近江町。まずは琵琶湖近くの「道の駅 近江母の郷」へ向かいました。

ちなみに米原市の中で、近江町は合併の時期がほかのまちよりも10ヶ月遅いです。現在の地名では、近江八幡市や東近江市があるけれど、「近江町」はストレートな地名ですし、無くなってしまうのが少し惜しかったのかなあ、なんて想像しつつ。

道の駅ではまだ朝早かったので、お店には入っていませんが、「近江の皿そば」とかかれたのぼりがあり、なるほど、近江ちゃんぽんだけではなく、皿そばなるものもあるのかと。

事前の予想では、出石そばみたいな感じかなあと思っていましたが、ネットで調べてみると、まさにそのような感じでした。出石そばも、まだ食べられてはいないのですが…。
道の駅へ。
皿そば、食べたいなあ。
曇り空の琵琶湖。
その後、近江市民自治センターの周辺へ。途中、交差点で新幹線の近くに差し掛かり、短い間隔で新幹線がどんどん通っていくので、すごいなあと。

また、自治センターの周辺は昔ながらの通りと、新しい住宅地とどちらもありました。古い通りには大きな鳥居があり、道も細くうねうねと。新しい住宅地は区画がきっちりしていて、見学に来られているであろう方もいました。
山に雲がかかる。
近江市民自治センター。
鳥居がどんと。
おお〜。
山東町さんとうちょう(米原市)(3/7)
次にやってきたのは山東町です。伊吹山の東に位置することが由来なのかな、と最初は思ったのですが、まちは伊吹山の南西に位置しているので、そういうわけではなさそうだと。滋賀県の東端に位置し、山にも囲まれていることが地名の由来なのかなあとあらためて。
また、先の近江町では雨が止んだところでしたが、山東町ではまだわずかに霧雨が降っていました。やっぱり山が近いと、雨が残りやすいですよね。

そして、集落は静かな暮らしが広がっていました。家の前に小さなお宮と灯籠のある場所がいくつかあり、さらには地蔵尊もあり。ご先祖様を大切に、という言葉もあったので、地域全体で、そうした心を大切にしている気がするなあと。
昔の灯籠と。
山も近く感じます。
熟睡してた。
地蔵尊だ。
ホタルも有名とのこと。
山東支所。
その通りだと思います。
伊吹町いぶきちょう(米原市)(4/7)
次にやってきたのは、伊吹町です。名前の通り、伊吹山の裾野に市街地は位置していて、今日の伊吹山は残念ながら分厚い雲で隠れていたけれど、「そこに大きな山がある」という気配に満ち溢れていました。今まで新幹線から伊吹山を見るのが好きだったけれど、近くに訪れるのは初めてで、やはりここにも穏やかな暮らしが広がっているのだなあと。

市街地にはサッカーの練習場と、ホッケー場もありました。米原市は全国の中でもホッケーが盛んな地域だそうで、パリオリンピックに選ばれていた、日本女子選手の横断幕も。地域の風土によって盛んなスポーツがあることも、いいなあと。
伊吹町へ。奥には伊吹山。
市街地を散策。
サッカー場から賑やかな声が聞こえてきました。
右手はホッケー場です。
道の駅 伊吹の里 旬彩の森にも。
昼食後、徐々に日差しも。
長浜市ながはまし(5/7)
伊吹町から西へ進んで、長浜市街地を目指していきます。事前に調べているときにも思ったのですが、ヤンマーミュージアムや国友鉄砲ミュージアム、慶雲館、黒壁スクエア、長浜城など、長浜市街地にはほんとうにいろいろな観光地があるなあと。
今回は、黒壁スクエアと長浜城を中心に訪れました。まずは黒壁スクエアにバイクを停められる場所があるかを探してみて、うまくバイクOKの場所が見つからず、長浜駅前まで彷徨ったところで、無事に停められる場所を見つけてひと安心。
長浜駅まで来たので、駅の西側へ歩いて長浜城の歴史博物館を訪れました。長浜城の初代藩主は豊臣秀吉ですが、正妻である北政所きたのまんどころの企画展もひらかれている様子。秀吉が天下を取った際、北政所も彼を大きく助けたとのことで、400年ほど前のいろんな書状や絵が展示されていました。北政所が眠っている京都の高台寺にも、いつか行ってみたいなあと。

また、展望台でまちなみを見渡して、長浜市は大きなまちだと感じました。これもやはり、秀吉が築いた土地というものが、大きいのだろうなあとあらためて。
長浜駅に、秀吉の絵。
長浜城だ。
ヤンマーのバスだ!創業者の山岡孫吉は長浜市の出身。
歴史博物館へ。
展示室内は撮影禁止でしたが、フロントと展望台は撮影が可能でした。
展望台へ。琵琶湖だ。
市街地。
大きなまちだなあと。
その後、黒壁スクエア方面へ歩いて向かいました。黒壁スクエアの存在のことは知っていたけれど、訪れるのは初めて。前回の長浜市の旅で、どうして気づかなかったのだろうと今では思います。

さて、黒壁スクエアは昔ながらの建物も多く、立派なアーケード街もあり、観光客もとても賑わっていました。ガラス店や喫茶店、いろいろなお店があるし、飲食店にしても多種多様で、巡るには楽しい場所だなあと。若者や家族連れも多く、どんな世代の人たちが来ても楽しめる場所だと感じました。すごく好きな雰囲気。
黒壁スクエアへ。
いろんなお店がありました。
2026年の大河は秀吉なんだ。
長浜には曳山の文化もあります。これもいいなあと。
ゆらゆら、キラキラ。
高月町たかつきちょう(長浜市)(6/7)
ここで、実は宿泊地の高島市まで、一気に移動しようとナビを設定したのですが、走っている途中、ふとした違和感があって、旧市町村の地図を見てみると、高月町と西浅井町に訪れないまま、高島市へ向かおうとしているではありませんか。

しまった! イレギュラーな巡り方をしているので、ルートから漏れてしまっていたわけですね。ただ、それぞれ訪れたい場所は事前に定めていたので、急遽高月町と西浅井町にも立ち寄ることに。
高月町では高月駅周辺と、渡岸寺どうがんじ観音堂へ。高月駅に近づく頃から、かなり昔から残っている町並みだなあと。道も細く、水路が綺麗で、建物も古いものが多い。とても風情を感じました。
移動中の風景。
高月駅。
やはり水が綺麗で。
班、っていいな。
渡岸寺観音堂には、国宝の十一面観音像が安置されています。入口で拝観のチケットを買うとき、少年が受付台に背を伸ばして「仏様って神様ですか?」「ここにいる仏様はいちばん偉いんですか?」と素朴な疑問をぶつけていて、受付のおじさんが丁寧に答えてあげていました。こういう光景、なんだかいいなあと。

その後、本堂を通って左の建物に移動すると、いよいよ国宝の十一面観音像が。まずは自動扉がひらき、次に手動でドアがひらき、その先に観音様がいらっしゃいました。

音声案内が流れ、その後、担当の方が直接解説もしてくださりました。

「東京や神奈川、関東から足を運ばれる方も多いです。井上靖がかつて小説で紹介したり、写真集にも撮られていたり。このお寺に来ることを目的に、早朝からお越しの方もいて、ありがたいですよねえ」

「如来様というのは悟りをひらいた状態。菩薩様というのは、悟りをそこに向けて進んでいっている状態です」

また、大日如来像と阿弥陀如来像も同じ部屋に安置されており、九州で見た磨崖仏も思い出しました。

何より、これら仏像が地元の方々によって大切に守られてきたことも感じられて、素晴らしいお寺でした。
休館日でしたが、歴史民俗資料館もあります。
渡岸寺さんへ。
この建物の左手に、国宝の十一面観音像がいらっしゃいました。
西浅井町にしあざいちょう(長浜市)(7/7)
最後にやってきたのは、西浅井町。昨日は浅井町を訪れたけれど、西の浅井町もあるわけです。

「道の駅 塩津海道 あぢかまの里」に立ち寄ったあと、「菅浦の湖岸集落」という場所を目指します。途中、田んぼに包まれた中を大人数の子どもたちが、親御さんとサイクリングをしていて、さっきまで琵琶湖を通ってきたのかなあ、いい景色だろうなあ、と彼らを見ていても心が嬉しくなります。ぼくとすれ違ったときには峠が待っていたので、「峠越えデスマッチや!」という声も聞こえてきました。

菅浦の集落は琵琶湖に突き出た地形の先に位置し、周囲は山が近く、ほんとうにこの先に集落があるのかなあと一瞬思いましたが、とても優しい集落が現れたのでした。

目の前には琵琶湖。波がないので音も静かで、ヒグラシ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシといった虫の鳴き声が聞こえ、昔ながらの集落を歩いていると、日本も広いなあとしみじみ。自分の知らない場所で、数え切れないほどの暮らしがあるのだと、あらためて感じた夕方でした。
道の駅へ。休館日だった。
奥には琵琶湖だ。
菅浦集落へ進む。
竹生島だ。
集落が見えてきた。
菅浦の湖岸集落を静かに歩く。
というわけで、今日の散策はここまで。ルートの組み間違えで、予定よりも多くまちを訪れましたが、無事に終えられて良かったです。
本日のひとこと
朝は雨だったので、日焼け止めを塗らないまま一日過ごしたのですが、やっぱり顔がすごく火照りました。日焼け止めはすぐに塗ろう。

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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)

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