ふるさとの手帖

市町村一周の旅

鳥取県の旅も最後。広い鳥取市を巡りきろう。【旧市町村一周の旅(鳥取県|7月25日―475日目)】

鳥取県の旅も最後。広い鳥取市を巡りきろう。【旧市町村一周の旅(鳥取県|7月25日―475日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1259/2,094】
1259/2094
60.12%
総計【1346/2,264】
1346/2264
59.45%

スーパーカブの総走行距離
32754km

旧鹿野町→旧青谷町→旧気高町→鳥取市→旧国府町→旧福部村、の6つ。

今日の旅先のこと
7時半に出発。いよいよ鳥取県の旅も最後になります。今日もずっと入道雲が気になる日で、雨宿りもしましたが、無事に巡りきることができました。それでは振り返っていきましょう。

湖山池や吉岡温泉へ。(鳥取市)
最初に鳥取市街地を出発して、湖山池を通り、吉岡温泉へ行ってみました。鳥取市は、市街地から少し離れると豊かな田んぼの風景と山並みが広がって落ち着きます。

朝から青空が広がり、眩しくて強い日差しのもと、湖山池に到着しました。大きなカニとも出会って、なんだか嬉しい。

吉岡温泉には大きな日帰り温泉があり、駐車場もとても広かったです。旅館から高校生たちがたくさん出てきて、バスに乗り込んでいく様子も、夏合宿かなあと思ったり。

同じ鳥取市の中でも少し西に広がる地域ですが、新しい景色がたくさんありました。
鳥取市街地を少し離れると、景色が綺麗だ。
湖山池へ。
わたしたちの池。
おはよー!
吉岡温泉へ。一ノ湯さん。
温泉街の雰囲気でした。
鹿野町しかのちょう(鳥取市)(1/6)
さて、次に向かったのは鹿野町です。小さく峠を越えて気高町を通り、南へ進んで山の方へ進むと、鹿野町に入りました。

豊かな里の風景が広がり、町並みに入ると城下町の気配に変わりました。町割りが昔のまま残され、赤褐色や黒色の瓦、それに茶色の壁などが町並みをつくっている。

水路の流れも綺麗で、その上には小さな花があちこちで置かれています。それが町全体の意志。とても美しい。

お堀の周辺も歩きましたが、体操服姿の中学生が歩いています。どうやら、お堀に学校があるらしい。この風景が故郷の景色になるのだなあと思うと、なんて風情のある景色だろうと。
鹿野町へ。見事だ。
城下町へ。
鹿野城跡公園。
お花がたくさんあった。

青谷町あおやちょう(鳥取市)(2/6)
次にやってきたのは、青谷町です。鳥取市の中で、最も西にある町。トンネルを抜けて青谷町へ入り、田んぼの匂いを感じながら移動していきました。

向かったのは、青谷上寺地遺跡。弥生時代の集落が発見され、保存された遺跡です。

敷地を散策する中で、弥生時代の稲作を再現した田んぼがあり、確かに機械ではない植え方だし、田んぼの雰囲気も何か違うものを感じましたが、「お米、作るぞー!」という意志は感じられました。

館内には展示や体験室があり、夏休みの子どもたちが何かを体験している様子。全国の遺跡を巡るポスターもありましたが、遺跡を可視化して見ると、ぜんぜん巡れていないのだなあと思ったのでした。
青谷町へ。
水辺に境界線がない感じ。
遺跡の建物。
弥生時代の田んぼの再現だ。
イベントポスター。そっくりさん登場!
その後、港町を通り、夏泊海岸へ。港町の雰囲気は、まだまだ変わらない時間の流れを持っていて、おばあちゃんたちが団欒している様子も、昔のままの日常と出会っているようでした。
港町。
漁港を抜けて、
夏泊海岸へ。
面白い岩の形でした。

気高町けたかちょう(鳥取市)(3/6)
夏泊海岸から、海岸線の道を東へ進んでいくと、一気に上り坂に差し掛かり、峠を越えたところで魚見台という展望所に辿り着きました。

ちょうど、気高町方面を一望できる場所です。地元のお父さんらしい方もいて、海の方角を望遠鏡でずっと覗いていました。まさに、魚見台。
魚見台へ。
覗き穴もあった。
その後、市街地へ向かって移動していきます。中心街の最寄駅は浜村駅で、浜村温泉もここに立地するようです。

駅からヤサホーパークなど公園に立ち寄りつつ散策しましたが、海岸線の北の方角へ向かって、登り坂になっていたのが印象的でした。
よくあるのは、海岸線に向かって下り坂になり、海が見えるという景色です。ここでは逆なのだなあと。

山陰合同銀行、鳥取信用金庫、鳥取銀行と、歩いている中で出会った金融機関も多かったです。
市街地へ向かっていく。
懐かしい雰囲気。
浜村温泉だ。
貝殻節が有名とのことで、貝殻マーク。

鳥取市(4/6)
合併前と変化のない、鳥取市の地域を散策していきます。どうしようかなあと思いましたが、白兎神社と、鳥取城跡の近辺を訪れました。

白兎神社は、因幡の白兎の地として知られる神社です。兎を通して、八上姫と大国主命が結ばれるエピソードが、古事記に残っていると。

神社には5年前にも訪れましたが、当時よりも今の方が、大国主命の全国各地での存在感を感じます。あちこちの土地で、大国主命が関わっているように感じるんですよね。
因幡の白兎のエピソードになったと言われている淤岐ノ島(おきのしま)。
白兎神社へ。
決して大きな社殿ではないのも、好きです。
その後、鳥取城跡へ向かいました。ここを訪れるのは初めて。鳥取県庁もすぐそばにあり、工事している箇所もありましたが、非常に綺麗に整備されたエリアでした。立派な石垣が高く広く残っていて、知らなかったなあと。
鳥取城跡の近くへ。
工事中。
工事中の仁風閣。でも見事だ。
石垣も立派だなあ。
町並みを見渡す。雨が降ってきたので引き返します。

国府町こくふちょう(鳥取市)(5/6)
次にやってきたのは、国府町。変わらない雰囲気を残した住宅地を通り抜けて、宇倍神社へ。地上から登るとかなり険しい参道で、中腹ぐらいの駐車場にカブを停めました。

木々に囲まれた神社で、参拝し終わった後、雨の予感がし、レーダーを見ると直前まで迫っています。なので、屋根のある神社の椅子で雨宿りさせてもらいました。だいたい30分ぐらい、どっさりと雨が降りました。
宇倍神社へ。
その後、因幡万葉歴史館を訪れました。名前の通り、因幡地方と万葉文化に触れる施設。館内は撮影禁止ですが、部屋によって「大伴家持おおとものやかもちホール」や「伊福吉部徳足比売いふきべとこたりひめホール」などがあり、それぞれなるほどと。

大伴家持は、万葉集の編纂にも関わった人物で、因幡国の国守に赴任したと。伊福吉部徳足比売は、因幡豪族の娘で、朝廷に仕えたと。知らないところで、いろんな面白い歴史がありますよね。
雨の気配。
因幡万葉歴史館。
隣の施設に時の塔という展望台があり、上がることができた。
国府町を見渡す。
因幡国庁跡にも行きました。

福部村ふくべそん(鳥取市)(6/6)
巨大な竜巻が迫ってくるかのように、怪しい灰色の雲が雷鳴と一緒に迫ってくる。とにかく急いで、福部村へ向かいました。こちらの方角が、雲とは反対方向だったから。

総合支所の周辺を散策します。国府町よりも山が近く感じられて、昔の家と新しい家、どちらも広がっています。
福部町総合支所。
福部駅の絵が素敵でした。
ここから迷った末、鳥取砂丘へ向かいます。(ちなみにほんとうはどちらでも良いのですが、鳥取砂丘が東西に長く広がっている中で、わたしたちが観光として向かう鳥取砂丘のエリアは、旧福部村の地域を起点にすることが多いので、旧福部村に含めました。)

正直、着く頃には土砂降りの雨になっても仕方ないと思っていました。しかし、雨雲レーダーを見ると、手前で雨雲が弱くなっていって。これはもう、ほんとうにありがたいと思いました。

砂はこれまでの雨で重くなっていて、舞うということもありません。日本人のみならず海外の観光客も多くて、やっぱりすごい土地だなあと。

ただ、簡単に砂丘が残ったわけではないことも、ビジターセンターの展示から知ることができました。戦後、国によって大規模な植林が計画されていたところ、保全運動によって国の天然記念物に指定され、守られることになったと。そうしたことがなければ、今の鳥取砂丘は残っていない。考えさせられますよね。
向こうは明らかに大雨。
鳥取砂丘へ。
歩いていきましょう。
海ですね〜。
というわけで、今日の散策はここまで。鳥取砂丘を訪れた後、福部村から岩美町を通過し、兵庫県へ入っていきました。中国地方の旅も、いったんはここでおしまいです。

旅を経る前と後では、慣れ親しんだ中国地方でも、出会った景色の数に驚きますし、こうして新しい景色に出会えてありがたい限りですし、この経験を活かしたいと思うばかりです。
福部村を抜けていく。
本日のひとこと
道の駅で高校野球の米子松蔭と鳥取城北の決勝戦をやっていて、観たときは8回で米子松蔭が勝っていましたが、結果を見ると、最後の最後に、鳥取城北が逆転サヨナラ勝ちで優勝していました。勝負って大変だなあ。おめでとうございます。

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(終わり。次回へ続きます)

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