朝から気持ちのいい晴れ。でも、風が生ぬるい。昼は暑くなりそうだ。今日は島根半島を巡り、八雲や東出雲、そして安来市へ。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1176/2,094】 総計【1263/2,264】スーパーカブの総走行距離
30957km
今日の旅先のこと
旧鹿島町(松江市)(1/6)
松江市街地から北西の方角へ進む。列になって通学する小学生たちの背中が輝くほど眩しい。素朴で、未来を生きている。旧鹿島町は緑も増えて、夏のはじまりを感じられた。市街地を流れる佐陀川も昔ながらの気配だ。深田運動公園に行こうとすると、島根原発が近辺にあると知った。手結の集落へ移動し、小さな朝に出会う。布団を干して叩く音。それから旧島根町へ向かおうとしていたとき、島根原発が遠くからはっきりと見えた。こんなにも海の美しい場所に原発があるのか。ぼくは何も言える立場にけれど。恩恵と代償。納得と責任。
松江市街地から北西の方角へ進む。列になって通学する小学生たちの背中が輝くほど眩しい。素朴で、未来を生きている。旧鹿島町は緑も増えて、夏のはじまりを感じられた。市街地を流れる佐陀川も昔ながらの気配だ。深田運動公園に行こうとすると、島根原発が近辺にあると知った。手結の集落へ移動し、小さな朝に出会う。布団を干して叩く音。それから旧島根町へ向かおうとしていたとき、島根原発が遠くからはっきりと見えた。こんなにも海の美しい場所に原発があるのか。ぼくは何も言える立場にけれど。恩恵と代償。納得と責任。
旧島根町(松江市)(2/6)
アップダウンとカーブの続く海岸線を走る。何度も美しい岩礁や岩壁が現れて、立ち止まってしまう。島根半島を走るにはご褒美のような青空だと思った。最初にやってきた大芦地区の海にも魅せられた。石州瓦の町並みと海が並ぶ。近くで見ても、遠くから見ても脳裏に焼きつく景色。これが日常。できる限りこの景色が大切に続くといいな。島根支所周辺の町並みも歩いた。横歩きのカニ、おばあちゃんとの挨拶、石州瓦に溶け込んだエネオスの看板。
アップダウンとカーブの続く海岸線を走る。何度も美しい岩礁や岩壁が現れて、立ち止まってしまう。島根半島を走るにはご褒美のような青空だと思った。最初にやってきた大芦地区の海にも魅せられた。石州瓦の町並みと海が並ぶ。近くで見ても、遠くから見ても脳裏に焼きつく景色。これが日常。できる限りこの景色が大切に続くといいな。島根支所周辺の町並みも歩いた。横歩きのカニ、おばあちゃんとの挨拶、石州瓦に溶け込んだエネオスの看板。
旧八雲村(松江市)(3/6)
松江市街地を経由し、南へ進んでいく。友人に勧められた神魂神社を訪れてから、旧八雲村へ。国宝の本殿は極めて静かだった。近くの八重垣神社ともつながっているのだろうが、今回は訪れない。
その後、八雲支所の周辺を歩いた。空も広くて緑に囲まれた町。水田の上を白鷺が飛び、強風で稲の影が駆け抜ける。
熊野大社にも訪れた。和歌山とは違う場所に、熊野大社の名のついた神社があることに驚いたけれど、御祭神は素戔嗚尊とのことで、なるほどとも思った。いくつか茅葺の建物あり、参拝できて良かった神社だった。熊野大社も、出雲大社と神事でつながっているそうだ。
安部榮四郎記念館の安部榮四郎は、紙漉き職人であり、人間国宝でもある。記念館まで行くと、安部榮四郎の交友関係に、聞き覚えのある名前が登場した。柳宗悦、バーナード・リーチ、芹沢銈介、河井寛次郎、棟方志功……。こうした人物と出会いながら、安部榮四郎の雁皮紙は世界に羽ばたいていった。ショップで販売していた和帳を手に取ると、びっくりするほど軽かった。
松江市街地を経由し、南へ進んでいく。友人に勧められた神魂神社を訪れてから、旧八雲村へ。国宝の本殿は極めて静かだった。近くの八重垣神社ともつながっているのだろうが、今回は訪れない。
その後、八雲支所の周辺を歩いた。空も広くて緑に囲まれた町。水田の上を白鷺が飛び、強風で稲の影が駆け抜ける。
熊野大社にも訪れた。和歌山とは違う場所に、熊野大社の名のついた神社があることに驚いたけれど、御祭神は素戔嗚尊とのことで、なるほどとも思った。いくつか茅葺の建物あり、参拝できて良かった神社だった。熊野大社も、出雲大社と神事でつながっているそうだ。
安部榮四郎記念館の安部榮四郎は、紙漉き職人であり、人間国宝でもある。記念館まで行くと、安部榮四郎の交友関係に、聞き覚えのある名前が登場した。柳宗悦、バーナード・リーチ、芹沢銈介、河井寛次郎、棟方志功……。こうした人物と出会いながら、安部榮四郎の雁皮紙は世界に羽ばたいていった。ショップで販売していた和帳を手に取ると、びっくりするほど軽かった。
旧東出雲町(松江市)(4/6)
旧東出雲町は、松江市の中でも合併が遅い。2005年に多くの町村が松江市と合併した中、旧東出雲町は2011年に合併した。今、その理由を考えれば、それだけ旧東出雲町が町として大きかったからではないか、というふうに思う。支所の位置する揖屋駅周辺を歩くと、しっかりと住宅街の気配である。衣料店の車が選挙カーみたいに喋りながら宣伝をしている様子だけは、昔ながらに感じられた。
市街地の住宅には、揖夜神社のポスターも多く貼られていた。今はご遷宮で工事中らしい。神社へ訪れると、確かに工事中で御仮殿と書かれた社殿があり、そこで参拝を。この辺りはほんとうに、大きな神社が多い。
旧東出雲町は、松江市の中でも合併が遅い。2005年に多くの町村が松江市と合併した中、旧東出雲町は2011年に合併した。今、その理由を考えれば、それだけ旧東出雲町が町として大きかったからではないか、というふうに思う。支所の位置する揖屋駅周辺を歩くと、しっかりと住宅街の気配である。衣料店の車が選挙カーみたいに喋りながら宣伝をしている様子だけは、昔ながらに感じられた。
市街地の住宅には、揖夜神社のポスターも多く貼られていた。今はご遷宮で工事中らしい。神社へ訪れると、確かに工事中で御仮殿と書かれた社殿があり、そこで参拝を。この辺りはほんとうに、大きな神社が多い。
安来市(5/6)
国道9号線を通り、安来市街地までやってきた。和鋼博物館へ入ってみる。和鋼とはたたらの玉鋼のこと。雲南市の旧吉田村で訪れた資料館とどう違うか、見てみたかった。映像もあり見てみると、撮影された年はだいぶ新しく、製法も昔ながらの方法を踏襲しつつ、少し近代化していた。俵記念室という部屋の展示もあり、俵国一という冶金学者のことが紹介されていた。冶金学者、という肩書も世の中にはあるのだなあ。たたらも研究されてこそわかったことがたくさんあるのだと、あらためて。
のちに旧広瀬町を訪れたあと、足立美術館の近くを歩いた。今日、美術館には訪れない。訪れたことがあるし、ちょっと節約の気持ちもあるし、昨日訪れた由志園の日本庭園が見事だったので、その印象を残しておきたい気持ちもあるし。平日ながら大型バスが何台も停まり、遠方からの車も多く、足立美術館の存在の大きさを感じられた。
国道9号線を通り、安来市街地までやってきた。和鋼博物館へ入ってみる。和鋼とはたたらの玉鋼のこと。雲南市の旧吉田村で訪れた資料館とどう違うか、見てみたかった。映像もあり見てみると、撮影された年はだいぶ新しく、製法も昔ながらの方法を踏襲しつつ、少し近代化していた。俵記念室という部屋の展示もあり、俵国一という冶金学者のことが紹介されていた。冶金学者、という肩書も世の中にはあるのだなあ。たたらも研究されてこそわかったことがたくさんあるのだと、あらためて。
のちに旧広瀬町を訪れたあと、足立美術館の近くを歩いた。今日、美術館には訪れない。訪れたことがあるし、ちょっと節約の気持ちもあるし、昨日訪れた由志園の日本庭園が見事だったので、その印象を残しておきたい気持ちもあるし。平日ながら大型バスが何台も停まり、遠方からの車も多く、足立美術館の存在の大きさを感じられた。
旧広瀬町(安来市)(6/6)
月山富田城跡について事前に調べていたとき、歩くには大変だということで、巡るつもりはなかった。しかし、安来市立歴史資料館でまつわる模型や資料に触れ、城について少し詳しくなった。資料館の奥には小高い丘が見え、のぼりも立っていて、見上げる丘とその奥の山全体が城跡だということだった。かつて月山富田城跡は、日本でも最大級の大きさを誇る山城だったと。それを歩くには大変に決まっている。毛利氏や大内氏という中国地方の戦国武将も、この城とは関わりがあるとのことだった。
その後、広瀬庁舎周辺を歩く。子どもたちは下校の時間を迎えており、広瀬町と書かれた原付も見つけた。今日の暮らしが続いている。
月山富田城跡について事前に調べていたとき、歩くには大変だということで、巡るつもりはなかった。しかし、安来市立歴史資料館でまつわる模型や資料に触れ、城について少し詳しくなった。資料館の奥には小高い丘が見え、のぼりも立っていて、見上げる丘とその奥の山全体が城跡だということだった。かつて月山富田城跡は、日本でも最大級の大きさを誇る山城だったと。それを歩くには大変に決まっている。毛利氏や大内氏という中国地方の戦国武将も、この城とは関わりがあるとのことだった。
その後、広瀬庁舎周辺を歩く。子どもたちは下校の時間を迎えており、広瀬町と書かれた原付も見つけた。今日の暮らしが続いている。
というわけで、今日の散策はここまで。島根県の旅も安来市の旧伯太町を残すのみとなりました。明日は朝、雨が降るかもしれませんが、昼間は暑いでしょうし、たくさん水分をとって進みたいと思います。
本日のひとこと
バイクの防具を洗濯したいのですが、コインランドリーでは回せないので、ちょっと大変です。
バイクの防具を洗濯したいのですが、コインランドリーでは回せないので、ちょっと大変です。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
LEAVE A REPLY