今日は出雲市の旅。「出雲大社」はやっぱり訪れたい。けれど、初めての「出雲市」もたくさん探していこう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1162/2,094】 総計【1249/2,264】スーパーカブの総走行距離
30647km
今日の旅先のこと
旧佐田町(出雲市)(1/6)
出雲市街地から南へ、山道を進んでいく。するとまもなく、空の広い出雲市とは違う景色と日常が駆け抜けていった。佐田行政センターの近くを神戸川と須佐川が流れ、川沿いに集落が形成されている。奈良県南部の山間部に来たようだった。
ヤマタノオロチを退治した須佐之男命を祀る須佐神社は、市街地から3kmほど離れた場所にあった。広い駐車場があり、思いのままに歩くと違ったようで、地元のおばさんに道を尋ねる。優しく教えてくださったおばさんから、よくわからないけれど、とてもいい雰囲気を感じたなあ。
神社はしめ縄が立派で、境内もお手洗いも手入れが行き届き、清々しい、という言葉に収まるのかはわからないけれど、清々しい静けさのある神社だった。来年からはご遷宮で大きな工事が始まるらしい。
出雲市街地から南へ、山道を進んでいく。するとまもなく、空の広い出雲市とは違う景色と日常が駆け抜けていった。佐田行政センターの近くを神戸川と須佐川が流れ、川沿いに集落が形成されている。奈良県南部の山間部に来たようだった。
ヤマタノオロチを退治した須佐之男命を祀る須佐神社は、市街地から3kmほど離れた場所にあった。広い駐車場があり、思いのままに歩くと違ったようで、地元のおばさんに道を尋ねる。優しく教えてくださったおばさんから、よくわからないけれど、とてもいい雰囲気を感じたなあ。
神社はしめ縄が立派で、境内もお手洗いも手入れが行き届き、清々しい、という言葉に収まるのかはわからないけれど、清々しい静けさのある神社だった。来年からはご遷宮で大きな工事が始まるらしい。
旧多伎町(出雲市)(2/6)
長いトンネルを抜けて、日本海を目指す。薬草のような匂いのするトンネルだった。旧多伎町は大田市との境界に位置する西の町。ゆるやかな山の斜面が近く、市街地から少し坂をのぼると、日本海も見えた。白くて曇り空に溶け込む海だ。北の方角に広がる海だから、もし晴れていたらとても青いだろう。
「道の駅 キララ多伎」も日本海沿いに位置している。どこかの町の雰囲気が思い出されて、新潟県の日本海と似ているかもしれない、と思った。地元の工業高校の学生を乗せた大型バスがやってきて、道の駅へゾロゾロと降りていく。
長いトンネルを抜けて、日本海を目指す。薬草のような匂いのするトンネルだった。旧多伎町は大田市との境界に位置する西の町。ゆるやかな山の斜面が近く、市街地から少し坂をのぼると、日本海も見えた。白くて曇り空に溶け込む海だ。北の方角に広がる海だから、もし晴れていたらとても青いだろう。
「道の駅 キララ多伎」も日本海沿いに位置している。どこかの町の雰囲気が思い出されて、新潟県の日本海と似ているかもしれない、と思った。地元の工業高校の学生を乗せた大型バスがやってきて、道の駅へゾロゾロと降りていく。
旧湖陵町(出雲市)(3/6)
旧湖陵町に入った。南の山は先の旧多伎町よりも遠く離れていったけれど、大社や平田方面の山並みが近づいてきて、全体的に遠く山に囲まれている。市街地を歩き、すぐそばにある神西湖へ。ここ数日、「出雲国風土記」という言葉に触れることが増えた。733年に編纂されたとされる本だ。この風土記に、神門水海として神西湖も登場する。素戔嗚尊の娘で,大国主神の正妻である、須世理姫の命の生誕の地だと。凪いだ湖面と奥の山並みを見渡すことができた。
旧湖陵町に入った。南の山は先の旧多伎町よりも遠く離れていったけれど、大社や平田方面の山並みが近づいてきて、全体的に遠く山に囲まれている。市街地を歩き、すぐそばにある神西湖へ。ここ数日、「出雲国風土記」という言葉に触れることが増えた。733年に編纂されたとされる本だ。この風土記に、神門水海として神西湖も登場する。素戔嗚尊の娘で,大国主神の正妻である、須世理姫の命の生誕の地だと。凪いだ湖面と奥の山並みを見渡すことができた。
出雲市(4/6)
地元の中高生が自転車や電車で通学する朝、出雲市駅周辺を散策し、旧佐田町へ向かった。それからいくつか町を巡ったのちに、出雲民藝館へ。いつか行ってみたい民藝館だった。駐車場から受付の門まで、砂利の道が続く。両側の塀は石州瓦が積まれ、途中でL字型に折れた先に、正面の門と母屋が見えた。木々に包まれて、それ以外の人工物が一切見えない。変わらない時間の佇まいだ。
受付の女性が民藝館について、明るく説明をしてくださった。入口の門はかつて出雲大社を建てた棟梁さんが担当されたもの。本館は昔の米蔵を改装したもの。母屋は今も山本家の方々が暮らしていること。ぜひ、島根の民藝を楽しんでください。
ガラガラガラ、と木の戸を開け本館に入ると、島根県内や全国から集められた民藝品が、昔ながらの戸棚などに並ぶ。天井が高く、木材の壁が空間を引き締め、格子の窓からは外の景色が見えた。陶磁器、漆器、木工、染織、「日用の美」が放つ静けさと強さがあった。
民芸点の性質、と書かれた箇条書きも見つけた。
・民衆的なもの
・実用的なもの
・数多く作られるもの
・安価を旨とするもの
・健康なもの
・簡素なもの
・協力的なもの
・伝統に立つもの
うっとりするように展示を見終えた後、受付横の売店に入ると、さっきの受付の女性に地元の生姜糖を試食させてもらった。素朴な味が口の中で広がる。そうして生姜糖を買うだけではなく、民藝についての話になり、民藝が好きだ、と言うと喜んでくれて、さらにこのあと稲佐の浜を通って出雲大社に行くつもりだと話すと、そのルートと御砂のことをとても親切に教えてもらった。御砂とは、稲佐の浜でいただく砂のことで、それを出雲大社本殿の裏に鎮座する、素鵞社で納め、交換する形で社殿下にある御砂をいただける、という習わしだった。ぼくはこの習わしのことを、受付の女性が教えてくれなければ、知ることはなかった。
地元の中高生が自転車や電車で通学する朝、出雲市駅周辺を散策し、旧佐田町へ向かった。それからいくつか町を巡ったのちに、出雲民藝館へ。いつか行ってみたい民藝館だった。駐車場から受付の門まで、砂利の道が続く。両側の塀は石州瓦が積まれ、途中でL字型に折れた先に、正面の門と母屋が見えた。木々に包まれて、それ以外の人工物が一切見えない。変わらない時間の佇まいだ。
受付の女性が民藝館について、明るく説明をしてくださった。入口の門はかつて出雲大社を建てた棟梁さんが担当されたもの。本館は昔の米蔵を改装したもの。母屋は今も山本家の方々が暮らしていること。ぜひ、島根の民藝を楽しんでください。
ガラガラガラ、と木の戸を開け本館に入ると、島根県内や全国から集められた民藝品が、昔ながらの戸棚などに並ぶ。天井が高く、木材の壁が空間を引き締め、格子の窓からは外の景色が見えた。陶磁器、漆器、木工、染織、「日用の美」が放つ静けさと強さがあった。
民芸点の性質、と書かれた箇条書きも見つけた。
・民衆的なもの
・実用的なもの
・数多く作られるもの
・安価を旨とするもの
・健康なもの
・簡素なもの
・協力的なもの
・伝統に立つもの
うっとりするように展示を見終えた後、受付横の売店に入ると、さっきの受付の女性に地元の生姜糖を試食させてもらった。素朴な味が口の中で広がる。そうして生姜糖を買うだけではなく、民藝についての話になり、民藝が好きだ、と言うと喜んでくれて、さらにこのあと稲佐の浜を通って出雲大社に行くつもりだと話すと、そのルートと御砂のことをとても親切に教えてもらった。御砂とは、稲佐の浜でいただく砂のことで、それを出雲大社本殿の裏に鎮座する、素鵞社で納め、交換する形で社殿下にある御砂をいただける、という習わしだった。ぼくはこの習わしのことを、受付の女性が教えてくれなければ、知ることはなかった。
旧大社町(出雲市)(5/6)
出雲民藝館の受付の女性に伝授してもらったオリジナルの地図で、稲佐の浜を目指す。「オレンジ色のドラム缶と歯医者のあるところを左折です」という目印だったから、「オレンジ色…ドラム缶…」と呟きながらカブを走らせる。こういうとき、普段使いのマップは使わない。受付の方を信じて進むまでである。ドラム缶が見えず不安になりそうな頃、「あった!ドラム缶!」と進むことができたのだった。
稲佐の浜へやってきた。浜の近くは磯の香り漂う港町だと知った。「神さまの入り口ですよ」と教えてもらった灯籠もある。稲佐の浜の大きな岩の前で手をあわせる人もたくさんいた。さらに、小さな袋を持っている人もいる。御砂を集める人たちだ、と民藝館で教えてもらわなければ、分からなかった。ぼくも御砂をいただくと、その様子を見ていたであろう女性に声をかけられた。作法について、民藝館で聞いたことそのままを答える。
そして、いよいよ出雲大社へ。
これまでいろんな寺社仏閣を訪ねているけれど、それぞれの土地に鎮座していれば、立派だろうなあと感じられる建物が、出雲大社にはいくつもあって、混乱してしまいそうだった。神楽殿を訪れ、御本殿を参拝し、最後に素鵞社へ向かった。よく分からないけれど、感覚的には素鵞社が好きだった。御砂も交換できた。ここに至るまでに、稲佐の浜で出会った女性とも何度か会った。彼女も無事に御砂を交換できたようで、会釈を交わしたのだった。
出雲民藝館の受付の女性に伝授してもらったオリジナルの地図で、稲佐の浜を目指す。「オレンジ色のドラム缶と歯医者のあるところを左折です」という目印だったから、「オレンジ色…ドラム缶…」と呟きながらカブを走らせる。こういうとき、普段使いのマップは使わない。受付の方を信じて進むまでである。ドラム缶が見えず不安になりそうな頃、「あった!ドラム缶!」と進むことができたのだった。
稲佐の浜へやってきた。浜の近くは磯の香り漂う港町だと知った。「神さまの入り口ですよ」と教えてもらった灯籠もある。稲佐の浜の大きな岩の前で手をあわせる人もたくさんいた。さらに、小さな袋を持っている人もいる。御砂を集める人たちだ、と民藝館で教えてもらわなければ、分からなかった。ぼくも御砂をいただくと、その様子を見ていたであろう女性に声をかけられた。作法について、民藝館で聞いたことそのままを答える。
そして、いよいよ出雲大社へ。
これまでいろんな寺社仏閣を訪ねているけれど、それぞれの土地に鎮座していれば、立派だろうなあと感じられる建物が、出雲大社にはいくつもあって、混乱してしまいそうだった。神楽殿を訪れ、御本殿を参拝し、最後に素鵞社へ向かった。よく分からないけれど、感覚的には素鵞社が好きだった。御砂も交換できた。ここに至るまでに、稲佐の浜で出会った女性とも何度か会った。彼女も無事に御砂を交換できたようで、会釈を交わしたのだった。
旧平田市(出雲市)(6/6)
出雲大社から東へまっすぐ進み、旧平田市を目指した。南には宍道湖のさらに奥に遠い山が見えて、北にはすぐそばに山が連なっていた。
平田行政センターから市街地を歩くと木綿街道という町並みに出会った。名前の通り、木綿の流通で栄えた町。ゆっくりと川が流れ、古いままの蔵が並び、静かな時間が保たれていた。一方で気配の違う新しいお店も見つけて、店内を覗いてみると若い人でぎっしりと埋まっていた。
その後、さらに山の中へ入っていく。未知の世界。トンネルを抜けたあと、小伊津という日本海をのぞむ集落の町並みが現れて、衝撃だった。非常に険しい急傾斜を駆け上がるような住宅。剥き出しになった基礎のコンクリート。狭い土地から海に向けて開けた小さな漁港。見たことのない港町だった。
そして、再び山奥へ進み、「立石神社」を目指した。山の道路沿いの小さなスペースにカブを停めて、ふつうなら境内へ登っていくことが多いが、細い遊歩道を下っていく。この山道が、怖くてしかたない。一人でずっとそんな気持ちだったが、神さまが祀られている場所に着くと、社殿は存在せず、巨岩が目の前に鎮座し、その岩の間に紙垂が張られている。岩に巻き付いた木の根、苔、竹林、周辺はひたすらに森であり、神話の世界そのものだった。怖かったが、参拝できてよかった。カブのところに戻り、記帳ノートを見ると、関東から来ている人も多かった。
出雲大社から東へまっすぐ進み、旧平田市を目指した。南には宍道湖のさらに奥に遠い山が見えて、北にはすぐそばに山が連なっていた。
平田行政センターから市街地を歩くと木綿街道という町並みに出会った。名前の通り、木綿の流通で栄えた町。ゆっくりと川が流れ、古いままの蔵が並び、静かな時間が保たれていた。一方で気配の違う新しいお店も見つけて、店内を覗いてみると若い人でぎっしりと埋まっていた。
その後、さらに山の中へ入っていく。未知の世界。トンネルを抜けたあと、小伊津という日本海をのぞむ集落の町並みが現れて、衝撃だった。非常に険しい急傾斜を駆け上がるような住宅。剥き出しになった基礎のコンクリート。狭い土地から海に向けて開けた小さな漁港。見たことのない港町だった。
そして、再び山奥へ進み、「立石神社」を目指した。山の道路沿いの小さなスペースにカブを停めて、ふつうなら境内へ登っていくことが多いが、細い遊歩道を下っていく。この山道が、怖くてしかたない。一人でずっとそんな気持ちだったが、神さまが祀られている場所に着くと、社殿は存在せず、巨岩が目の前に鎮座し、その岩の間に紙垂が張られている。岩に巻き付いた木の根、苔、竹林、周辺はひたすらに森であり、神話の世界そのものだった。怖かったが、参拝できてよかった。カブのところに戻り、記帳ノートを見ると、関東から来ている人も多かった。
というわけで、今日の散策はここまで。出雲市も広いなあということを感じるばかりでした。最後に宍道湖の北を通って松江市へ向かいましたが、このルートから見える宍道湖はとても美しいなあと。
本日のひとこと
神社に興味を持つばかりに、行けなかったお寺もあるので、出雲はまた訪れたい土地です。
神社に興味を持つばかりに、行けなかったお寺もあるので、出雲はまた訪れたい土地です。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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