今日は山国川を徐々に下り、中津市の旧市町村を進んでいきました。「耶馬溪」の文字もたくさん登場するので、ちょっとゲシュタルト崩壊しやすいですが、振り返っていきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【1007/2,094】 総計【1093/2,264】スーパーカブの総走行距離
27146km
今日の旅先のこと
旧山国町(中津市)(1/5)
8時45分に日田市を出発。国道212号線を道なりずっと進んでいき、長いトンネルを抜けた先から、旧山国町へ入りました。周辺は深い森林に囲まれていて、夏になると「ぼくのなつやすみ」の舞台と呼べそうな、素晴らしい雰囲気です。最初に猿飛千壺峡を目指しました。渓流の流れがつくりだした甌穴群が特徴で、険しい岩肌を見ることができましたが、岩が明るい茶色のような色だったことも印象的です。
その後、市街地周辺を散策しました。ひとつひとつの家屋がとても大きくて立派で。子どもが家の前で水遊びをしている日常も、ああ、いいなあと思ったりしたのでした。
8時45分に日田市を出発。国道212号線を道なりずっと進んでいき、長いトンネルを抜けた先から、旧山国町へ入りました。周辺は深い森林に囲まれていて、夏になると「ぼくのなつやすみ」の舞台と呼べそうな、素晴らしい雰囲気です。最初に猿飛千壺峡を目指しました。渓流の流れがつくりだした甌穴群が特徴で、険しい岩肌を見ることができましたが、岩が明るい茶色のような色だったことも印象的です。
その後、市街地周辺を散策しました。ひとつひとつの家屋がとても大きくて立派で。子どもが家の前で水遊びをしている日常も、ああ、いいなあと思ったりしたのでした。
旧耶馬溪町(中津市)(2/5)
同じく国道212号線を下っていきます。旧耶馬溪町は、旧本耶馬渓町よりもやや上流に位置しており、耶馬溪湖の耶馬溪ダムもここに位置しています。ダムのそばにある「溪石園」という庭園に最初に立ち寄ってみると、水が豊かな日本庭園が広がっていました。
その後、耶馬溪支所の周辺を歩いたのですが、ふと唐揚げ屋さんが目に入り、店内に入るか迷います。中津市で唐揚げを買うということは、ひとつの目標でした。そのチャンスが、今、目の前にある気がする…。どきどき…。そして、いざ勇気を出して入ってみると、若いお兄さんが店番をされていて、とても優しく対応してくださりました。店内の唐揚げも撮っていいですよと。砂ずり一本と、唐揚げを2セット分買って、590円。安いですよね。地元のお母さんはパッとやってきて、2000円分を颯爽と買っていかれました。早めの昼食にしていよいよかぶりつくと、感じたことのないスパイシーさがあり、小さな骨も残されたままで、本場の味という感じがしました。これで悔いなしだ。良かったあ。
また、次の旧本耶馬溪町へ向かう途中、「馬溪橋」という橋がとても見事で、思わず足を止めました。石造りのアーチ橋で、周辺の山並みと町並みに溶け込んだ姿を眺めるだけで、ずっとここにいられると。すごいパワーだ。
同じく国道212号線を下っていきます。旧耶馬溪町は、旧本耶馬渓町よりもやや上流に位置しており、耶馬溪湖の耶馬溪ダムもここに位置しています。ダムのそばにある「溪石園」という庭園に最初に立ち寄ってみると、水が豊かな日本庭園が広がっていました。
その後、耶馬溪支所の周辺を歩いたのですが、ふと唐揚げ屋さんが目に入り、店内に入るか迷います。中津市で唐揚げを買うということは、ひとつの目標でした。そのチャンスが、今、目の前にある気がする…。どきどき…。そして、いざ勇気を出して入ってみると、若いお兄さんが店番をされていて、とても優しく対応してくださりました。店内の唐揚げも撮っていいですよと。砂ずり一本と、唐揚げを2セット分買って、590円。安いですよね。地元のお母さんはパッとやってきて、2000円分を颯爽と買っていかれました。早めの昼食にしていよいよかぶりつくと、感じたことのないスパイシーさがあり、小さな骨も残されたままで、本場の味という感じがしました。これで悔いなしだ。良かったあ。
また、次の旧本耶馬溪町へ向かう途中、「馬溪橋」という橋がとても見事で、思わず足を止めました。石造りのアーチ橋で、周辺の山並みと町並みに溶け込んだ姿を眺めるだけで、ずっとここにいられると。すごいパワーだ。
旧本耶馬溪町(中津市)(3/5)
今までに訪れたことのない場所として、羅漢寺という厳かな山寺を目指します。ただ、入り口の但し書きで撮影禁止であることと、カメラの持ち込みも禁止であると記されていたので、今回は訪れるのを控えました。手持ちにカメラを数台抱えているので、相性が合わずということで。中に入ってから気づくよりも、最初から但し書きがある方がありがたいです。また機会があるときに、訪れてみたいなあと。
そして、今度は「青の洞門」を目指します。駐車場は大混雑しており、観光客で大賑わい。ただ、青の洞門よりも、ネモフィラを目指して歩いている人が多かったのも印象的です。徒歩で洞門を往復してみましたが、手彫りでこれだけのトンネルをつくるたいへんさを、まだまだ想像できないなあと。それぐらい、ふつうのトンネルとして成り立っていることが、すごいなと感じるばかりです。さらに、今やこれだけの観光地ですから、このトンネルを彫った方々は、空からえっへんと眺めているかもしれません。
今までに訪れたことのない場所として、羅漢寺という厳かな山寺を目指します。ただ、入り口の但し書きで撮影禁止であることと、カメラの持ち込みも禁止であると記されていたので、今回は訪れるのを控えました。手持ちにカメラを数台抱えているので、相性が合わずということで。中に入ってから気づくよりも、最初から但し書きがある方がありがたいです。また機会があるときに、訪れてみたいなあと。
そして、今度は「青の洞門」を目指します。駐車場は大混雑しており、観光客で大賑わい。ただ、青の洞門よりも、ネモフィラを目指して歩いている人が多かったのも印象的です。徒歩で洞門を往復してみましたが、手彫りでこれだけのトンネルをつくるたいへんさを、まだまだ想像できないなあと。それぐらい、ふつうのトンネルとして成り立っていることが、すごいなと感じるばかりです。さらに、今やこれだけの観光地ですから、このトンネルを彫った方々は、空からえっへんと眺めているかもしれません。
旧三光村(中津市)(4/5)
旧三光村の看板を通り抜けた直後はまだ、周辺が山に囲まれていましたが、ふと山を抜けると空が大きくひらけて、とても気持ちのいい風景が現れました。三光総合運動公園へ向かってみると、ソフトテニスの試合が行われていて、「よっしゃ!」という声や、保護者の拍手のパチパチという音が、爽やかに響いています。
その後、平野部へ移動して、八面山が見える風景を眺めました。八面山が旧三光村のシンボルであるとのことだったので、それをできるだけ感じてみたいなあと思っていましたが、まさに平地から山を眺めると、手前の麦畑の景色と合わせてとても開放的で、美しい姿でした。
旧三光村の看板を通り抜けた直後はまだ、周辺が山に囲まれていましたが、ふと山を抜けると空が大きくひらけて、とても気持ちのいい風景が現れました。三光総合運動公園へ向かってみると、ソフトテニスの試合が行われていて、「よっしゃ!」という声や、保護者の拍手のパチパチという音が、爽やかに響いています。
その後、平野部へ移動して、八面山が見える風景を眺めました。八面山が旧三光村のシンボルであるとのことだったので、それをできるだけ感じてみたいなあと思っていましたが、まさに平地から山を眺めると、手前の麦畑の景色と合わせてとても開放的で、美しい姿でした。
中津市(5/5)
最後にやって来たのは、中津市街地です。今回は中津城と、福澤諭吉旧居・福澤記念館を目指します。中津城を訪れるのは2回目ですが、あらためて訪れてみて、やさしい城だなあと感じました。どうしてそう感じたのだろうとも考えましたが、大迫力というわけではないけれど、大切にされていると感じたからなのかなと。
そして、福澤記念館では福澤諭吉の生涯に触れました。ぼくはほんとうに無学なので、福澤諭吉が幼少から青年の頃まで、中津で過ごしていたということも知りませんでした。ただ、そのときの苦労や、慶應義塾の創設に至るまでのいきさつを辿っていくと、福澤諭吉のことが好きになっていくのでした。何より、素晴らしい心の持ち主だったのだなあということが、印象的で。たとえば慶應義塾を、今の印象として捉えると、社会的にひろく認められたパワーをどうしても感じてしまう部分がありますが、福澤諭吉の考えの根幹は、官ではなく民が幸せになる道を第一としていたと。大切なことは、権力よりも人間としての成長だと。それに、早稲田の創設は大隈重信ですが、政治制度の方針において、福澤諭吉と考えもとても近かったと。やっぱり、最初にそういうものを築いた人たちの心根は、共通している部分があるのかもしれないなあと感じられました。
福澤諭吉の人生にも小さなきっかけが散りばめられていて、そうした小さなことひとつひとつが、彼の人生を築き上げている。誰だってやっぱりそうだ。そこに関しても、みんな一緒だと。そして、彼が目指していた学びのあり方として、ほぼ日の學校は、福澤諭吉の考え方にも、則っているなあということも、感じたりしました。いろんなことを考えるきっかけが増えた時間です。
最後にやって来たのは、中津市街地です。今回は中津城と、福澤諭吉旧居・福澤記念館を目指します。中津城を訪れるのは2回目ですが、あらためて訪れてみて、やさしい城だなあと感じました。どうしてそう感じたのだろうとも考えましたが、大迫力というわけではないけれど、大切にされていると感じたからなのかなと。
そして、福澤記念館では福澤諭吉の生涯に触れました。ぼくはほんとうに無学なので、福澤諭吉が幼少から青年の頃まで、中津で過ごしていたということも知りませんでした。ただ、そのときの苦労や、慶應義塾の創設に至るまでのいきさつを辿っていくと、福澤諭吉のことが好きになっていくのでした。何より、素晴らしい心の持ち主だったのだなあということが、印象的で。たとえば慶應義塾を、今の印象として捉えると、社会的にひろく認められたパワーをどうしても感じてしまう部分がありますが、福澤諭吉の考えの根幹は、官ではなく民が幸せになる道を第一としていたと。大切なことは、権力よりも人間としての成長だと。それに、早稲田の創設は大隈重信ですが、政治制度の方針において、福澤諭吉と考えもとても近かったと。やっぱり、最初にそういうものを築いた人たちの心根は、共通している部分があるのかもしれないなあと感じられました。
福澤諭吉の人生にも小さなきっかけが散りばめられていて、そうした小さなことひとつひとつが、彼の人生を築き上げている。誰だってやっぱりそうだ。そこに関しても、みんな一緒だと。そして、彼が目指していた学びのあり方として、ほぼ日の學校は、福澤諭吉の考え方にも、則っているなあということも、感じたりしました。いろんなことを考えるきっかけが増えた時間です。
というわけで、今日の散策はここまで。散策後、諸用のため旅を中断し、中津駅からソニック号に乗りました。実家のある倉敷市を目指しましたが、ソニック号が発車するとあっという間に山国川を渡り、福岡県に入ったのでした。
本日のひとこと
今日であった、ゲシュタルト崩壊しそうなことばたち。旧耶馬溪町、旧本耶馬渓町、耶馬溪、耶馬溪湖、耶馬溪ダム、馬溪橋……。
今日であった、ゲシュタルト崩壊しそうなことばたち。旧耶馬溪町、旧本耶馬渓町、耶馬溪、耶馬溪湖、耶馬溪ダム、馬溪橋……。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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