今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【74/175】
訪れた旧市町村の数【686/2,094】 総計【760/2,269】目次
八女市のことが、もっと好きになった日。(2023年12月3日(日)―241日目)
朝、外に出るとざっと雨が降ったみたいで、地面が濡れていた。確かに東の空は雨雲だ。しかし、ちょうど雲も抜けたみたいで、西の空は晴れている。そのまま朝日が差し込んで、晴れた八女市を進んでいくことができた。八女市は6つのまちが合併していて、山間部のまちも美しかった。それでは振り返っていこう。
八女市ー八女中央大茶園ー
最初に訪れたのは、八女市の中央大茶園だ。市街地を抜けてゆるやかな坂を登ると、視界が一気に輝いた。丘の表面を撫でるように茶畑が広がっている。茶葉は暖色の朝日を浴びて、落ち着いた緑色が輝いていた。「ここに茶園がある」とわかって訪れたはずなのに、そのイメージを軽々と超えた景色がぼくを刺激した。昼間ではなく、朝の光を浴びていたことで、茶畑が燦々と輝いていたのだった。
旧上陽町(八女市)
八女中央大茶園から、次に向かったのは旧上陽町だ。いつの間にか川沿いの道にたどり着き、後は東に進んでいくだけ。その川は星野川で、名前の通り上流には、旧星野村がある。
さて、その旧星野村の手前にあるのが、旧上陽町だ。旧上陽町の市街地を目指していたときに、思わずカブを止めた。「眼鏡橋だ」と思ったのだ。実際には四連のアーチ橋なので、石橋、と言う方が正しいだろう。市街地に眼鏡橋があることは調べていたので、複数あることに驚いたのだった。徒歩なら渡ることもできるようで、ちょうど子どもとおじいちゃんが、一緒に橋を渡って行った。その姿が美しかった。
市街地の雰囲気は優しくてホッとする。星野川沿いにある「ホタルと石橋の里公園」に行くと、犬を散歩していたおじいさんたちに「新聞社の方ですか」と声をかけられた。公園近くに住む地元の方で、昔はあたり一帯にホタルが飛んでいたと教えてもらう。今は支流で多く飛んでいるそうだ。それに夏場になれば、川泳ぎに来る人で賑わうと。
いい風景のまちですね、とつぶやくと、おじいさんは言った。
「そうですね。私はずっとここで生まれ育ちました。このまちとずっと一緒なんです」
それぞれのまちに、そうした思いを持つ人が、きっといる。
旧星野村(八女市)
星野村の名前は聞いたことがあった。「日本で最も美しい村連合」の中に、入っているような記憶がおぼろげにあったから。でも、まったく村のイメージは湧いてこなくて。八女市といえば、やはり茶畑だったから。
旧上陽町から10キロと少し山道を進む。いい天気だけれど、山間部で日陰が多くて、冷たい風が顔に当たりながら。最初に向かったのは、「広内・上原地区の棚田の展望台」。展望台から石積の見事な棚田を見ることができた。人の手で長い時間をかけて築き上げられた、星野村の原風景だ。
それから星野支所があるところまで、坂を上ったり下ったり。あとは下りきるだけ、といった地点で、集落を一望できた。遠くの山が重なり合い、逆光で町並みが霞み、屋根が輝いている。美しい……、心の中でうっとりした。
旧矢部村(八女市)
「急がば回れ」か「真っ直ぐ進め」か。
旧星野村から次の旧矢部村へ進みたくて、選択肢はふたつ。ぐるっと今まで来た道を戻って、緩やかな登り道を走って40キロ。急な峠を一気に越えて20キロ。ギリギリまでどっちを選ぶか迷ったけれど、峠をゆっくり越えることにした。
で、峠を越えるまでは順調でよかったけれど、そこから旧矢部村の集落に降りるまでにもアップダウンがあってひと苦労した。ようやく集落に降りきれたときは胸をなでおろした。
旧矢部村で訪れたのは、八女津媛神社。立派な一本の木が鎮座し、社殿の脇には大きな岩窟が露出している。山奥の神社、ドキッとするような厳かさがあった。
集落は高い山々に囲まれていた。中心地のエリアも、まだ12時過ぎだったけれど冬で日が短いので、まもなく太陽が隠れて日陰になりそうだった。
旧黒木町(八女市)
旧矢部村から矢部川沿いを下って、旧黒木町へ向かう。かなり山道を下っていった。標高の高い場所にいたことに、この道中で気づかされる。
旧黒木町にはいろいろあった。昔ながらの町並みや、黒木の大藤。広場にはSLも展示されていた。日曜日だったので、ファーマーズマーケットも開かれているようだった。
「黒木の大藤」へ訪れてみる。もちろん藤の季節ではないけれど、藤が黒木素盞鳴神社の敷地をすべて覆うように、一面に広がっていた。もし藤の季節なら、見上げるとすべてが藤の世界になるはずだ。見てみたいなあ。
旧立花町(八女市)
次に向かったのは、旧立花町。矢部川の山あいを抜けて、およそ開けた景色に変わっていった。立花支所の向かいにある、田崎廣助美術館にも訪れる。撮影禁止だけれど、入場は無料だ。田崎廣助は名家に生まれながら、教師や医者の道を捨てて画家を志し、じぶんのやりたいことを貫いたと、スタッフのおじさんに教わった。やがてパリにも留学し、「東洋のこころ」を自覚していったと。
代表作は阿蘇を描いた絵で、やっぱり絵が、描かされるものではなくて、じぶんの内側から溢れ出ているもののように感じられた。言葉がじぶんの言葉であるか、写真がじぶんの写真であるか、と同じように。
八女市ー八女福島白壁の町並みー
最後にやって来たのは、八女市の市街地だ。茶畑に訪れたことはあっても、市街地を歩いたことはまだなかったのだ。福島白壁の町並みを歩いてみる。白壁の町並みに加えて、大正レトロな建物もいくつか残っていた。町並みはL字型に残り、そのエリアに含まれていないところにはふつうの住宅街が広がっている。そこには小学生や中学生もたくさんいて、町並みの中に暮らしが溶け込んでいるなあと。
というわけで、今日の散策はここまで。今まで見ていた八女市から、世界がぐんと広がった。そして、八女市のことがもっと好きになったのだった。
夜、福岡に来て初めてラーメンを食べた。若い女性がひとりで来ていたり、カップルも数組いたり、ラーメン文化が身近にあるのだなあと。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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