
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【171/171】
訪れた旧市町村の数【2105/2105】 総計【2276/2276】スーパーカブの総走行距離
47851km

今日の旅先のこと
朝、那覇市でチェックアウトをしたのち、那覇市役所の職員さんにお会いしました。オンラインで話したことはあったのですが、直接お会いするのははじめてで。生粋の沖縄愛に溢れた方で、「エイサーの音を聞くと、ちむわさわさーするんよね!」とたのしいお話も伺いながら。初めて訪れた那覇市役所の建物も異国情緒たっぷりだったので、行ったことのない方はぜひ。そして、「ゴールを目指します!」と挨拶をして、出発です。
この旅の最後の地、奄美大島へ。15時ごろの到着になりました。ただ、到着でゴール、というわけではなく、15時から3つのまちを巡りきりたいと思っていました。なので、真っ暗になる前にいざ、がんばって巡りましょう。
旧笠利町(奄美市)(1/3)
奄美空港が位置しているのは旧笠利町で、島の北東部に位置しています。定刻通り到着し、空港近くでレンタカーを借りて、まずは「あやまる岬観光公園」へ向かってみました。
海の香り漂う中で、広場では子どもたちが元気に遊んでいます。おそらく地元の子どもたち。ここでたくさん遊んで育つのだろうなあと思うと、胸がじんわりと温かくなります。
そして、西の海に面する笠利市街地にも向かいました。地元の中学生が下校していて、ここにも日常が流れているなあと感じつつ。沖縄の家の玄関などではシーサーを見ることが多かったですが、ここではカエルや貝殻の置き物が多かったです。沖縄と奄美大島、南国に位置する点は共通しているけれど、雰囲気はまた沖縄とは違うのだよなあと。その微妙な違いがまた新鮮でした。
住宅地の雰囲気を感じながら散策すると、花や草木が丁寧に手入れされていたり、幼稚園からは元気いっぱいの子どもの声と、先生の笑い声が聞こえてきたり。ホッとする時間の流れです。
この旅の最後の地、奄美大島へ。15時ごろの到着になりました。ただ、到着でゴール、というわけではなく、15時から3つのまちを巡りきりたいと思っていました。なので、真っ暗になる前にいざ、がんばって巡りましょう。
旧笠利町(奄美市)(1/3)
奄美空港が位置しているのは旧笠利町で、島の北東部に位置しています。定刻通り到着し、空港近くでレンタカーを借りて、まずは「あやまる岬観光公園」へ向かってみました。
海の香り漂う中で、広場では子どもたちが元気に遊んでいます。おそらく地元の子どもたち。ここでたくさん遊んで育つのだろうなあと思うと、胸がじんわりと温かくなります。
そして、西の海に面する笠利市街地にも向かいました。地元の中学生が下校していて、ここにも日常が流れているなあと感じつつ。沖縄の家の玄関などではシーサーを見ることが多かったですが、ここではカエルや貝殻の置き物が多かったです。沖縄と奄美大島、南国に位置する点は共通しているけれど、雰囲気はまた沖縄とは違うのだよなあと。その微妙な違いがまた新鮮でした。
住宅地の雰囲気を感じながら散策すると、花や草木が丁寧に手入れされていたり、幼稚園からは元気いっぱいの子どもの声と、先生の笑い声が聞こえてきたり。ホッとする時間の流れです。

















旧住用村(奄美市)(2/3)
旧笠利町から旧住用村まではかなり遠くて、名瀬市街地も通りつつ、一気に50km近い移動になりました。奄美大島が広いということは前回の旅でも感じていたので、焦らず進んでいきます。
そして、「道の駅 奄美大島 住用」に到着。マングローブの原生林も近いみたいで、周辺も景色が険しく、トンネルの数も多くて、自然の中心にいる感じです。
そのまま住用総合支所のある付近まで散策していったときも、密度の高い木々の姿は、島の絶対王者のようでした。俺たちがこの島にはいるぞ、と。
また、2010年10月20日の大雨の冠水の看板もありました。2メートル以上の冠水が発生したと。自分の知らないところで、災害がたくさん起きていることをしみじみ感じるばかりです。
旧笠利町から旧住用村まではかなり遠くて、名瀬市街地も通りつつ、一気に50km近い移動になりました。奄美大島が広いということは前回の旅でも感じていたので、焦らず進んでいきます。
そして、「道の駅 奄美大島 住用」に到着。マングローブの原生林も近いみたいで、周辺も景色が険しく、トンネルの数も多くて、自然の中心にいる感じです。
そのまま住用総合支所のある付近まで散策していったときも、密度の高い木々の姿は、島の絶対王者のようでした。俺たちがこの島にはいるぞ、と。
また、2010年10月20日の大雨の冠水の看板もありました。2メートル以上の冠水が発生したと。自分の知らないところで、災害がたくさん起きていることをしみじみ感じるばかりです。

















旧名瀬市(奄美市)(3/3)
2276番目。最後にやってきたのは、旧名瀬市でした。日没が18時51分で、ギリギリ間に合うかもしれないと、大浜海浜公園を目指します。
移動中、ちょうどぼくのレンタカーの後ろを、ぼくがこれまでに乗ってきたスーパーカブと同じ型式のカブが、ずっとついてくるのでした。バックミラーを見ながら思いました。ああ、自分がやっていた旅は、こういう感じだったのだなあと。最後の日にこういう光景に出会うのもまた不思議でした。後ろのカブが、自分ごとのように思えたからです。
そして、もう、ほんとうに最後の旅ですから、できる限りの御礼参りはさせてもらいたい気持ちで、市街地の高千穂神社を訪れたのち、大浜海浜公園へ。
大浜海浜公園へ着く頃には、すでに日没の時間は少し過ぎてしまったのですが、最後に見た海は、雲が夕焼けで3つの色をなしていました。ああ、これで旅が終わったのだなあと、静かに海を眺めて、会釈を。
今日がひとつの区切り。そして、またこれから前へ進めるように。
市街地に戻ったのち、地元のラーメン屋さんでラーメンと餃子を。店主のおじいちゃんの、「ハィ!いらっしゃーい!」「ありがとーうっ!」という声で、とても元気が出ました。
翌朝も少し市街地を散策して、名瀬とはおさらばです。
2276番目。最後にやってきたのは、旧名瀬市でした。日没が18時51分で、ギリギリ間に合うかもしれないと、大浜海浜公園を目指します。
移動中、ちょうどぼくのレンタカーの後ろを、ぼくがこれまでに乗ってきたスーパーカブと同じ型式のカブが、ずっとついてくるのでした。バックミラーを見ながら思いました。ああ、自分がやっていた旅は、こういう感じだったのだなあと。最後の日にこういう光景に出会うのもまた不思議でした。後ろのカブが、自分ごとのように思えたからです。
そして、もう、ほんとうに最後の旅ですから、できる限りの御礼参りはさせてもらいたい気持ちで、市街地の高千穂神社を訪れたのち、大浜海浜公園へ。
大浜海浜公園へ着く頃には、すでに日没の時間は少し過ぎてしまったのですが、最後に見た海は、雲が夕焼けで3つの色をなしていました。ああ、これで旅が終わったのだなあと、静かに海を眺めて、会釈を。
今日がひとつの区切り。そして、またこれから前へ進めるように。
市街地に戻ったのち、地元のラーメン屋さんでラーメンと餃子を。店主のおじいちゃんの、「ハィ!いらっしゃーい!」「ありがとーうっ!」という声で、とても元気が出ました。
翌朝も少し市街地を散策して、名瀬とはおさらばです。













旧市町村一周の旅、そして、政令指定都市一周の旅。旅の最後の日でした。
端的な気持ちはとにかくホッとした、というひとことに尽きます。ラスト2週間ほどはカブではなくレンタカーの旅だったので、すべて最初から最後まで予定を事前に組み、何かトラブルが起きれば破綻してしまう、というリスクがありました。そのトラブルが起きずに、無事に終えられたというのはとにかくホッとした気持ちで。
今回2000を超えるまちを訪れさせてもらい、小さな日本においてですら、自分の一度の寿命で日本を知ったつもりになることは、おこがましいことだと感じるばかりです。国土が限られているとはいえ、世界はもっと広いとはいえ、それでも日本は無限大だと。前回の旅ではそうは思わなかったけれど、今回の旅でそう思うようになりました。1億人という人口が、どれほど多いかということも。そうしたたくさんの土地に広がっている暮らしが、いまも同時に動いている。果てしないですし、だからこそ、自分が出会う世界は、偶然と必然の狭間にあるようだと。
世界の広さを前提において、自分にとっての知らない人たちがわずかでも心豊かになれば、それは社会全体が明るい未来につながっていくのかもしれないなあと感じます。でも、まだまだ自分は想像力が及ばないですし、これからも学び続けたい思いです。膨大な時間の流れがあって、限られた命とともに、いまここに生きているということを受け止めて。
何より、2年と1ヶ月、旅を応援していただきほんとうにありがとうございました。前回の旅と比べると、今回の方が大変だった、と言いたいだけかもしれませんが、心が折れそうなときには、人との出会いやあたたかな言葉を通して、前を向くことができました。
今回の経験をどう活かすかは、自分次第です。見てきたことの中から、何ができるだろう。自家広告や野心のためではなく、何かを還元できるように、という気持ちです。小さな心の軸として。
また、ゼロから進んでいきましょう。この度はありがとうございました! 旅は終われど、日々は続きます。若輩者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2025年8月16日 仁科勝介
旅を応援してくださる方へ
端的な気持ちはとにかくホッとした、というひとことに尽きます。ラスト2週間ほどはカブではなくレンタカーの旅だったので、すべて最初から最後まで予定を事前に組み、何かトラブルが起きれば破綻してしまう、というリスクがありました。そのトラブルが起きずに、無事に終えられたというのはとにかくホッとした気持ちで。
今回2000を超えるまちを訪れさせてもらい、小さな日本においてですら、自分の一度の寿命で日本を知ったつもりになることは、おこがましいことだと感じるばかりです。国土が限られているとはいえ、世界はもっと広いとはいえ、それでも日本は無限大だと。前回の旅ではそうは思わなかったけれど、今回の旅でそう思うようになりました。1億人という人口が、どれほど多いかということも。そうしたたくさんの土地に広がっている暮らしが、いまも同時に動いている。果てしないですし、だからこそ、自分が出会う世界は、偶然と必然の狭間にあるようだと。
世界の広さを前提において、自分にとっての知らない人たちがわずかでも心豊かになれば、それは社会全体が明るい未来につながっていくのかもしれないなあと感じます。でも、まだまだ自分は想像力が及ばないですし、これからも学び続けたい思いです。膨大な時間の流れがあって、限られた命とともに、いまここに生きているということを受け止めて。
何より、2年と1ヶ月、旅を応援していただきほんとうにありがとうございました。前回の旅と比べると、今回の方が大変だった、と言いたいだけかもしれませんが、心が折れそうなときには、人との出会いやあたたかな言葉を通して、前を向くことができました。
今回の経験をどう活かすかは、自分次第です。見てきたことの中から、何ができるだろう。自家広告や野心のためではなく、何かを還元できるように、という気持ちです。小さな心の軸として。
また、ゼロから進んでいきましょう。この度はありがとうございました! 旅は終われど、日々は続きます。若輩者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2025年8月16日 仁科勝介
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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(終わり。次回へ続きます)
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