
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【171/171】
訪れた旧市町村の数【2102/2105】 総計【2273/2276】スーパーカブの総走行距離
47851km

今日の旅先のこと
いよいよ、沖縄県の旅も最後になりました。朝は久米島で買ってきたドリップコーヒーを飲んで深呼吸。今日はうるま市の旧市町村を巡っていきます。高速道路もあるけれど、下道で30kmをゆったり移動して向かいました。それでは振り返っていきましょう。
旧石川市(うるま市)(1/4)
いまは選挙シーズンで、朝から雨の中、選挙カーが走っていました。ウグイス嬢が大きな声で話されているわけですが、「石川地域のみなさん〜〜」という声かけだったので、ああ、うるま市ではないのだなあと。小学校や高校の名前も石川が含まれていますし、旧石川市は合併前も「市」だったわけですから、まちとしての規模もあるよなあと思ったり。
住宅地に生えている木々が沖縄っぽいと感じられましたし、さらに沿岸部にも行ってみると、海をまたいで緩やかな丘に住宅地が見えて、雰囲気のある町並みが広がっていました。

















旧具志川市(うるま市)(2/4)
次に向かったのは、旧具志川市です。7kmほどの移動だったので、それほど遠くはなく。まずは安慶名城跡へ向かってみたのですが、「安慶名」といえばぼくの大学の後輩の名前で、彼のことをいろいろと思い出すのでした。安慶名、元気にしてるかなあ、と。
こちらでもやっぱり選挙カーが走り回っていて、うるま市役所にはテレビカメラも。沖縄の選挙ってお祭りっぽいなあと思いつつ、城跡へ着くと、なんと闘牛場も。客席は芝に覆われていて、闘牛場に染みついた気配みたいなものが漂っていました。いまは無人なわけですが、何か雰囲気を感じるというか。その闘牛場の裏手に城跡があり、巨大な壁のような石垣が聳え立ち、沖縄らしさを感じさせます。
次に向かったのは、旧具志川市です。7kmほどの移動だったので、それほど遠くはなく。まずは安慶名城跡へ向かってみたのですが、「安慶名」といえばぼくの大学の後輩の名前で、彼のことをいろいろと思い出すのでした。安慶名、元気にしてるかなあ、と。
こちらでもやっぱり選挙カーが走り回っていて、うるま市役所にはテレビカメラも。沖縄の選挙ってお祭りっぽいなあと思いつつ、城跡へ着くと、なんと闘牛場も。客席は芝に覆われていて、闘牛場に染みついた気配みたいなものが漂っていました。いまは無人なわけですが、何か雰囲気を感じるというか。その闘牛場の裏手に城跡があり、巨大な壁のような石垣が聳え立ち、沖縄らしさを感じさせます。















旧与那城町(うるま市)(3/4)
次に向かったのは、旧与那城町。海沿いの与勝半島の北側に市街地が広がっています。半島はとても細長いのですが、その中間部あたりの市街地から、海中道路という大きな橋が架かっていて、宮城島や伊計島、浜比嘉島への起点となっています。
その海中道路を通って、「海の駅 あやはし館」に立ち寄ってみると、海の駅からは黒糖の甘い香りも。
今日は訪れるまちも少なくて時間があったので、お昼ごはんも海の駅にあったオシャレなお店で食べることに。昨日はお昼に何も食べなかったので、昼食をゆっくり食べられる感動を抱きながら、スパイシーカレーにしました。気持ちのいい辛さの中に、ギュッと深みが詰まっていてすごく美味しかったですし、器もうるまブルーで素敵でした。会計のときに、「美味しかったです!」というと爽やかなお兄さんが「ありがとうございます!」と笑顔で返してくれて、それだけでも、幸せいっぱいですよね。
また、海中道路をさらに進み、伊計島の「仲原遺跡」という遺跡にも行ってみました。沖縄貝塚時代中期(2000年~2500年前)の集落跡で、モリゾーとピッコロみたいな、竪穴式住居っぽいけれどちょっとだけ違う、マンモスみたいな目が見えない、目が髪の毛で隠れた顔みたいな住居でした。面白いなぁ。似てるし違うという感じです。結構雨が強かったのですが、伊計島の地形そのものも独特だなあと思ったり。
次に向かったのは、旧与那城町。海沿いの与勝半島の北側に市街地が広がっています。半島はとても細長いのですが、その中間部あたりの市街地から、海中道路という大きな橋が架かっていて、宮城島や伊計島、浜比嘉島への起点となっています。
その海中道路を通って、「海の駅 あやはし館」に立ち寄ってみると、海の駅からは黒糖の甘い香りも。
今日は訪れるまちも少なくて時間があったので、お昼ごはんも海の駅にあったオシャレなお店で食べることに。昨日はお昼に何も食べなかったので、昼食をゆっくり食べられる感動を抱きながら、スパイシーカレーにしました。気持ちのいい辛さの中に、ギュッと深みが詰まっていてすごく美味しかったですし、器もうるまブルーで素敵でした。会計のときに、「美味しかったです!」というと爽やかなお兄さんが「ありがとうございます!」と笑顔で返してくれて、それだけでも、幸せいっぱいですよね。
また、海中道路をさらに進み、伊計島の「仲原遺跡」という遺跡にも行ってみました。沖縄貝塚時代中期(2000年~2500年前)の集落跡で、モリゾーとピッコロみたいな、竪穴式住居っぽいけれどちょっとだけ違う、マンモスみたいな目が見えない、目が髪の毛で隠れた顔みたいな住居でした。面白いなぁ。似てるし違うという感じです。結構雨が強かったのですが、伊計島の地形そのものも独特だなあと思ったり。


















旧勝連町(うるま市)(4/4)
最後に向かったのは、旧勝連町です。まずは伊計島から南へ橋を渡って、浜比嘉島の「アマミチューの墓」という場所へ行ってみることに。琉球開びゃくの祖神をはじめとした神様が祀られているとされ、信仰の地としても知られています。
おそらく県内の家族連れの方々も来ていて、小さな女の子が一生懸命に手を合わせていた背中が印象的でした。そのあとお参りをさせてもらい。背後からチャプチャプと海の音がするのを聞きながら。近くには人間みたいな猫もいて、ほんとはこの猫はいろいろなことを分かってるのかもしれないと思ったり。
その後、市街地へ向かうと海側と丘側それぞれに住宅地が広がっていて、丘からは海も眺められました。小さな御嶽や昔の家屋もあって、やはり沖縄らしさも感じつつ。
そして、最後に勝連城跡を目指しました。駐車場も広く整備されていて、ゴルフ場のゴルフカートみたいな乗り物で移動している人たちも。最初はゴルフ場がそばにあるのかと思ったら、やっぱり城跡で。
城跡に向かう手前には、「あまわりパーク」という歴史資料館もあり、先に立ち寄ってみることに。ここでは勝連の英雄「阿麻和利」について知ることができました。
阿麻和利は琉球王国時代の勝連における按司(首長)で、勝連グスク軍が王府軍に敗れたことで、亡くなったとされています。つまり、王府へ刃を向けたことで、最初は歴史の逆臣として位置付けられ、歴史の波に埋もれてきたと。
しかし、勝連の繁栄や阿麻和利を讃えた歌が数多く残されており、研究などにもよって阿麻和利が再評価され、「阿麻和利は沖縄最後の古英雄なり」と称されるようになったと。
阿麻和利が願っていたのは勝連の人々の繁栄や平和で、その心は人々に愛されていたのです。
こういったことは、ほかの日本史でも当てはまるようなことがあるよなあとも感じました。結果によって逆賊や逆臣とされた人物の中にも、ほんとうの偉人はいると。何より、いまも勝連の人々は阿麻和利の肝高の精神が受け継がれていることを、展示や取り組みの中からはっきりと感じられたのでした。
それから勝連城跡へ訪れていきます。13世紀前後に整えられたとされていますが、石垣はしっかりと残されていて、城跡の雰囲気が肌で感じられます。この時代につくられたお城で、本土で残っているものはほとんどないよなあとも思います。あるにしても、もっと形が分かりづらいというか。そう思うと、グスクのお城は当たり前に残っていてすごいなあと。
とっても広くて気持ちが良く、景観も抜群で、沖縄県の最後の旅先としては、すごくありがたいなあと。「ありがとう、勝連!」と心から思えました。
最後に向かったのは、旧勝連町です。まずは伊計島から南へ橋を渡って、浜比嘉島の「アマミチューの墓」という場所へ行ってみることに。琉球開びゃくの祖神をはじめとした神様が祀られているとされ、信仰の地としても知られています。
おそらく県内の家族連れの方々も来ていて、小さな女の子が一生懸命に手を合わせていた背中が印象的でした。そのあとお参りをさせてもらい。背後からチャプチャプと海の音がするのを聞きながら。近くには人間みたいな猫もいて、ほんとはこの猫はいろいろなことを分かってるのかもしれないと思ったり。
その後、市街地へ向かうと海側と丘側それぞれに住宅地が広がっていて、丘からは海も眺められました。小さな御嶽や昔の家屋もあって、やはり沖縄らしさも感じつつ。
そして、最後に勝連城跡を目指しました。駐車場も広く整備されていて、ゴルフ場のゴルフカートみたいな乗り物で移動している人たちも。最初はゴルフ場がそばにあるのかと思ったら、やっぱり城跡で。
城跡に向かう手前には、「あまわりパーク」という歴史資料館もあり、先に立ち寄ってみることに。ここでは勝連の英雄「阿麻和利」について知ることができました。
阿麻和利は琉球王国時代の勝連における按司(首長)で、勝連グスク軍が王府軍に敗れたことで、亡くなったとされています。つまり、王府へ刃を向けたことで、最初は歴史の逆臣として位置付けられ、歴史の波に埋もれてきたと。
しかし、勝連の繁栄や阿麻和利を讃えた歌が数多く残されており、研究などにもよって阿麻和利が再評価され、「阿麻和利は沖縄最後の古英雄なり」と称されるようになったと。
阿麻和利が願っていたのは勝連の人々の繁栄や平和で、その心は人々に愛されていたのです。
こういったことは、ほかの日本史でも当てはまるようなことがあるよなあとも感じました。結果によって逆賊や逆臣とされた人物の中にも、ほんとうの偉人はいると。何より、いまも勝連の人々は阿麻和利の肝高の精神が受け継がれていることを、展示や取り組みの中からはっきりと感じられたのでした。
それから勝連城跡へ訪れていきます。13世紀前後に整えられたとされていますが、石垣はしっかりと残されていて、城跡の雰囲気が肌で感じられます。この時代につくられたお城で、本土で残っているものはほとんどないよなあとも思います。あるにしても、もっと形が分かりづらいというか。そう思うと、グスクのお城は当たり前に残っていてすごいなあと。
とっても広くて気持ちが良く、景観も抜群で、沖縄県の最後の旅先としては、すごくありがたいなあと。「ありがとう、勝連!」と心から思えました。





















というわけで、今日の散策はここまで。うるま市から再び那覇市街地へ戻り、レンタカーを返却する前に波上宮に立ち寄って、沖縄県の旅の御礼参りを。部屋に戻ると電気が付いていて、ええっと思ったのですが、クリーニング係の方の歯科クリニックの診察券が、カードキー代わりに刺さったままだったのでした(クリーニング、ありがとうございました!)。
これで、沖縄県の旅も無事に終了です。ほんとうにありがたいなあ。さぁ明日は、長い旅の最後の一日です。ついにここまで進めることができました。いざ、まっさらな気持ちで、奄美大島へ向かいましょう。
これで、沖縄県の旅も無事に終了です。ほんとうにありがたいなあ。さぁ明日は、長い旅の最後の一日です。ついにここまで進めることができました。いざ、まっさらな気持ちで、奄美大島へ向かいましょう。
本日のひとこと
沖縄の選挙カーは、BGM(邦楽)も一緒に流れていて驚きました。あとで沖縄の方に聞いたら、それがふつうだと。面白いなあ。
沖縄の選挙カーは、BGM(邦楽)も一緒に流れていて驚きました。あとで沖縄の方に聞いたら、それがふつうだと。面白いなあ。
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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