
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【171/171】
訪れた旧市町村の数【2055/2,105】 総計【2226/2,276】スーパーカブの総走行距離
47851km

今日の旅先のこと
滋賀県の旅も今回で最後です。おととい、近江八幡市でレンタカーを借りていたのですが、同じ場所で返却するので、できるだけ効率よく戻って来れるようなルートで進んでいきました。今日は愛荘町と東近江市の旅路です。それでは振り返っていきましょう。
旧五箇荘町(東近江市)(1/6)
朝まで雨が降っていたのですが、止んでくれてひと安心。朝は五箇荘町の宿に泊まっていたので、雨上がりののち、そのまま散策しました。五箇荘中央公園の桜が雨で散っていて、道路に広がる桜の花びらたちが、また綺麗で。
近江商人記念館の方まで散策していくと、住宅地の中に蔵があったり、水路の様子からも昔ながらの雰囲気が残っていて、とこどころに歴史を感じます。“近江商人”って聞いたことはあったけれど、この辺りの地域にゆかりがあるのだなあということも、あらためて。
旧五箇荘町(東近江市)(1/6)
朝まで雨が降っていたのですが、止んでくれてひと安心。朝は五箇荘町の宿に泊まっていたので、雨上がりののち、そのまま散策しました。五箇荘中央公園の桜が雨で散っていて、道路に広がる桜の花びらたちが、また綺麗で。
近江商人記念館の方まで散策していくと、住宅地の中に蔵があったり、水路の様子からも昔ながらの雰囲気が残っていて、とこどころに歴史を感じます。“近江商人”って聞いたことはあったけれど、この辺りの地域にゆかりがあるのだなあということも、あらためて。













旧八日市市(東近江市)(2/6)
次に向かったのは、旧八日市市。もともと「市」であったことからも、東近江市の中心街であることが感じられます。駅前近くの駐車場に車を停めて散策してみると、アーケードの商店街があって、アメリカンなお店だったり、商店街全体でデニムを推していたり、知らなかったことがいっぱいあるなあと。駅前のショッピングモール、アル・プラザの存在感も抜群で、壁面の絵や看板を見ていたのですが、そこで太郎坊宮という神社を知り、気になって向かってみることに。
市街地から一気に山を登った先にある神社で、山腹にある駐車場から本殿へ向かうにあたっても、かなりの石段がありました。太郎坊宮では、太郎坊信仰というものがあると。「勝利と幸福を授ける神様」とのことで、ほかにも参拝客の方がたくさんいらっしゃいました。勝利と幸福について、「たのみます!!」と強くは求めないけれど、ほどよく良い方向へ、何事も向かっていくといいなあと思います。
次に向かったのは、旧八日市市。もともと「市」であったことからも、東近江市の中心街であることが感じられます。駅前近くの駐車場に車を停めて散策してみると、アーケードの商店街があって、アメリカンなお店だったり、商店街全体でデニムを推していたり、知らなかったことがいっぱいあるなあと。駅前のショッピングモール、アル・プラザの存在感も抜群で、壁面の絵や看板を見ていたのですが、そこで太郎坊宮という神社を知り、気になって向かってみることに。
市街地から一気に山を登った先にある神社で、山腹にある駐車場から本殿へ向かうにあたっても、かなりの石段がありました。太郎坊宮では、太郎坊信仰というものがあると。「勝利と幸福を授ける神様」とのことで、ほかにも参拝客の方がたくさんいらっしゃいました。勝利と幸福について、「たのみます!!」と強くは求めないけれど、ほどよく良い方向へ、何事も向かっていくといいなあと思います。
















旧湖東町(東近江市)(3/6)
次に向かったのは、旧湖東町。市街地も散策しつつ、ここでは、「西堀榮三郎記念探検の殿堂」へ向かました。本館までの外の道には、榮三郎さんが残した言葉の節々が紹介されています。それも、ちょっと元気がもらえるような言葉たち。
西堀榮三郎さんは、技術者としての道を歩みながらも、探検家、登山家でもあった人物です。日本の南極観測隊では中心的な役割を担い、探検家でもありながら、技術者でもあるという実地と理論を兼ね備えたご経験と人柄は、とてもかっこいいなあと思うばかりでした。宇宙飛行士などとも似ているのかもしれません。
ほかにも企画展で、マナスルに登頂された東近江市在住の佐々木司さんの展示がありました。地元の方が登頂に成功した、ということで、子どもにも分かりやすいような形の展示だったのですが、8千メートル峰のマナスルですから、はっきりいって、とんでもなくすごいことのわけです。それが、いかに苦労して‥‥というニュアンスではなく、明るくやさしく登頂の記録が綴られていたことは、個人的にはとても好きでした。佐々木さんの人柄も伺えるような気がして。
次に向かったのは、旧湖東町。市街地も散策しつつ、ここでは、「西堀榮三郎記念探検の殿堂」へ向かました。本館までの外の道には、榮三郎さんが残した言葉の節々が紹介されています。それも、ちょっと元気がもらえるような言葉たち。
西堀榮三郎さんは、技術者としての道を歩みながらも、探検家、登山家でもあった人物です。日本の南極観測隊では中心的な役割を担い、探検家でもありながら、技術者でもあるという実地と理論を兼ね備えたご経験と人柄は、とてもかっこいいなあと思うばかりでした。宇宙飛行士などとも似ているのかもしれません。
ほかにも企画展で、マナスルに登頂された東近江市在住の佐々木司さんの展示がありました。地元の方が登頂に成功した、ということで、子どもにも分かりやすいような形の展示だったのですが、8千メートル峰のマナスルですから、はっきりいって、とんでもなくすごいことのわけです。それが、いかに苦労して‥‥というニュアンスではなく、明るくやさしく登頂の記録が綴られていたことは、個人的にはとても好きでした。佐々木さんの人柄も伺えるような気がして。












旧秦荘町(愛荘町)(4/6)
次に、愛荘町の旧秦荘町にやって来ました。「秦荘」と「愛知川」を併せて「愛荘」という地名ができたのだなあということも、この旧市町村の旅で知ったことです。
散策していると、やまいもが特産であることが紹介されていました。旧秦荘町の特産品とのことで、秦荘のやまいもはお伊勢参りのお土産から、栽培されたのがはじまりと言われていると。
そして、明後日には地元の神社のお祭りがあるようで、車両が通行止めになりますよ〜という看板も。お祭りがある土地にとっては、その日がハレ、お祭りなのです。行政っぽい方も来ていて、お祭りに向けて、長細い棒の先にカメラを付けて撮影する打ち合わせをしているみたいでした。
次に、愛荘町の旧秦荘町にやって来ました。「秦荘」と「愛知川」を併せて「愛荘」という地名ができたのだなあということも、この旧市町村の旅で知ったことです。
散策していると、やまいもが特産であることが紹介されていました。旧秦荘町の特産品とのことで、秦荘のやまいもはお伊勢参りのお土産から、栽培されたのがはじまりと言われていると。
そして、明後日には地元の神社のお祭りがあるようで、車両が通行止めになりますよ〜という看板も。お祭りがある土地にとっては、その日がハレ、お祭りなのです。行政っぽい方も来ていて、お祭りに向けて、長細い棒の先にカメラを付けて撮影する打ち合わせをしているみたいでした。










旧愛知川町(愛荘町)(5/6)
次に向かったのは、旧愛知川町です。愛荘町役場の周辺は、生活向けのスーパーなども充実していて暮らしの場となっており、住宅も比較的新しく感じられます。
ただ、新幹線の向こう側に宿場町がある? という予感がして、歩いて向かってみると、やはりありました、かつての中山道の愛知川宿が。中山道というと、やっぱり長野県あたりの山の険しい地方のイメージが強いのですが、こういう滋賀県の平野部にも、中山道の宿場町があったわけだよなあと、あらためて感じさせられます。
宿場町の通りは中学生がたくさん下校していて、古き良さと新しさが織り混ざったような雰囲気でした。もちろん新幹線もビュンビュン通るのですが、江戸時代に中山道を歩いていた人からすれば、この新幹線は衝撃だろうなあ、なんて思ったり。
次に向かったのは、旧愛知川町です。愛荘町役場の周辺は、生活向けのスーパーなども充実していて暮らしの場となっており、住宅も比較的新しく感じられます。
ただ、新幹線の向こう側に宿場町がある? という予感がして、歩いて向かってみると、やはりありました、かつての中山道の愛知川宿が。中山道というと、やっぱり長野県あたりの山の険しい地方のイメージが強いのですが、こういう滋賀県の平野部にも、中山道の宿場町があったわけだよなあと、あらためて感じさせられます。
宿場町の通りは中学生がたくさん下校していて、古き良さと新しさが織り混ざったような雰囲気でした。もちろん新幹線もビュンビュン通るのですが、江戸時代に中山道を歩いていた人からすれば、この新幹線は衝撃だろうなあ、なんて思ったり。














旧能登川町(東近江市)(6/6)
滋賀県の最後の旅路としてやってきたのは、旧能登川町です。市街地へ向かうと、新しい戸建てやマンションの住宅地も、少し古い建物も混ざり合っています。能登川中学校の近くの水路には桜並木があって、強風でどんどんと花びらが水路に落ちていて、いましか見られない風景だなあと。みんなどこに流れ着くのだろう。
能登川駅のそばにフレンドマート能登川店が堂々と鎮座していて、巨大な駐車場スペースもあり、生活がギュッと詰まっているようにも感じられました。駅の反対側はもう少し懐かしいような通りもあって、もちろん一概にまとめることはできないなあとも。
琵琶湖も近くて、東からの風がけっこう強かったので、湖畔まで向かえばもっと強いのかもしれません。
滋賀県の最後の旅路としてやってきたのは、旧能登川町です。市街地へ向かうと、新しい戸建てやマンションの住宅地も、少し古い建物も混ざり合っています。能登川中学校の近くの水路には桜並木があって、強風でどんどんと花びらが水路に落ちていて、いましか見られない風景だなあと。みんなどこに流れ着くのだろう。
能登川駅のそばにフレンドマート能登川店が堂々と鎮座していて、巨大な駐車場スペースもあり、生活がギュッと詰まっているようにも感じられました。駅の反対側はもう少し懐かしいような通りもあって、もちろん一概にまとめることはできないなあとも。
琵琶湖も近くて、東からの風がけっこう強かったので、湖畔まで向かえばもっと強いのかもしれません。














というわけで、今日の散策はここまで。旅を終えたのち、レンタカーを返却して、金沢へと向かいました。公共交通機関が乱れていないことを祈りつつ、無事に夕刻には金沢に到着できてひと安心。翌日からは再び金沢でレンタカーを借りて、石川県を巡っていきます。今回の石川県の訪問は、30ほどのまちを訪れる予定です。
本日のひとこと
東近江市あたりの道はかなり道幅が狭くて、慣れていないと緊張するなあと思いました。
東近江市あたりの道はかなり道幅が狭くて、慣れていないと緊張するなあと思いました。
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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