ふるさとの手帖

市町村一周の旅

さぬき市から、高松の庵治半島へ。【旧市町村一周の旅(香川県)|4月1日―726日目】

さぬき市から、高松の庵治半島へ。【旧市町村一周の旅(香川県)|4月1日―726日目】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【170/171】

170/171
99.42%
訪れた旧市町村の数【2001/2,101】
2001/2101
95.24%
総計【2171/2,272】
2171/2272
95.55%

スーパーカブの総走行距離
47472km

旧津田町→旧大川町→旧寒川町→旧長尾町→旧志度町→旧牟礼町→旧庵治町、の7つ。
今日の旅先のこと
暦は4月に移ります。進んでいくのは香川県。この日はさぬき市から高松市の牟礼や庵治まで訪れました。やっぱり今まで訪れたことのない場所が多かったので、知らなかったなあ、という風景をたくさん感じながら。それでは振り返っていきましょう。


津田町つだちょう(さぬき市)(1/7)
最初に訪れたのは、さぬき市の旧津田町。市街地は海沿いに立地していて、道の駅の名前も「津田の松原」なので、松原推しだと感じられる。その松原を散策して海まで出たり、津田出張所まで歩いてみたり。

海まで出てみると、しーんとほとんど波音なく凪いでいて、曇り空であったとしても、香川らしい海だなあと感じるのだった。ほかのどの地域でも、なかなか出会わない海の気配だ。

また、こんもりとした山には点々と桜が咲いていて、山のすべてが桜で覆われていないと、人が集まる観光地にはならないかもしれないけれど、そこにはもう十分、春の美しさが詰まっているような気がした。
旧津田町へ。
形が特徴的。
津田の松原。
わたしを5分間使って下さい。
松原推しだなあと。
大川町おおかわちょう(さぬき市)(2/7)
今度は海岸沿いから、内陸へ向かって進み、旧大川町を目指した。ゆるやかにまちの境界線を越えて市街地が近づいてくると、耕される前の田畑が広がっており、田畑でありながらも、緑の草原のような風景だった。

周囲は低い山に囲まれていて、平野部の田畑とのバランスを見たときに、なんてないことかもしれないけれど、ほかの地域ではあまり感じたことのない地形で、独特かもしれないなあ、と思ったり。

もう少し何か探してみようと移動していると、「富田茶臼山古墳」を見つけた。半分は木々に覆われ、半分は芝になっている小さな丘の古墳で、頂上まで上がってみると、小さなお宮が立っている。ひと組、夫婦がすでに訪れていて、なんだか謎解きをしているような雰囲気だったので、知られざる秘密があるのかな? と思ったけれど、深くは触れずにその場を離れたのだった。
旧大川町へ。
広々と。
畑も。
富田茶臼山古墳へ。
古墳の上から。
古墳を外から。
反対側は芝だった。
寒川町さんがわちょう(さぬき市)(3/7)
旧大川町からそのまま西へ進み、旧寒川町に入った。寒川、という地名はこれまでも聞いたことがあったけれど、前回の旅では出会わなかったし、どこにあるのか分からないままだったので、「ここだったのか!」と。

平坦な土地に市街地が広がっていて、メイン通り沿いにはスーパーなどが並んでいる。カブを停めて自由に歩いてみると、小さな裏通りに懐かしい雰囲気を感じて、石碑を発見。「小倉薬師道」と刻まれてあった。かつて小倉寺というお寺があったそうで、そこへ通じていた道なのだと。いろいろと移り変わっていくけれど、名残というものも、静かに残っていたりするわけだよなあ。
旧寒川町へ。
こんもりした山。
横になってる。
いつも火の手はすぐそこに。
小倉薬師道とあった。
長尾町ながおちょう(さぬき市)(4/7)
旧寒川町から、同じく平坦な道を東に進んで、旧長尾町へ。まずは、「長尾総合公園」に訪れてみる。ほとんど隣に「亀鶴公園」もあって、その亀鶴公園の周囲は広い池になっており、桜も見頃でお花見に来ている人たちも多いようだった。

そして、お遍路さんの87番目のお寺でもある「長尾寺」に立ち寄ってみた。駅からも近くてアクセスがいいし、境内も清々しくてホッとひと息できそうだなあと思ったけれど、最後の88番目のお寺「大窪寺」が、また山深いところに立地していて、歩き遍路の方たちにとっては、これは最後の最後まで、大変やでなあと思わずにはいられない。でも、最後だから力が湧いてくるのかなあ。
旧長尾町へ。
サル出没注意と、打球の行方にご注意下さい。
土のグラウンドはいいなあ。
亀鶴公園。
87番目の長尾寺。
巡拝者の宿。
ことでんの長尾駅。
志度町しどちょう(さぬき市)(5/7)
今度は内陸から再び海の方角へ進んでいき、旧志度町に入った。まずは、平賀源内記念館へ訪れてみる。館内は撮影禁止なので写真はいないけれど、展示を見たり、映像を見たり。10分間の映像では、源内先生の生涯を知ることができた。幅広く勉学に励み、多才でありアイデアマンであり、いろんなものを日本で初めて発明したり、面白い小説を書いて流行作家になったり、早くから世界を広く知っていて、世間に新しい風をビュンビュン吹かせたと。

なので、スーパーマンだなと思わずにはいられなかったけれど、NHK大河「べらぼう」で描かれた平賀源内の最期は、切なかったみたいだなあと。記念館から少し離れたところにある平賀源内の銅像の近くには、親友の杉田玄白たちがお墓を建てたことが記されてあった。
平賀源内記念館。話題の偉人ですが、とても勉強になりました。
周辺を散策。
渋い装飾だ。
平賀源内の銅像。
親友、杉田玄白。
さぬき市役所。
市役所の裏は海。
牟礼町むれちょう(高松市)(6/7)
ここからは、高松市の旧市町村に入っていこう。やってきたのは旧牟礼町。
市街地を少し散策したのち、「うどん本陣 山田家」に行ってみた。数日前に、ちょうど知り合いがお店を訪れていて、「行きたい!」と思ったのである。

駐車場に着いたら、ものすんごい広大な駐車場が現れて、なおかつ車もぎっしり埋まっていることに驚きを隠せない。席数はなんと308席あるらしい。店員さんたちはインカムでやり取りしてて、正面の建物の席に案内してもらった。ぼくみたいな観光客はもちろん、子連れから年配の方まで、あらゆる年代の人たちにスマートに対応している感じがして、もはや文化だなあと。

定食ではなく、シンプルに冷たいざるうどんをいただいた。喉越しがよくて、レモンと薬味を混ぜたタレがちょうど良くて、シンプルイズベストである。秋田の稲庭うどん、九州のうどん、伊勢うどん、いろんなうどんをいただいて、もちろんそれぞれ好きだけれど、ついに讃岐うどんに辿りついたぞ〜! といううれしさでいっぱいになったのだった。

その後、近くの「石匠の里公園」を訪れると、公園の斜面の芝で子どもたちがソリをたのしんでいたり、大人たちは展望台で花見をしていたり、ゆったりとした時間が流れていた。高松市街地もよく見えて、こういうすてきな景色も見られるのだなあと。
牟礼総合センター。
穏やかな暮らし。
うどん本陣 山田家さんへ。
ああ、本場! という感動でした。
石匠の里公園。
桜と景色は素晴らしかった。
庵治町あじちょう(高松市)(7/7)
最後に向かったのは、旧庵治町だ。庵治半島に位置していて、ここも高松市なのか! という驚きとともに進んでいった。途中の道では石材関連の工場がすごく多くて、花崗岩の産出地としても全国的に有名なのだと。

市街地は海が近く、内陸に入れば田畑がのんびりと広がり、自然と暮らしが調和した、とてもいい雰囲気のまちだった。「純愛の聖地」という謳い文句もあって、これは「世界の中心で、愛を叫ぶ」の撮影ロケ地が庵治町だったから。巡ってみて、ロケ地を選んだ人はすごいなあと思ったし、実際の聖地巡りもちょっとだけしてみて、「わ、ここに主人公の二人がいたんだ!」とひとりで小さく興奮したのだった。

最後には竹居岬という四国本土最北端の岬にも立ち寄った。北に広がる穏やかな瀬戸内海の先には、大きな小豆島が浮かんでいた。今は行かないけれど、数日後に、無事に立ち寄れたらいいなと。
旧庵治町へ。
ロケ地がいっぱい!
ここも、映画のワンシーン。
とてもいいまちだなあと。
四国最北端の竹居岬。
というわけで、今日の散策はここまで。高松市街地へ移動して一泊したのですが、夜には知り合いの方の紹介で、地元の方とご挨拶することができました。音楽ライブなどに精通している方で、話を伺いながら、好きなことを続けていくと広がっていくものがあるよなあと。貴重な機会でありがたかったです。
本日のひとこと
夜、高松市街地も少しだけ歩いたのですが、もしかすると都心の商店街よりも、賑わってるんじゃないかなあと思ったのでした。もちろん場所にもよるけれど、高松市街地は良い賑わいだなあと。
旅を応援してくださる方へ
「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

(終わり。次回へ続きます)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me