ふるさとの手帖

市町村一周の旅

海岸線を中心に、海陽町から阿南市へ。【旧市町村一周の旅(徳島県)|3月24日―718日目】

海岸線を中心に、海陽町から阿南市へ。【旧市町村一周の旅(徳島県)|3月24日―718日目】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【170/171】

170/171
99.42%
訪れた旧市町村の数【1963/2,101】
1963/2101
93.43%
総計【2133/2,272】
2133/2272
93.88%

スーパーカブの総走行距離
46761km

旧海南町→旧日和佐町→旧由岐町→阿南市→旧那賀川町→旧羽ノ浦町、の6つ。
今日の旅先のこと
レキさんとご一緒した朝。
昨晩、夕食をご一緒させていただいた永原レキさんが、「宍喰に来たならここに行くべきだよ!」と、「ひこうせん」という喫茶店を勧めてくださった。お忙しいにも関わらず、「朝は時間があるから、一緒に行こう」と。やさしさとありがたが染み渡る。

宍喰川を南へ渡ってすぐ「ひこうせん」の建物が見えた。国道55号線沿いでお遍路さんがやってくることも多いのだと。

店内へ入ると、ほんとうにいい空間でびっくりした。この良さをどう表せば良いのだろう‥‥。いや、陳腐になってしまう。すでに地元の方々がカウンターに並んでモーニングを食べていて、日常会話が流れていることはもちろん、店内の温もりある雰囲気、壁に飾られた絵や選書‥‥。涙が出そうなぐらいよかった。まだ、自分には写真に写せないような空間だと思った。

ボリューム満点のサラダとトーストをいただき、レキさんとだけではなく、お店の方々ともお話をして、みなさんやさしく、なおかつとても芯がある人たちだった。足元にあるささやかで大切なことを、大切にしている方たちが、宍喰にはいるのだと。

その後、レキさんが代表を務める「In Between Blues」のお店も案内していただいた。阿波藍で染まった雑貨や服が陳列されていて、阿波藍のシャツは欲しくてたまらなかったので、いつか必ず、と心に誓う。

それに、レキさんは写真集のこともとても詳しくて、いろいろと紹介していただいた。その中で「Def Tech」のMicroさんの写真が登場して、「知ってる?」と聞かれたけれど、Def Techの『My Way』は、いまぼくが最も聴いている曲である。踏ん張りどきだから、この曲を聴いてすごく元気をもらっている。だから、そういう話もできて、ほんとうにうれしかった。

レキさん、素敵なご縁をいただきほんとうにありがとうございました!
「ひこうせん」に伺う前に、「宍喰八坂神社も立ち寄るといいよ」とアドバイスいただいて、参拝。
ひこうせんへ。
ボリューム満点のサラダが新鮮で、ほんとうに美味しい。
In Between Bluesさんへ。
海もすぐそばに。
レキさん!お忙しいなか、ほんとうにありがとうございました!
海南町かいなんちょう(海陽町)(1/6)
レキさんとお別れをして、あらためて旅を進んでいこう。まずは旧海南町へ。市街地を散策していく中で、阿波海南駅には高校生の卒業メッセージが展示されており、とても温かいことばが並んでいたので、純粋な気持ちに。

そして、かなり距離はあるけれど、レキさんが総代を務める轟神社にも伺おうと思い、海部川沿いの内陸をぐんぐん進んでいった。その途中、最後の細い山道で、首輪が付いたままの犬を発見。もしかして、はぐれたりしてしまった犬なんじゃないか‥‥しかも、かなり痩せてしまっている‥‥。

このとき、いま、レキさんもはぐれてしまったワンちゃんを探していることを思い出して、「電話しなければ!」と思ったものの、完全な圏外で、選択肢は2択に。轟神社さんへ参拝したのちに、電波のあるエリアまで戻るか。今からすぐ電波のあるところへ戻るか。

で、今回は後者だ。轟神社さんには、またいつか参拝させていただこう、と電波のあるところまでUターンして(といってもしばらく走って)、連絡を取ってみる。結果的に、優先的に探していたワンちゃんではなかったものの、見つけた場所や写真をお送りさせてもらったのだった。

いったん電波が回復した場所から轟神社さんに戻るのは、今日の時間を考えるとちょっとむずかしいかなと思ったので、そのまま次のまちへ。また、轟神社さんへ伺えるといいな。
旧海南町へ。
高校生たちのメッセージが、いいな。
山と海部川。
海部川はとても美しい。
(昨日の浅川地域にて)
日和佐町ひわさちょう(美波町)(2/6)
次に向かったのは、旧日和佐町だ。看板を見ると「南阿波」という地名が登場していて、この辺りの地域をそう呼ぶのだなあと。

「道の駅 日和佐」や市街地を散策しているとき、薬王寺の朱色の塔もよく見えた。薬王寺は第23番の札所で、前回の旅でも訪れたので覚えている。だからこそ市街地を歩くのは初めてで、ウミガメの絵を見つけて、産卵地で知られているということも知ったし(今では上陸数が減ってしまっているらしいが)、河口部では日和佐城跡もよく見えた。住宅地は昔から続く港町の雰囲気である。
「道の駅 日和佐」へ。
奥には薬王寺だ。
南阿波丼。
牟岐線の列車だ。
ウミガメの絵も。
山の上に日和佐城跡。
由岐町ゆきちょう(美波町)(3/6)
自動車専用道路の日和佐道路なら簡単に移動できるものの、カブはその道を走れないので、同じ美波町でもしっかりと山を越えていった。こういうとき、もし自動車専用道路を使えるなら楽だけれど、互いの地形の感覚は掴みづらい。でも、カブでしんどいなあと思いながら山道を進んでいくと、お互いのまちの違いというものをよく感じるものだ。

ようやく市街地までやってくると、リアス式海岸の深い入江だと感じられた。周りは山に囲まれて、その距離も近いので、海と山のひっそりとしたまちだと。

散策していると、旧由岐町や旧日和佐町などは九州や五島列島と関わりが深いことが紹介されていた。かつて、多くの漁民が九州へ移住し、今も関わりが続いていると。

たとえば、長崎の島原半島の口之津には、与論島民が集団で移住した歴史があったし、出稼ぎという面も、支え合いという面も持ち合わせながら、懸命に生きてきた先人たちがいるということをあらためて思った。
旧由岐町へ。
港町の雰囲気。
グラウンドと。
田井ノ浜海水浴場にも。
阿南市あなんし(4/6)
次に向かったのは、阿南市街地だ。前回の旅では市の南東部、四国最東端に位置するかもだ岬温泉へ訪れたので、阿南市街地は通過してしまっていた。

阿南駅前は中高生がとっても多くて、わいわいがやがやとした雰囲気だ。すっかり都会らしいわけでもなく、都会に憧れていないわけではなく、そういう“あいだ”の雰囲気を感じるというか。ぼくだって都会に憧れていなかったかと言われたら、そういうわけではないもんなあ。

ほかにも駅のすぐそばではお巡りさんがひっそりと車の取り締まりの準備をしていたり、懐かしい雰囲気の商店街も残っていて、市役所も立派だし、大きなまちだなあと。市街地にあった「牛岐城趾公園」にも登ってみると、市街地を見渡すことができた。小高い山がありつつも、やはり平野部が多いと感じられる。
阿南駅近くへ。
徳島らしいなあ。
商店街。
阿南市役所。
牛岐城趾公園から。
桑野川。
那賀川町なかがわちょう(阿南市)(5/6)
もうひと踏ん張り、進んでいこう。次に向かったのは、旧那賀川町。那賀町は内陸のまちなので、那賀川町、と聞くと立地が少し混乱するけれど、那賀川河口の北岸に位置するまちだ。

「道の駅 公方の郷なかがわ」へ訪れてみると、自動販売機のデザインで阿南市が野球のまちであると紹介されていて、知らなかったなあと。また、パラパラと雨も降ってきて、河口部の平野が広がっているので風も強く、横から雨粒があたり寒く感じられる。周辺を散策してみると、土がサラサラして飛んでいるのか砂の匂いがした。砂の匂いがするから、旧那賀川町だなあ、というのは大袈裟だろうけれど、それぞれの土地において、ちょっとした匂いの違いなどは、ほかにもあるよなあと思う。
「道の駅 公方の郷なかがわ」にて。
うなぎもあるんだ。
89番野球寺、と。
チアと阿波踊りかな。
野球のまちと。
河口部の平野が広々と。
那賀川支所。
羽ノ浦町はのうらちょう(阿南市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧羽ノ浦町だ。牟岐線の羽ノ浦駅周辺を散策してみる。駅周辺は昔ながらのまちで、自転車も多く、中高生の姿も少なくない。それに、おじいちゃんの運転する軽トラには、羽ノ浦・自警団という文字が。もちろん阿南市ではあるけれど、「ここは羽ノ浦!」という風土も大切にしているように感じられた。
旧羽ノ浦町へ。
かつての支所かな。
夕日の時間。
懐かしい雰囲気。
羽ノ浦駅。
公方さまとは、阿波公方としてこの地域一帯を治めた足利氏を指すそうだ。
というわけで、今日の散策はここまで。旧羽ノ浦町からは、那賀町の旧鷲敷町まで移動しました。少しずつ日の沈んでいく空と、空が映り込む那賀川も、ささやかながら美しかったなぁ。
本日のひとこと
港町で、目に水中ゴーグルを付けたまま自転車を漕いでるおじいちゃんがいて、すごくよかったです。
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(終わり。次回へ続きます)

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