ふるさとの手帖

市町村一周の旅

東温市から、峠を越えて久万高原へ。【旧市町村一周の旅(愛媛県)|3月10日―704日目)】

東温市から、峠を越えて久万高原へ。【旧市町村一周の旅(愛媛県)|3月10日―704日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【170/171】

170/171
99.42%
訪れた旧市町村の数【1893/2,101】
1893/2101
90.01%
総計【2063/2,272】
2063/2272
90.80%

スーパーカブの総走行距離
45282km

旧重信町→旧川内町→旧久万町→旧美川村→旧面河村→旧柳谷村、の6つ。
今日の旅先のこと
8時15分に出発した。昨日のうちに東温市まで移動してほんとうに助かったと思った。そうでなければ、もっと早朝の出発になるし、いろいろと落ち着かなかっただろうから。そして、今日は東温市から久万高原町へ。昨日と同様にかなり峠の坂道を登ったし、簡単ではなかったけれど、いまはそういう旅をさせてもらっているのだ。とてもありがたいことだし、がんばっていこう!


重信町しげのぶちょう(東温市)(1/6)
朝から暖かく感じられてありがたい。最初に訪れたのは、旧重信町。平野部ではあるけれど、山に囲まれた風景が広がっていた。松山市にも近いし、自然とまちと、バランスの良いところに位置しているよなあと思う。

東温市役所の近くでは、市役所に出勤しているであろう人たちが歩いていた。電車で見奈良駅を利用しているのかなあと考えたり。伊予鉄を走るオレンジ色の車両は、朝日を浴びてとても輝いていて、ああ、まさに愛媛県の色だ! と感じるのだった。
旧重信町へ。
伊予鉄が通っている。
ブーン。
ひっそりとした朝。
みなら。
見奈良駅。
東温市役所。
オレンジ色の車両が眩しい。
川内町かわうちちょう(東温市)(2/6)
旧重信町から重信川を渡って、旧川内町へやってきた。重信川は一級河川でありながらも、川の流れがまったく見えず、伏流しているようだ。けっこうな川幅だったので、ちょっと驚きである。雨がたくさん降ると、流れも見えるのだと。

そして、市街地へやってくると、山が先ほどよりもより近くなったように感じられた。また、疏水がとても美しい。石積みでつくられた水路と、豊かな疏水の流れが醸し出す雰囲気そのものが良くて、ゆったりとずっと眺めていたい気持ちになった。
川内支所。
通学路かな。
ちょっと山が近づいた。
疏水が美しい。
冬の川って感じがする。
久万町くまちょう(久万高原町)(3/6)
旧川内町から37kmの移動である。旧久万町を目指すにあたって、国道をずっと進んでいくわけだが、自動車専用道路に乗れないカブは、標高700mほどの三坂峠を越えなければならない。ほとんどの車は自動車専用道路を利用するので、後続車を心配する必要はあまりなかったけれど、かなりゆっくり、ゆっくりと峠を越えていった。あらためて、雪がなくてよかったと思うばかりである。

そして、峠を越えてもうしばらく走り、市街地へやってきた。前回、久万高原町に訪れたときはかなり霧の濃い日だったので、青空が広がっていてとても気持ちよく感じる。

また、市街地を歩いていたところで、「くままちひなまつり」と記された看板を発見。道路沿いのあちこちに雛人形が飾られていた。それもタクシー屋さん、銀行、一般のご家庭のガレージ、ブロック塀の隙間など、立場も職種も問わず、道路沿いの住まいやお店の方々が揃って参加していて、つくりだされている雰囲気そのものが大好きだった。

この土地に関わるみなさんで、明るく春を迎えようという心のあたたかさが感じられて、なんて朗らかな空間だろうと。
旧久万町へ。
「道の駅 天空の郷・さんさん」
奥の山々には雪も。
みきゃんだ!!
お人形さんたち。
くままちひなまつり。
いろんなところに雛人形が。タクシー屋さん。
ガレージだよなあ。すごいなあ。
こんなところにも。
美川村みかわむら(久万高原町)(4/6)
旧久万町からさらに内陸部へ進んでいくと、旧美川村に入る。旧久万町は高原地帯らしく空も広く感じられて、旧美川村はもう少し山間部という雰囲気だ。久万川と面河川のふたつの川にも出会うことができて、どっぷりと自然の中を流れる川の美しさを感じる。

美川支所の近くには、「御三戸嶽」という巨大な岩があった。むしろ最初は岩だとは気づかなくて、巨大な山か何かの壁があり、立て看板があり、見ていくと‥‥これ、岩なのか! と。岩だと分かってからは、角度を変えて岩らしく見える場所を探してみた。そして、橋の上から御三戸嶽を見ると、ほんとうに巨大な岩石が、川の間に聳えていた。自然のダイナミックさには驚かされるばかりだ。
美川支所へ。
霊峯清流。
御三戸嶽を発見。
川の透明さと、岩が大きすぎて収まらない。
あらためて、御三戸嶽。すごいなあ。
道の駅 みかわ。
面河村おもごむら(久万高原町)(5/6)
旧美川村から15kmほど移動し、旧面河村へ。まず、「おもご」と読むことに驚いたし、面河渓谷が有名みたいで、訪れるかどうか迷いつつ。

そして、市街地を散策していたら、ベンチに座っている地元の年配のお母さんがいて、挨拶をし、そのまま会話をした。「お兄さんどっから来たのぉ?」「倉敷です!」というところから。よもやま話をする中で、「雪はどうでしたか?」と聞いたら、「2、3回は積もったなあ。この前は30cmぐらい」と仰って驚いた。でも、新潟や北国の人たちに比べたらねえ、と。

ちなみに、お母さんがベンチに座っていたのは、出前のスーパーがやってくるのを待っているからだと。曜日によって移動式スーパーがやってくる日があるし、タクシーに安く乗れる日もあって、そういうときには久万市街地まで行くのだと。「タクシーの運転手さんなら、家の前まで荷物を運んでくれますけんね」と。

お話しさせてもらう中で、感じたことはいろいろあった。こうした山間部で生活すると、もしかしたら不便さもあるのかもしれない。あれがない、これがない、と。でも、お母さんからはそういう悲壮感はあまり感じなかった。むしろ、慎ましく生きる美しさみたいなものがあって、なんだろうな‥‥上手くまとめることはできないけれど、決めつけるような不平不満よりも、まずはあるものを大事にして生きることはできるよなあと思ったりした。

もうひとりのお母さんが、ゆっくりと手押し車でやってきたところで、お別れをさせてもらった。また、面河渓谷には訪れなかったものの、そばを流れている清流そのものも、十分に美しかったのだった。
旧面河村へ。
のちの仁淀川である、面河川。なんて透明なのだろう。
会話したお母さんが、この先にも住んでいる方が数名いると仰ってた。
美しいなあ。
柳谷村やなだにむら(久万高原町)(6/6)
最後に向かったのは、最も県境部に位置する旧柳谷村だ。面河川沿いを進んでいったのだが、ここでようやく、あることに気づいた。「
あれ、面河川が、高知方面に向かって流れている!」

ぼくはてっきり、四国山脈もあるし、愛媛の川は愛媛の海に流れ出るものだと思っていた。しかし、面河川は高知方面へ進んでいき、高知県に入ったところで、名前を仁淀川と変えるのだ。ええ! 面河川って、仁淀川なのか! という衝撃。仁淀ブルーという言葉が浸透しているけれど、その上流部にあたる面河川は、負けず劣らず澄んでいるよなあ。振り返ってみても、面河川の流れはとっても美しかった。青さについては、流域によって色が変わるのだろうなあとも思う。だから何より、仁淀川と面河川が同じであることが、とにかくぼくの新しい感覚として刻まれたのだった。

旧柳谷村の市街地は、高知県との県境まで6kmほどの距離にあった。高知県も目の前だ。でも、今は訪れない‥‥順番に‥‥と気持ちを落ち着かせる。ひっそりとした集落だったけれど、支所のそばには沢があって、ざぁー!! という大きな音もずっと鳴っていたし、面河川は巨石群になっていて、橋の上から見るとほんとうに巨大な石が散らばっていた。どうやってここにやってくるのだろう、と思うばかり。橋の上ではかなり強い風も吹いて、谷であることも感じられた。

古い通りを歩くと、もちろん空き家も増えているのかもしれないけれど、番犬にもたくさん吠えられたし、いまも住んでいるおうちがある。ここにも暮らしがあるのだなあと、日本の広さを感じた散策だった。
旧柳谷村へ。閉村記念碑。
柳谷支所。
市街地は懐かしい通りだった。
面河川。
巨石がぎっしり。
四国カルスト、あらためて行けたらいいな。
というわけで、今日の散策はここまで。旧柳谷村からは、再び三坂峠を越えて、砥部町まで降りていった。久万高原町も、やはり時期によっては雪が積もるので、無事に巡ることができてありがたかったなあと思うばかりだ。
本日のひとこと
体力と時間があれば、四国カルストにも行きたかったけれど、それはまたの機会にお預けとなりました。
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(終わり。次回へ続きます)

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