
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【170/171】
訪れた旧市町村の数【1881/2,101】 総計【2051/2,272】スーパーカブの総走行距離
44928km

今日の旅先のこと
今治市街地を出発し、西条市に向かって進んでいく。今治市と西条市の2つのまちしか訪れていないわけだけれど、それぞれに小さなまちがあって、やはり散策には一日かかった。それでは振り返っていこう。
旧玉川町(今治市)(1/6)
最初に訪れたのは、旧玉川町。今治市街地から内陸へ進んでいき、途中から川沿いの道に入った。この川沿いを道なりに進むと旧玉川町に入りそうだったので、「この川が、玉川なのかなあ」と思っていたら、蒼社川という名前の川だった。ただ、この蒼社川沿いに市街地がひらけていたのは合っていて、緩やかな山に囲まれた里山という雰囲気だった。
その後、玉川総合公園へ向かってみると、野球場やテニスコートがあって、朝からテニスをしている人たちも。ここにも穏やかな日常が流れている。
旧玉川町(今治市)(1/6)
最初に訪れたのは、旧玉川町。今治市街地から内陸へ進んでいき、途中から川沿いの道に入った。この川沿いを道なりに進むと旧玉川町に入りそうだったので、「この川が、玉川なのかなあ」と思っていたら、蒼社川という名前の川だった。ただ、この蒼社川沿いに市街地がひらけていたのは合っていて、緩やかな山に囲まれた里山という雰囲気だった。
その後、玉川総合公園へ向かってみると、野球場やテニスコートがあって、朝からテニスをしている人たちも。ここにも穏やかな日常が流れている。








旧朝倉村(今治市)(2/6)
次に向かったのは、旧朝倉村だ。町ではなくて、村だったのだなあと思ったし、市街地が見えてくると裾野の広々とした自然豊かな景色が現れた。四国山脈に囲まれており、山のエネルギーはギュッと感じるけれど、裾野が緩やかで広いので、空は広く明るい雰囲気だった。
市街地を散策したあと、「タオル美術館」にも行ってみることに。初めて訪れてみて、「でかっ!!」と美術館の大きさに驚いた。デザインは洋館のようで、大きなホテルにも見えた。
そして、美術館では今治タオルの製造過程を知ったり、売られている商品を見たり。もちろんいろんな種類の今治タオルがあるわけで、見てるとどんどん欲しくなってしまった。
それに、ムーミンの展示とキャシー中島さん、ピーターラビットの展示もあり、こちらもかなりすごかった。ムーミンの作品をもっとふつうに読みたいと思ったし、キャシー中島さんのキルト作品の質も量もすごくて、半端ない活動量だなあと驚かされた。ピーターラビット展も自然の中にある小さな尊さへの眼差しがとても優しくて、作者であるビアトリクス・ポターさんのことも、もっと知りたいと思ったなあ。訪れることができてよかった美術館だった。
次に向かったのは、旧朝倉村だ。町ではなくて、村だったのだなあと思ったし、市街地が見えてくると裾野の広々とした自然豊かな景色が現れた。四国山脈に囲まれており、山のエネルギーはギュッと感じるけれど、裾野が緩やかで広いので、空は広く明るい雰囲気だった。
市街地を散策したあと、「タオル美術館」にも行ってみることに。初めて訪れてみて、「でかっ!!」と美術館の大きさに驚いた。デザインは洋館のようで、大きなホテルにも見えた。
そして、美術館では今治タオルの製造過程を知ったり、売られている商品を見たり。もちろんいろんな種類の今治タオルがあるわけで、見てるとどんどん欲しくなってしまった。
それに、ムーミンの展示とキャシー中島さん、ピーターラビットの展示もあり、こちらもかなりすごかった。ムーミンの作品をもっとふつうに読みたいと思ったし、キャシー中島さんのキルト作品の質も量もすごくて、半端ない活動量だなあと驚かされた。ピーターラビット展も自然の中にある小さな尊さへの眼差しがとても優しくて、作者であるビアトリクス・ポターさんのことも、もっと知りたいと思ったなあ。訪れることができてよかった美術館だった。









旧東予市(西条市)(3/6)
タオル美術館から山を抜けると、広大な盆地の風景が広がっていて、次のまちにやってきたのだなあと感じる。平野部まで降りていき、東予市街地へ向かった。おそらく南側には壮大な四国山脈が広がっているものの、曇りというよりも、霞んでいて見えない。多分霧なのだ。山が険しい分、天気も変わりやすいように感じた。
そして、壬生川駅と周辺をぐるっと散策していくと、田んぼと住宅地と、ここにある暮らしが広がっていた。ちなみに西条市の東予って西と東が混ざり合っていて、何だかややこしいなあと思ってしまう。それが理由なのかは分からないけれど、支所の名前も東予支所ではなく、西部支所だった。
タオル美術館から山を抜けると、広大な盆地の風景が広がっていて、次のまちにやってきたのだなあと感じる。平野部まで降りていき、東予市街地へ向かった。おそらく南側には壮大な四国山脈が広がっているものの、曇りというよりも、霞んでいて見えない。多分霧なのだ。山が険しい分、天気も変わりやすいように感じた。
そして、壬生川駅と周辺をぐるっと散策していくと、田んぼと住宅地と、ここにある暮らしが広がっていた。ちなみに西条市の東予って西と東が混ざり合っていて、何だかややこしいなあと思ってしまう。それが理由なのかは分からないけれど、支所の名前も東予支所ではなく、西部支所だった。











旧丹原町(西条市)(4/6)
東予と小松、それに東温市に挟まれた、旧丹原町へやってきた。市街地は中山川の左岸に広がる平野部で、地図で見ると扇状地にまちが広がっている。
市街地にやってきたタイミングで小さな雨がさーっ! と降りはじめた。土砂降りとまではいかないので、濡れても大丈夫ではあるものの、冷たい雨なので体が冷える。
主要な道路沿いには郊外らしいスーパーなどが多かったものの、もう少し細い道に入ると、昔から続いている商店街の通りも見つけて、懐かしい暮らしの雰囲気が感じられた。なので、どういう歴史が関わっているのだろうと調べてみると、江戸時代に松山藩によって形成されたまちで、山間部の物産の集積地だったと。
たとえばある土地にまちがあるとして、そこが今の地理感覚では不便だったりして、あれこれ言われたりすることもある気がするけれど、歴史を辿っていくと、なぜそこにまちがあるのかという理由がやっぱりあるものだ。そうして今につながっている、ということを忘れずにいたいなあと思う。
東予と小松、それに東温市に挟まれた、旧丹原町へやってきた。市街地は中山川の左岸に広がる平野部で、地図で見ると扇状地にまちが広がっている。
市街地にやってきたタイミングで小さな雨がさーっ! と降りはじめた。土砂降りとまではいかないので、濡れても大丈夫ではあるものの、冷たい雨なので体が冷える。
主要な道路沿いには郊外らしいスーパーなどが多かったものの、もう少し細い道に入ると、昔から続いている商店街の通りも見つけて、懐かしい暮らしの雰囲気が感じられた。なので、どういう歴史が関わっているのだろうと調べてみると、江戸時代に松山藩によって形成されたまちで、山間部の物産の集積地だったと。
たとえばある土地にまちがあるとして、そこが今の地理感覚では不便だったりして、あれこれ言われたりすることもある気がするけれど、歴史を辿っていくと、なぜそこにまちがあるのかという理由がやっぱりあるものだ。そうして今につながっている、ということを忘れずにいたいなあと思う。









旧小松町(西条市)(5/6)
ここ数日、移動中に道路標識で「小松」という地名を見る機会が多かったので、具体的にどこにあるまちなのだろうと思っていて、ようやく、「ああ、ここにあったんだ!」と辿り着くことができた。
市街地の雰囲気はかなり大きなまちで、車通りも多い。さらに、国道11号線を外れて歩いていくと、近藤篤山旧邸を見つけた。この屋敷で過ごしていた近藤篤山という人物は、江戸時代の朱子学者だった。朱子学とは儒学の一派である。そして、近藤篤山は藩内師弟の教育に尽くし、高邁な人柄から「伊予聖人」と尊称されたのだと。
今、儒学を学ぶことってあまりないけれど、こうして日本中を旅していると、ほんとうはものすごく大切な学問なんじゃないかなあと思ったりする。徳育というか。知識とは種類が違うかもしれないが、人としてどうありたいか、何が大切か、という姿勢であって、まず足元にあるものだよなあ、と感じたりするから。もちろん、ぼくはまだまだ恥ずかしい愚鈍者である。
ここ数日、移動中に道路標識で「小松」という地名を見る機会が多かったので、具体的にどこにあるまちなのだろうと思っていて、ようやく、「ああ、ここにあったんだ!」と辿り着くことができた。
市街地の雰囲気はかなり大きなまちで、車通りも多い。さらに、国道11号線を外れて歩いていくと、近藤篤山旧邸を見つけた。この屋敷で過ごしていた近藤篤山という人物は、江戸時代の朱子学者だった。朱子学とは儒学の一派である。そして、近藤篤山は藩内師弟の教育に尽くし、高邁な人柄から「伊予聖人」と尊称されたのだと。
今、儒学を学ぶことってあまりないけれど、こうして日本中を旅していると、ほんとうはものすごく大切な学問なんじゃないかなあと思ったりする。徳育というか。知識とは種類が違うかもしれないが、人としてどうありたいか、何が大切か、という姿勢であって、まず足元にあるものだよなあ、と感じたりするから。もちろん、ぼくはまだまだ恥ずかしい愚鈍者である。













西条市(6/6)
最後にやってきたのは、西条市だ。市街地へ向かっていた途中、ふと石鎚神社を見つけて立ち寄った。けっこう本殿までは石段を登るのでしんどかったけれど、清々しく参拝させてもらった。本殿の右手は眺望がよく、西条市街地を一望できた。その風景にどこか見覚えがあって、「もしかして、石鎚神社に来たことあるのかな?」と思ったら、前回の旅でも訪れていたとあとで気づいた。もともとその記憶が薄れていたぐらいで、今回の参拝もたまたまだけれど、でも、やっぱり行動は似るのだなあと。
その後、市街地の水汲み場辺りを散策した。流れている小川がとても清らかで、近くには遊歩道も整備されているし、のんびりベンチに座って休んでいるおじいちゃんも。水汲みのお水も少しいただいた。やはり、石鎚山という山が育んだ自然の恵みというものを感じるばかりだ。そして、その恵みを尊み敬うまちの雰囲気も、好きだなあと思うのだった。
最後にやってきたのは、西条市だ。市街地へ向かっていた途中、ふと石鎚神社を見つけて立ち寄った。けっこう本殿までは石段を登るのでしんどかったけれど、清々しく参拝させてもらった。本殿の右手は眺望がよく、西条市街地を一望できた。その風景にどこか見覚えがあって、「もしかして、石鎚神社に来たことあるのかな?」と思ったら、前回の旅でも訪れていたとあとで気づいた。もともとその記憶が薄れていたぐらいで、今回の参拝もたまたまだけれど、でも、やっぱり行動は似るのだなあと。
その後、市街地の水汲み場辺りを散策した。流れている小川がとても清らかで、近くには遊歩道も整備されているし、のんびりベンチに座って休んでいるおじいちゃんも。水汲みのお水も少しいただいた。やはり、石鎚山という山が育んだ自然の恵みというものを感じるばかりだ。そして、その恵みを尊み敬うまちの雰囲気も、好きだなあと思うのだった。














というわけで、今日の散策はここまで。ひとことに今治市、西条市といえど、小盆地だったり、見事な平野だったり、それぞれのまちの雰囲気が違っていて、いろんな暮らしがあるなあと感じたのでした。
本日のひとこと
西条といえば東広島市の地名でもあって、以前はそのイメージも強かったですが、こうして巡らせていただくと、愛媛と広島の西条が、「どっちも西条」という感覚になるのでした。
西条といえば東広島市の地名でもあって、以前はそのイメージも強かったですが、こうして巡らせていただくと、愛媛と広島の西条が、「どっちも西条」という感覚になるのでした。
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
LEAVE A REPLY