ふるさとの手帖

市町村一周の旅

瀬戸内海のおへそに浮かぶ島。【旧市町村一周の旅(愛媛県ー広島県)|2月25日―691日目】

瀬戸内海のおへそに浮かぶ島。【旧市町村一周の旅(愛媛県ー広島県)|2月25日―691日目】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【163/171】

163/171
95.32%
訪れた旧市町村の数【1843/2,101】
1843/2101
87.72%
総計【2006/2,272】
2006/2272
88.29%

スーパーカブの総走行距離
44380km

旧弓削町→旧岩城町→旧生名町→旧魚島村→(広島県に続く)
三原市、の計5つ。
今日の旅先のこと
振り返ってみれば、この日は船に5回乗った。それも、乗船に間に合うかどうかギリギリ、乗り過ごすと予定が大きく変わってしまう場面もあって。そして、何より瀬戸内海のおへそのような位置に浮かぶ魚島は、とても印象深い島だった。


がんばって船に乗る。
朝は、因島の宿に泊まっていた。窓からは海を眺めることができ、海は溶けるような赤色で、四国山脈も淡く美しかった。

そして、今日の旅はいくつかのポイントがあった。まず、上島町は船で訪れる必要がある。ただ、渡った先の旧弓削町、旧岩城村、旧生名村は、橋でつながっているので、一度船で渡ってしまえば、巡ることができる。

さらに、次に訪れたい魚島(旧魚島村)は、かなり離れた場所にあるので、別ルートで目指す必要があり、この船便を優先する必要があった。

魚島へ行く船便は、因島の土生港から11時発の便に乗りたかった。なので、10時過ぎには土生港に戻ってこれるようなペースで、ほかの上島町の旧町村を巡りたい。

となると、結構朝早い便での出発になる。宿を6時台に出て、土生港を7時5分に出る便で、生名島の立石港を目指す。

しかし、船乗り場にいくと、乗り方の事情がさっぱり分からないのだ。まだ朝早いのに、上島行きと記されてあるところには、車が慣れた感じで何台も並んでいる。みんなエンジンかけっぱなしで、地元感に溢れていて、ワイルドな地下鉄みたいな喧騒を感じる。そして、ぼくは乗船の仕組みがわからず、その便を逃してしまった。船上で支払う尾道のパターンではなく、港に券売機があったのだ。地元のおじちゃんおばちゃんにいろいろ聞いて、ようやく仕組みが見えてくる。列の一番左には車が並び続けているのに、さっき乗船しなかったけれど、それは「今は乗らない勢」らしい。そんなのもあるのか。

というわけで、ひとつ乗り過ごして、10分後の次便に乗ったわけだが、それにしても、ものすごい乗り降りだ。車の数はすごく多い。しかも、乗船が終わったらすぐに出発するので、ガッチリと船が固定されない。なので、多少船が動いたままで、車も人も乗り降りする。ワイルドというか、文化というか。

とにもかくにも、無事に船に乗ることができた。こうした日常が、自分の知らないところで、日々あるのだなあと思う。船で揺れる波がとても美しかった。
朝の窓。
立石港行きの船に乗る。
立石港に到着。
弓削町ゆげちょう上島町かみじまちょう)(1/5)
到着した立石港は、生名島なので、旧生名村である。ただ、再び立石港から土生港を目指すので、まちを巡る順番としては、先に旧弓削町を目指した。

生名橋や、弓削大橋を渡っていくのだが、橋の上から見える海の風景は、ほんとうに素晴らしかった。冬の澄んだ空気と、青々とした海。そこを通っていく船。とろけるような美しさがあった。

旧弓削町では、上島町役場の周辺を主に散策した。住宅地は細い道の両脇に並んでおり、海が近い雰囲気を感じられる。地元の人と挨拶を交わしたこともうれしかったし、小中学生も登校していた。子どもの姿を見ると、沁みるものがあるなあと思ったり。

弓削大橋。
左の山がシンボリックだ。
暮らしを感じながら。
寒さで凍っている。
マラソンもあるんだ。
上弓削にも少しだけ行ってみた。
岩城村いわぎむら(上島町)(2/5)
再び橋を戻り、生名島から岩城橋を渡ると、旧岩城村へ入る。市街地は島の南側に広がっていて、ひっそりした海のまちだった。看板では、「青いレモンの島」と紹介されている。確かに美しい青色に囲まれた港町で、レモン畑の場所は分からなかったけれど、瀬戸内のレモンなのだから、すごく美味しいのだろうなあと想像する。

岩城島の中央部には積善山という山が聳えていて、展望台もあるとのことで、最初は行ってみようかなとも思ったけれど、かなりの険しさがあると思って今回はやめた。でも、ライブカメラの映像を見ると、瀬戸内海を一望できるようだ。きっと気持ちいいのだろうなあと。
旧岩城村へ。
海がそばにある。
大きい!
生名村いきなむら(上島町)(3/5)
そして、再び生名島へ戻ってきた。生名島の立石港を目指しつつ、市街地を散策していく。海の近くで、濱田國太郎という人物の銅像も見つけた。どんな人物なのかを追っていくと、生名島出身の船乗りで、危険な労働環境で安く働く人たちの労働改善のために、日本で最初のストライキも行い、「海運の父」と呼ばれたと。

全国的に名が知られているような人物だけではなく、その土地の人々に愛されている人は、ほんとうにたくさんいる。そして、その人の人生を辿っていくと、少しでも世のため、人のためにと行動した熱みたいなものが伝わってくる。そういうことを知れるのは、旅の冥利に尽きることだ。
生名島へ。
濱田國太郎さん。
生名フェリーに再び乗ろう。
魚島村うおしまむら(上島町)(4/5)
生名港から土生港に向かう船便は、想定内の時間に乗ることができた。なので、11時発の魚島行きには間に合いそう。帰りの便も満車状態で、しかも3分の船旅なので、カップラーメンを作ることはできても食べられないわけで、この船旅で愛媛県から広島県へ移動するわけで、いろいろと、日本は広くて面白いなあと感じるばかりだ。

土生港に戻ってからは、魚島行きの船乗り場を探す。ちょっと離れた場所にあって、ギリギリの時間帯だったらもっと焦ったかもしれない。そして、無事に船乗り場を見つけて、おじさんに券の買い方を聞くと、「出発してから売りにきます」と。昨日の渡船、今日の渡船、いずれも船の乗り方が違うので、むずかしい。でも、とにかく乗れたら万々歳だ。

11時に船は出航した。1時間10分ほどの船旅。ぼくはもう、魚島だ! 魚島へ行くんだ! というドキドキを隠せないわけだが、地元の方たちは、なんてこともなく船に乗っている。魚島は、ほんとうに瀬戸内海のおへそのような中心に位置する島である。

船内で券を買うと、残りの半券を目に見えるところに挟んで、立ち去っていった。この券は、触らない方がいいのかな、とそのままにしていたら、下船が近くなったタイミングでスパァア! と回収された。相変わらず、仕組みが分からない!

途中、同じく旧魚島村の高井神島でも人が乗り降りし、まもなく魚島へ着く。船から窓の外を見ると、遠くの山並みが淡く霞んで浮かび上がっているようだった。そして、いよいよ魚島へ到着だ。何よりも海の様子に驚く。真昼なのに、ほんのりと水平線だけ赤味を帯びたような、朝のような海の風景である。見たことがない。目の前の海も、深い青さとは違う。わずかに淡いブルーだ。そして低い島々が遠く浮かび、とても静かに凪いでいる。天国に海があるのなら、こんな海なのかもしれないと思った。今までそう思ったようなことは、ほとんどないよなあと思ったりした。

集落は主に島の北側に形成されていて、細い路地を歩いてみる。猫が喧嘩してアニメみたいなUターンで追いかけていたり、お兄さんの運ぶ台車にはAmazonの荷物があったり、お地蔵様にいけられている花々は新しかったり、いろんなことが新鮮で、ここにも暮らしがあるということを感じた時間だった。

帰りの船便では、待合所で一緒になったお父さんが話をしてくれた。お父さんは魚島の出身で、船の航路を教えてくれたり、昔の島の事情を教えてくれたり。とても自然体でほんわかと教えてくれた。このビックリするぐらい凪いで、ゆらゆらと正面だけが少し揺れるような美しい船の時間も、お父さんにとっては身近なものなのだと。

魚島で見たひとつひとつの風景は、ぼくの中でつくられていた瀬戸内海というイメージを刷新してくれたように思う。見たことのない瀬戸内海の海、風景だった。驚きと感動が、何度もあった。
魚島行きの船に乗る。
ぼくが挟んだわけではない。そして、下船前に回収された。
高井神島には、建物にマンガの絵がたくさんある。
魚島だ!
集落と海と。
この海を忘れない。
真昼なのに、朝のようだった。
帰りの船。奥は四国山地。
三原市みはらし(5/5)
土生港に戻った途端、次の山場である。瀬戸田の沢港から三原市の須波港へ向かう船に、どうしても乗りたい。なぜなら、17時に東広島市でご挨拶の予定があり、三原市を訪れた上で、その時間に間に合うには、この船便に乗るしか選択肢がないからだ。

ただ、もし何も予定がなければ、土生港に着いたのち、再び尾道へカブで経由して、移動するルートをごく普通に考えていたように思う。でも、それだと間に合わないと分かり、打開策はないかと考えていたら、沢港〜須波港ルートを見つけたのだ。

しかし、魚島から土生港に戻ってから、沢港を出発する船便まで時間がない。移動時間と出航時間を計算すると、5分前ぐらいに着く見込みなのだ。土生港に着く船が5分遅れたら、その時点でおじゃんである。なので、むずかしい選択肢だったけれど、土生港にはほぼ定刻で到着したので、そこから全集中して沢港へ向かった。

一度しまなみ海道の橋を渡るので、50円をポケットに入れて、すぐに料金箱に50円を投げ込むイメトレもしておいた。そのおかげで、料金箱に50円を入れるスピードは最速だった。そして、ゆっくり急いで港へ進み、祈る気持ちで沢港へ着くと、到着する船便が少し遅れていたので、無事に間に合った。

とにかくホッとした。今日のルートじゃないと、この発想は思いつかなかった。何か制限があるとき、打開策が生まれたりする。

乗船すると気さくな船の乗組員のおじさんで、「どっから来たのぉ!」「こっから船が増えるけぇのぉ!」と広島弁だ。

おじさんの言ったとおり、途中の佐木島からは車がたくさん乗った。郵便局のバイクも乗った。ほんとうに満車近くなって、ここにも船の日常があるのだなあとあらためて感じる。

そして、須波港へ着いてからは、周辺を散策した。三原市街地へ行きたい気持ちもあったけれど、市街地を訪れたことはあるし、須波周辺が初めてなので、今回はこちら側に絞ろう。三原市街地はあまり海のイメージがなかったものの、須波では目の前に海が広がっていて、海がそばにあるまちだった。
沢港へ。間に合った!
船に乗った。
途中経由した佐木島。こちらも三原市。
須波地域が見えてきた。
到着!
美しいなあ。
山と住宅地と。
というわけで、今日の散策はここまで。三原市からは東広島市まで移動し、目標にしていた時刻にドンピシャで間に合ったのでした。学生時代からお世話になっている方々にご挨拶をすることもできたし、明日は東広島市の旧町村から、旅を進めていきます。
本日のひとこと
魚島へ向かう船の中で、別の方が語学学習アプリのデュオリンゴをやってる音が響いて、「これも世界のひとつだ!」と思ったりしました。
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(終わり。次回へ続きます)

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