
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【163/171】
訪れた旧市町村の数【1838/2,101】 総計【2001/2,272】スーパーカブの総走行距離
44300km

今日の旅先のこと
更新が遅くなってしまっているけれど、まだまだ挽回する気は、満々である。とはいえ、一か月前のことになると、記憶が薄れるというよりも、気温が違いすぎて驚いてしまう。特にこの日は、尾道市街地ですら、朝は雪がうっすらと残った。それも、南岸低気圧ではなく、西高東低の冬の気圧配置で降った雪なのだから、いかに寒波が強かったか。そういうことも思い出しつつ、振り返ってみよう。
尾道市(1/4)
寒波の中、迎えた朝だった。中国地方で今、最も雪が積もりづらい地域にいるものの、やはりギリギリだと感じる。尾道市街地を歩いてみても、ところどころ雪で白くなっていた。青々とした海は尾道らしいけれど、白色の雪は不思議というか、滅多にないタイミングで、今ここにいるんじゃないか? とさえ思う。でも、やっぱりカブなので、悠長なことはあまり考えられず、完全には雪が積もらなくて、ほんとうに良かったとホッとするばかりである。
何度も訪れたことのある尾道。今回は、市街地を自由にフラフラと。もっと深く、深く尾道を知れたら、もっと楽しいのだろうなあとも思う。でも、大学の後輩とチラッと会うことができたり、ゴミ捨てに向かっていたお母さんが、とても清々しい笑顔で挨拶をしてくれたり、やっぱり、短い滞在でも、尾道の雰囲気に魅せられてしまう自分がいる。
尾道市(1/4)
寒波の中、迎えた朝だった。中国地方で今、最も雪が積もりづらい地域にいるものの、やはりギリギリだと感じる。尾道市街地を歩いてみても、ところどころ雪で白くなっていた。青々とした海は尾道らしいけれど、白色の雪は不思議というか、滅多にないタイミングで、今ここにいるんじゃないか? とさえ思う。でも、やっぱりカブなので、悠長なことはあまり考えられず、完全には雪が積もらなくて、ほんとうに良かったとホッとするばかりである。
何度も訪れたことのある尾道。今回は、市街地を自由にフラフラと。もっと深く、深く尾道を知れたら、もっと楽しいのだろうなあとも思う。でも、大学の後輩とチラッと会うことができたり、ゴミ捨てに向かっていたお母さんが、とても清々しい笑顔で挨拶をしてくれたり、やっぱり、短い滞在でも、尾道の雰囲気に魅せられてしまう自分がいる。

















旧向島町(尾道市)(2/4)
尾道の特殊な地形のひとつというか、市街地から目と鼻の先にある島が、向島だ。もともと、何も考えていなかったぼくは、ごくふつうに橋を渡って向島へ行くものだと思っていた。でも、長崎の知り合いの方が、「ぜったいに、渡船がいいよ!」と連絡をくださって、「渡船の選択肢、忘れてました!」と思ったのだった。
今回利用したのは、3/31(月)で運行を終える、福本渡船。向島と尾道を、休まずに往復し続けるというすごい船だ。地元の人たちもすでに何人か待っていて、ぼくは緊張の面持ちがバレないように、精一杯隠す。小銭で料金の80円をパッと出せるように、コンビニで飲み物を買って調整もしておいた。そして、いざ乗船が始まり、船のお父さんがやってきて、澄まし顔でお金を支払う。よし、金額も正解! と。緊張したものの、楽しかったなあ。渡船文化は長く、尾道を支えてきた。もちろん歴史は移りゆくものだが、過去のことではなく今、そういうことを感じられてうれしい。
向島へ上陸してからは、市街地を散策した。グラウンドからは、野球少年の溌剌とした声が響き渡っている。それも、かなり活き活きとした声だった。無理やりさせられている掛け声ではなく、能動的な声で、自分が野球部にいた頃は、こういう声が出せていたかなと思ったり、今でも、何かをやるときは、後ろめたさとか、恥ずかしさとか要らないから、こういう声、出さなきゃな、とか思ったり。何が言いたいかというと、すごくいい雰囲気だった。
尾道の特殊な地形のひとつというか、市街地から目と鼻の先にある島が、向島だ。もともと、何も考えていなかったぼくは、ごくふつうに橋を渡って向島へ行くものだと思っていた。でも、長崎の知り合いの方が、「ぜったいに、渡船がいいよ!」と連絡をくださって、「渡船の選択肢、忘れてました!」と思ったのだった。
今回利用したのは、3/31(月)で運行を終える、福本渡船。向島と尾道を、休まずに往復し続けるというすごい船だ。地元の人たちもすでに何人か待っていて、ぼくは緊張の面持ちがバレないように、精一杯隠す。小銭で料金の80円をパッと出せるように、コンビニで飲み物を買って調整もしておいた。そして、いざ乗船が始まり、船のお父さんがやってきて、澄まし顔でお金を支払う。よし、金額も正解! と。緊張したものの、楽しかったなあ。渡船文化は長く、尾道を支えてきた。もちろん歴史は移りゆくものだが、過去のことではなく今、そういうことを感じられてうれしい。
向島へ上陸してからは、市街地を散策した。グラウンドからは、野球少年の溌剌とした声が響き渡っている。それも、かなり活き活きとした声だった。無理やりさせられている掛け声ではなく、能動的な声で、自分が野球部にいた頃は、こういう声が出せていたかなと思ったり、今でも、何かをやるときは、後ろめたさとか、恥ずかしさとか要らないから、こういう声、出さなきゃな、とか思ったり。何が言いたいかというと、すごくいい雰囲気だった。














旧因島市(尾道市)(3/4)
因島大橋を渡って、向島から因島へ向かう。原付で走るルートは、因島大橋の場合、橋の下だったので、風が弱くて助かる。ただ、通行料の50円を持ってなくて、100円玉を入れざるを得なかった。さっきの渡船では成功したのに、しまなみ海道の通行料までは、考えが及んでいなかったのだ。
さあ、因島といえばポルノグラフィティ、というイメージをもう少し更新しよう。市街地の雰囲気は、ごく自然な暮らしの姿である。もちろん海は当然のように広がっていて、因島村上氏が残した因島水軍城にも向かってみた。村上氏と聞くと海賊であり、海賊と聞くと悪者や敵のように感じてしまいやすいけれど、実際のところ、因島村上氏は良い海賊というか、ヒーロー的な側面を持ち合わせていたのだと、展示から知っていった。因島村上氏から今につながるお祭りなども残っているようで、展示には良い写真がすごく多かった。
因島大橋を渡って、向島から因島へ向かう。原付で走るルートは、因島大橋の場合、橋の下だったので、風が弱くて助かる。ただ、通行料の50円を持ってなくて、100円玉を入れざるを得なかった。さっきの渡船では成功したのに、しまなみ海道の通行料までは、考えが及んでいなかったのだ。
さあ、因島といえばポルノグラフィティ、というイメージをもう少し更新しよう。市街地の雰囲気は、ごく自然な暮らしの姿である。もちろん海は当然のように広がっていて、因島村上氏が残した因島水軍城にも向かってみた。村上氏と聞くと海賊であり、海賊と聞くと悪者や敵のように感じてしまいやすいけれど、実際のところ、因島村上氏は良い海賊というか、ヒーロー的な側面を持ち合わせていたのだと、展示から知っていった。因島村上氏から今につながるお祭りなども残っているようで、展示には良い写真がすごく多かった。











旧瀬戸田町(尾道市)(4/4)
今、日本中を「瀬戸田レモン」という言葉が席巻しているのではないだろうか。では、実際のところどこに位置するまちなのかといえば、因島から島をひとつ南へ渡った先にある生口島や、隣の高根島を指す。
メイン通りはしっかりと大きな町で、ホームセンターからコンビニ、ドラッグストアと、生活に必要なものが集まっている。そのメイン通りを少し抜けた先にある、「未来心の丘」へ行ってみるのが、まずは目標。
と思いつつも、未来心の丘よりも先にある「しおまち商店街」の雰囲気が好きだった。レモンアイランドと銘打っていて、レモネードはもちろん、レモン色のバイクや、レモンのラーメンも。レモンを楽しみに行くなら、裏切らないというか、期待を超えたレモンズたちが待っているはずだ。
未来心の丘が、耕三寺さんというお寺の中にあるということは知らなかったし、入場料がなかなかの値段だったり、途中で洞窟を通ったり、いろいろ考えられた古寺があるのだなあと。ちなみに、未来心の丘の作者は杭谷一東さんで、出身地の世羅町には、小さなモニュメントがいくつか展示されていて、そちらの作品や雰囲気もあらためて好きだなと思った。もちろんこういう感覚は、観光地じゃない方をちょっと薦めようとする、あるあるのミーハー精神なので、まずは未来心の丘に行くのが、順番だろう。
今、日本中を「瀬戸田レモン」という言葉が席巻しているのではないだろうか。では、実際のところどこに位置するまちなのかといえば、因島から島をひとつ南へ渡った先にある生口島や、隣の高根島を指す。
メイン通りはしっかりと大きな町で、ホームセンターからコンビニ、ドラッグストアと、生活に必要なものが集まっている。そのメイン通りを少し抜けた先にある、「未来心の丘」へ行ってみるのが、まずは目標。
と思いつつも、未来心の丘よりも先にある「しおまち商店街」の雰囲気が好きだった。レモンアイランドと銘打っていて、レモネードはもちろん、レモン色のバイクや、レモンのラーメンも。レモンを楽しみに行くなら、裏切らないというか、期待を超えたレモンズたちが待っているはずだ。
未来心の丘が、耕三寺さんというお寺の中にあるということは知らなかったし、入場料がなかなかの値段だったり、途中で洞窟を通ったり、いろいろ考えられた古寺があるのだなあと。ちなみに、未来心の丘の作者は杭谷一東さんで、出身地の世羅町には、小さなモニュメントがいくつか展示されていて、そちらの作品や雰囲気もあらためて好きだなと思った。もちろんこういう感覚は、観光地じゃない方をちょっと薦めようとする、あるあるのミーハー精神なので、まずは未来心の丘に行くのが、順番だろう。
















愛媛県の大三島へ渡ろうとして‥‥
瀬戸田町を訪れたのち、次に多々羅大橋を渡り、愛媛県の大三島へ行く予定だった。大三島で旧大三島町、旧上浦町の二つを巡ることができれば、およそいつもと同じ6つのまちを巡るペースだからだ。宿は因島で取っていたので、多々羅大橋を往復しようと。
そして、多々羅大橋を渡る入口に差し掛かったとき、バイクが二台、停まっている。状況は、普通ではない。そのうちの一人はどうやら怪我をしていて、そのうちの一人は、どうやら助けていらっしゃるようだった。
わわ、と思った。怪我をしてしまっていた方が乗っていた90ccのカブは、この日、何度か見かけていたのだ。多分、およそルートが重なっていたと思う。でも、顔は分からなかったし、年配の方が乗っているのかなと思っていたら、ぼくよりも若そうな青年だった。
そのカブは荷物をしっかり積んだキャンプスタイルで、多々羅大橋を渡っていたとき、強風を浴びて、バランスを崩して橋の欄干に激突してしまったと。なんとか入口まで退避したところで、もう一人のカブ乗りの方が通過し、対応にあたっていたのだった。
ここで、とにかく多々羅大橋を渡ることを中断し、ぼくも一緒にできることをさせてもらった。怪我をしてしまった彼は膝を強打し歩行ができず、救急車を呼ぶ。また、残ってしまった彼のカブが橋の入口にあると通行の妨げになるので、どうにかしなければならない。
そして、もう一人の先に対応してくださっていた男性は、隣の大三島に住んでいるカブ乗りの男性で、タンデム(二人乗り)できるカブだから、怪我をしてしまった青年のカブを、男性の知り合いの瀬戸田にあるハンバーガーショップまで運転して運び、ぼくは男性のカブに乗り、さらに青年のカブをお店に預けたあと、タンデムでぼくのカブのところまで運んでもらう、ということをやった。
すなわち、男性のカブを一度運転させてもらい、後ろにも乗らせてもらった。ぼくのカブとまるで違うパワー溢れる乗り心地だったし、カブでタンデムしてもらうことも初めてだったし、しかも途中で雪が降り出したのでドキドキしたけれど、無事にコトが進んで、最後はハンバーガーショップで、営業終了後にも関わらず、特別に、しかもプチ裏メニューのカブバーガーを作っていただいた。
怪我をしてしまった青年は、「たぶん、膝が割れました」と救急車で運ばれる前に言っていて、自分のことが蘇った。ぼくは膝は割れていないけれど、その膝の真横をごっそり削ったのが、市町村一周の初日の怪我だったからだ。他人事には感じられなかったし、彼は中部地方から長旅でやってきているようだったので、いたたまれない気持ちになるばかりだった。
この日は大三島へ渡らず、そのまま瀬戸田から因島へ移動して旅を終えた。多々羅大橋はかなり大きな橋だし、風も強く吹きやすい。ぼくのカブも風に弱いので、もしかしたら自分が怪我をしていたかもしれない、ということも当然思った。愛媛県の大三島へ行こうとしていたのは、大山祇神社さんへ、これからはじまる四国旅の無事を祈願したかったという思いが強かった。でも、今じゃない。今じゃなくて大丈夫だと信じて良いのだな、と思った。
そして、お世話になったもう一人のカブ乗りの男性の方や、ハンバーガーショップの方と仲良くなった。みなさんカブが大好きで、3月中旬には「しまなみかぶぬしミーテング」も開催されていて、運営に携わっていらっしゃった。こういうつながりはいいなあとすごく思う。ぼくも3月、参加してみたかったけれど、今は旅がある。またいつかハンバーガーショップに行って、ご挨拶したいな。
瀬戸田町を訪れたのち、次に多々羅大橋を渡り、愛媛県の大三島へ行く予定だった。大三島で旧大三島町、旧上浦町の二つを巡ることができれば、およそいつもと同じ6つのまちを巡るペースだからだ。宿は因島で取っていたので、多々羅大橋を往復しようと。
そして、多々羅大橋を渡る入口に差し掛かったとき、バイクが二台、停まっている。状況は、普通ではない。そのうちの一人はどうやら怪我をしていて、そのうちの一人は、どうやら助けていらっしゃるようだった。
わわ、と思った。怪我をしてしまっていた方が乗っていた90ccのカブは、この日、何度か見かけていたのだ。多分、およそルートが重なっていたと思う。でも、顔は分からなかったし、年配の方が乗っているのかなと思っていたら、ぼくよりも若そうな青年だった。
そのカブは荷物をしっかり積んだキャンプスタイルで、多々羅大橋を渡っていたとき、強風を浴びて、バランスを崩して橋の欄干に激突してしまったと。なんとか入口まで退避したところで、もう一人のカブ乗りの方が通過し、対応にあたっていたのだった。
ここで、とにかく多々羅大橋を渡ることを中断し、ぼくも一緒にできることをさせてもらった。怪我をしてしまった彼は膝を強打し歩行ができず、救急車を呼ぶ。また、残ってしまった彼のカブが橋の入口にあると通行の妨げになるので、どうにかしなければならない。
そして、もう一人の先に対応してくださっていた男性は、隣の大三島に住んでいるカブ乗りの男性で、タンデム(二人乗り)できるカブだから、怪我をしてしまった青年のカブを、男性の知り合いの瀬戸田にあるハンバーガーショップまで運転して運び、ぼくは男性のカブに乗り、さらに青年のカブをお店に預けたあと、タンデムでぼくのカブのところまで運んでもらう、ということをやった。
すなわち、男性のカブを一度運転させてもらい、後ろにも乗らせてもらった。ぼくのカブとまるで違うパワー溢れる乗り心地だったし、カブでタンデムしてもらうことも初めてだったし、しかも途中で雪が降り出したのでドキドキしたけれど、無事にコトが進んで、最後はハンバーガーショップで、営業終了後にも関わらず、特別に、しかもプチ裏メニューのカブバーガーを作っていただいた。
怪我をしてしまった青年は、「たぶん、膝が割れました」と救急車で運ばれる前に言っていて、自分のことが蘇った。ぼくは膝は割れていないけれど、その膝の真横をごっそり削ったのが、市町村一周の初日の怪我だったからだ。他人事には感じられなかったし、彼は中部地方から長旅でやってきているようだったので、いたたまれない気持ちになるばかりだった。
この日は大三島へ渡らず、そのまま瀬戸田から因島へ移動して旅を終えた。多々羅大橋はかなり大きな橋だし、風も強く吹きやすい。ぼくのカブも風に弱いので、もしかしたら自分が怪我をしていたかもしれない、ということも当然思った。愛媛県の大三島へ行こうとしていたのは、大山祇神社さんへ、これからはじまる四国旅の無事を祈願したかったという思いが強かった。でも、今じゃない。今じゃなくて大丈夫だと信じて良いのだな、と思った。
そして、お世話になったもう一人のカブ乗りの男性の方や、ハンバーガーショップの方と仲良くなった。みなさんカブが大好きで、3月中旬には「しまなみかぶぬしミーテング」も開催されていて、運営に携わっていらっしゃった。こういうつながりはいいなあとすごく思う。ぼくも3月、参加してみたかったけれど、今は旅がある。またいつかハンバーガーショップに行って、ご挨拶したいな。









というわけで、今日の散策はここまで。何より、無事に一日を終えられることがありがたいです。いつも同じようなことを書いていますが、常套句として使っているわけではなく、ほんとうにそう思います。特に今日は、その思いがより一層強くなりました。
本日のひとこと
今日で、訪れたまちの総数が2000になりました。2000番目は、因島です。ひきつづき、コツコツがんばります。
今日で、訪れたまちの総数が2000になりました。2000番目は、因島です。ひきつづき、コツコツがんばります。
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)
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