今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【163/171】
訪れた旧市町村の数【1828/2,101】 総計【1991/2,272】スーパーカブの総走行距離
44119km


今日の旅先のこと
いよいよふるさと、岡山県に入ってきました。やっぱり地元となると、底知れない安心感があります。でも、地元だからこそ、知らないまちがたくさんあることも事実です。今日も少しずつ、巡っていきましょう。
旧長船町(瀬戸内市)(1/6)
スカッと晴れた朝で、気温も相当低い。でも、天気予報で少し風が和らぐとあったので、ありがたいなあと。とにかく冬の風は、体力を奪っていくから。
さて、最初に訪れたのは、旧長船町。長船といえば、日本刀が有名だ。以前、「備前長船刀剣博物館」に訪れたこともある。ただ、今回は市街地へ訪れてみることに。
長船支所まで行くと、15人ぐらいの年配の方々が開くのを待っていて、図書館の利用なのかなあと思ったり。周辺は落ち着いた戸建ての住宅街が広がっていて、ふと、「福岡の町並み」という言葉を見つけて、移動してみることに。福岡では中世に交通の要衝としてかなり栄えたようだ。新しい住宅地と田畑を抜け、吉井川沿いに町並みは広がっていた。まだ、昔の区画も残っていて、お寺や郷土館が目に入る。郷土館あたりの壁には商売と刀を作っている絵も。刀剣が地場産業としてあって、吉井川が運搬の役割を果たしたのかなあ。
旧長船町(瀬戸内市)(1/6)
スカッと晴れた朝で、気温も相当低い。でも、天気予報で少し風が和らぐとあったので、ありがたいなあと。とにかく冬の風は、体力を奪っていくから。
さて、最初に訪れたのは、旧長船町。長船といえば、日本刀が有名だ。以前、「備前長船刀剣博物館」に訪れたこともある。ただ、今回は市街地へ訪れてみることに。
長船支所まで行くと、15人ぐらいの年配の方々が開くのを待っていて、図書館の利用なのかなあと思ったり。周辺は落ち着いた戸建ての住宅街が広がっていて、ふと、「福岡の町並み」という言葉を見つけて、移動してみることに。福岡では中世に交通の要衝としてかなり栄えたようだ。新しい住宅地と田畑を抜け、吉井川沿いに町並みは広がっていた。まだ、昔の区画も残っていて、お寺や郷土館が目に入る。郷土館あたりの壁には商売と刀を作っている絵も。刀剣が地場産業としてあって、吉井川が運搬の役割を果たしたのかなあ。












旧邑久町(瀬戸内市)(2/6)
次にやってきたのは、旧邑久町。瀬戸内市役所もあるので、瀬戸内市の中心地だ。主要道路沿いにはスーパーやらお店が並んでいるけれど、ひとつ裏手に入ると静かな住宅地になった。それに、公共の施設はレンガ調が多い。市役所から邑久高校までの通りは、大正時代がイメージされているそうだ。
なぜ、大正時代なのかといえば、竹久夢二の出身地だからだ。少し移動して、夢二郷土美術館にも訪れてみた。夢二は16歳までを岡山で過ごし、ふるさとにも思い入れが強く、岡山の風景も作品に取り入れられていると。たとえば背の低いなだらかな山の風景や、牛窓のような入江の風景。51歳で亡くなったことも知らなかったし、岡山を大事に思っていたのということは、印象的だった。
ちなみに、群馬県の伊香保にも「竹久夢二伊香保記念館」がある。入館料がけっこう高くて、竹久夢二は敷居が高いのかなと思っていたものの、こちらの方が安かったし、いろいろ知ることができて良かった。
次にやってきたのは、旧邑久町。瀬戸内市役所もあるので、瀬戸内市の中心地だ。主要道路沿いにはスーパーやらお店が並んでいるけれど、ひとつ裏手に入ると静かな住宅地になった。それに、公共の施設はレンガ調が多い。市役所から邑久高校までの通りは、大正時代がイメージされているそうだ。
なぜ、大正時代なのかといえば、竹久夢二の出身地だからだ。少し移動して、夢二郷土美術館にも訪れてみた。夢二は16歳までを岡山で過ごし、ふるさとにも思い入れが強く、岡山の風景も作品に取り入れられていると。たとえば背の低いなだらかな山の風景や、牛窓のような入江の風景。51歳で亡くなったことも知らなかったし、岡山を大事に思っていたのということは、印象的だった。
ちなみに、群馬県の伊香保にも「竹久夢二伊香保記念館」がある。入館料がけっこう高くて、竹久夢二は敷居が高いのかなと思っていたものの、こちらの方が安かったし、いろいろ知ることができて良かった。













旧牛窓町(瀬戸内市)(3/6)
旧邑久町から南へ緩やかに坂を越えると、牛窓に入る。牛窓といえば、海のイメージが強い。コンビニの横には船がずらっと係留してあって、船と港の凪いだ波を見ているととても穏やかな気持ちになる。
そして、牛窓神社にも行ってみることに。風景も見られるかもしれない、と思っていたところ、訪れてみたら、「あ、来たことある!」と。周辺はかなり急な丘の斜面に住宅地と畑が広がっていて、ちょっと雰囲気が独特なのだ。とても大好きな神社だし、参道を進んでいくと海の見える展望台も発見。地元のお母さんたちが何人かで掃除をされていて、地元の方々のおかげで、気持ちのいい風景も見ることができるのだなあと。
旧邑久町から南へ緩やかに坂を越えると、牛窓に入る。牛窓といえば、海のイメージが強い。コンビニの横には船がずらっと係留してあって、船と港の凪いだ波を見ているととても穏やかな気持ちになる。
そして、牛窓神社にも行ってみることに。風景も見られるかもしれない、と思っていたところ、訪れてみたら、「あ、来たことある!」と。周辺はかなり急な丘の斜面に住宅地と畑が広がっていて、ちょっと雰囲気が独特なのだ。とても大好きな神社だし、参道を進んでいくと海の見える展望台も発見。地元のお母さんたちが何人かで掃除をされていて、地元の方々のおかげで、気持ちのいい風景も見ることができるのだなあと。















東区(岡山市)(4/6)
さあ、ここからは岡山市へ入っていこう。岡山市は東区、中区、北区、南区と4つの区に分かれている。そして、東区では西大寺周辺へ行ってみようと。奈良の西大寺は逃してしまったので、こちらでは逃さずに。
向かってみると、屋台がいっぱい並んでいて、車もたくさん停まっている。この様子を見て、そういえばはだか祭りって西大寺だよね? と。ポスターも発見して日程を見ると、おまつりの開催は先週だった。ニアミスだなあ。屋台が残っていたのは、おまつりの残り香って感じかな。観客席も設置されていて、野球の地方球場みたいだった。
さあ、ここからは岡山市へ入っていこう。岡山市は東区、中区、北区、南区と4つの区に分かれている。そして、東区では西大寺周辺へ行ってみようと。奈良の西大寺は逃してしまったので、こちらでは逃さずに。
向かってみると、屋台がいっぱい並んでいて、車もたくさん停まっている。この様子を見て、そういえばはだか祭りって西大寺だよね? と。ポスターも発見して日程を見ると、おまつりの開催は先週だった。ニアミスだなあ。屋台が残っていたのは、おまつりの残り香って感じかな。観客席も設置されていて、野球の地方球場みたいだった。














中区(岡山市)(5/6)
次に向かったのは、中区。なかなか、巡り方が難しいなと思いつつ、岡山電軌東山線の東山駅周辺へ。途中、ちょっとした小高い山を北側に眺めつつ、小さく山を越えて、のちにこの山が操山だと知った。名前は普段からよく聞くけれど、どの辺りを指すのか分かっていなかったので、小さく知識を得た感じだ。
そして、中区役所の周辺も散策してみた。どの都市でも、「中区」というとかなり市街地を指すことが多いけれど、どちらかというとここでは車社会の真ん中で、徒歩だと移動にかなり時間がかかるエリアだ。百間川の北側と、旭川と百間川に挟まれた中洲辺りが中区なのだなあと。ぼくにとって岡山市は隣のまちだけれど、そういうことは全然分からない。
次に向かったのは、中区。なかなか、巡り方が難しいなと思いつつ、岡山電軌東山線の東山駅周辺へ。途中、ちょっとした小高い山を北側に眺めつつ、小さく山を越えて、のちにこの山が操山だと知った。名前は普段からよく聞くけれど、どの辺りを指すのか分かっていなかったので、小さく知識を得た感じだ。
そして、中区役所の周辺も散策してみた。どの都市でも、「中区」というとかなり市街地を指すことが多いけれど、どちらかというとここでは車社会の真ん中で、徒歩だと移動にかなり時間がかかるエリアだ。百間川の北側と、旭川と百間川に挟まれた中洲辺りが中区なのだなあと。ぼくにとって岡山市は隣のまちだけれど、そういうことは全然分からない。









北区(岡山市)(6/6)
最後にやってきたのは、北区。備中高松城や造山古墳が気になっていたけれど、まずは市街地から巡るのが順番としては正しいかなあと、岡山城へ向かってみた。
無難な選択かもしれないけれど、岡山城に入るのは多分初めてだ。館内の展示がすごくしっかりしていることに驚く。小早川秀秋が岡山城主だったことも知らなかったし、岡山城が烏城と呼ばれていることも、これまで全然知らず…。
何より、池田光政や子の綱政が学校設立や新田開発、後楽園の造営を行い、今の岡山の下地がつくられていったことを思うと、偉大だなあと思わずにはいられない。展示は見切れないぐらい、すごく充実していて、いいなあ! 岡山城!と素直に思うばかりだった。灯台下暗しだ。
最後にやってきたのは、北区。備中高松城や造山古墳が気になっていたけれど、まずは市街地から巡るのが順番としては正しいかなあと、岡山城へ向かってみた。
無難な選択かもしれないけれど、岡山城に入るのは多分初めてだ。館内の展示がすごくしっかりしていることに驚く。小早川秀秋が岡山城主だったことも知らなかったし、岡山城が烏城と呼ばれていることも、これまで全然知らず…。
何より、池田光政や子の綱政が学校設立や新田開発、後楽園の造営を行い、今の岡山の下地がつくられていったことを思うと、偉大だなあと思わずにはいられない。展示は見切れないぐらい、すごく充実していて、いいなあ! 岡山城!と素直に思うばかりだった。灯台下暗しだ。














というわけで、今日の散策はここまで。岡山市は南区が残っていますが、持ち越しのまま、進んでいきたいと思います。かなり寒かった一日ですが、無事に進むことができてありがたいです。このあと倉敷市の実家に戻り、2日間ほど作業日とさせてもらったのち、旅の再開です。
本日のひとこと
岡山ー倉敷の移動も、国道2号線だと時短なのですが、車のスピードが速いので、旧道を使って移動しました。
岡山ー倉敷の移動も、国道2号線だと時短なのですが、車のスピードが速いので、旧道を使って移動しました。
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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