
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【160/171】
訪れた旧市町村の数【1813/2,098】 総計【1973/2,269】スーパーカブの総走行距離
43845km

今日の旅先のこと
昨日のうちに、京都から兵庫まで移動し、今日から淡路島へ向かいました。カブでは明石海峡大橋を渡れないので、船に乗って。淡路島では11のまちを巡ることが目標です。それでは振り返っていきましょう。
旧淡路町(淡路市)(1/6)
朝7時15分頃に宿舎を出て、港へ。利用するのは「淡路ジェノバライン」という航路で、明石港と淡路島をつないでいる。
バイクの方はこちらです、と従業員さんに教えてもらって券を買う。バイクが乗船できない船もあって、ちょうど出港の様子を見ていると乗客は結構多かった。
券を買ってからはしばらく待機だ。地元の人は落ち着いているし、観光客がソワソワしているのがはっきりわかる。立ったり、座ったり、と、これは完全に自分のことである。そして、乗船する船がやってきた。朝の便なので、地元の人たちもかなり乗っていた。中には制服姿の高校生もいる。淡路島から船で通う日常もあるのだなあ。熊本の天草を思い出した。
ちょうど8時前に淡路島の岩屋港へ到着し、ここから旧淡路町の散策だ。昔ながらの住宅地を通り、坂道が気になって進むと、かなり険しい坂である。山と海が近い、坂のまちだと感じた。見晴らしの良い場所を探すと、神戸や明石のまちもよく見えた。北向きだから、海も青々としていいいなあ。
旧淡路町(淡路市)(1/6)
朝7時15分頃に宿舎を出て、港へ。利用するのは「淡路ジェノバライン」という航路で、明石港と淡路島をつないでいる。
バイクの方はこちらです、と従業員さんに教えてもらって券を買う。バイクが乗船できない船もあって、ちょうど出港の様子を見ていると乗客は結構多かった。
券を買ってからはしばらく待機だ。地元の人は落ち着いているし、観光客がソワソワしているのがはっきりわかる。立ったり、座ったり、と、これは完全に自分のことである。そして、乗船する船がやってきた。朝の便なので、地元の人たちもかなり乗っていた。中には制服姿の高校生もいる。淡路島から船で通う日常もあるのだなあ。熊本の天草を思い出した。
ちょうど8時前に淡路島の岩屋港へ到着し、ここから旧淡路町の散策だ。昔ながらの住宅地を通り、坂道が気になって進むと、かなり険しい坂である。山と海が近い、坂のまちだと感じた。見晴らしの良い場所を探すと、神戸や明石のまちもよく見えた。北向きだから、海も青々としていいいなあ。























旧北淡町(淡路市)(2/6)
今回は、主に淡路島を反時計回りで巡っていく。なので、次に向かったのは旧北淡町。海岸線の道を進んでいったので、かなり風が強く、山の方には風車もあった。冬は北西の風が当たりやすいのだろうなあと思う。
そして、訪れたのは北淡震災記念公園。1月17日には、阪神・淡路大震災の追悼行事も行われている。というのを先日のテレビで知った。神戸市街地は東遊園地、淡路島はここだと。この公園には、「野島断層保存館」もあり、見学してみた。施設の中に、阪神・淡路大震災で生じた断層が保存されていて、真横から断層を見ることもできたので、揺れのエネルギーにつくづく驚かされる。岐阜県本巣市で訪れた「根尾谷断層地震断層観察館」と似た構造だったし、能登で見た断層も思い出した。
VRで地震体験ができるコーナーもあって、体験させてもらった。揺れる椅子に座って、VRゴーグルを装着しての震度5強の体験だ。大地が揺れる感じがして、とてもリアルだった。それに震災の映像を見て、いろんなことを考えさせられた。
今回は、主に淡路島を反時計回りで巡っていく。なので、次に向かったのは旧北淡町。海岸線の道を進んでいったので、かなり風が強く、山の方には風車もあった。冬は北西の風が当たりやすいのだろうなあと思う。
そして、訪れたのは北淡震災記念公園。1月17日には、阪神・淡路大震災の追悼行事も行われている。というのを先日のテレビで知った。神戸市街地は東遊園地、淡路島はここだと。この公園には、「野島断層保存館」もあり、見学してみた。施設の中に、阪神・淡路大震災で生じた断層が保存されていて、真横から断層を見ることもできたので、揺れのエネルギーにつくづく驚かされる。岐阜県本巣市で訪れた「根尾谷断層地震断層観察館」と似た構造だったし、能登で見た断層も思い出した。
VRで地震体験ができるコーナーもあって、体験させてもらった。揺れる椅子に座って、VRゴーグルを装着しての震度5強の体験だ。大地が揺れる感じがして、とてもリアルだった。それに震災の映像を見て、いろんなことを考えさせられた。

















旧一宮町(淡路市)(3/6)
旧北淡町から再び海岸線を進み、旧一宮町に入った。市街地は海も近い。そして、歩道には「神様の結うとおり」とかかれた石碑と神さまの名前があちこちに記されている。古事記編纂1300年という記念の碑も。国生み神話として知られる土地であることを、まちを散策していても色濃く感じられたし、この土地が大切にしてあるものを感じた。
伊弉諾神宮さんは2回目の参拝で、前回訪れたときは、それはもう、土砂降りの雨だった。だから、今回は爽やかな青空の中で参拝させてもらえたことは、とてもありがたかったなあ。
古事記とか、日本書紀とか、まだ読むことすらできていないし、何も言える立場にはまったくないけれど、あちこちと旅をさせてもらっていると、神話のような出来事は、やっぱり今の日本とすごくつながっているように感じられる。いや、何もわかりませんが。でも、因縁のある土地は、すごく多いよなあ。
旧北淡町から再び海岸線を進み、旧一宮町に入った。市街地は海も近い。そして、歩道には「神様の結うとおり」とかかれた石碑と神さまの名前があちこちに記されている。古事記編纂1300年という記念の碑も。国生み神話として知られる土地であることを、まちを散策していても色濃く感じられたし、この土地が大切にしてあるものを感じた。
伊弉諾神宮さんは2回目の参拝で、前回訪れたときは、それはもう、土砂降りの雨だった。だから、今回は爽やかな青空の中で参拝させてもらえたことは、とてもありがたかったなあ。
古事記とか、日本書紀とか、まだ読むことすらできていないし、何も言える立場にはまったくないけれど、あちこちと旅をさせてもらっていると、神話のような出来事は、やっぱり今の日本とすごくつながっているように感じられる。いや、何もわかりませんが。でも、因縁のある土地は、すごく多いよなあ。










旧五色町(洲本市)(4/6)
次にやってきたのは、旧五色町。ここからは洲本市だ。洲本市街地は島の南東に位置するイメージだったので、島の北側の海に面する地域のことは、今まで知らなかった。
まずは、「ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園」に向かってみる。高田屋嘉兵衛は江戸時代の豪商で、蝦夷地で活躍した人物だ。エトロフ航路開発や、北方漁場の経営などで、函館の繁栄の基礎を築いたと。そして、出身が旧五色町だと。公園は庭園、広場、キャンプ場、ホールとなんでも揃った複合施設という感じだった。
さらに、野球少年の銅像も建っていて、これは阿久悠さんの功績を讃えるものだった。阿久悠さんの出身地も、旧五色町なのだ。自叙伝的小説「瀬戸内少年野球団」がモチーフで、阿久悠さんの言葉も刻まれていて。いろんな偉人が、この地と関わっているのだなあ。
町並みへ移動すると、港町の雰囲気も感じるし、緩やかな山と落ち着いた緑の風景も残っている。そして、高田屋嘉兵衛の立派な石碑も建っていたのだった。
次にやってきたのは、旧五色町。ここからは洲本市だ。洲本市街地は島の南東に位置するイメージだったので、島の北側の海に面する地域のことは、今まで知らなかった。
まずは、「ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園」に向かってみる。高田屋嘉兵衛は江戸時代の豪商で、蝦夷地で活躍した人物だ。エトロフ航路開発や、北方漁場の経営などで、函館の繁栄の基礎を築いたと。そして、出身が旧五色町だと。公園は庭園、広場、キャンプ場、ホールとなんでも揃った複合施設という感じだった。
さらに、野球少年の銅像も建っていて、これは阿久悠さんの功績を讃えるものだった。阿久悠さんの出身地も、旧五色町なのだ。自叙伝的小説「瀬戸内少年野球団」がモチーフで、阿久悠さんの言葉も刻まれていて。いろんな偉人が、この地と関わっているのだなあ。
町並みへ移動すると、港町の雰囲気も感じるし、緩やかな山と落ち着いた緑の風景も残っている。そして、高田屋嘉兵衛の立派な石碑も建っていたのだった。












旧西淡町(南あわじ市)(5/6)
だいぶ、淡路島を反時計回りに進んできた形だ。そして、旧西淡町に向かう。ひきつづき海岸線は風が強くて、自転車を漕いでる人も大変そう。しかし、慶野松原に入ると、風がほとんど吹かなくなった。厳密には、松原の内陸側であればあるほど風は吹かず、砂浜へ近づいていくと、松原の中でも風を感じた。松たちにとっては、どこに植えられたかによって、風の受け具合がまったく違うし、席替えもできないわけだから、宿命というものは大変だなと思う。
その後、松帆地区の周辺を散策した。住宅の間に広がる畑が広くて、のびやかな景色だ。昔からあるような懐かしい雰囲気のショッピングモールに立ち寄って、お弁当屋さんがあったので今日の晩ごはんを買っておいた。
だいぶ、淡路島を反時計回りに進んできた形だ。そして、旧西淡町に向かう。ひきつづき海岸線は風が強くて、自転車を漕いでる人も大変そう。しかし、慶野松原に入ると、風がほとんど吹かなくなった。厳密には、松原の内陸側であればあるほど風は吹かず、砂浜へ近づいていくと、松原の中でも風を感じた。松たちにとっては、どこに植えられたかによって、風の受け具合がまったく違うし、席替えもできないわけだから、宿命というものは大変だなと思う。
その後、松帆地区の周辺を散策した。住宅の間に広がる畑が広くて、のびやかな景色だ。昔からあるような懐かしい雰囲気のショッピングモールに立ち寄って、お弁当屋さんがあったので今日の晩ごはんを買っておいた。










旧南淡町(南あわじ市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧南淡町。淡路島と徳島を結ぶ橋もあって、橋の下の鳴門海峡はうずしおが有名だ。以前、一度クルーズ船に乗ったことがある。なかなか、「ザ・うずしお!」の光景に出会うのはむずかしいのだなとも思ったけれど、平穏な瀬戸内海でありながら、潮の流れが激しいスケールの大きな海なのだなあと感じたのだった。
今回はクルーズ船には乗らなかったものの、ちょうど乗船前の人たちが集まっていて、観光客の中には大学生もけっこういた。春休みってことだよねえ。いい時間になるといいな。
そして、海のそばはまちの雰囲気でいっぱい。昔からの町並みも残っていて、今に続く時間の長さを感じられた。また、南あわじは温泉郷としても知られていて、いろんな温泉や宿が集まっている。観光とセットで、ゆったり羽を伸ばすには、もってこいの場所だなあ。
最後にやってきたのは、旧南淡町。淡路島と徳島を結ぶ橋もあって、橋の下の鳴門海峡はうずしおが有名だ。以前、一度クルーズ船に乗ったことがある。なかなか、「ザ・うずしお!」の光景に出会うのはむずかしいのだなとも思ったけれど、平穏な瀬戸内海でありながら、潮の流れが激しいスケールの大きな海なのだなあと感じたのだった。
今回はクルーズ船には乗らなかったものの、ちょうど乗船前の人たちが集まっていて、観光客の中には大学生もけっこういた。春休みってことだよねえ。いい時間になるといいな。
そして、海のそばはまちの雰囲気でいっぱい。昔からの町並みも残っていて、今に続く時間の長さを感じられた。また、南あわじは温泉郷としても知られていて、いろんな温泉や宿が集まっている。観光とセットで、ゆったり羽を伸ばすには、もってこいの場所だなあ。















とというわけで、今日の散策はここまで。まずは朝、無事に淡路島へ着くことができて、それから順に巡ることができてホッとしています。冷たい風をたくさん浴びた1日でしたが、しっかり休んで明日もがんばっていきましょう。
本日のひとこと
ガソリンスタンドで給油してくれたおじさんの足元に猫がいて、「淡路島いいなあ!」と思いました。
ガソリンスタンドで給油してくれたおじさんの足元に猫がいて、「淡路島いいなあ!」と思いました。
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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