ふるさとの手帖

市町村一周の旅

いざ、淡路島へ。【旧市町村一周の旅(兵庫県)|2月17日―683日目)】

いざ、淡路島へ。【旧市町村一周の旅(兵庫県)|2月17日―683日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【160/171】

160/171
93.57%
訪れた旧市町村の数【1813/2,098】
1813/2098
86.42%
総計【1973/2,269】
1973/2269
86.95%

スーパーカブの総走行距離
43845km

旧淡路町→旧北淡町→旧一宮町→旧五色町→旧西淡町→旧南淡町、の6つ。
今日の旅先のこと
昨日のうちに、京都から兵庫まで移動し、今日から淡路島へ向かいました。カブでは明石海峡大橋を渡れないので、船に乗って。淡路島では11のまちを巡ることが目標です。それでは振り返っていきましょう。


淡路町あわじちょう(淡路市)(1/6)
朝7時15分頃に宿舎を出て、港へ。利用するのは「淡路ジェノバライン」という航路で、明石港と淡路島をつないでいる。

バイクの方はこちらです、と従業員さんに教えてもらって券を買う。バイクが乗船できない船もあって、ちょうど出港の様子を見ていると乗客は結構多かった。

券を買ってからはしばらく待機だ。地元の人は落ち着いているし、観光客がソワソワしているのがはっきりわかる。立ったり、座ったり、と、これは完全に自分のことである。そして、乗船する船がやってきた。朝の便なので、地元の人たちもかなり乗っていた。中には制服姿の高校生もいる。淡路島から船で通う日常もあるのだなあ。熊本の天草を思い出した。

ちょうど8時前に淡路島の岩屋港へ到着し、ここから旧淡路町の散策だ。昔ながらの住宅地を通り、坂道が気になって進むと、かなり険しい坂である。山と海が近い、坂のまちだと感じた。見晴らしの良い場所を探すと、神戸や明石のまちもよく見えた。北向きだから、海も青々としていいいなあ。

淡路ジェノバライン。
バイクはぼく含めて3台乗った。(125cc以下しか乗れない)
きた!
明石海峡大橋。

岩屋港に到着。
ゴジラのバスだ。
岩屋商店街。
おはよう。
小高い場所から。
坂はけっこう急だった。
どういう意味だろう。
明石海峡大橋の下にも。
立派な橋脚だなあ。
北淡町ほくだんちょう(淡路市)(2/6)
今回は、主に淡路島を反時計回りで巡っていく。なので、次に向かったのは旧北淡町。海岸線の道を進んでいったので、かなり風が強く、山の方には風車もあった。冬は北西の風が当たりやすいのだろうなあと思う。

そして、訪れたのは北淡震災記念公園。1月17日には、阪神・淡路大震災の追悼行事も行われている。というのを先日のテレビで知った。神戸市街地は東遊園地、淡路島はここだと。この公園には、「野島断層保存館」もあり、見学してみた。施設の中に、阪神・淡路大震災で生じた断層が保存されていて、真横から断層を見ることもできたので、揺れのエネルギーにつくづく驚かされる。岐阜県本巣市で訪れた「根尾谷断層地震断層観察館」と似た構造だったし、能登で見た断層も思い出した。

VRで地震体験ができるコーナーもあって、体験させてもらった。揺れる椅子に座って、VRゴーグルを装着しての震度5強の体験だ。大地が揺れる感じがして、とてもリアルだった。それに震災の映像を見て、いろんなことを考えさせられた。
北淡震災記念公園へ。
野島断層保存館。
実際の断層だ。
一瞬で、ずれるわけだもんなあ。
あたたかいことばだ。
そして、北淡市街地へ。
淡路島牛乳。
こうした風景も、淡路島なんだなあ。
一宮町いちのみやちょう(淡路市)(3/6)
旧北淡町から再び海岸線を進み、旧一宮町に入った。市街地は海も近い。そして、歩道には「神様のうとおり」とかかれた石碑と神さまの名前があちこちに記されている。古事記編纂1300年という記念の碑も。国生み神話として知られる土地であることを、まちを散策していても色濃く感じられたし、この土地が大切にしてあるものを感じた。

伊弉諾神宮さんは2回目の参拝で、前回訪れたときは、それはもう、土砂降りの雨だった。だから、今回は爽やかな青空の中で参拝させてもらえたことは、とてもありがたかったなあ。

古事記とか、日本書紀とか、まだ読むことすらできていないし、何も言える立場にはまったくないけれど、あちこちと旅をさせてもらっていると、神話のような出来事は、やっぱり今の日本とすごくつながっているように感じられる。いや、何もわかりませんが。でも、因縁のある土地は、すごく多いよなあ。
一宮事務所。
神さまたち。
淡路島といえば、玉ねぎでもあるなあ。
神様の結うとおり。
シャッターにも。
濱神社。摂社だと。地元のおばあちゃんが参拝していた。
そして、伊弉諾神宮へ。
青空で清々しく、ありがたかったです。
五色町ごしきちょう(洲本市)(4/6)
次にやってきたのは、旧五色町。ここからは洲本市だ。洲本市街地は島の南東に位置するイメージだったので、島の北側の海に面する地域のことは、今まで知らなかった。

まずは、「ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園」に向かってみる。高田屋嘉兵衛は江戸時代の豪商で、蝦夷地で活躍した人物だ。エトロフ航路開発や、北方漁場の経営などで、函館の繁栄の基礎を築いたと。そして、出身が旧五色町だと。公園は庭園、広場、キャンプ場、ホールとなんでも揃った複合施設という感じだった。

さらに、野球少年の銅像も建っていて、これは阿久悠さんの功績を讃えるものだった。阿久悠さんの出身地も、旧五色町なのだ。自叙伝的小説「瀬戸内少年野球団」がモチーフで、阿久悠さんの言葉も刻まれていて。いろんな偉人が、この地と関わっているのだなあ。

町並みへ移動すると、港町の雰囲気も感じるし、緩やかな山と落ち着いた緑の風景も残っている。そして、高田屋嘉兵衛の立派な石碑も建っていたのだった。
ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園。
瀬戸内少年野球団。
まちを見渡す。
五色庁舎。
港の雰囲気。
菜の花たち。
高田屋嘉兵衛翁生誕地。
西淡町せいだんちょう(南あわじ市)(5/6)
だいぶ、淡路島を反時計回りに進んできた形だ。そして、旧西淡町に向かう。ひきつづき海岸線は風が強くて、自転車を漕いでる人も大変そう。しかし、慶野松原に入ると、風がほとんど吹かなくなった。厳密には、松原の内陸側であればあるほど風は吹かず、砂浜へ近づいていくと、松原の中でも風を感じた。松たちにとっては、どこに植えられたかによって、風の受け具合がまったく違うし、席替えもできないわけだから、宿命というものは大変だなと思う。

その後、松帆地区の周辺を散策した。住宅の間に広がる畑が広くて、のびやかな景色だ。昔からあるような懐かしい雰囲気のショッピングモールに立ち寄って、お弁当屋さんがあったので今日の晩ごはんを買っておいた。
慶野松原へ。
浜に出ると、風、ものすんごく強い。
松帆地区を巡る。
畑と家と。
ショッピングセンターのシーパを見つけた!
ものすごく凸凹している。断層…?
南淡町なんだんちょう(南あわじ市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧南淡町。淡路島と徳島を結ぶ橋もあって、橋の下の鳴門海峡はうずしおが有名だ。以前、一度クルーズ船に乗ったことがある。なかなか、「ザ・うずしお!」の光景に出会うのはむずかしいのだなとも思ったけれど、平穏な瀬戸内海でありながら、潮の流れが激しいスケールの大きな海なのだなあと感じたのだった。

今回はクルーズ船には乗らなかったものの、ちょうど乗船前の人たちが集まっていて、観光客の中には大学生もけっこういた。春休みってことだよねえ。いい時間になるといいな。

そして、海のそばはまちの雰囲気でいっぱい。昔からの町並みも残っていて、今に続く時間の長さを感じられた。また、南あわじは温泉郷としても知られていて、いろんな温泉や宿が集まっている。観光とセットで、ゆったり羽を伸ばすには、もってこいの場所だなあ。
うずしおドームなないろ館。
繁忙期にはこの船も出動すると。
福良のまち。
淡路人形座。
懐かしい雰囲気だ。
低い山と町並みと。
昼食に、鯛ラーメンをいただいた。美味しかった。
というわけで、今日の散策はここまで。まずは朝、無事に淡路島へ着くことができて、それから順に巡ることができてホッとしています。冷たい風をたくさん浴びた1日でしたが、しっかり休んで明日もがんばっていきましょう。
本日のひとこと
ガソリンスタンドで給油してくれたおじさんの足元に猫がいて、「淡路島いいなあ!」と思いました。
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(終わり。次回へ続きます)

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