
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【160/171】
訪れた旧市町村の数【1807/2,098】 総計【1967/2,269】スーパーカブの総走行距離
43774km


今日の旅先のこと
奈良市といえば奈良盆地ですが、奈良市の旧都祁村や旧月ヶ瀬村は、大和高原に広がるまちでした。それから奈良盆地へ降り、最後には木津川市へ。奈良県と京都府の旅も同時に最後となります。それでは振り返っていきましょう。
旧都祁村(奈良市)(1/6)
昨日、旧都祁村の宿にチェックインする前に、「道の駅 針テラス」に立ち寄っていた。すごく巨大な道の駅で、大型トラックが何台も止まっているかと思ったら、土曜日の午後ということもあって、バイクの数もとんでもなく多い。正面玄関付近がバイクの展示会場のようになっていた。ぼくのカブはといえば、すみっこの二軍スペースで目立たないように。
さて、翌日。予報通り雨は止んだものの、霧で肌寒い朝だった。路面も濡れているからゆっくり走ろう。
そして、「三陵墓古墳群史跡公園」というところに立ち寄ってみる。東と西に古墳があり、どちらも登ってみて、上は半径5mぐらいの正円だった。ちなみにこの古墳に建っていた石像の姿を見て、完全に「イカゲーム」かと思った。韓国ドラマ「イカゲーム」に登場するだるまさんがころんだの、鬼役にそっくりなのだ。まあ、あまり旅とは関係ないかもしれないけれど、個人的には結構ビックリした。
旧都祁村(奈良市)(1/6)
昨日、旧都祁村の宿にチェックインする前に、「道の駅 針テラス」に立ち寄っていた。すごく巨大な道の駅で、大型トラックが何台も止まっているかと思ったら、土曜日の午後ということもあって、バイクの数もとんでもなく多い。正面玄関付近がバイクの展示会場のようになっていた。ぼくのカブはといえば、すみっこの二軍スペースで目立たないように。
さて、翌日。予報通り雨は止んだものの、霧で肌寒い朝だった。路面も濡れているからゆっくり走ろう。
そして、「三陵墓古墳群史跡公園」というところに立ち寄ってみる。東と西に古墳があり、どちらも登ってみて、上は半径5mぐらいの正円だった。ちなみにこの古墳に建っていた石像の姿を見て、完全に「イカゲーム」かと思った。韓国ドラマ「イカゲーム」に登場するだるまさんがころんだの、鬼役にそっくりなのだ。まあ、あまり旅とは関係ないかもしれないけれど、個人的には結構ビックリした。













旧月ヶ瀬村(奈良市)(2/6)
旧都祁村から旧月ヶ瀬村へ向かう道は、アップダウンも激しく、かなり慎重に進んでいった。そして、旧月ヶ瀬村に入ると「梅まつり」の幟が何本も立っている。月ヶ瀬梅林は関西屈指の梅林として知られているそうだ。
市街地を進んでいく途中に見つけた地名に「桃香野」があって、「月ヶ瀬桃香野」って、かっこ良すぎると思いませんか? そばの名張川は朝の凪いだ湖面で、見ているだけで心洗われる。
そして、駐車場に着いた。完全に梅まつり仕様になっていて、駐車場は有料で整備されている模様。ただ、おまつり期間には入っているけれど、まだ梅は見頃を迎えていないので、お客さんはまだ少なめだった。地元のおじさんに見頃を聞いてみたら、「3月10日から20日ぐらいかのう!」「もっかい来たらええわ!」と。
地元の方々はみなさん明るく挨拶をしてくれて、すごくあたたかな土地だった。今は、梅まつり期間ではあるものの、まだ見頃ではなくて、「まだかな‥‥まだかな‥‥」と待ち侘びる頃。そういう日々も、ほんとうはすごく美しい。
帰り際、駐車場の人たちが「月ヶ瀬」とかかれた法被を着ていて、思わず背中の写真を撮らせてもらったのだった。やっぱり月ヶ瀬の人はみんなやさしい。とても好きな土地になった。
旧都祁村から旧月ヶ瀬村へ向かう道は、アップダウンも激しく、かなり慎重に進んでいった。そして、旧月ヶ瀬村に入ると「梅まつり」の幟が何本も立っている。月ヶ瀬梅林は関西屈指の梅林として知られているそうだ。
市街地を進んでいく途中に見つけた地名に「桃香野」があって、「月ヶ瀬桃香野」って、かっこ良すぎると思いませんか? そばの名張川は朝の凪いだ湖面で、見ているだけで心洗われる。
そして、駐車場に着いた。完全に梅まつり仕様になっていて、駐車場は有料で整備されている模様。ただ、おまつり期間には入っているけれど、まだ梅は見頃を迎えていないので、お客さんはまだ少なめだった。地元のおじさんに見頃を聞いてみたら、「3月10日から20日ぐらいかのう!」「もっかい来たらええわ!」と。
地元の方々はみなさん明るく挨拶をしてくれて、すごくあたたかな土地だった。今は、梅まつり期間ではあるものの、まだ見頃ではなくて、「まだかな‥‥まだかな‥‥」と待ち侘びる頃。そういう日々も、ほんとうはすごく美しい。
帰り際、駐車場の人たちが「月ヶ瀬」とかかれた法被を着ていて、思わず背中の写真を撮らせてもらったのだった。やっぱり月ヶ瀬の人はみんなやさしい。とても好きな土地になった。
















奈良市(3/6)
旧月ヶ瀬村から奈良市街地までは、30km弱の道のり。その半分頃から下りの山道が続き、ほんとうにこれ、いつまで下るんだ? というぐらい、ずーっとずーっと道を下った。宇陀や都祁、月ヶ瀬といった地域は、奈良盆地とは標高がぜんぜん違うのだなあと。そして、ようやく奈良盆地が見えて、こんなにも高い場所にいたのだなあと思った。
奈良市街地は、行ったことのない「平城宮跡歴史公園」へ向かってみようと。道中に奈良公園も通過したので、立ち寄りたいと感じたら立ち寄ろうかなあと思っていたところ、観光客がものすごく多かったのでやめることにした。日曜日ということもあって、さすがに鹿さんよりも人間の方が多かった。ひとつの公園にここまで人が集まるって、すごいことだよなあと思いつつ。
そして、ふつうの道路沿いに突如、とてつもなく広大なスペースと、巨大な朱雀門が現れた。そう、これが平城宮跡歴史公園だ。左手に広場や展示もある建物、さらには復原の遣唐使船もあって、これだけでも成り立つけれど、それ以外の「何もない」スペースがとにかく広大なのだ。
やーっと巨大な朱雀門をくぐったかと思ったら、近鉄奈良線の踏切を渡り、さらに何倍もあるスペースが残されていた。これが平城宮の広さか‥‥。それから大和西大寺駅までぐるっと歩いてみて、とことん疲れた。でも、平城宮の広大な敷地が開発されずにこうして保存されていることは、ほんとうに素晴らしいことだと思う。
旧月ヶ瀬村から奈良市街地までは、30km弱の道のり。その半分頃から下りの山道が続き、ほんとうにこれ、いつまで下るんだ? というぐらい、ずーっとずーっと道を下った。宇陀や都祁、月ヶ瀬といった地域は、奈良盆地とは標高がぜんぜん違うのだなあと。そして、ようやく奈良盆地が見えて、こんなにも高い場所にいたのだなあと思った。
奈良市街地は、行ったことのない「平城宮跡歴史公園」へ向かってみようと。道中に奈良公園も通過したので、立ち寄りたいと感じたら立ち寄ろうかなあと思っていたところ、観光客がものすごく多かったのでやめることにした。日曜日ということもあって、さすがに鹿さんよりも人間の方が多かった。ひとつの公園にここまで人が集まるって、すごいことだよなあと思いつつ。
そして、ふつうの道路沿いに突如、とてつもなく広大なスペースと、巨大な朱雀門が現れた。そう、これが平城宮跡歴史公園だ。左手に広場や展示もある建物、さらには復原の遣唐使船もあって、これだけでも成り立つけれど、それ以外の「何もない」スペースがとにかく広大なのだ。
やーっと巨大な朱雀門をくぐったかと思ったら、近鉄奈良線の踏切を渡り、さらに何倍もあるスペースが残されていた。これが平城宮の広さか‥‥。それから大和西大寺駅までぐるっと歩いてみて、とことん疲れた。でも、平城宮の広大な敷地が開発されずにこうして保存されていることは、ほんとうに素晴らしいことだと思う。



















旧木津町(木津川市)(4/6)
さあ、ここからは京都府の木津川市へ。奈良市と木津川市は隣接しているので、このルートで訪れようと以前から思っていた。そして、旧木津町は木津川市街地でもあり、暮らしの場としての時間が流れていた。ぎゅっと狭い間口で家が並んでいるところもあって、それをみると京都らしいなあと感じるし、そうではない大きな戸建ての住宅地も多かった。
また、木津城址公園に向かってみると、城址公園が台地の上にあって、町並みを見渡すことができた。低い山があるところ以外は住宅地で埋まっているように見えたので、暮らしの数がとても多いのだなあと。
さあ、ここからは京都府の木津川市へ。奈良市と木津川市は隣接しているので、このルートで訪れようと以前から思っていた。そして、旧木津町は木津川市街地でもあり、暮らしの場としての時間が流れていた。ぎゅっと狭い間口で家が並んでいるところもあって、それをみると京都らしいなあと感じるし、そうではない大きな戸建ての住宅地も多かった。
また、木津城址公園に向かってみると、城址公園が台地の上にあって、町並みを見渡すことができた。低い山があるところ以外は住宅地で埋まっているように見えたので、暮らしの数がとても多いのだなあと。











旧加茂町(木津川市)(5/6)
木津川沿いを上流に向かって進んでいくと、旧加茂町に入る。さらに進めば笠置町や南山城村に入り、三重県伊賀市の旧島ヶ原村へとつながっていく。旅では島ヶ原まで訪れることができていたので、三重県からぐるっと回ってようやくここまで来たのだなあとしみじみだ。
そして、旧加茂町の市街地には古い通りも残っていた。雨樋に見たことのない装飾が施されていたりして、昔は栄えていたということだよなあと。ということは、この古い通りは何の道だろう。伊賀まで出るから伊勢の道かな? と考えたり。もちろん新しい住宅地もあって、時代に合わせて暮らしが続いているのだなあと。
木津川沿いを上流に向かって進んでいくと、旧加茂町に入る。さらに進めば笠置町や南山城村に入り、三重県伊賀市の旧島ヶ原村へとつながっていく。旅では島ヶ原まで訪れることができていたので、三重県からぐるっと回ってようやくここまで来たのだなあとしみじみだ。
そして、旧加茂町の市街地には古い通りも残っていた。雨樋に見たことのない装飾が施されていたりして、昔は栄えていたということだよなあと。ということは、この古い通りは何の道だろう。伊賀まで出るから伊勢の道かな? と考えたり。もちろん新しい住宅地もあって、時代に合わせて暮らしが続いているのだなあと。










旧山城町(木津川市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧山城町。今も南山城村があるからこそ、ここは南ではない山城ということだよなあ。と考えたときに、さっきの旧加茂町で、「山城加茂郵便局」だったことにも気づいた。そして調べてみると、およそ京都市以南を山城地域と呼ぶそうだ。
旧山城町は山に囲まれているというよりも平野部であることが印象的で、市街地を散策していると、立て看板に「お茶の町」と紹介されていた。実際お茶に関わるお店や工場の看板もすごく多い。この周辺でいえば、宇治や和束や南山城といったお茶の産地が多いから、ここに集まってくるのかなあと考えてみて、調べてみると、おおよそ間違ってはいなさそうだ。
駅前も散策してみて、昔ながらの雰囲気が残っており、お茶はもちろん、長く暮らしが続いてきていることを感じた。自分が知らないだけで、ここにも歴史や文化は連綿と続いているのだと。
最後にやってきたのは、旧山城町。今も南山城村があるからこそ、ここは南ではない山城ということだよなあ。と考えたときに、さっきの旧加茂町で、「山城加茂郵便局」だったことにも気づいた。そして調べてみると、およそ京都市以南を山城地域と呼ぶそうだ。
旧山城町は山に囲まれているというよりも平野部であることが印象的で、市街地を散策していると、立て看板に「お茶の町」と紹介されていた。実際お茶に関わるお店や工場の看板もすごく多い。この周辺でいえば、宇治や和束や南山城といったお茶の産地が多いから、ここに集まってくるのかなあと考えてみて、調べてみると、おおよそ間違ってはいなさそうだ。
駅前も散策してみて、昔ながらの雰囲気が残っており、お茶はもちろん、長く暮らしが続いてきていることを感じた。自分が知らないだけで、ここにも歴史や文化は連綿と続いているのだと。














というわけで、今日の散策はここまで。そして、無事に奈良県と京都府の旅を終えることができました。ほんとうにありがたい気持ちでいっぱいです。天候の隙間をなんとかくぐり抜けることができたように感じます。もちろん、今回行けなかった場所もあるし、ご挨拶できなかった方もいるので、また早く訪れることができますように。
本日のひとこと
木津川市から、兵庫県の明石市まで進んでいきました。かなり長距離でしたが、無事に移動できてホッとしています。
木津川市から、兵庫県の明石市まで進んでいきました。かなり長距離でしたが、無事に移動できてホッとしています。
旅を応援してくださる方へ

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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