ふるさとの手帖

市町村一周の旅

紀の川沿いに暮らしを訪れよう。【旧市町村一周の旅(和歌山県)|2月13日―679日目)】

紀の川沿いに暮らしを訪れよう。【旧市町村一周の旅(和歌山県)|2月13日―679日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【160/171】

160/171
93.57%
訪れた旧市町村の数【1789/2,098】
1789/2098
85.27%
総計【1949/2,269】
1949/2269
85.90%

スーパーカブの総走行距離
43404km

海南市→旧下津町→旧貴志川町→旧桃山町→旧那賀町→旧粉河町→旧打田町、の7つ。
今日の旅先のこと
和歌山県の旅も終盤に差し掛かってきました。今日は海南市から紀の川市へ。冷たい風が強く寒さは続きますが、コツコツと進んでいきましょう。


海南市かいなんし(1/7)
昨日から海南市に泊まっていて、海南nobinosという図書館に訪れていた。のびのびとしたとても明るい雰囲気の図書館で、子ども向けのコーナーもすごく充実している。スターバックスもある。なので、子どもも中高生も大人も利用しやすそうだ。こういう場がまちにあると、すごくいいよなあと思う。これまでに訪れた図書館の中でもかなり好きだった。

そして、朝に市街地を散策する。登校していく小学生たちもけっこう挨拶してくれてうれしい。黒江の町並みの方にも行ってみると、「紀州漆器」が有名だと紹介されていた。黒江の紀州漆器の歴史は室町時代から始まるそうで、長い伝統とともに今も伝統工芸が続いているのは、すごいなあと。
海南市。
朝の散策。雨上がりだ。
海南駅。
鈴木さんの誕生地らしい。
海南nobinosはすごくいい施設だった。
黒江は紀州漆器が有名な土地。
下津町しもつちょう(海南市)(2/7)
国道42号線を南西の方角に進む。この道しかないので、交通量はやっぱり多い。風も強いので急がず、後続車には会釈して何度も追い抜いてもらった。トンネルを抜けるとまちに出て、ああ、ここがきっと下津だなあと。海も近いけれど、市街地そのものは内陸部にあるようだ。

周囲に広がっている丘陵地の斜面には、みかん畑がたくさん広がっていた。平地にも住宅地の合間に柑橘類の畑が多くて、流石だと感じる。国宝の長保寺さんにも行ってみようかなと思ったところ、調べてみたら臨時休業だので訪れず。加茂郷駅に年配の方々が集まっていて、どこかにハイキングへ行きそうな雰囲気で、どこの山に行くのだろうなあとも。
下津行政局。
住宅地にも柑橘畑。
真っ直ぐに。
加茂郷駅。
和歌山って感じがするなあ。
貴志川町きしがわちょう(紀の川市)(3/7)
再び国道を戻って、昨日も訪れた紀美野町の旧野上町も通過し、ここから紀の川市へ入っていく。最初に訪れたのは旧貴志川町。支所の周辺へ行こうかなと思っていたところ、「平池緑地公園」の看板を見つけて、良さそうな気がして立ち寄ってみることに。

台地の上に広がる広々とした池で、とっても気持ちがいい。水鳥が人にも慣れているみたいでのびのびと過ごしていたし、黒鳥もいた。珍しいのではないだろうか。

支所の周辺には大きなショッピングモールが集まっていて、便利そうだなあと思いつつも、けっこう渋滞していたので時間帯によっては大変なのかもしれないと思った。
平池緑地公園へ。おお。
黒鳥だ。
池は広々と。
印象的な小島も。
いちご狩りかあ。
桃山町ももやまちょう(紀の川市)(4/7)
次に向かったのは旧桃山町。紀の川の左岸に位置していて、河岸段丘のような地形にも感じるし、盆地のようにも感じた。市街地は静かな暮らしで、多分、桃の畑も広がっていたので、地名そのままだなあと。あとで桃の直売所も見かけたので、やっぱりそうなのだと思う。

ふと、住宅地を歩いているときには猫と目が合って、溝からじっと覗いているので、ぼくもじっと覗いて、特に何も起きないけれど、そういう時間もあった。
旧桃山町へ。
春に向けてかな。
じーっ。
こう着状態はしばらく続いた。
お相撲さんもやってくるみたい。
那賀町ながちょう(紀の川市)(5/7)
順番的には次に旧打田町に着くけれど、先に旧那賀町へ向かった。紀の川市の中で最も東に位置し、隣はかつらぎ町になる。そして、まちからは南側の山が近く感じられて、山の斜面には建物も畑も広がっている。目の前に広がる山並みを見ていると、個人的には福岡の耳納連山を思い出した。ずらっと横に並ぶ姿が、いいなあ。

市街地を散策していく中で、旧名手宿本陣を見つけたので入ってみると、雛人形が飾られていて、そうかあ、いつの間にか3月も近いよなあと。周辺は昔ながらの懐かしい通りだった。
旧那賀町へ。
奥には山並みが広がる。
ハスも有名なのかな。
懐かしい通りだ。
旧名手宿本陣。
春の装い。
名手駅。
粉河町こかわちょう(紀の川市)(6/7)
粉河といえば、というお寺がある。そう、粉河寺である。粉河観音宗の総本山であり、粉河寺縁起という絵巻物は、国宝にも指定されているそうだ。今は紀の川での流し雛も知られていて、多くの観光客を集めると。

そして、いざ向かってみると、駐車料金は指定のお店で支払うとのことで、お店に入ってみる。ちょうどそこでお店のお母さんがお客さんに柑橘類の説明をしていた。せとかとか、いろんな品種があって、どれが高級かなどと。なかなかのエネルギーで話は続き、10分後ぐらいにようやく目線を合わせてくれて駐車場の話をすると、「バイクはいいのよ!」とものの数秒で終わってしまった。

さて、境内は想像以上に広く、本堂へ進む途中にもいくつかのお堂が並んでいる。本堂前の庭園も立派だ。そして、本堂は屋根からして迫力があった。一重屋根の礼堂と、二重屋根の正堂とが結合した構成を持つ複合仏堂の形式で、確かに三層に感じられる。本堂の屋根の下に入ると、今度は雰囲気が一気にお寺の中に包まれている感じになった。今の建物は享保5年のものだと。そのまま変わらない時間を感じたし、すごいなあ。

その後、粉河駅の周辺にも移動してみると、懐かしい商店街が続いていた。表通りは北海道の商店街みたいな気配も感じた。路地裏に入ると、昔からのゆったりした時間の流れである。
かんきつのトロ、せとか。
粉河寺へ。大きなお寺だなあ。
剪定もすごい。
御本堂、とても立派だった。
粉河駅。奥の山も印象的。
ちょっと、北海道みたい。
打田町うちたちょう(紀の川市)(7/7)
最後にやってきたのは、旧打田町だ。紀の川市の中心地でもある。やや地盤の低い川のそばにも、中腹のあたりにもそれぞれ暮らしが広がっていた。どちらかがメインってことではなく、どちらにも住宅地がある感じ。今回は立ち寄らなかったものの、ファーマーズマーケットも有名だ。

そして、市役所もとても立派で、大きなまちであることを感じたし、ちょうど放送が鳴って、小中学生が下校しますと。そのときの、「生徒のみなさん、気をつけて帰りましょ」の「帰りましょ」が明らかに関西弁のイントネーションだったので、ちょっと微笑ましかった。完全な標準語じゃないのがいい。
紀の川市役所。
打田駅。
雰囲気がよさそうなお店も。
畑と住宅と。

上から見る。
今日もおつかれさまでした。
というわけで、今日の散策はここまで。今日も寒さを感じた一日でした。風が痛いというか。でも、無事に旅を進められることがありがたいですし、ひきつづきがんばっていきましょう。
本日のひとこと
旧打田町では、西行の銅像も見かけました。僧侶であり、歌人である人物。また勉強してみたいな。
旅を応援してくださる方へ
「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

(終わり。次回へ続きます)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me