ふるさとの手帖

市町村一周の旅

山間部の旅は続く。【旧市町村一周の旅(和歌山県)|2月12日―678日目)】

山間部の旅は続く。【旧市町村一周の旅(和歌山県)|2月12日―678日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【160/171】

160/171
93.57%
訪れた旧市町村の数【1782/2,099】
1782/2099
84.90%
総計【1942/2,270】
1942/2270
85.55%

スーパーカブの総走行距離
43335km

旧吉備町→旧金屋町→旧清水町→旧花園村→旧美里町→旧野上町、の6つ。
今日の旅先のこと
今日も再び、山間部への旅が続きます。特に旧花園村まではとても遠く、知らない土地の暮らしに驚くばかりです。それでは振り返っていきましょう。


吉備町きびちょう有田川町ありだがわちょう)(1/6)
いつもより早く、朝7時前に出発した。泊まっていた御坊市から、まずは国道42号線を北上していく。この国道42号線が、地理的に山を越えるルートだったので、かなり苦手意識を持っていた。速度の出る交通量の多い山道は、カブの苦手とするところである。でも、早朝だったことが幸いして、まだ通勤ラッシュよりは車の数も少なくて、助かった。走りながら、朝焼けもとても綺麗だった。

山を二つ越えて、無事に旧吉備町に入ることができた。高速道路の近くのエリアにはチェーン店もいろいろと集まっていて、役場の方まで進むと住宅街が広がっている。新しい戸建ても多く、もしかしたら和歌山市が通勤エリアの人もいるのかなと。その住宅街の合間には、果樹園が混ざっていた。むしろ順番的には、果樹園があって、その合間に住宅が建ったのだろう。果樹園と住宅地が隣り合っている光景はなかなか見ないし、和歌山らしさを感じる。
旧吉備町へ。きびドーム。
奥には住宅地。
家の合間には果樹園も。
朝はとても寒い。
がんばれ!
奥の山の斜面にも果樹園だ。
金屋町かなやちょう(有田川町)(2/6)
旧吉備町から東へ進み、旧金屋町に向かう。有田川が東西に流れているので、大きな山越えはなくそのまま旧金屋町に入った形だ。それでも金屋は金屋らしいまちだった。有田川のそばには懐かしい本町通りが広がっている。そして、周囲は果樹園も多い。おしゃれなピザ屋さんもあったり、花々が綺麗に植えられていたり、穏やかな暮らしを感じる。

また、有田川沿いに進んでいくと温泉もあるようだ。ただ、およそ市街地までが平野部という感じで、それよりも上流は山間部になる。有田川を地図で見ていても、かなりウネウネと蛇行していて、険しい川だなあと思わされる。
旧金屋町。
有田みかん450年。
なつかしい雰囲気。
パインアメだ。
果樹園も多い。
清水町しみずちょう(有田川町)(3/6)
旧金屋町から、旧清水町の市街地まで、30km弱離れていた。同じ有田川町でありながらも、かなりの距離だ。そして、旧清水町は有田川の上流部に位置するまちなので、山をかなり登っていく。途中でパッと集落が現れたりすると、ここにも暮らしがあるのだなあと毎回驚かされた。

やっと、市街地に近づいたところで、「あらぎ島」を見に行った。有田川が大きくカーブする内側につくられた扇形の棚田だ。展望台から眺めると、川と一体化したような見たことのない不思議な形の棚田だった。棚田には軽トラも停まっていて、作業をしている人たちがいる。ほんとうに、いろんな景色や暮らしがあるものだなあ。
道中の集落。
そして、あらぎ島の展望台へ向かう。
見えてきた。
ぐるっと有田川が囲うように。すごいなあ!
見たことない棚田だ。
2月なので、鬼とバレンタインかな。
市街地も少し歩いた。
静かな時間。
花園村はなぞのむら(かつらぎ町)(4/6)
今日のルートでは山場のひとつである、旧花園村へ向かう。理由は雪だ。高野山町の手前に位置する旧村で、最初に位置を確認したとき、「ここにもまちが!」と驚いた。SNSで積雪情報を見ても、冬は雪が少なくはない様子で、先ほどの旧清水町でも、まだ少し残雪が残っていた。なので、路面がなんとか無事な状態であれば、という気持ちで向かっていった。

旧清水町も、相当な山間部のまちだけれど、旧花園村はここからさらに遠かった。上り坂なので、平面の地図で見るよりも遠いのだ。そして、市街地は小さな集落だった。雪は、ギリギリ大丈夫。でも、残雪はごくふつうに残っていた。とても静かで、有田川がそっと流れている。あまりに体が冷えて、トイレにどうしても行きたくて、役場支所のお手洗いをお借りした。館内がものすごく暖かかった。

今の季節だと、訪れるのが精一杯だったけれど、夏に訪れればまた違う印象なのだろうなあと思う。すてきな温泉と宿泊施設もある。何より、日本は広いと思うばかりだ。
旧花園村へ。
ひっそりと。
バス停だ。
美里町みさとちょう(紀美野町)(5/6)
まずは無事に旧花園村へ訪れることができてホッとしつつも、まだ、油断はできないと思っていた。旧美里町へ向かうルートで峠のトンネルを越えるので、その周辺は気をつける必要があると思っていたのだ。ゆっくりとトンネルを抜けると、やはり雪が残っていて、それでも路面は溶けていたので助かった。またゆっくり、ゆっくり下って国道まで出る。そこまで降りることができて、ようやくひとつ呼吸を置く。もちろん、その後も安全運転で進むことは変わらない。

そして、市街地は貴志川沿いに広がっていて、ものすごく谷深い地形だった。川に降りられるような高低差ではなく、とても長い時間を経て削られていったのかなあと。市街地を歩いていると、神野市場という地名もあって、なんだろうと。かつての市場ということは、何かのルートがあったはずだ。と考えてみて、あるとすれば高野山かな? と思案していたところ、「高野西街道」の看板を見つけた。ここから高野山までは、30kmほどある。しかも山道だし、昔の人たちは健脚だ。
旧美里町へ。
川沿いは険しい台地だった。
市街地を歩く。
神野市場。
地図を発見。
高野西街道と。
映像研究祭。紀美野町と海南市で「きみの海南映画祭」があったようだ。
美里支所。
野上町のかみちょう(紀美野町)(6/6)
最後にやってきたのは、旧野上町。紀美野町の市街地にあたる。到着する頃には雨が強くなってきた。でも、雪ではなくて雨であることがありがたく感じられる。市街地は坂も多く、ちょっとでこぼこした地形のような。でも、今日はかなりの山間部へ訪れたので、だいぶ山を下ってきたなあという印象が強かった。

最後に、今日の御礼参りに野上八幡宮さんへ立ち寄った。社殿の正面には大きく、地元の美術部の高校生たちが奉納したという絵が飾られている。毎年奉納しているとのことで、今年は干支の蛇だ。そのことを紹介した新聞記事も読んで、ほっこりした気持ちになった。
旧野上町へ。
ひと休みして下さい。
野上八幡宮から。海南市との境界辺り。
正面に蛇の絵だ。
黄梅も。
というわけで、今日の散策はここまで。無事に終えられて、ホッと深呼吸。とてもありがたいことでした。そして、しっかりと寝て、またさらさらとさっぱりした心持ちで、明日も進んでいきましょう。
本日のひとこと
旧美里町でもトイレが我慢できず、美里支所で尋ねてお借りしたのですが、職員さんの視線を一斉に浴びてものすごく目立ちました。でも、それもまったく厭わないぐらい限界だったのです。体がほんとうに冷えていましたから。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)

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