ふるさとの手帖

市町村一周の旅

三重県も最後の日。和歌山県では熊野川沿いへ。【旧市町村一周の旅(三重県ー和歌山県)|2月1日―667日目)】

三重県も最後の日。和歌山県では熊野川沿いへ。【旧市町村一周の旅(三重県ー和歌山県)|2月1日―667日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【133/171】

133/171
77.78%
訪れた旧市町村の数【1760/2,098】
1760/2098
83.89%
総計【1893/2,269】
1893/2269
83.43%

スーパーカブの総走行距離
42952km

熊野市→旧紀和町→(旧本宮町)→(旧熊野川町)→紀宝町→旧鵜殿町→(新宮市)
本宮町→熊野川町→新宮市
今日の旅先のこと
朝はうっすらとした晴れ模様で、昨日よりも肌寒く感じます。夕方から雨の予報なので、それまでに巡りきれたらいいな。でも、急がず。そして、今日は三重県最後の旅です。名残惜しい気持ちとともに、振り返っていきましょう。


熊野市くまのし(1/7)
熊野市の宿に泊まっていて、前日のうちに「鬼ヶ城」を散策していた。9時から17時まで開いているとのことで、16時半ごろに熊野市に着いたので、今のうちに行っておこうと。削られそり立つ岩石の壁や平らな岩の、スケールが違う。少なからず、人間が考えるスケールは超えているように思った。

そして、今朝は熊野市街地へ。駅の奥にも歩いて行ってみると、山の急な斜面にも住宅地ができていて、町並みにすごく味がある。戻ってくると学生たちで駅前がいっぱいになって、日常だなあと。彼らからするとふつうの日々のことだろうけれど、そのふつうの様子がものすごくキラキラして見えた。
熊野市へ。
鬼。
鬼ヶ城を進もう。
ものすごい岩石だった。
今朝、熊野市駅。
斜面に住宅だ。

紀和町きわちょう(熊野市)(2/7)
熊野市街地からは、山道へ入っていく。長いトンネルを抜けて現れた集落と、朝日を浴びる椿がただ美しい。

市街地に着くと、北側に広がっている山の迫力に驚かされる。標高がものすごく高いわけではないかもしれないが、山の壁が目の前に押し寄せてくるようで、岩手山を間近で見たときのことを思い出した。

メインストリートには「紀和鉱山資料館」もあり、少し離れた箇所には、朝鮮人追悼碑もあって、石碑を見たときに、鉱山のことだろうなと直感した。この地に限らず、強制労働の歴史はいくつかの鉱山の展示や石碑で見る機会があったので、いろいろと考えさせられる。
集落の朝が美しい。
市街地にて。山がとても近い。
紀和。
本宮町ほんぐうちょう(田辺市)(3/7)
旧紀和町から、北山川沿いを進む。途中は奈良県の十津川村にも入ったので驚いた。その後、新宮市の旧熊野川町から長いトンネルを抜けて、旧本宮町へ。旧本宮町は田辺市である。田辺市街地は紀伊半島の南西の沿岸部に位置していて、場所はまったく違うので、その違いも面白い。

それに旧本宮町に入ってからも、これだけの山奥にありながら、砂利を含めた熊野川の川幅に驚かされる。ざっと200mぐらいあるのではないか?どれだけ削られたら、こうなるのだろうかと。

そして、熊野本宮大社へ参拝しよう。石段は158段とあって、一瞬たじろいだものの、足も違和感なく上り下りできるようになったことがありがたい。熊野本宮大社は神仏習合の名残も残していて、御祭神は仏様でもあると。参拝後、熊野本宮大社旧社地の「大斎原」にも向かった。撮影禁止なので写真はないけれど、大水害で現在の土地に社殿が移されるまでは、こちらに本殿があったというわけだ。
熊野川の川幅がすごく広い。
熊野本宮大社へ。
もうで餅をお土産に買った。
市街地も落ち着いた雰囲気。
熊野川町くまのがわちょう(新宮市)(4/7)
今度は新宮方面へ向かって熊野川沿いを下っていく。熊野川行政局の周辺も、やはり熊野川沿いに位置していて、周囲は石積みの多い昔ながらの町並みが広がっていた。行政局の周囲のみならず、あちこちに小さな集落が点在しているようだ。

「道の駅 瀞峡どろきょう街道熊野川」にも立ち寄ると、「紀伊半島大水害」の慰霊碑が建ってた。時期は平成23年の8月30日から9月4日にかけてで、死者14名、行方不明者は10名に及んだと。川まで降りてみると、さわさわさわ〜と、熊野川の様子はとても大人しく心地よくずっと聴けるような音だけれど、氾濫してしまうとまるで違う姿なのだろうなあと。
熊野川行政局。
勇将と歌人の文武両道かあ。
石積みが特徴的。
道の駅へ。
さらさら〜と。
紀伊半島大水害の慰霊碑もあった。
紀宝町きほうちょう(5/7)
道の駅を出る頃から、完全な曇り空へと変わった。まずは新宮市街地へ出てから、熊野川を渡って紀宝町へ。紀宝町はギリギリ三重県なので、三重県と和歌山県を行ったり来たりである。

全体的に川と海のイメージが大きいので、内陸部にも訪れてみたいと「紀宝町立ふるさと資料館」に向かってみる。資料の展示を見て、熊野川そのものも、川の参詣道として世界遺産に含まれていることを知った。ほかにも紀宝の偉人として、古畑種基博士のことを知ったり、民具や生活品も見ることができた。

内陸では相野谷川と台地が広がっていて、河口部の雰囲気とはまた違っていたので、どこを訪れるかによって印象も変わるなあと思う。
紀宝町を進む。
ふるさと資料館。
川と船だよなあ。
台地の上に集落と田んぼが広がっていた。
丘みたいだ。
鵜殿村うどのむら(紀宝町)(6/7)
地図を見て、ほんとうに小さな村だったのだなあと思った。熊野川の河口左岸に位置する旧村で、市街地には大きな製紙工場も。訪れてみて、とにかく工場の煙突からモクモクと煙が飛び出していく様子が印象的で、たとえばシンボリックな山があれば、その山を自然と探してしまうけれど、旧鵜殿村では、工場の位置を自然に探してしまうのだった。

もちろん、工場だけではなく、穏やかな暮らしの時間が流れている。屋内からは小学生の剣道の元気な声も聞こえてきた。いろんな土地と日常があるなあ、とあらためて思うばかりだ。
紀宝町役場と工場と。
バサバサ。
顔みたい。
さすが和歌山とも近い地域。
新宮市しんぐうし(7/7)
最後にやってきたのは、新宮市。まずは熊野速玉大社へ参拝しよう。今日、熊野三社のうち、二社訪れることができた。ただ、あとひとつの熊野那智大社は今回の旅では立ち寄らないので、またいつか、この地域に来れたらいいなあと思う。

そして、新宮城跡と周辺の町も歩いてみた。新宮城跡は、丹鶴城とも紹介されていて、京都にありそうな名前である。とても大きなお城かつ、石垣ひとつひとつがどっしりとした大きなサイズで立派だ。岩の迷宮みたいだなと思いながら登っていくと徐々に、海も町並みも見渡すことができた。海はとても気持ちいいし、町は山と川以外、びっしりと建物が広がっていて、新宮は大きな町なのだなあとあらためて思わされる。

訪れた商店街はだいぶ静かな時間帯だったけれど、神社の大麻おおぬさのようなものがアーケードの中央部に連なる形で吊るされていた。看板だったり、いろいろなものが掲示されているけれど、大麻はさすがに初めてみた。神社のことが意図されているとすれば、信頼あってこそだよなあと。
熊野速玉大社へ参拝。
大きな丹鶴ホール。
新宮城跡へ。
石垣がとても立派。
ギュッと町が広がってるなあ。
熊野川と橋。右側は三重県。
市街地も少し歩いた。
大麻だ。すごい。
というわけで、今日の散策はここまで。三重県の旧市町村もすべて訪れることができました。現在の市町村でまちを見るよりもずっと数が多く、それぞれに大なり小なりの違いがあり、振り返ってみても「同じ旅はできないな‥‥」と感じます。それぐらい、三重県の感覚がグッと広くなりました。無事に巡ることができて、とにかくありがたいのひとことに尽きます。
三重県、たくさんありがとうございました!
本日のひとこと
スーパーで「カロリーメイトありますか?」と店員さんに聞いたら、次々に探してくれて、裏方の調理の人たちも探してくれて、大騒動になったのでした。
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(終わり。次回へ続きます)

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